金嬉老(キン・キロウ)事件


−経緯−

昭和43年2月20日在留韓国人の金嬉老が、静岡県・清水市のクラブで債権取り立てのトラブルで暴力団員2人を射殺して逃走した。金嬉老はライフル銃とダイナマイトを持って県下の寸又(すまた)峡温泉にある旅館「ふじみ」に逃げ込み、泊り客13人を人質に取り4日間篭城した。

−差別−
犯罪行為は決して許される訳ではないが、この事件は改めて差別問題を浮き彫りにし、金嬉老への同情も高まった。金嬉老は、在留韓国人として、貧家ではあるが母に大事に育てられた。母子家庭である母親は金の成長を楽しみに苦労を重ねてきた。金嬉老自身は母親想いの青年として成長したが、その過程で幾度も差別を経験し、社会に対して不満を抱いていた。

事件の本質は、借金返済の問題が原因で暴力団を射殺した殺人事件だが、金嬉老は篭城先の旅館でテレビ・ラジオ・新聞などの報道関係者を玄関先あるいは部屋に入れて「差別問題で不満がある」ことを語り、殺人事件を差別問題へと誘導していった。

また、静岡市のA刑事に対して、差別用語で侮辱されたことなどに対して「謝罪要求」し、A刑事がテレビで「謝罪」を行う。金嬉老は、態度が気に入らないともう一度謝罪をやり直しさせたり、マスコミを思い通りに振り回した。結局4日後の24日、記者に化けた警官が金嬉老を取り押さえて逮捕となった。

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逮捕の直前、インタビューに応じる金

−刑務所内特別優遇事件−
金嬉老は逮捕後、静岡刑務所未決監独房に身柄を移された。2年後の昭和45年4月、看守が包丁、ヤスリ、ライターなどを差し入れたことが発覚した。この事件がきっかけで調査を実施したところ、刑務所内での金嬉老に対する「特別優遇」の実体が明らかになった。

金嬉老の独房は施錠されず、散歩、面会は自由で金品の制限は無し。独房内にはテープレコーダ、カメラ、望遠レンズ、香水、金魚鉢まであり、看守が機嫌を取る為に猥褻写真まで渡していた。

原因は、金嬉老が自殺をほのめかしたり、差別に関して毒舌するため所内の規則違反がエスカレートしたものだった。この事件で、包丁を差し入れした看守が自殺している。また、法務省矯正局長以下13人が停職、減給、戒告などの処分を受けた。

−仮釈放−
昭和50年に最高裁で無期懲役が確定した金嬉老は熊本刑務所で服役。23年後の平成11年9月7日に仮出所した。仮釈放された金嬉老は高齢(70歳)にもかかわらず韓国に移住した。その時の韓国世論は「民族差別に抵抗した英雄」として国民的な歓迎ムードだった。

−韓国は安住の地だったのか−
韓国の釜山で高級マンションを与えられた金嬉老は、講演会で講師をしたり本を執筆したり多忙な時期を過ごした。が、その絶頂期も長くはなかった。移住から1年後の平成12年9月3日、韓国の後援会で知り合った女性と密接な関係になった金嬉老は、その女性の夫を殺害しようと計画。この夫を監禁したことから逮捕され金嬉老人気は一気に落ちた。金嬉老を英雄扱いすることに疑問を呈する人達は、「金嬉老の一連の事件は民族差別から発生した事件ではなく金嬉老の狂暴な性格そのものが事件を生み出した」との見方をしている。


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