本はねころんで

2008-01-10 高杉一郎さん追悼

 本日、友人お父さんのお通夜に出席をしてから帰宅をしたのですが、自宅に戻って

から夕刊を見ましたら、高杉一郎さんが9日午後99歳で亡くなったとありました。

 高杉さんは、小生がこれまでファンレターを送った数すくない文学関係者の一人で

ありました。72年ころに手紙をおくりましたら、封書でお返事をいただいて、その

あとにいただいた年賀状が手元にありますが、これは72年12月31日の消印が

おされています。印刷された文面には、「応召と疎開のために東京を離れてから、

二十八年ぶりに東京へ舞い戻ってきました。よろしく。」とあります。

 このときの住所は、渋谷区神宮前となっていますので、このときから亡くなるまで

この住所にお住まいであったことがわかります。

 小生が最初にお手紙をしたのは、静岡大学あてであったように思いますので、

静岡大学を退官して、和光大学にうつることになり、東京に移転した時のものです。

 もともと小生がファンレターを出したのは、高杉さんが心血を注いだ「エロシェンコ

全集」(全三巻 みすず書房)は復刊されないのですかということと、朝日新聞の日曜

版に連載の児童文学コラムを楽しみに読んでいますというものでありました。

 もう一枚いただいたはがきは、77年5月の消印ですが、なにか新刊がでてそれの

感想をおくったときのものであるようです。文面には、次のようにありました。

エロシェンコの伝記は、中ソ両国の新資料をいくつか入手したので、若干修正し、

書き加えました。いずれ、どこからか出版したいと思っています。」

 

 中村つねと鶴田吾郎による肖像画のモデルとしても有名なエスペラント文学者

エロシェンコの高杉さんによる伝記は、最初、新潮社の「一時間文庫」シリーズの

一冊として「盲目の詩人エロシェンコ」として56年に刊行されました。これは次いで、

みすず「エロシェンコ全集」の第三巻に収録され、加筆したもの82年12月

「夜明け前の歌」(岩波書店)となりました。

 これのまえがきから引用をすることにいたしましょう。

「 71年になって、モスクワから出版された『伝記書誌学事典』にはエロシェンコ

 ために実に8ページのスペースを割き、さらに77年になると、モスクワからは

 ロシア語版『選集』、キーエフからはウクライナ語版伝記が出版され、さらに翌78年

 にはモスクワからロシア語版伝記も追加された。これらは私が最初に世に問うた未完の

 伝記に拠っている部分が多いようだが、私の伝記では不明だった祖国に帰ってから

 のちのエロシェンコの消息も数多くあきらかになっている。

  私は、四半世紀まえに中空に向かって投げたブーメランがふたたび自分の手元に

 舞い戻ってきた喜びで、そのブーメランがもたらしたあたらしい消息を仔細に検討した。

 なかにはロシアの伝記作家のお国自慢からでたのかもしれない誇大な英雄化もない

 わけではないが、手応えのある確実は情報もすくなくはない。一方、私自身について

 言えば、シベリアでまる四年間の苦役を強いられた人間としてのスターリニズムに 

 対する反撥から、エロシェンコの後半生をいくらか暗く描きすぎていたのかもしれ

 ないという反省も生まれた。そこで私は、新しい資料を注意ぶかく腑分けして、

 旧著を削ったり、大きく加筆したりしながら、再びモスクワを訪れて、エロシェンコ

 足跡をあとづけ、この評伝を全面的に新しく書き上げた。」

 小生にとっての高杉一郎さんは、まずはエロシェンコ翻訳者 紹介者としてであり

ます。