「 特会改革の方向は正しいが国益という発想が欠落している 」

『週刊ダイヤモンド』    2006年3月4日号
特集 「特別会計」を解体せよ!
第2の予算400兆円利権をめぐる攻防








閣議決定された「特別会計の見直しについて」は、政治家が官僚群に太刀打ち出来なかったことを物語っている。改革自体は正しいにもかかわらず、なぜ、最終的に骨抜きにされてしまうのか。私は道路公団改革を連想せずにはいられない。


おカネは魔物である。それを持つ人、組織、国の品性を幾層倍かに拡大して見せる能力を持つ。おカネによって炙り出される日本国の姿は、とうてい、憤りなしには正視出来ないものだ。長年、国民の目を欺き、自己の利益のみを追求してきた精神が特別会計(特会)という仕組みに凝縮されてこの国の行政機関の根幹に巣食っている。

31に上る特会をゼロベースで見直すとして始まった小泉純一郎首相の特会改革自体は評価する。だが、昨年12月24日に閣議決定された「特別会計の見直しについて」は、政治家が、自己利益の保護に狂奔する官僚群に太刀打ち出来なかったことを物語っている。

日本国の予算には一般会計予算と特別会計予算の2種類がある。国民の目に見えやすい一般会計の規模は2006年度当初予算ベースで約80兆円、税収は46兆円にとどまる。他方、特会予算は、その5倍に迫る。赤字国債の発行なしには立ち行かない一般会計とは対照的に、特会の歳入は493兆円、歳出が460兆円。単純に論ずることは出来ないにしても、歳入が歳出を大きく上回っている。

特会は(1)特定事業、(2)特定資金の運用、(3)その他特定の歳入を特定の歳出に充て一般会計と区分経理の必要がある場合のもの、の3分野に大別される。ほとんどすべての事業や理屈が上の3分野のどこかに該当するほど、幅広い定義である。

なぜ、官僚たちは特会を持ちたがるか。それを持てば小規模の財務省を手に入れたも同然に、豊富な資金を自由に使えるからだ。加えて特会には一般会計にない特典がある。たとえば、特会は資金不足に陥れば一般会計から資金を繰り入れてもらえる一方で、剰余金は翌年に繰り越したり、積立金として保留することが出来る。全予算を年度内に使い切る一般会計とは大きな違いである。


国民が困窮しても役人は生き残る

財政法の規定を受けないこの種の特別扱いの結果、31の特会には33の資金、基金、積立金が出来た。各特会の資金繰りは、赤字国債に喘ぐ一般会計とは反対に、総じて潤沢である。塩川正十郎元財務大臣が「母屋でお粥をすすっているときに、離れですき焼きを食っている」と怒ったのは、こうした事情があるからだ。

では特会の積立金などはどこに行くのか。財政融資資金法第五条の規定によって一部の例外を除いて財政融資資金に預けられる。

特会の資金が流れる財投の運用実態は、特会同様、国民の目に見えず、国会のチェック機能も働かない。特会は、入り口も出口も、国民の監視なしに官僚が裁量し、彼らの力の源泉となっているのだ。

どれほど各省が特会を熱望するか。法務省も例外ではない。特会制度の始まりは1877(明治10)年だが、法務省は長年、特会とは無縁だった。毎年、特会を認めてほしいと旧大蔵省に要請し続けたが、認めてもらえない。一方、旧通商産業省は1984(昭和59)年コンピュータ化を進める名目で特許特会を申請し、新たな特会を得た。法務省はそれを参考にするかたちで、翌85年、地方の法務局の登記にコンピュータを取り入れるという名目で初めて特会を得た。これが、現在31に上る特会のなかでいちばん新しい特会である。

同特会が認められた前後の法務局予算と登記特会の予算額の推移を見ると、特会の持つ意味、その効果が透けて見える。

登記特会が設置される2年前の83年度の法務局予算は620億円、84年度は640億円だった。だが、登記特会が誕生した85年には267億円に激減。その一方で特会には556億円が流入した。86年には法務局予算110億円に対し、特会予算884億円、87年には同じく114億円に対し921億円となった。

国会での予算審議で表に出され、そのぶん国民の目に触れやすい法務局予算は減少しても、表に出にくく、国民の目に触れにくい特会予算は増え続け、両者の合計も増えているのが見てとれる。ちなみに同特会の予算は今も増え続けており、06年度は1830億円に上った。

赤字まみれの一般会計では、医療費も教育費もお構いなしに削減され、国防上、今は増額こそが必要な防衛費さえ削減されたのに比べ、各省庁が“勝手に”使える特会予算が剰余金を出し続けているのがおかしい。それは国家が滅び国民が困窮しても、官庁と役人だけが生き残るに等しく、特会見直しが提起されたのは当然である。

財政制度等審議会は、03年から毎年、特会の見直しを提言してきた。その集大成が05年11月の報告であり、小泉内閣が同年12月24日に閣議決定したものだ。方向性は正しく、評価すべき改革ではあるが、力不足である。

まず、特会に入る資金、特定財源にメスを入れずして、特会改革はあり得ないにもかかわらず、改革案は特定財源に切り込めていない。なかでも最大規模を誇る道路特定財源は、中央と地方を合わせて約5・8兆円だ。それを一般財源化するよう検討せよと小泉首相が谷垣禎一財務大臣に指示したのが昨年9月である。実現すれば道路公団民営化の惨めな失敗も挽回出来るクリーンヒットとなる。道路改革のみならず、より大きな財政改革の見地から、大いに期待出来る指示だった。だが、小泉首相の指示は実現されず、結論は今年6月に持ち越された。特定財源を放置してはならないとの雰囲気はあるが、改革はまたもや尻すぼみになろうとしている。

それでも閣議決定された「特別会計の見直し」では剰余金、積立金の点検がうたわれ、「明確な必要性がない積立金・剰余金に関しては一般会計への繰り入れなどを行なう」とされた。具体的には、今後5年間で特会の積立金、剰余金から20兆円を取り崩して一般会計に繰り入れる、06年度予算には13・8兆円を入れるとされた。

一見、殊勝に見える決定だ。しかし、詳細に見ていくとなんということはない。そもそも13・8兆円のうち、12兆円は財政融資資金だからだ。かつての資金運用資金、財投に貸し付けを行なってきた資金である。同特会は、各特会の剰余金や、かつては郵便貯金や年金を預託してもらい、それを財投に貸して利ザヤを稼いできたのだ。そうして築き上げた積立金が現在、24兆円。今回はその半分を取り崩したにすぎず、残りの12兆円は同特会に残っている。

13・8兆円の残りの1・8兆円のうち、1・5兆円前後が外国為替資金特会からの繰り入れである。外為特会の積立金は現在約13兆円あり、そのなかから1・5兆円を出すのだそうだ。この額は取り立てて特別なものではなく、これまでも毎年、1・5兆円前後を一般会計に繰り入れてきた。

そもそも外為特会の剰余金はどのように生み出されるのか。日本政府が現在保有する米国財務省証券(米国債)は6,850億ドル(1ドル=120円換算で約82兆円)である。財務省は外為証券、つまり借金の証文を発行して原資の82兆円を市中銀行と日本銀行から調達する。日本の金利がゼロ金利に近いのに対して、米国債は5%の利回りだ。日本での資金調達コストを仮に1%として、4%の差だ。82兆円で毎年3・2兆円あまりの利ザヤが出る。こうして得た積立金から1・5兆円拠出することは外為特会にとってさして大きな負担ではないはずだ。


省庁再編と同様にスリム化とは無縁

20兆円の繰入金は特会側に立てば、余裕の額だといえる。財務省主計局が「特別会計改革の具体的成果」「財政健全化への貢献」などと胸を張って喧伝しているのが、他人事ながら面はゆい。

主計局作成の特会改革の「工程表」を見ると、判然とはしないが、5年後に現行31の特会を約半分の数に統合するようだ。しかし、所管官庁を超えた統合はゼロである。各省庁の持つ権益は、各省庁の枠内で固く守り通すという意味だ。特会改革の基本であるべき日本全体の利益という発想は欠落したままだ。しかも、特会統合の内容にはどうしても無理がある。橋本龍太郎首相(当時)の下で行なわれた省庁再編が、行政機構のスリム化とは無縁の単なる名前の書き換えに終わったのは周知だが、今回の特会改革も同様である。

一例が国土交通省所管の道路整備、治水、港湾整備、空港整備、都市開発資金融通の五つの特会を三年後に統合するとの案だ。
 だが、前四者は公共事業を行なう事業特会で、五番目は融資事業を行なうものだ。まったく内容の異なる特会を、所管は国交省という理由だけでひと括りにしたのが見てとれる。四つの事業特会にしても、内部の事情を知る人物は「それぞれの勘定に分けて、部屋も分けてやることになる」と語る。

国交省に限らず、各省各局は決して“財布”を手放さないと痛感するのは、ほとんど無用の特会でさえ、工程表にはその将来を“検討する”と書かれていることだ。たとえば地震再保険特会である。

同特会は64年の新潟地震をきっかけに、翌年つくられた。現在約9,400億円の積立金を持つが、設置から今日までの40年間に、保険金を支払ったのはただ一度、阪神淡路大震災のときだけだ。しかもその給付額は780億円にとどまる。手元に残る1兆円近い積立金はひたすら財政融資資金に預託され財投資金になってきた。

こんな無用の特会さえ廃止出来ないのでは、本当にやる気があるのかと、疑われても仕方がない。自動車損害賠償保障事業特会も同様だ。同特会は、独立法人化が検討されるそうだが、民間の保険会社が十分な機能を果たせる分野に特会を設け、政府の介入を試みる必要はない。一刻も早く民間に任せて廃止するのがよい。

小泉首相の提言した“特会改革”は、方向として正しいにもかかわらず、なぜ、最終的に骨抜きにされてしまうのか。私は道路公団改革を連想せずにはいられない。あのとき小泉首相がこだわったのは、とどのつまり、民営化というかたちだった。改革が異形のものとなっていくのを、無関心からか、無理解からか、首相は丸投げし放置した。結果としてかたちは民営化したが、道路公団の内実は、公団時代とまったく変わらない。

今回も小泉首相がこだわるのはかたちだけではないのか。特会改革という受けのよいスローガンだけではないのか。特会のもたらす負の効果が拡大するにつれ、特会改革の必要性がより広く認識されてきたのは確かだ。それだけに官邸の主の、改革への表層的な取り組みを惜しみ、官僚群の我欲に憤るものである。

過去の記事

2006年3月
« 2月   4月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

プロフィール

櫻井よしこ Yoshiko Sakurai

職歴

1971~74
クリスチャンサイエンスモニター紙
東京支局勤務
1975~77
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  記者
1978~82
アジア新聞財団
DEPTHNEWS  東京支局長
1980~96
TVニュースキャスター
1980~現在
ジャーナリスト

続きを読む...

最近のトラックバック