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社説

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キレる子ども―目を向ける大人をもっと

 教師や同級生に暴力をふるったり、モノに当たって壊したり。児童生徒の暴力行為が増え続けていることが、文部科学省の昨年度の集計でわかった。特に小中学生の変化が著しい。

 廊下で肩が触れただけで、胸ぐらをつかみあう。授業中に騒いだことを注意され、すぐ何かを投げつける。相手に病院に行くほどのケガをさせた例は、1万件を超えた。

 感情を、言葉で表す力が未熟なまま、爆発させる。学校から報告されるのは、驚くほど簡単にキレてしまう子どもの姿だ。子どもがここまで変わってしまったのは、どんな要因があるのか。文科省は本格的な調査・分析に乗り出し、対策を考えるべきだろう。

 教育現場で「暴力は絶対だめ」と教え、厳しく対処すべきなのは言うまでもない。同時に、子どもが爆発前に発しているはずのサインを読み取り、暴力を未然に防ぐ努力が、大人たちに求められているのではないか。

 東京で中学校のスクールカウンセラーを務めてきた臨床心理士の植山起佐子(うえやま・きさこ)さんが痛感するのは、家庭環境のつらさを背負った子の多さだという。共働きだと親子が接する時間は少なくなる。一人親家庭も増えた。不況下での不安定な収入も影響を及ぼす。

 親に気持ちを十分受け止めてもらえないまま成長し、家庭でのストレスを引きずって学校に来る子どもがいる。

 ところが、そうした子ども一人ひとりに向き合い、一緒に解決策を考える余裕は、いまの学校にはない。増えるばかりの事務作業に教師が忙殺される実態は、行政刷新会議の事業仕分けでも指摘された。

 一つの対策は、教師や親以外の様々な人が支援態勢を組み、学校の内外で子どもに目を向けるようにすることだ。植山さんは、学生ボランティアに入ってもらったのを契機に、荒れかけた中学を落ち着かせた経験がある。

 上下関係にある先生とは別の大人になら、違った形で接する子がいる。図書ボランティアの主婦が世間話をしてくれる図書室は、教室とは別の居場所になるかもしれない。放課後の補習を手伝う大学生は、兄、姉のような近さで子どもらのモデルになれる。

 そうした支援者が小さな異変に気づけば、スクールカウンセラーなどの専門家につなぐこともできる。

 校門の外でも同じだ。「○○中の生徒だね」「文化祭よかったよ」と大人が声をかけるだけでも、子どもは自分の価値が認められたと感じるだろう。児童館といった子らの「たまり場」にも、目を配る大人がいてほしい。

 「子どもの危機」の深刻さは、いまや家庭や学校のレベルを超えているのではないか。地域や社会全体で、子どもを見守り、教育を支える覚悟が必要なときである。

平山さんを悼む―文化財に平和を託して

 ユーラシア大陸に流れる悠久の時を詩情豊かに描いた日本画家、平山郁夫さんは、画業とともに、大いなる遺産を残した。

 国際的な文化財の保護活動だ。

 世界各地で、人類の宝というべき文化財が、戦争などによって無残に失われていることに心を痛め、「文化財赤十字」を提唱してきた。傷ついた者を敵味方の区別なく救う赤十字の精神で、危機に直面する文化財を、国家、民族、宗教を超えて保存、修復して次代に伝える活動だ。

 併せて、戦禍の中で博物館などから略奪され、流出した文化財を「文化財難民」と位置づけて、それらを集め、政情が安定したら返還する運動も進めていた。

 私財を投じる一方で、民間資金を集めて財団を設立。中国の敦煌・莫高窟(ばっこうくつ)壁画の保存、内戦で荒廃したカンボジアのアンコール遺跡群の修復、タリバーン政権下で破壊されたアフガニスタンの文化財復興など、数多くの事業を主導した。

 北朝鮮の高句麗壁画古墳を、ユネスコの世界遺産に登録する運動も推し進めた。何度も現地に足を運び、2004年に実現した後も保存を支援している。文化という回路を通じて、北朝鮮との対話を続けようと努力を重ねた。

 活動の原点には、平山さん自身の戦争体験がある。

 15歳の時、広島で被爆し、画家になってからも、白血球の減少で生命の危機を感じていたという。そうした日々の中で、平和への祈りを込めて、シルクロードを描いた。その旅の過程で、はるか西方へ広がる大陸の文化に日本文化の源流を感じ、国や地域を超えて、傷ついた文化遺産を守らなければという決意を強くした。

 「文化財赤十字」は資金を出すだけでなく、現地の人々の自主的な取り組みを助ける人材育成や技術指導に力点を置く。文化財の修復を通して、人々の傷ついた心の回復と、固有の文化への誇りを再認識してもらうことを目指す。こうした活動は、日本への理解や親しみを育てることにもつながる。

 06年にできた海外の文化遺産を保護する国際協力推進法も平山さんが強く後押しした。

 この法律は、日本が「世界の多様な文化の発展に積極的に貢献する」と同時に、そうした活動を通じて日本国内で「異なる文化を尊重する心を育てる」ことも理念としている。これも忘れてはならない視点だ。

 文化による国際協力が平和への道だとの信念で、平山さんは精力的に活動した。その行動力は芸術家の域を超えていた。日本が国際社会で信頼を得てゆくためには、この強力なリーダー亡き後も、地道で息長い活動を絶やしてはならない。

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