もどる

〈天皇即位20年奉祝〉に反対し政府式典反対全国集会デモ
                           
かけはし2009.11.23号

天皇制はいらない

厳戒体制をはねのけ奉祝ノーの声高らかに

共同の力で妨害
に抗し集会実現

 十一月十二日、<天皇即位20年奉祝>に異議あり!え〜かげんにせーよ共同行動は、国家権力の「天皇即位20年奉祝」式典とオバマ米大統領訪日警備のために公安政治警察・機動隊・制服警官等二万人近くを投入した首都厳戒体制強行に抗して、「政府式典反対11・12全国集会」を東京・京橋プラザで行い、二百人が参加した。
 集会開始に先立って共同行動の仲間たちは、公安政治警察たちが会場入り口付近で参加者の不当な面割り写真、集会破壊のための威嚇配置に対して追い出し行動を展開した。断固たる抗議に対して公安らは、「硬直」しながら居直りつつ、入り口エリアから引かざるをえなかった。公安らの集会破壊を許さない共同行動の反撃を打ち抜いた。
 集会開催にあたって共同行動の仲間は、「私たちは4・11『リードイン・スピークアウト』集会からスタートさせ、東京都の天皇・皇后写真展の中止申し入れ、十一月十二日の『休日』化反対、総務省などによる奉祝行事の通達に対する抗議、8・15反靖国行動、9・6『ハンテン展』、10・12『え〜かげんにせーよフォーラム』、10・31『海づくり大会』反対、11・1新宿情宣の取り組みを積み上げてきた。今日の集会は、全国各地で粘り強く反天皇制運動を取り組む仲間たちが再会した。天皇制廃絶に向けてともに式典抗議のシュプレヒコールを行っていこう」と力強くアピール。さらに「反天皇制運動に対して街宣右翼、差別・排外主義を掲げる在日特権を許さない市民の会、主権回復の会などが攻撃を繰り返しているが、毅然としてはね返していこう」と強調した。
 次々と全国各地から仲間たちの発言が続いた。
 北海道からアイヌ民族の川村シンリツ・エオリパック・アイヌさんは、「私たちは『北海道旧土人保護法』(1899年)によって同化させられ、この法律は九十八年間存続した。『アイヌ文化振興法』(1997年)が成立したが、民族法ではなかった。私たち旭川アイヌ協議会は、日本政府に対し『日本政府及び天皇は、アイヌモシリ植民地支配・同化政策の歴史的な責任を認め謝罪を行うこと』などの申し入れを行ってきた。しかし本年、七月に『アイヌの政策のあり方に関する有識者懇談会』報告書が出されたが、アイヌ民族の先住権・民族自決権など否定するものだった。私たちの要求を勝ち取るためにも、ともに闘っていきたい」と発言した。
 沖縄からまよなかしんやさん、靖国訴訟の仲間が発言。「天皇即位奉祝休日法の制定を頓挫させた。この成果は、われわれの闘いによって実現したことを確認したい」「米軍のための辺野古新基地建設はいらない。沖縄から米軍をたたきだしていこう。戦争反対だ」とアピールし、参加者全体の拍手で打ち固めた。
 長野の岡嵜啓子さん(「マツシロ11・11」のつどい実行委員会)は、侵略戦争賛美のための「栗林忠道元陸軍大将と今井武夫元陸軍少将の顕彰碑建立」反対運動の取り組みを報告し、「歴史の中に正しく批判的に両人を位置づけ、元航空自衛隊幹部の田母神などによる歴史のねつ造をはねのけることです。戦争賛美のために歴史的存在としての人間を顕彰碑などで讃えるのは反対だ」と述べ、署名運動の協力を呼びかけた。

闘いで日の丸
を下ろさせた

 続いて「日の丸・君が代」強制処分に抗議して裁判闘争を闘う福岡の「こころの裁判」の仲間、天皇ヒロヒトを讃える昭和記念公園・記念館反対運動とともに反戦運動を取り組んでいる立川自衛隊監視テント村の井上森さん、大分の天皇問題を考えるネットワーク、兵庫、千葉を取り組んでいる仲間、静岡の11・12反奉祝集会実行委、筑波で粘り強く反天皇制学習会を取り組む仲間からアピール。
 とりわけ「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会は、本日、勤務する小学校の「日の丸」掲揚を強行した校長との直接交渉によって降ろさせたことを報告。松沢県知事の教育の反動化策動、横浜市教委の「つくる会」教科書採用強行などの流れに抗して痛烈な楔を打ち込んだことを全体で確認した。各発言は、今後の反天皇闘争を展望していくためにも重要な示唆を含んだ提起であった。まさに「反天皇の歴史的な闘い」として確認することができる。
 集会の最後に「平成天皇20年奉祝に反対する国際声明」、「集会宣言」を採択した。国際声明は、中国、ハングル、英語、スペイン語に訳されて発信されている。

創意こらした
多様な反奉祝

 デモは、足長男・ガイコツゴーストを先頭に、いろいろな横断幕、四十枚以上のプラカード、各団体の旗、反天フキヌケなどを掲げてデモ。
 「『天皇即位20年』を祝わないぞ! 政府は勝手に祝うな! 奉祝式典をやめろ! 税金を式典に使うな!」などのシュプレヒコールを銀座一帯に響き渡らせた。とりわけ式典開催中の国立劇場、皇居に向けて繰り返しシュプレヒコールを行った。新橋・桜田公園の解散地点に到着後、参加者全体でシュプレヒコール。参加者全体は、新橋駅に移動する撤収闘争を貫徹した。       (Y)


天皇在位20年奉祝に
反対する集会宣言

 本日、11月12日、このクニでは大きなフィクションが行われている。欺瞞といってもいいし、ペテンと呼んでもいい。むろん、天皇・明仁の即位20年を「奉祝」するいくつかの催しである。皇居内では朝9時からすでに「記帳」が始まっており、午後からは政府主催の「記念式典」(天皇夫妻出席/国立劇場)が、同時にまた、財界主導の「奉祝委員会」と与野党合同の「奉祝議連」とが主催する、皇居外苑と皇居前広場を使った「国民祭典」(第一部/
奉祝まつり、第二部/祝賀祭典)が行われている。――昨秋から今年いっぱいにかけて各都道府県では「奉祝」の行事が執り行われ(東京都は12月25日)、地方議会では続々と「賀詞決議」が採択されてもいる。
 政権党交代のゴタゴタのなかで、この日を「臨時祝日」として休日にすることはできなかったけれど、それでも政府は「各府省においては、式典当日国旗を掲揚するとともに、各公署、学校、会社、その他一般においても国旗を掲揚するよう」お達しを出すのを忘れなかった。休日にして「国民こぞってお祝いする」ムードを盛り上げるよりも、むしろよりハードな「祝いの強制」が行われている可能性もある。
 わたしたちは、しかし、その手の嘘八百にはもうがまんならない者たちなのだ。この場に集まった者たちは、ひとりひとりが名前を持ち、友人たちと固有の関係を結び、20年といわず現在ただいまという歴史を生きる生活者であって、天皇個人とは何のゆかりもない(はずだ)。天皇を祝うコトバなどはなから持ち合わせてはいないのだ。

                * * *

 1989年1月7日、天皇・裕仁は死去した。自らの戦争責任には口を噤み、問いかけには白を切り通してきたうえで。自身の保身と天皇制の維持のために、占領軍(米軍)に基地を提供し、安保を導入し、沖縄を差し出したことは、いまではよく知られている。1989年1月7日、そのように存続した天皇制を、明仁は丸ごと継いだ。皇位継承という皇室神道の宗教儀式を「国事行為」と言いくるめてのことだ。この明確な違憲行為のすぐ後に、明仁は「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い……云々」とぬけぬけと言っている(1月9日/朝見の儀)。これが出発点で、それから20年。この20年間は、わたしたちにとってどんな時代であり、明仁天皇はその中でどのような役割を果たしてきたのか。
 わたしたちが直面している問題に限ってみても、この20年間は、資本の国際競争の名のもとに、儲けるものは限りなく儲け、人を資材として使い捨てにしてきた20年であり、湾岸戦争以来、海外派兵が公然と行われ、ついには立派な「参戦国」となった時代であった。また、国旗・国歌法の成立とその強制、教育基本法の改悪など、人を一方向に規定し、「国家に役立つ人間づくり」を、権力が人びとに強いてきた20年でもある。このような20年を、誰がどうやったら祝えるというのか?
 ましてや明仁は、戦地に派遣された自衛官らを皇居に招き、その労を多とする「お言葉」をかけている。こうした天皇の慰労行為は侵略戦争加担に「正当性」を与えるものであり、戦争国家の士気昂揚や動機づけとなっている。また彼は、その同じ口で「平和」をつねづね語り、被災者や社会的「弱者」を「気遣う」発言もしている。けれどもその「平和」は、天皇制にまとい付いた戦前・戦中・戦後の責任を曖昧にした、ただムードだけの「平和」にすぎない。つまりはゴマカシなのだ。それはまた「弱者」を「気遣う」素振りも同様だろう。いまある「格差社会」は、むろん新自由主義と称する政策によって拡大されてきた。しかしその根底には、天皇制という社会的序列を固定化し再生産してゆく制度があることは明白だ。それが今日もまた、差別や排除をうみだしている。
 だから、わたしたちは、どんなに美しいコトバであったとしても、「天皇、キミだけには言われたくない」と思っている。まただから、本日、皇居方面や三宅坂、あるいはマス・メディアのなかで飛び交っているであろう、大袈裟なお追従の言動をペテンであり欺瞞でありくだらないフィクションであると、わたしたちは思うのだ。
 しかし、この「フィクション」が現実の実体としてわたしたちの前に立ち現れてきたのもまたこの「20年」であった。わたしたちは「え〜かげんにしてほしい」と思うと同時に、この事態を「え〜かげん」のままに済ますことはできない。わたしたちは、天皇制とそれを強化しようという一切の言動に反対し行動する。天皇などいらないのだ。
2009年11月12日
〈天皇即位20年奉祝〉に異議あり!政府式典反対全国集会 参加者一同

平成天皇20年奉祝に
反対する国際声明

 今日の日本は、世界中の若い世代の人々にとってまずアニメーションによって知られた国だろう。そして多くの場合ジャパニメーションの作家たちによって描き出された未来は、「ヨーロッパとアジア」という二つのファンタジーがない交ぜになった社会である。そこは、遠い過去と未来が一緒になった時間の中から現れた族長たちが、日夜血みどろの戦いを繰り広げているような世界なのだ。アニメーション映像が21世紀の日本で有力な輸出商品のひとつとなったことは、誰しも認めることだろう。
 だが同時に、そうした映像の詩人たちが育った日本は、憲法上は象徴symbolでありながら暴力によって支えられた王が君臨する国なのである。天皇emperorなどと自称しても、彼はもはや地球上でも数少ない王たちの中の一人にすぎない。
 私たちは以下のことを世界の人々に伝えたい。たしかに選挙された議会はあるが、この国で王制をはっきりと批判する者には、治安警察と王制主義者たちによる隠微で激しい嫌がらせか、あるいは秘めやかな死さえ用意されているのだ│と。これらの事実が報道されることは国内でも国外でもきわめて稀なことである。新聞もテレビも政治家たちも堅く口を閉ざす。そのかわりに優雅な王族たちを彩る各種の映像があらゆるところで振りまかれているのである。
 奇妙なことに、世界中のファンたちに向けられたアニメ詩人たちのファンタジーには、熱烈な王制信奉者たちが紀元前7世紀から続くと主張する夢幻のような大君たちの影さえ現れない。ディズニー映画におけるアーサー王伝説など6世紀だから、つい最近のお話にすぎないというのに。これはいったいどういうことだろうか? 無意識の恐怖か、戦争の傷痕が乾ききらない世界の市場動向への配慮なのか、あるいはどこか分からない遠い世界へのはるかな逃走なのか。
 現在の王である明仁は前王だった裕仁の紛れもない嫡子である。裕仁こそ、ヒトラーやスターリンと並ぶ20世紀の戦争と虐殺を主導した独裁者の一人だった。そして彼以外の誰も、まったく裁かれることもなく今日まで自らの「王朝」を存続させている者などいないのである。むしろ明仁とその一族は、その優美で曖昧な言動や仕草の数々によって、日本の王制が少なくとも140年にわたって犯してきた侵略戦争や再軍事化、そして経済膨張と秘かな強圧の歴史を覆い隠す。王族たちの物語とはそういうスクリーン(映写幕/遮蔽物)なのである。ジャパニメーションにも、日王による殺戮を讃える物語が登場する日がいつか来るというのだろうか?
 私たちはそんな映像を観たくない。「平成」と名づけられた現王明仁の治世が始まって20年の時を讃える祭りを、私たちは祝わない。今年の11月12日、政府によって行われる大きな宴に反対する。私たちは私たち自身の祭りを楽しみたいのである。日本という国にそういう人間たちがいることを、今私たちは世界中の人々に伝えたい。  
参加者一同(2009年11月12日)


もどる

Back