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がんばれ! オカムーミン

<解説>

◆その1 食生活

 韓国に来た当時は、とにかく韓国になれようと、日本食はいっさい食べませんでした(そんなお金もなかったし…)。というわけで、朝は自宅で、簡単にすまし、昼はヨンセ大学の学生食堂(500ウォンの定食…安かったなあ)、夜はまた自宅で辛いものを食べていました。外食なんか考えられず、このころは喫茶店に行くこともありませんでした。一日の小遣いは1000ウォンで、300ウォンの「チョンジャ」という安タバコを買って、学生食堂で500ウォンの定食を食べて、うちに帰る途中で一回50ウォンの「テトリス」(1989年当時大人気だった)を4回やって家に帰るのが日課でした(なんて悲惨な…)。
 こんな私たちの生活に比べて在日韓国人の留学生たちは十分すぎるほどの生活費を仕送りしてもらい、毎日イーテーウォンのディスコで遊んでいました。うらやましかったなあ…。彼らは今どうしているのでしょうか…。

 というわけで、一度びっくりするほど「真っ赤」な○○○が出て、「病気じゃないか…」と本気で心配したことがあります。トホホ

◆その2 電話

 私たちが韓国に居を構え、つたない韓国語でやっとの思いで電話を入れたときの話です。
 電話が設置されたとたんに、じゃんじゃん電話がかかってきました。
「まだ、誰にも電話番号を教えてないのに・・」と思いながら、電話をとると、機関銃のような韓国語で、何がなんだか分かりませんでした。
 しかし、何度目かの電話で「デルモンテ」という単語をなんとか聞き取ることに成功しました。
 それから妻と二人であれこれ推測した結果「みんなデルモンテ代理店にかけてきたものだ」ということに気づきました。
 しかし、韓国語もろくにできない私たちは、ただ「いいえ、違います。一般家庭ですよ。」と答えるのが精一杯でした。
 こんな日が1ヶ月以上も続いたでしょうか。電話は一日20本以上もかかってきます。業を煮やした妻が韓国デルモンテの社長に手紙を書きました(どんな韓国語で書いたか、冷や汗もんです)。
 すると、しばらく経って、デルモンテの社員から電話がかかってきました。彼の話では電話番号が変わったので新しい番号をみんなに教えてやってくれとのことでした、そしてまたしばらくして、40代のおばさんがデルモンテジュースとコップを持って私たちの家を尋ねてきました。彼女が例の「デルモンテのアジュンマ」だったのです。
 彼女の言うには、迷惑をかけて大変申し訳ない。すまないがこれが新しい電話番号だから、電話がかかってきたらこの番号を教えてやってくれないか…とのことでした。
 わざわざ重いジュースを下げてきたアジュマの頼みをむげに断ることもできず(また、そんな語学力もなかったので)言われたとおりにする事にしました。
 それからというもの一日に10回は「いいえ、電話番号が変わりました。新しい電話番号は○○○の○○○○です」と電話に向かって話すことになりました。
 おかげで韓国語で電話をすることに慣れて、今ではいい勉強だったと思っています。

 そのときもらったコップはもう全部割れてしまって一つも残っていません。あれから8年も経ってしまいました。

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