マイクロコンピューター時代を先取りした『スペースインベーダー』

――最初にインベーダーという作品を作ることになった経緯をお聞かせいただけますか?

西角氏:もともとは技術的な興味から始まったんです。当初のゲームというのはプログラムではなく、ハードウエアの制御だけでゲームを作っていたんです。ゲームを作るたびに回路を作らなければならないんですね。私としてはそれがひとつの楽しみでもあったんですが、設計にすごく時間がかかるのがネックだったんです。そんなときにアメリカで、マイクロコンピューターというものが開発されて、これからはソフトウエアの時代になるなと考えたんです。

 アメリカの技術は日本より進んでいたんですが、ゲームでのマイクロコンピューターの使い道はまだあまりはっきりしていなくて、最初はフリッパー(ピンボール)の制御などに使われていましたが、これをゲームで使おうと思ったのがインベーダーだったんです。

――ゲームプログラマーという職業もなかったんですね。

西角氏:誰もいなかったでしょうね。当時のプログラマーというと、大型コンピューターを使っての事務計算や科学計算をする人でしたからね。

――開発はゼロから始めたんですか?

西角氏:アメリカの英文の資料や書籍が何冊かありましたので、それをつたない英語力で訳しながらやってましたね。開発ツールも当時のお金で1台1000万円ぐらいするものでしたからね。マイクロコンピューターとかメモリーなどのパーツの段階では手に入るんですが、開発ツールというユニットになるともう高くて手に入らない。だからそれもすべて手作りでした。

――それを一人でやられていたんですか?

西角氏:私一人でしたね。当時はゲームを作るのは一人というのが基本だったんです。だから人件費もかからず、開発ツールも手作りだから、コストはほとんどかかりませんでした。

西角さん秘蔵の開発資料を見ながら談笑する2人。和田社長が眺めているのは、インベーダーのアイデアの元となったH.G.ウェルズ原作『宇宙戦争』の火星人のイラスト(画像クリックで拡大)