los_angeleanさん
医療裁判の多くが、民事裁判になります。この民事裁判は「損害賠償請求」になります。損害賠償は、こうむった「損害」から「損害額」を計算して、「賠償金額」を計算します。そして、弁護士は一般に、この「賠償額」が「裁判を起すに値するかどうか」を考えます。
弁護料は大変高額です。多くの人は「賠償金」からその支払いを考えます。しかし、多くの場合、弁護士料は着手金(数百万円)以外に、勝訴した際の賠償金の10-50%(あるいはそれ以上)を成功報酬として支払うことを求められることがあります。あるいは勝訴しても「賠償金」のほとんどが弁護士料に消えてしまうかもしれません。ですから、弁護士は「損害賠償額」が小額であれば、裁判を勧めません。
ですが、一般に弁護士は「賠償請求額が低いから、弁護は引き受けません」とは言いません。弁護士も、目の前の相談者に本当の事を話して「人でなし」とか「金の亡者」とか罵倒されたくないです。「医療裁判は難しい。訴えても無理だ」と言います。
賠償額ですが、一般に経済的損失から計算されます。年収の高い働き盛りの自営業の方が、医療ミスで死亡した場合、大きな賠償額が請求できます。ですが、収入の無い老人や幼児、主婦などの場合、大変低く見積もられます。損害賠償請求は「人の命の重さ」を測るのではなく、被害にあった人の経済的能力に基く、「経済的損失」を「賠償」してもらう裁判ですから。
しかし、少なからず、「どんなにお金がかかっても」「真相を究明したい」「医者を懲らしめたい」という思いで、裁判を起す人がいます。ですが、「民事裁判」は「損害賠償請求」で、「医師に謝罪を求める裁判」ではありません。勝訴しても「賠償金」を得るだけで、「医師からの謝罪」は無いことが方が多いです。本来、民事裁判は、人々の生活の中で、「話し合いではどうしても解決できない問題」を「市民生活をスムーズにするため」に「解決」するもので、「仕返しのため」「相手を苦しめるため」の道具ではありません。
医療裁判自体は、「損害賠償額」が「妥当なもの」であれば、「医療者の過失」の証明と「損害がその過失によって生じた」いう関連性の証明が争点になり進められます。多くの人が誤解している事に、「過失」があればそれだけで「損害賠償の対象」というものがあります。「過失」があっても、それが、その後の医療者の努力で「損害まで至らな」ければ、「損害」が発生しなかったので、「損害賠償請求」はできなくなってしまうのです。「医療ミスで死にかけた」「でも、その後奇跡的に回復して今でもピンピンしている」というような場合は「死にかけた時の恐怖」に対する「精神的苦痛に対する賠償」という極めて小額な請求しか出来ません。
忙しい医療現場では「口頭」によるやりとりが多いため、書面になっていないケースが多く、裁判の際に「証拠」を集めるのが大変です。「口頭でのやりとり」は「記憶をたどって」記録におこされるので、信頼性が低くなり裁判で争点になることが多いです。これが「過失」の確定を難しくします。また、医療水準にはある程度の幅があり、名医には治せても、平均的な医師には治せないことがありあます。平均的な医療水準を大きく下回ることが「過失」となりますので、この「平均的医療水準」が裁判で問題になります。
また、「過失」が確定しても、「損害」との関連性が証明することが難しい場合が多いです。医学は進歩したとはいえ、人体や病気にはまだまだ解っていないことがたくさんあります。「過失」と「損害」の関連性が100%といえない場合が多々あり、その証明が難しい場合があります。このことが「過失」と「損害」の関連性を否定したい医療者側には大変有利に働きます。
しかし、このような難しい状況でも、多くの証拠を集め、「医師の過失」を証明し、「過失と損害の関連性」を証明して、勝訴するケースも増えてきています。