常々「おかしいな?」と思っていることがある。
裁判員裁判の終了後に行われる裁判員経験者の記者会見。裁判所側が立ち会って、守秘義務違反にあたる発言がないかどうかチェックする。
裁判員法は裁判員に対し評議について一般的な守秘義務を定めている。そこで、法に照らし、未然に「過ち」を防止するための工夫? だが、これは検閲以外の何物でもない、と僕は思う。
記者会見は質問を受けた側の「自由な発言」が大前提である。裁判所の職員がチェックするのは憲法21条2項「検閲はこれをしてはならない」に違反していないか?(「検閲」の主体に憲法は触れていないので争いになると思うが)
大体、裁判員の自由な発言を禁ずるのが間違っていないか。判決にいたるまで、裁判員にその事件について外部に話すことを禁止するのは当然。しかし、判決後は(評議の内容を含め)自由に話すことが許されるべきだと思う。
たまたま知り得た個人のプライバシーや名誉を侵害するような発言は一般法で処罰されればよい。そもそも裁判員制度は「法律に素人」の人々の感性を大事にするシステムだから、むしろ彼らの発言が堂々と報道されるべきだ。会見が「自由な発言」にふたをする場になったら、メディアの自殺だ。
最近、知人から「新聞は役に立たない」と言われた。例の結婚詐欺女の周辺で不審死が相次いでいる事件。「どんな面相の女性か知りたいのに」と言う。確かにほとんどの新聞、テレビは顔写真はもちろん「34歳の女」という仮名扱い。読者のニーズに応えていない。
立件されるかどうか微妙なところで慎重な紙面なのだと思うが、彼女はすでに詐欺罪で起訴されている。氏名、顔写真の公表で「新証拠(→新展開)」が出てくるかもしれない。どうして新聞は及び腰なのか?
一番大事な日米同盟に関する報道。新聞は「外交は相手がいることだから」と書きながら、アメリカ人の本音を書かない。鳩山由紀夫さんの「イコールパートナー」という言葉にかなりのアメリカ人が「やっと日本もお金だけでなく、兵隊を出して血を流してくれるのか?」と皮肉を込めて発言している。
「同盟」とは何なのかを議論する時期なのに、新聞は普天間移転ばかり書いている。
報道は「権力」に過剰反応して「不自由な道」を選んでいる。(専門編集委員)
毎日新聞 2009年11月10日 東京夕刊
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