中日・山本昌広投手(44)が6日、滋賀県草津市の立命大びわこ・くさつキャンパスで行われた昭和40年(1965年)生まれの元プロ選手を中心としたイベントに参加。同学年最後の現役となった左腕は、同級生たちから熱いエールを受けた。来季はラストイヤーの覚悟で臨むものの、現役継続のパワーを仲間から注入された。
とうとう最後の1人になった。かつては球界の一大勢力だった昭和40年生まれの選手たちによる「40年会」。その中で、現役最後の生き残りとなったのが山本昌だ。
「このメンバーはみんなボクのあこがれだったからね。甲子園のスターたちで、甲子園に出ているのを『いいな、いいなあ』と見ていた選手たちなわけだから。水野(徳島・池田高出、元巨人)なんかまさにそうだよね。で、プロに入っても、ボクより先にどんどん活躍していったでしょ。そんなあこがれだった仲間が先に引退していっちゃって…」
懐かしげに振り返った。神奈川・日大藤沢高時代、甲子園は手の届かない場所だった。プロでも初勝利まで5年かかった。ずっと同級生の背中を追い掛けた。そして前には誰もいなくなった。
小宮山(前ロッテ)が今季限りで引退。この日のイベントにも参加した前ヤクルト監督・古田氏をはじめ、西武・渡辺監督、前楽天コーチの池山氏、原ジャパンでコーチを務めた与田氏ら、指導者が多くなった。
世間では「オジサン」と呼ばれる44歳が集まった。年に一度の同窓会。「この会は本当にいいですよ。いつも元気をもらえる」。イベントで、山本昌は何度も大笑いした。地元の中学生に真顔で投げたりもした。
「このメンバーは飾りのない心の声を聞かせてくれる。そういう仲間が頑張れと励ましてくれるから、オレもまだ頑張らなきゃ、と思うよね」
今では山本昌が同期会の希望の星だ。1年でも長く…。そんな仲間からのエールが胸に響いた。契約は来季で2年契約が切れる。本人もすでに「来年が最後になる可能性が高い」と、腹はくくっている。それでも、やっぱり「頑張らなきゃ」と、現役継続への活力を注がれた。
このオフは大好きなものも断つ。「ラジコンもやらない」。その腕前は日本屈指。ラジコン仲間も大事にしてきた。昨オフには大会も主催したほど。だが、このオフは我慢するという。球界随一のカーマニアでもある。毎年のようにスーパーカーを乗り換えてきたが、こちらも目下乗り替え予定はないそうだ。
趣味人が趣味を封印。オフならではの付き合いを除けば、あとは練習あるのみだ。「あがき、ですよ。悔いを残さないように、できるだけのことはやりたいから」。11月は鳥取市のトレーニングジム「ワールドウィング」で、異例の投げ込みまで行ってきた。
今月も「3、4日とまとまった日数が取れれば行きたい」と、また鳥取に戻ることも考えている。“オジサンの星”は冬空の下でも元気に光っている。 (生駒泰大)
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