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2002年5月
フォトインタビュー集「鳩山由紀夫」

鳩山さんの政治の原点、哲学をお聞かせ下さい。

ひとことで言えば友愛です。自由というものをとことん追求すれば、平等な社会が崩れて弱肉強食になるし、逆に平等がいき過ぎると自由が失われる。このふたつを活かしていくためには、ふたつをつなぐかけ橋が必要でそれが友愛なんですね。一人ひとりが自立した生きざまを求めながら、一方では他者への思いやりとか尊敬の念を抱く。それを作り出していくのが愛で、その愛があれば平等な社会と一人ひとりの自由を求める事ができる。それがないから日本は自由と平等がごっちゃになって、いつのまにかお互いにもたれあい、自分をみがかなくても人に寄っかかっていればいいという社会になってしまっている。友愛という概念を大事にすることで、依存ではない共生の社会を作り上げて行く事が出来るはずです。一方ではサッチャー的な自由があり、一方ではブレア的な共生の道があるけれども、それをつなぐ第三の道が愛だという思いで、これからも自分自身の哲学としていきたいですね。一郎がクーデンホーフ・カレルギー伯から友愛という考え方の重要性に触発されて、晩年までそれを大事にしてきた。40年経っても祖父の考え方は間違っていなかったし、逆にそれが全然育たないまま、あたかも民主主義が根づいたかのように日本社会は動いてきた。しかし精神的な意味での成長はこの数十年間、全然遂げてこなかったんじゃないか。政治家として私の原点は友愛だという事を貫いていきたい。これからも変えるつもりは全然ありません。


2000年の民主党の代表選で自立、責任、共生という概念を強調しましたね。

国の問題は、政治家も国民も全て役人に任せてしまって役人天国を作っちゃったわけですね。全部官僚に責任を負わせて自分自身は常に役人社会に負いかぶさって依存する、そういう政治だった。経済が右肩上がりで続いている時はそれでもやってこれたけれど、そうでない国際環境にさらされた時、そのひ弱さを露呈してしまった。だからなんでも官僚に任せる依存型の社会から政治の自立、国民の自立、国全体の自立が日本社会の今日的な一番の問題だと理解したんです。外交もアメリカに日米安保で依存し、東西の対立の中では西の陣営についておけば安心だという事ぐらいしか外交方針がなく、完全に国としての尊厳を捨ててしまった。そういう依存型の社会が官僚天国になった結果、非常に無駄遣いも多いし経済的な不合理性も生み、国のエネルギーも失ってきてしまった。ここで大事なことは政治も個人も国も依存から解放されて自立する事なんです。自立と責任を持って共生という社会を作り上げていくことが依存型の体質から脱却する最も大事な考え方ではないか。この方向で経済を見つめ直し、外交を見つめ直し、教育だって見つめ直すことが出来る。全てこの精神をもとに各々の具体的な政策を作り上げていくことができると思います。この3つの概念を友愛という言葉に置き換えてもいいと思っています。


代表として民主党議員に一番強調したいことは。

一番強く望みたいのは己を捨てて欲しいということです。私欲のままに行動する政治家が多い中で、私欲が国を滅ぼしてきたんだという痛烈な自己批判のもとで、己を捨てて無私の姿勢で臨むということを常に強調してきたつもりだし、それが覚悟だと私は思っています。覚悟というのは自分自身を無にすることだと理解して頂きたい。私が西郷隆盛の「命もいらず名もいらず官位も金も望まざる者ほど御し難き者は無し」という遺訓を事ある毎に党員の皆さんに説くのもそこにあるんです。そういう気持ちが自民党型政治の対極に来るもので、民主党と自民党の違いは分かりにくいなんて言われますが、実はイデオロギーの違いじゃなくて体質の違いなんだというところを際立たせていく事が大事だと思ってるんです。


そういう鳩山さんの気持ちを本当に理解している議員は民主党にどのくらいいますか。

難しい質問で……特に若い層を中心に3割ぐらいはいるって気がするけどね。ただマジョリテイーにはまだなってないかもしれませんね。


鳩山さんが民主党の総会でその覚悟の話をしている時に議員達の表情は割とクールに見うけましたが。

それにはいろんな理由があって、例えば、代表になりたいという鳩山が欲を捨てろとは何を言うんだって思う人もいるかもしれない。またそうはいっても選挙に当選しなきゃならないのにとか、今までよりもっといいポストに就きたいと思っている人も結構いると思うんです。


民主党議員に覚悟の重要性を訴えているが、鳩山さん自身の覚悟とはどういうものですか。

私は子供のためなら命を捨てることができると思いますが、政治家の覚悟というのは国民のためにいかに自分の命を捨てることができるかということだと思いますね。国民が例えば経済的に落ちこみ、社会的にもモラルが退廃していく時に、命を捨てて彼らを救うぐらいの行動を厭わずにしなきゃならないと思うんですね。例えば他国で何人かの日本人がそこで捕まった時に、自分が政治家として彼らの命と引き替えに入っていけるか、それによって彼らの命を救うことができるなら大いに行こうじゃないかという覚悟を持っているか、というのはひとつありますね。そういう環境が将来起きないとも限らないし、常にそのぐらいの思いを持って国民全体のことを考える度量を持っていなきゃならないということを覚悟と言ってるんですが。


覚悟の重要さを繰り返し訴えているんですか。

何度もじゃないんですがこないだ話をしました。お互いに国民のために命を捨てるぐらいの覚悟をもって望もうじゃないか、その覚悟があれば政権なんかすぐに奪れるぞという話をしました。


本当は一対一でひざを突き合わせて覚悟への熱い思いを伝えないと、若い議員達の心からの賛同は得られないのでは。

そうかも知れませんね。本来少数にする話でしょうね、確かに。それは一人ひとりを見極めないとね。


民主党議員であっても見極める必要はあるんですか。

それはあると思いますね。この国の未来について託してみようという気にさせるような人を5人でも自分の近くにおけば、相当なことができますよ。その代わり、どんな圧力があってもそれに負けない意地を見せないといけない人達ですけどね。


価値観を共有できる同志を増やすというのは難しいものですね。

そういう志を持つことと政治家として選挙に当選し続けるということは、必ずしもリンクしない時があるんですね。そういう難しさがありますね。


鳩山さんの外見的イメージとして弱々しいとかリーダーシップを感じさせないと言う人がいますがそのイメージを変えてみようという気持ちはありますか。

人間性まで変えろって言われてもどうしょうもないです。むしろ私は自然体でいきたいと思っています。相手がパフォーマンスを派手にやってるんだからこっちもパフォーマンスで返せと言われてもそれはできないですね。頼りなさが外見的なものだとすればこれも変え様はないんです。内面的な部分では、政治家は相当頑固でないとできませんし、なよなよした発想ではもたないです。その意味での頑固さは私は結構強いものがあると思います。友愛を主張することそのものが頼りないと見られるかも知れないけれど、そこが本質なんだということを貫き通すことにおいて、私は相当頑固な人間だと思っているんです。弱い人間だったら2度も政権与党を敢えて離れて野党暮らしをするなんてことないでしょう。


鳩山さんと従来の自民党が唱える改憲論との根本的な相違点は何ですか。

国家主義的な、国というパワーをしっかり維持していくための憲法改正に対して、一人ひとりの人権を大事にする、よりリベラルな方向からの改憲があるべきだと思います。例えば環境権とか教育権をきちっとうたっていくことが重要ではないかと思うし、国民がより直接的に政治に関わるために首相公選制という議論が私は最初好きで、そこから改憲の議論をしていこうと考えていたんですが、現在は首相公選制には必ずしもこだわっていません。いわゆる国権を強める形で憲法9条をいじくる方向でどんどん進むのではなく、一人ひとりの権利というものを保証する形で憲法を見直す必要があると思ってます。


二大政党制を目指す自民党と民主党との対立軸はなんですか。

一番大きいのは、憲法9条じゃなくてこの国の統治のあり方です。自民党は中央集権という統治システムを絶対変えるつもりはないですね。それをやったら自民党自体の集票機能が動かなくなるからです。口ではいろいろ言ってますけれど、分権社会を作ることはしないし、できないと思います。我々は、分権なんですね。今は国が制度もお金も管理していくという考え方で統治してますけど、それをひっくり返そうというのが我々民主党の考え方で、これは間違いなく自民党ではできない。憲法での議論と同じように集権的、国家主義的な方向に対して、一人ひとりの個人の権限を重視する、よりリベラルな分権社会を作ろうという、このふたつの違いが、これからの二大政党政治を作り上げていく大きな勢力になるべきではないかと私は思います。


現状は二大政党制へ進みつつありますか。

日本は非常にウエットな社会なだけに、政策よりも人間の好き嫌いで分かれてきたものですから政策的な二分法ができているとは思いません。特に比例代表制が残っていますから二大政党に集約される方向にもなってきていませんね。だから目的はまだ半分のところにもいっていないし、民主党の唱えている分権型社会をもっと分かりやすいものにして自民党と民主党とどこが違うのって言われないように、より努力していかなきゃと思っています。


旧民主党から新民主党へと数は増大した。逆に党内をまとめるのは大変になりましたね。

きれい事だけで政権は取れない。そのための力は必要でしょうという意味での数は無視できません。ただ全く考え方の異なる人達を入れても上手く機能するわけはない。そこでの相克のようなものはありますね。正直に言えば旧民主党を作ったときも同じような悩みがあって、最初の社民系の人達の中でも、全てを捨てて動こうという人達もいたんです。でもこちら側に流れができた時に、いっきにその流れに乗じようと思ってきた人達もいるんです。羽田さんなどは旧民主党を作る頃から一緒にやるべき人達だと思っていたわけです。羽田さんは総理をやりながら敢えて苦しい野党の道を選んだところは私欲を捨てた方だと思うもんですから、そういう人達のグループが中に入って野党にいることに耐えぬく力を持ちつづければ大きなパワーになると思いますね。また民主党には3期以下の議員が4分の3いるわけです。その人達は過去のしがらみにしばられない人たちですから、与党指向にならずグッと耐えることをしてくれれば必ずその力が起爆剤になって大きな政界の地殻変動を起こす事ができると思いますね。


政治家を目指す若い人達にアドバイスしたい事はありますか。

いろんな道があると思うんですけど。スペシャリストとしての道も否定しません。福祉をやりたいという純粋な思いから福祉に特化した政治家になるという人達もいると思う。ただ私はそういうスペシャリストとしてよりも地球全体を丸ごと見れるような志を持った若い政治家を育てたい。とすれば政治家になる前に日本から離れて外からこの国を見つめてみること。私は多分留学していなければ政治家にはなってなかったかもしれないですね。日本の社会の中で生きるというのは井の中の蛙的条件なんですね。できるだけそうではない社会を見、あるいはその中で生活する事が必要だと思いますね。


つまり日本以外の多様な価値観を体験するということですか。

多様な価値観がほんとうにありますからね。多様な価値観の中で共生している人間の姿を見ることは非常に大事だし、しかもその中で自分を見つめることができますから。私が言っている自立と共生という考え方を、外に出ることによって自然に体得できるんじゃないかと思いますね。是非やってくれというのはそういうことかと思います。


日本は胸を張って民主主義国家と断言できるか。

全然思っていません。先ず民主主義って何なんだっていうことを、身体で知っている政治家も日本人もほとんどいないんじゃないかという気がします。アメリカにしろヨーロッパにしろ民主主義は戦いとってきたわけですよね、権力者から。明治から戦後も民主主義を教科書的には学んできたけれども、実は血や汗で民主主義が遺伝子的に組み込まれたものではない。戦後のデモクラシーが制度的にはすくなくとも民主主義で、選挙によって選ばれた人達が過半数で決めていくシステムができていますけど、一番大事な一人ひとりの意思の尊重とか自立性というものが養われていない。だから結局は寄らば大樹で官僚に任しておけばいいんだと政治の大事なところを全部官僚まかせにしてきた。今回のテロの時にも私は民主主義じゃないなと思ったのは、一番大事な自衛隊をどこにどうやって派遣するかということを、国会は決めるのを放棄しちゃったわけですから。私共が事前承認にこだわったのはそこなんですよ。国会が民主主義で決めなきゃいけない一番大きな部分を官僚任せにしてしまっているところで、私はもう民主主義が死んでいると思っています。民主主義が今でも日本には育ってきていない。だからこそ本当に民主主義がどういうものかという事を、国民の皆さんと一緒に作り上げていきたいという思いで、菅さんと一緒に民主党という名前をつけたんです。


今後日本人は民主主義というものを血肉にすることができるでしょうか。

難しい質問ですね。一度私は憲法の議論まで含めてやるべきだと思っています。統治するあり方が、果してこういうものでいいのかどうかを国民の皆さん方がもう一回最初から議論しょうじゃないかと。一人ひとりの意思を役人とかに依存しないで決めていく訓練をしながら、統治機構そのものをもう一度考え直していく事が大事じゃないか。それを通じて本当の意味での民主主義ができるかも知れません。ただ、今の国会のあり方では、10年経ち20年経っていっても、民主主義が養われるだろうとは思えないです。


自民党の大物政治家といわれた人が、日本はアメリカの属国並みと発言したことがあるが鳩山さんは今の日米関係をどう見ていますか。

被占領国から日本が独立し、その頃から東西冷戦の中でアメリカという大国に外交、安全保障を完全に依存し、核の傘の中にいる事を居心地よく思っているうちに、アメリカに従っていれば生活は保障され、平和も守られるという考え方に凝り固まってきてしまった。そして東西冷戦構造がなくなった後も発想だけが残ってしまっています。湾岸戦争が起き、今回またテロという事態に直面して、本来ならば日本が国際的な協力の中で何をなすべきかという時に、常にアメリカの顔色をうかがいながらアメリカに喜んでもらえるためにはどういう法律を作ったらいいかという発想で、今回のテロ対策特別措置法ができたというのは、まさに事実です。


従来の発想をどうして変えられないのだろうか。

与党の政治家がアメリカに背くような結論を出すことを、最初から放棄してしまっているからだと思います。だから沖縄の基地や地位協定の問題なども持ち出す事ができないと思っているだけに、我々とすれば政権交替あるのみだと、それこそ日米関係の再構築こそ、本当はやらなきゃならない構造改革だと私は思っているんです。民主党に変えられるかじゃなくて、変えなければならないのです。


長年、自民党ができなかったアメリカとの関係を民主党には変えられるのか。


非常に大変な事だと思いますよ。私は安全保障と経済とは二面性があると思って、経済においてはもっと解放して、アメリカの資本でも大いにウエルカムだと、いわゆる自由貿易的な環境を提供する。安全保障に関してはこの依存的な部分からより解き放たれていく。そういうことでバランスをとっていけば、アメリカもそれならメリットあるなという話になるんじゃないかと思っているんですけどね。


アメリカからの政治的自立にとって大切なことは。

日本がアメリカの占領下に置かれた時に、ソ連による共産主義化という事態があって、アメリカは、それと戦うために日本を資本主義社会の橋頭堡としたいという思いがあった。それで日本に対しては極めて寛容な政策を取り、軍隊を持たせないようにしながら憲法を作った。日米安保でこの国は、全部アメリカが守ってくれる状況になった。安全保障を他国に任せてしまう国は、政治的自立は果せないですよ、どう考えても。そこで日本は精神構造的なところまでアメリカから自立することをあきらめてしまった。しかし東西冷戦構造の壁が崩れて、カーテンが開いたにもかかわらず日本の精神構造は、その延長できたもんだから国際環境の変化に対処できない事態になっている。政治的自立をしないほうが楽だったし、それに慣れてしまったもんだから、今でもその延長でずっと来てるわけですね。冷静に考えた時に、隣国との間で万一衝突が起きたとしても、日米安保があるからアメリカは日本側に立って相手と戦ってくれるなんて発想はありえないと私は思ってます。そういうことを考えれば、もっと安全保障の立場からも自立しなければならない。アメリカは万一の事を考えた時の議論から逃げてますから。もはや日米安保があるから助けてくれるというような深い関係はない。日本の政治的自立とは、安全保障でのより自主的な発想をもつという事です。


鳩山さんが考えるアメリカからの政治的自立への具対策とは。

私は前に常時駐留なき安全保障を提唱しました。この考え方は今でも捨ててません。どの国であっても他国の軍隊が駐留している状態は、正常な状態ではないんです。沖縄に75パーセントも集中している在日米軍基地が、これからも居続けるというのは正常じゃないです。それはアメリカの世界戦略の中での沖縄の重要性はあるんでしょうが、それはアメリカの論理であって日本の論理じゃないわけです。アメリカの海兵隊には、将来的に沖縄から引きあげてもらう議論をこっち側から出すべきだと思うんですね。レイプ事件などの人権問題ですら、まだ完全に対等になっていませんからね。そういう要求をどんどん出して、思いやり予算もやり過ぎているわけですから、そこもきちんと求めて行きながら、その代わり日本が万一の時にはどういうことができるか、有事に備えて日本はこう考えるべきという議論をしなきゃいけない。有事を想定してない国はそれこそ自立してないわけです。万一の時にはどういう行動を取るかという様々なシミュレーションと法的整備は、どの国もやっている当たり前の話で、日本もおこなう時が来てるんじゃないかと思いますね。


アメリカからの自立によって結果的にもたらされるであろう軍事力増強への歯止めをどうするか。

一番大事な事は、2度と侵略戦争はしませんと誓う。ただ、もし外からやられた時には自衛のために自分たちで国を守るということを考える。軍事力が強大になっていくと怖いのは、また昔のように外に向かって侵略行為を行なうのではないかということですから、そういう事は絶対にしませんと誓わなければいけません。できれば憲法でね。私は昨年(2000年)江沢民さんのところに、今年は金大中さんのところに行って不戦共同体という、アジア全体は戦わない共同体として生き続けませんかという議論をしてきました。日本がまた歴史を繰り返すんじゃないかという恐れを完全に打ち消しながら、アメリカからは安全保障で、より自立して行くと。もうひとつ、くどいようですが申し上げておくと、アメリカとは軍事的には大人の関係になりながら経済的にも大人の、要するに自由貿易で壁のない環境を日本が提供することは、非常に大きな事で、その両方を上手くバランスを取ってやる事で、アメリカに対しても尊敬される日本になりうると私は思います。


共通の文化を持つ中国、韓国とは戦後60年近く経ってもギクシャクが続いている。日本は両国とは欧米が羨むような関係を何故作れないのか。

私は精神的なものだと思っています。ヨーロッパもかってアジアやアフリカを植民地化してきたわけです。でも植民地化した方とされた方が今は良好な関係にある。日本は植民地化した相手に今でも例えば、三国人とかシナ人と呼ぶような形で差別意識を持っている。しかもきちんと誤ってないじゃないかとまだ思われてるわけですね。それが未だに尾を引いていると思うんです。私はかつて鳩山の謝罪外交のように産経新聞に書かれた事があったんですが決して謝罪外交じゃなくて、本当の意味で相手が日本に対して尊敬の念で接してもらえるようにするためには差別感をとにかく解かなきゃいけない、それが一番だと思っています。金大中さんが日本にこられた時に、日本に対して、もう過去の事は私達から言う事はありませんと言われ安心しました。その意味は、私達から言いませんから、あなた方が判断して我々にきちんと接して下さいという話だったんですけど、そう取らないで日韓の戦後問題は終わったんだと取っちゃったために日韓関係が未だに他国が羨むような関係になってないと思うんです。その意味で日本側に両国との関係を正常化する責任があると考えるべきだと思いますね。ただ若い人達にはアジアの民族に対する差別感は、無くなっていると思うんですけどね。


それは歴史を知らない上に成り立っている話で、本質的な問題は抱えたままですね。

そうそうそう。


そうなると歴史教育の問題が重要になりますが果して現政権が本気で取り組むでしょうか。

小泉さんも韓国へ行って教科書の対話を始めましょうと言われてきた。そういうもので歴史の事実をきちんとお互いに理解する。歴史的評価は別としても事実は事実として認識を共通にしましょうという努力が大事だと思ってます。教科書問題に対していい方向が出ればと思っているんですが自民党だと、形だけスタートさせた後、10年か20年かけて少しづづ進めばいいじゃないかくらいにしか思ってないかも知れませんね。


中国、韓国との関係は日本の国益にも大きく影響しますね。

中国の人口は13億ですからね。その人達と軍事的にも経済的にもいかに付き合うか、彼等に好かれるか、好まれないかでこの地域の平和と安定と経済成長は大きな影響を受けますよね。本当にやり様はあると思ってます。今までのようにODAやってるから有難く思えじゃダメなんですよ。


日本での滞在期間が長くなるほど、日本が嫌いになって帰国する外国人が多いと言われているが。

実態としてあると思ってます。私が東工大に勤めていた頃に留学生の面倒を見ていたんですけど、みんな苦学生になるんですね。物価が高いし、言葉も難しいし、カンボジアとか中国とか、向こうではそれなりの名士の子弟が来られて、日本で苦労して決して日本が好きになって帰らないんですね。政治的にも経済的にもその国をリードするような人達が結構いるのに、その人達が日本に反感を持ってしまったらなんのために留学生を受け入れてきたかって思いますね。


物価や言葉の問題だけじゃなくて日本人の心の問題にも関係ありますね。

私もそうだと思います。多分彼等は日本に来てものすごく孤独を味わっていると思いますね。日本人の心の閉鎖性が相手の鏡に映って、こんな人達はいやだなという思いがあるんじゃないですか。心の中に入っていかないというのかな、一言で言えば島国なんでしょうね。それが特にアジアの人達に対して非常に辛い思いを与えてしまうんじゃないですかね。その根底には日本人が他のアジア人に対して差別意識があって、それが相手に伝わっているからでしょうね。


自民党を完全に見限ったはずの国民が小泉旋風のあおりで自民党まで復調させてしまった。国民の選択をどう思うか。

自民党に対する大変な批判を逆に、だから自民党を変えるんだと言い切った小泉さんにも一度だけ賭けてみようという気持ちになったんだと思うんですね。多分、国民の多くは必ずしも大きな変化を望んでいない、いわゆる保守的な気持ちというものがあって、できれば自民党政治を続けさせてやりたいという思いが、心のどこかにあるような気がするんですよ。国民の多くは野党というと何か反基地、反安保、反米とかいうようなところに視点があるように思って、それが社会党から社民党、民主党に変わったけれども、野党に対して政権を与えるという勇気がないままに来てしまっている。その自民党をオレは変えてやるんだというメッセージが、もう一度国民を自民党支持に変えちゃったんでしょうね。自民党は小泉さんをうまく利用して、また自民党の古い政治を取り戻したいと思っているのは見え見えなんだけれども、でもその部分が必ずしも見えなくて、国民は小泉さんの変わり得る自民党に期待しょうという思いがあったんじゃないか。今までの自民党の不人気を、180度逆手に取る発想で総理になられたもんだから、そこに国民の気持ちが集中したんだと思っています。


小泉さんのキャラクターに、まるでタレントにあこがれるような形で投票した人もかなりいるんじゃないですか。

そうなんでしょうね。でもパフォーマンスでは経済も社会も変えられないのですけどね。政策で選ばないなら、じゃあ政治家は何を訴えればいいんでしょうか。単なる15秒のタレント的なパフォーマンスで、この国を動かすしかないという話になれば大変危険ですよ、これは。小泉さんに多くの人が喝采を送って、それが必ずしも政策の中身ではなくて表面的なものであれば、いずれ国民の多くが奈落の底に突き落とされて、やっぱり小泉さんでも変わらなかったと、これは政策のミスだと気づいてパフォーマンスだけの政治はダメよと気づく時が来るのではないかということを恐れます。そういう時にオレは救世主だと、めちゃくちゃに右寄りの国粋主義的な発想でオレにまかせろと、そんな人間が英雄になっていく危険性はありますね。


それを受け入れる土壌がすでにあるような気もしますが。

そうかもしれません。


政治家菅直人さんをどう評価してますか。

お互いに自分にないものを相手が持っていると思っています。特にこういう経済や社会、政治がめちゃくちゃな時には破壊を得意とする人物と、その破壊された後をクリエイトしていくのに相応しい人間が求められます。菅さんは破壊する方で、大変鋭い視点から攻撃的な対応ができる男ですね。私はそういうのが非常に苦手です。菅直人というのは、今ある状況を革命的に壊して行く時にはものすごく適当な人物ではないかと思うし、こういう時にはそういう人間の必要性を感じますね。私はどちらかというと破壊された後、ゼロから何かを作り上げて行く時に自分の力が発揮できるんではないかと思っています。そういう意味では、好き嫌いとかを乗り越えて菅さんとはこれからも政治活動をしている間はできるだけお互いに補っていく必要があるのではないかと思っています。


お互いに必要性を感じなくなったら別々の道を取るということですね。

可能性までは否定しません。


今はその芽はないと。

今はまだお互いに相手を必要としている時だと私は認識していますね。現在、民主党が野党として鋭く自民党や与党を追求していく時には、やっぱり菅直人というのはピカイチのものを持ってますよね。


菅さんに何か注文はありますか。

攻撃的に振舞えば振舞うほど相手を追い込んでしまうもんですから、わだかまりが残るんですよね。相手は敗北感に打ちひしがれちゃうわけで、私は議論をしても相手に逃げ道をひとつ与えておくことは必要だと思うんですが、人間関係的な部分で気まずい状況を作ってしまうことがありますね。


菅さんから何か影響を受けたことは。

直接的にどういう影響を受けているか分からないけれど、例えば党首討論の時にはテクニック的な部分も含めて、菅さんのいろんな考え方を聞きます。それは役に立っていますよ。


日本には国際的に通用する政治家が見当たらないが何故か。

地形的な部分があるのかもしれないなと今思ったんですが。島国であるだけに、外の国と国境を接していませんよね。領土問題はかかえているけれども、それが必ずしも実生活を脅かすような話になっていない。ヨーロッパやアジアの国々と違って、他の国と接していない部分のメリットが、一方ではアメリカ依存の外交を作って、特に東西冷戦構造の時に顕著だったんですが、何もしない、アメリカに従っているのが一番得だということが外交政策でした。日本が敗戦から独立して経済力を養っていく過程の中では、社会的に評価をされるべき政治家がいたんではないかと思うんですが、その後の安定期において、そういう国際性が基本的に必要ない外交であったのではないかと思いますね。一方、外交はほとんど選挙の種にならないテーマだと見られて、票にならないものは皆がやろうとしなかったという状況で、世界に傑出した日本の政治家が現れなかったということじゃないでしょうか。


例えば小国のシンガポールのリー・クァン・ユー氏は大変知名度がありますよね。あの人は自分の哲学や戦略を世界に向けて発言する。日本にはこのような存在感のある政治家が皆無に近いが。

私が一番やりたい友愛思想にもとづいたアジアの不戦共同体は、世界に向けてアジアの国々に向けて、日本が発しなければならないメッセージなんですね。そういうものも発する政治家はいませんね、おっしゃる通り。それは長い数十年間のまさに平和ボケだと思うんです。平和ボケの中で、この国の安全とか平和といったものは、アメリカに寄りかかっていればいいんだという発想だけになり下がってしまったために、評価される外交にならなかったと思うんですね。アメリカから、より自立した自主的な外交姿勢を作り出していく事が何よりも重要ではないかと思っているんです。どうすれば日本の政治家が評価をされるかというと、例えば私が当時パリ市長のシラクさんの所に伺った時、向こうから万葉集の話なんか持ち出してくるんですね。政治家同志が政治の議論するのは当然のことなんですが、プライベートの時に一言で言えば文化性のようなものだと思うんですけど、そういうものを感じさせる日本の政治家っていうのは、極めて乏しいのではないか。欧米では人間全体の評価が、そういうところでされるわけです。従ってこれからの日本の政治家が世界に向けて評価をされていくためには、私は自らがもつ文化を示して行く必要があると思いますね。


これまでに会って、感銘を受けた政治家は。

リー・クァン・ユーさん。あの方にダボス会議で会った時、小柄なんですけど非常に圧倒されるものがありましたね。物静かなんですよ、すごく。その中で大変な覇気と魅力、人格を感じましたね。アジアの国々に対して日本は損しているって言われるんです。どうして歴史の問題を片付けないんだと、そこを早く片付けて、もっと尊敬される付き合いをどうしてやらないのって、おっしゃたですね。それは私もまったく同感なんです。最近お目にかかった私の覚えている限りで最も畏敬の念を抱いた政治家である事は間違いないです。


存在そのもので相手に影響を与えるところってありますね。

存在に打たれてしまうというかね。かつて中川一郎先生にお会いした時、祖母の葬式に来てくださったんですが、その人となりに打たれて、こういう政治家もいるんだという純なものを感じたんですよ。私が政治家になるのを考えるチャンスを、中川一郎先生があたえてくださったんです。


中川さんの思想にも打たれたんですか。

そうじゃないですね。政治家にこんなに純粋な笑顔があるのかという話なんですよ。政治家って悪さをするような、そんな風に見られていたわけですよ。私自身政治家のファミリーでありながら、政治に対して半身の姿勢であった時ですから。そういう時に、純粋な笑顔を持った人って政治家の中にもおられるんだなという気持だったんですよ。


文化を語れない政治家は世界に通用しない。鳩山さんが考える日本の文化とは。

文化が重要と言いながら自分自身の文化性が乏しいのを恥じているんですが。私は西洋型の文化に対して、恥というものに対する理解が日本の文化だと思ってまして、質素な優雅さとかわびとかさびというのは恥からきてますよね。大金持ちであればあるほど逆に生活は慎ましくしょうという思いを大事にする心は、欧米人には必ずしもわかるとは思いませんね。例えば生け花だってそう思うんですね。ヨーロッパの生け花ってワーッとゴージャスに飾って美しいってなるけど、枯れた木に柿の実が1つなっているのをこれが文化と感じるのは、私には捨てがたいものがあります。そういうところに日本の文化の優雅で心の豊さがあると思っています。


相手が信頼すべき人間かどうかを、どこで見分けますか。

相手が自分の心を開いて私に目と目を合わせながら、どんなにつたなくとも言いたいことを真剣にいっているなという印象を私が持つこと、それが私の人を信頼する基準ですね。政治家になりたいとやってくる人達が結局は自分のために政治家になろうとしているのが見えることがあるんですね。そういう人間と、例えばお年寄りの福祉の問題で今まで苦労してきて、これからは政治の世界に入らないと解決できないからどうしても政治家になりたいんだという思いでやってくる人とでは生き様の迫力が違いますよね。金もない、頼るものもない、しかし純粋に世の中の人のためにみたいなそういう志を持ってこの世界に飛び込もうとしている人に対しては、民主党によく来たなっていう気持ちになりますね。


政治家が尊敬の対象になっていない、これをどう思うか。

政治家というのは、国民の一票によって自分の仕事が与えられる。となるときわめて国民に対して弱い存在になるんですね。何をやりたいかということよりも先ず自分が当選しなければ仕事が出来ないというところが先にたっている人が多くて、したがって私が一番嫌いな私利私欲の政治になってきてしまった。金も票も集めなきゃいけないというノルマを果すために、常に国民迎合的な態度になりさがってしまい、それを見ぬいている国民は国会議員に対して面従腹背というか、決して尊敬の対象にはしていない。これは非常に不幸な事だと思いますよ。


尊敬できる政治家を一人でも増やすには。

簡単にはないと思いますね。そのためには、一人ひとりの私欲を捨て自らの尊厳を高める、そこに尽きるんだろうと思ってます。票が欲しいために政策を訴えているんじゃないぞというところを際立たせて見せるしかない。私は公共事業に対して最も依存してる北海道で、公共事業批判を続けているわけですが、それでいかに多くの票を失ってきたかは明白だけれども、それでもギリギリで当選させてもらってるという事は、目に見えない無言の力で押し上げてくれているっていう部分もあるんです。国民の常識を信じ、私欲を捨てたところを評価してくれる人達がいるんだっていう確信を、常に持ちながら行動することじゃないですか。


鳩山会館はもともとは鳩山邸だったのですね。

そうです。でも生まれた時はそこじゃなかったんですよ。小学校2,3年の頃に引越してきて、それから大学を出るまでですね、住んでいたのは。


どんな生活でしたか。

小中学の頃は弟も姉も3人共、虚弱児童的でね。小児喘息持ちで常にゼイゼイやっていたんです。その頃は体力は本当になかった。だから運動会がいやでね。運動会の前になると身体の調子が悪くなりそうな、そんな子供だったんですよ。それをお袋が気にして、弟と私に家庭教師をつけてくれた。その家庭教師は勉強よりも遊びを教えてくれた先生で、学校が終わってから勉強の前に、庭で野球やって遊んだんですよ。野球と昆虫採集の少年時代でしたね。


昆虫採集はどの辺にでかけたんですか。

軽井沢ですね。東京だと高尾山などにチョウチョ採りに行ったわけですよ。弟とは信じられないぐらい仲のいい兄弟だったと思います。そうやっているうちに中学の終盤くらいから一人前の体力がついてきて中学、高校は病気で休んだことは一切なかったですね。


学校の運動部には入らなかったのですか。

エーと、そうだ、そうだ、高校で軟式テニス同好会に入って1日でやめちゃいましてね、これはもたないと思って。


高校時代は専ら勉強や読書が中心でしたか。

読書は子供の頃に速読会をやってればよかったんですけど、それほど多くはなかったですね。それが心残りで、いろんな本を読めばよかったなという思いがあります。高校時代は、勉強は嫌いじゃなかったですから、その大半はある意味で受験勉強になっていたのかもしれないと思いますね。


将来の進路は高校時代に決めていましたか。

全然決まっていなかったですね。我が家は政治ファミリーと言われ、弟はオーパパ(爺ちゃん)の後を継ぐのは僕だって幼稚園の頃から言ってました。それを横目で見ながら私自身はシャイな性格っていうか、あまり自己表現が上手くない人間ですから、こういう人間は政治の中で前を切り開いて行くタイプじゃないなと自分なりに理解してましたね。


いつ頃からそう思っていましたか。

子供の頃からそういう思いがありましてね。だから弟がやりたいのなら政治はやるつもりはないと。当時先生方から、これからは工学の時代だと言われ、それなら工学を勉強して国の発展のために役に立つ人間になれたらいいなっていう漠然とした思いはありました。だから政治家にはならないだろうなっていう気持ちになっていたことは確かです。


大学の工学部ではどんな分野を選びましたか。

大型の船や飛行機あるいは車を作るところで働く自分をあまり想定できなくて、ちょうどその頃、コンピューターのはしりの時代を迎えていたもんだから、これからは情報の時代だっていうことで情報工学あるいは経営工学に定めていったんですね。


志望大学を決める際、両親の希望はありましたか。

リベラルな家風なんだと思うんですが親父は干渉しないですよ。母もそうです。だからどこへ進みなさいとは言わないです。母には私に東大を受けてもらいたいという気持ちは、強く見えてはいたけれども、だから東大にしなさいとは言わない。でも知らず知らずのうちにそういう方向にリードしているのがお袋なんですね。そういう意味で母親のリードの仕方っていうのは、たいしたものだなって思いましたが、親父はそういうことも一切言わなかった。


お父さんの威一郎さんは息子が政治家になることを希望しましたか。

いや、親父も政治家には、なりたくなかったんですよ。最後にはなりましたけど。親父は弟に政治家は悪人なんだ、政治家という悪人の世界にお前は行くべきではないと言ったらしいんです。弟は、ならばあなたの親父さんの鳩山一郎は大悪人なんですかって聞いたら、お前そんなこと知らねえのかって言ったらしいんだけど(笑)。


それはいつ頃の話ですか。

弟が大学を卒業して田中角栄門下生になろうという辺りじゃないでしょうか。親父と弟でそういう会話があったことは最近まで知らなかったんですけど、弟がそう言ってました。だから親父には政治の世界に我々が入るべきではないという思いがあったんだと思います。


お母さんの安子さんは時にゴットマザーとも言われますが。

お袋は、鳩山家が政治の家だし自分の夫も政治家の道を歩むというのは十分にありうると考えていたと思う。現実にそうなる時に盛んに応援をしたようですし、私や弟が政治家になる時は親父が反対しましたけれども、その反対を抑えて私には事務所を大田区の田園調布に構えさせてもらった時代もあるんですね。我が家の中で一番、精神的に強い人はお袋ですから、親父がどうであれ、お袋が味方しているっていうのは我々兄弟にとって大変ありがたい事だったですね。でも実に謙虚なお袋ですから、ゴッドマザーと呼ばれるのはどうでしょうか。


鳩山一郎さんとのはっきりした思い出はありますか。

亡くなったのは1959年、昭和34年3月、私が小学6年でした。爺さんを我々は大パパと呼んでいましたけれど、一緒に住んだのは3、4年の話です。ただ鳩山一郎が昭和28年に倒れた後しか私は知らないんです。そういう意味ではもともと頑固で気丈な一郎の姿ではなく相当気が弱くなって身体をいたわる爺さんとの触れ合いですから。でも月に1、2度祖父のまわりに子供や孫を集めて賛美歌を歌ったんですよ。声なんてほとんど出なっかたと思うけど、にこやかな姿は印象的ですね。私にとってそれが一番印象的なシーンじゃないでしょうか。当時は、かなりフリーな時代でしたから祖父の実子だけじゃなくて、お妾さんやお妾さんの子供さん達も家の中で賛美歌を歌って楽しんでいたという事です。


一郎夫妻はクリスチャンだったのですか。

クリスチャンじゃないです2人とも。賛美歌を歌うことで、倒れて精神的に参っている状態を紛らわせる意味もあったでしょうし、発声練習にもなりますからね。


お父さんとの会話で特に印象に残っていることはありますか。

それがないんですよね。親父と生涯何回会話をしたかっていうぐらいの話で、俺の後ろ姿を見てみろという迫力は感じました。だから私の尊敬する人というところには、常に親父の名前を書いていました。子供に対してああしたらいい、こうしたらいいということは一切言わなかった親父だったと思います。晩年は好きなゴルフとか、時間さえあれば朝から晩まで庭の草むしりをやっていました。碁をひとりでやってましたね。親父は人との接触を楽しむというよりも、自分自身の世界を楽しんでいたところはあったと思いますね。そういえばひとつ思い出しました。私が工学部の学生の頃、「数学って世の中で役に立ったことはあるのか?」と聞かれたときには驚きました。


安子さんには子供の頃どんなことで叱られましたか。

中学2年ぐらいまでは、弟とは仲が良すぎて逆に喧嘩することもあったんです。喧嘩すると必ず弟の方が怒られてるわけですね。弟とすれば多分ね、非常に不満に思ってた時があると思う。私は特に、おとなしい少年であったと見られてました。優等生っぽく見られていた部分があって弟は当時やんちゃな少年だっただけに、お袋は私に対して叱るようなことはほとんどなかったような気がする。


安子さんの生き方で、なにか感じることはありますか。

今でも贅沢を一番嫌うのはお袋だと思いますね。こういう家に住んで何を言うかってみなさん思われるかもしれないけれども、母は今でも質素に振舞ってます。70、80になってもタクシーには乗らないし、必ず電車を使うとかね。また本当にシャケの切り身一つとご飯とおみおつけ程度の食事しかとらなかったですね。鳩山という家に住んでいるからこそ一人ひとりの心の中が贅沢になっちゃいけないと、むしろ質素に生きるべきだと、もったいないという言葉がさかんに母からは伝わってきたような気がしますよね。


息子さんにはどんな教育をしましたか。

紀一郎が生まれて当初はあれやっちゃだめ、これやっちゃだめみたいな子供には厳しいことを言ってたと思うんですよ。中学に入る頃、自分の道はあなたがそれでいいと思えばその道を選びなさいよ、でも責任はしっかりとあなたが持つんですよ、という教育方針に変えたんですね。その頃からぐんぐん成績も伸びるようになった。自我にも目覚めて音楽の世界に入り、昨日もチェロのコンサートをやってきたようですが、マーラーを弾いてよかったと感激してました。また私と似たところもあって、工学系の道を歩みながら私よりもはるかに広い分野で人生を楽しんでいるなと、息子に関してはそれなりの教育はしてきたという思いはありますね。妻の幸と幸の母に依るところ大なんだけれど。


夫人の幸さんは鳩山さんにとってどんな存在ですか。

今でも太陽であり続けている。その意味はエネルギーを我々ファミリーに与えてくれていることなんですね。とにかく底抜けに明るいです。どんなに厳しい時にあっても、その厳しいのはその次のための試練なんだと、みんなに言い聞かせるわけですね。どんな時でも笑顔だよっていう感じの女性ですから。料理も上手いですし。家に帰るとホッとした安堵感というかね、エネルギーの補給基地みたいな状態でいてくれる。そういう意味で私にとってもファミリーにとっても中心的な存在ですね。


鳩山さんにとって家族とは。

一番の人間関係の基点が家族ですから、その家族がギクシャクしていては政治家として国を上手くコントロールできようはずもない。家族がしっかりと愛情で結ばれ、信頼関係があり、一人ひとりが自立しているようなファミリーが理想ですね。私は家にいて、お互いに本を読んだりしてなにも言葉を発しなくてもいいんですが、そういう瞬間がなにか至福の時って感じることができますね。


自分を誇りに思っていることは何ですか。

今日まで自分に嘘をつかない人生を行ってきたというところは誇ってもいいと思いますね。決して得だとは思ってないけれど、嘘いつわりで塗り固めたような人生を歩んできたつもりはないし、自分自身に尊厳を持つようにならなきゃいかんと、常に思いながら行動してきたことが誇りかも知れないね。


これからもその誇りを持ち続けていくつもりですか。

私は大事にしたいと思っていますね。またこういうことを言うと、だからダメなんだと言われるかも知れないけれど、私は総理大臣になりたいために政治家をやってるわけじゃなくて、必然の結果として総理として仕事がやれたらそれは面白いと思う。しかし総理大臣になるために、あらゆる手練手管を使ってなるべきなのか。特にこの世界に入ると、なにがなんでもとか人殺し以外なら何をやってもいいんだというような思いで上り詰めていこうとする人達がいるけれども、そういう脂ぎったエネルギーを自分は求めない。


日課として何かこだわってやっていることはありますか。

ほとんど毎日、女房と本棚の一部を小さな神棚にして神に感謝することをやってます。感謝する事です。


何を感謝するんですか。

ファミリーと国民に健康を与えてくれていることに感謝します。これから自分自身の思いで精一杯やりますから、どうぞ支えて下さいみたいな祈りを大体毎日やっています。内容は言うもんじゃないんですけどね。あとは瞑想を唯一の健康法として1日に20分。でもなかなか時間が取れないんですが。


どんなやり方ですか。

なんにも考えないでマントラを唱える。意味のない言葉を唱えているうちに頭の中が無になる。その考えない時間を持つというのが頭をスッキリさせて健康にさせる。普通は正座して20分やるんですが、やっているうちに大体寝てるんじゃないかな。


困難に直面した時、自身を奮い立たせるものはありますか。

言葉じゃないと思うんですけどね。やっぱり愛だと思うんですよ。女房とか家族とか、愛する対象を想念の中で思い描いて、そのためにも頑張らなきゃいかんぞという発想で耐えるんす。


人間として師と仰ぐ人はいますか。

鳩山一郎に関しては、一郎が存命の時から師と仰いでいたわけじゃないんです。友愛の提唱者の鳩山一郎やクーデンホーフ・カレルギーという人を学んでいくと、自分も求めているものがそこなんだと思ったんですね。鳩山家が財産のように考えている友愛精神を、政治家の立場で重要性を認識したから鳩山一郎を師と仰ぐようになりました。決して最初から爺さんだからという感じではありませんね。


人生観が変わるような書物との出会いはありましたか。

ローマクラブですね、『成長の限界』という本。私がスタンフォード大学留学時代に読んで大変驚いた。少なくとも近未来は人間中心の世界だろうと考えていたら、このままいったら人間そのものが生きられなくなるぞというメッセージですよね。哲学を変えなければ、世界の未来はないという書物に出会ったのは初めてだったもんですから。しかも数学理論的に私の専門分野に近いところでそういう話が出ただけに感銘を受け、それこそ工学でこれを解決しなきゃいかんと当時は思いましたね。あとは遠藤周作さんの『深い河』ですね。こちらは精神世界の話ですね。


日本の歴史上で興味のある人物はいますか。


明治維新を切り開いた龍馬とか晋作の師としての吉田松陰が、この国を動かす人達にどうエネルギーを与えたかっていうことに非常に興味がありますね。吉田松陰のどんどん誉め上げ、その人の才能を評価して仕事をさせるという部分が、これからの上に立つ人間にとってきわめて重要ではないかという意味で、吉田松陰を勉強してみたいと思いますね。


信長、秀吉、家康の中で好きな人物は。

今は信長的な人間が求められてる時代なんでしょうね。でも私自身は家康的な生き様が自分には合っている。このご時世ってまさに大乱の時ですよね。だから信長的性格が求められているのかも知れません。


自分はこの乱世には向いてないということですか。

こういうことを言うとまた物議をかもすんでしょうけど、本来は菅直人という男に乱世を突っ走ってもらって、その後のいろんなシステム作りなどの国民に安心感を与えるような部分で役に立てればいいなと思った時期がありますが、今はそういう時期じゃないでしょう、どう考えても。経済や社会状態ひとつとってみたって、すぐに安定期に入る状況じゃ全くないですよ。とすれば自分自身を相当作り変えて、大乱の時にも耐えうる人間に自分を育て上げていかないといけなだろうと思いますね。


仕事しながら自己改造もやっていくということですね。

そうしなきゃいかんと思う。ただそうはいったってなんのために政治をやるんだという純粋さや、人の道としての正しさというものを全部どっかに置いて、小泉内閣に対して常に非難、非難と体ごとぶち当たっていくことが、自分に本当に相応しいのか、望ましいのかをもう一度冷静になって考えなきゃいけないと思いますね。


どんな人に嫌悪感を覚えますか。

話をしたり議論をする時に、相手の顔を見ないでしゃべる人が結構多いですね。目を見て相手を信頼するというのが大事だと思うんだけど、どうも目をまともに見れない人には何を考えているのか分からんという意味での嫌悪感を感じますね。目を見てしゃべれない人には、やはり信頼がおけないですね。この人にどこまで本当のことをしゃべっていいのかなっていう気になりますね。あとはなんでも金だとか、ポストを求めてくる人なんてこの世界には沢山いますからね。命もいらず名もいらずという西郷隆盛の考え方に反する人には嫌悪感を感じます。


西郷隆盛はどんなことを言っているんですか。

「命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ者ほど御し難き者なし、しかれどもこの御し難き者にあらざれば天下の大計はかるべからず」という西郷隆盛の遺訓があるんです。私はそれを旧民主党を立ち上げた時に、命とか名とかポストとか金とかそういうものを欲しがる人は民主党にはいりませんよと話したんです。即ち自分のためにというのが先に出る人には、嫌悪感を感じると言ってもいいと思う。そういう人間ではない人と仕事をやりたいというのが、この政党を作った少なくとも私の目的なんですね。


これまでの人生で最も感動した事とは、どんなことですか。

自民党を飛び出した日ですね。それがさきがけになっていくんですけれど。半年間、自分たちの考えを高め合いながら一切外には漏らさずに行動し、宮沢内閣が不信任案の可決で倒れていく時に、お世話になりましたと靴を揃えて飛び出した。この自民党では我々の仕事は出来ないと思いつめた人間達でした。自民党を飛び出した夜、都内のアパートの一室に集まって、あぐらをかいて、ビールで乾杯した時のあの感動は、当選の感動とは全然違う、半年間思いつめていたものを一気に発散させた喜びでしたね。民主党やさきがけを作ったときもそれなりの感動はありましたけど、それよりも自民党を飛び出した瞬間の開放感は、私の人生の中で最高の感動でした。女房には悪いけれども結婚した時の喜びよりもはるかに、こう内から湧いてくる喜びでしたね。


これまでの人生で最もつらい思い出とは。

親父の死ですね。親父は手術がいやだったんですよ。それを我々家族が説得して手術を受けさせた。脳の動脈瘤だったんです。最高の権威の人に執刀してもらったんですが、肺に穴を開け人口呼吸の3年間だったんです。しゃべれなくなっちゃいました。細川政権が出来た年の12月に亡くなったんですが、丁度ガットウルグアイラウンドなどいろんな懸案があって、ほとんど親父の見舞には行けなかったんですよ。細川政権ができたが故に看病もできず、また手術させたこと自体を含めていろんな思いがよぎってつらかったですね。私が初当選の時、赤絨毯の階段を兄弟2人で親父を真中にして上がって行ったことを思い出します。政治家として仕事を教わるチャンスも無いまま終わってしまったんですね。残念でした。晩年の3年は大変つらい思いをさせてしまったなという思いが今でも残っているんです。


鳩山さんにとって相性のいいタイプとは。

血液型ではB型だと思いますね。うちの女房もそうですけど、B型っていうのは明るくて奔放で自分の意志を持って動く人達でしょう。私はO型なんですがOとBはなかなかいいらしいですよ。自由奔放に生きている人達とは、私は相性が合うと思っているんですけどね。四角四面になり過ぎている人とは、なかなかやりにくいなっていう感じがありますね。


どんなスポーツが好きですか。

野球は好きで、巨人ファンなものですからね。勝った試合はプロ野球ニュースなんかでできるだけ見たい気にはなりますね。だけど本当はアメリカンフットボールが一番好きです。アメリカにいる時は土日はずっと見ているという生活でしたね。ラグビーやサッカーってプレーがずっとつながっていますけど、フットボールはワンプレーが終わると、またそこでボールを置き、次のプレーに変っていくわけです。その間に作戦がたてられるもんですからきわめてデジタルなゲームですよ。留学した年にスタンフォード大学がローズボウルで勝ったもんだから熱狂的になってね。


政治家を志したのはいつ頃ですか。

子供の頃はまったくなりたいとは思わなかった。アメリカに留学をして1971年だったと思いますが弟がやってきて、兄貴、政治をやるぞと言われた時に、俺も40になったらやるかもしれんからなと答えているんですね。だからその頃に少し心境の変化はあったんだと思います。日本に帰る年の1976年は、アメリカ建国200年で国を挙げて愛国心のパレードだったわけですね。日本の場合、愛国心がどうも軍国主義につながるというように思われているのは、完全な錯覚じゃないかと、国を愛することをもっと誇らしげに言うことが出来る社会を作らないとまずいぞと留学中に思って、それが政治に入るきっかけになったんですね。親父は反対しましたけど。


なんと言って反対しましたか。

親子3人で政治をやるなんて恥ずかしくてお天道様に顔を向けられないよって言われましたね。 当時、親父は大蔵官僚でしたから、政治家っていうのは常に仕事をくれ、金をくれっていうたかりのように思っていたんでしょうね。行政の側から政治の側を見た時の印象があまりにも悪いので、政治家になんかなるもんじゃないという思いが親父にはあったんだと思います。でもそういう親父が最後は体をこわしてまで私の選挙の時に応援してくれたんですね。それは非常に嬉しかった。


政治家になって本当に良かったと思う瞬間は。

自分の言いたいことを話して人に感動を与える事が出来た時には本当に良かったと思いますね。自分の信念を話し、そのことで相手を感動させる事が出来たと思った時、あるいはそういう評価を得た時は嬉しいです。自民党的古いタイプの政治家が橋ができた時に感動したとかそういう感動じゃなくて、人が人に影響を与えるということは、我々みんなが生きていて良かったという気持ちになると思うんです。そういう機会を与えられることが多い職業ではありますね。その意味で政治家になって良かったなと思う時はあります。例えば私が本会議場で政治は愛だってぬけぬけと発言した。今まで壇上で愛だなんて語るバカはいないと思われていたのが政治は愛だって言った瞬間に、多分与党も野党も非常に意外だと思ったでしょうけど、それを聞いていた国民の中から鳩山さんの愛の話は良ったと感動してくれたんですよ。そういう瞬間ですよね。


自分自身政治家に向いていると思いますか。また政治家になって後悔したことはありますか。

今でも向いているとは思ってないです全然、政治家としては。自民党時代はそれこそ権力の分け前をもらうみたいな貪欲さが必要であったり、意見をばんばん強く言って自分の我を通していくと言う強さが求められた。シャイでいると仲々それは通らない。これは全然自分に向いてないとこに来たんじゃないかという後悔がありましたね。しかし一度この世界に足を踏み入れたんだからやめるわけにはいかんぞと、自分も結構強情なところがありますから、むしろ後悔しないような政治に変えなきゃいけないという思いで、自民党を飛び出して新しい政治を作ろうという動きになったんだと思いますね。そういう意味では後悔の連続で動いてきたと、そんな気がします。


リーダーの重要な役割とはなんだと思いますか。

これからの日本の歩むべき道を示すこと、それが一番大きな役割かも知れない。今までの政治の最大の欠陥は最後に責任を取らないということです。歴史の転換点を迎えても常にその歴史がなぜ変わらなきゃならないのか、なぜ間違っていたのかということを検証もせず責任を取らないで次のステップにどんどん行ってしまい、また失敗を積み重ねるということだった。だからリーダーは大きな指針を与えて、その指針のもとに人々を動かし、その動かした結果に対して責任を持つことだと思う。リーダーが人々への全幅の信頼を持ちながら、最後に責任は俺が持つからどんどんやって来いというメッセージを出せることじゃないかと思いますね。ただ、世の中みんなリーダーシップを発揮しろというでしょう。でもそれは依存心の裏返しなんですよね。本当に今の政治に必要なのは、強いリーダーを作る事じゃなくて、強い個人個人を、自立した個人を作ることだと思うんです。


民主党はなくなっても構わないと発言したことがある。その真意は。


大橋巨泉さんが菅さんに参院選出馬へ口説かれている時に、党首が自分の党がなくなってもいいなんて言ったら党がもつわけねえじゃないかって言われましたね。そう短絡的に言われればその通りです。私は、もともと私利私欲を捨てた集団としての党を作りたいと言ってきている。自民党を見ていれば分かるように何十年も同じ党で行動していると、党自体に様々な膿がたまり腐ってきてしまう。今回、小泉さんという総理が誕生した。で我々の主張してきたことを一緒にやろうじゃないかと言ってきた時に、我々は国民のためにいい仕事ができるのなら国民のために党がどうなろうと協力するんだという姿勢を示さなければこの国はもたないよという思いで、そうでない民主党ならなくなってもいいという発言をした。時間をかけて話をすれば、なるほどと思ってくれる人達は結構いるんですが、しかし一党の党首がそんなことを言ったら政権なんか取れるもんじゃないよという主張もわかりますから、言い方には気をつけなきゃいけないとはと思います。でも党の存在そのものが自己目的になってしまうような政党を私は作ったつもりはないし、民主党がそうなったとすればその存在価値はないんだからなくすべきだと今も思いますね。逆説的に言えばそうならないように努力する事で自民党と民主党の違いを際立たせることができる。一方は党のために、一方は国民のために存在しているんだというところを明らかに示せば民主党に求心力がでてきて党勢は拡大するんだと、そういう思いで申し上げたんです。


共に民主党を作った弟邦夫氏とは政党を異にしていますね。今の心境は。

複雑な心境っていうか、まあ仕方ないなという思いです。兄弟って正直言えば、同じ政党で競い合うより違う政党の方が、お互いに生きやすいのかなと思いますね。複雑なのは私より早く政治家になっていたが、私の方が政治改革の方向では前向きに見られ、さきがけや民主党を作っていくにしたがって私が前面に出て弟が兄を助けるということになった。でも弟の方がはるかに先に政治家になっているわけですから経験の違いというのは本人とすればなまやさしい話じゃない。私も代表や幹事長代理という立場で、心の中では弟と2人で行動できたら面白いなという気持ちもなかったわけじゃありませんが、逆にそれを抑えないと党としての存在を保てないところがあった。もっと陽の当たるところでやりたいと弟は思ってたんじゃないか。しかし立場上どうしても応えられない部分があったために同じ政党にいられなくなったということだと思いますね。今こういう状況になっているのは仕方がないのかなと思っていますが、政治家を離れれば今でも仲のいい兄弟なんです。ただ弟も政治的に兄貴を批判する事で自分の生き様を際立たせなければいけない時があって、それが兄弟の不仲説を作り上げたんだと思います。


世襲議員の多さをどう思いますか。

自分自身も4世です。私の場合は親の地盤を譲り受けたということではないんですけどね。そういう意味では純粋な二世議員ではないと思っています。でも鳩山という知名度で当選させてもらったことは間違いありません。今、衆議院の補欠選挙が行われていますが自民党の2人の候補は亡くなった人の息子や弟など世襲議員ですよね。その方が当選しやすいという日本が義理人情の社会になっているわけです。私は義理人情が悪いとは言いません。政治にも必要だと思います。でもその義理人情を利用して当選しやすい世襲議員を生み出してきた。その結果が情に支配される政治になって、地方へお金をばらまき、無駄遣いの激しい借金地獄の日本にしてしまった。だからここは辛くても情の部分をそれなりの覚悟で断ち切らなければいけない。私はこれから、例えば2親等以内の人は立候補出来ないという提案をしてみようかと思っているんですけど。アメリカかどこかでやっていると思うけど、お父さんが死んだ後、息子や孫、兄弟はでれないと、2親等以内は出馬出来ないというような法律を作らないと世襲議員はなくならないですね。当選しやすい党利党略で選ぶという方法は法的にシャットアウトするしかないのかなと思っています。やっぱりここまで日本を政治的にダメにしてしまった原因は世襲議員にも関係すると思えば、なんらか法的に制限しなきゃいけないと今思っています。


息子さんの政界入りを期待していますか。

これは全て本人の意思ですよね。私がお前やれよと言うつもりはありません。本人があらゆる職業を考えた中で、やっぱり政治家になりたいという話であれば否定はしません。ただ同じ選挙区からは出るなよというところだけは提示しないといけない。私より息子の方が政治家には向いているかもしれません。その誠実さや人間的な部分は非常に政治家に向いていると思います。だからといって、やれという話をこちらからもちかけるつもりはありません。


深刻化する子供達の非行をどう捉えていますか。

政治的な自立心を失っている大人達が、子供達の鏡にも映っている可能性は充分ありますね。大人達が役人や官僚に依存し、アメリカに依存してなんにも考えないで生きている。そういう親を見ているといかに生きるべきかなんていう自立心を子供達も持たなくなってくるわけですね。もうひとつ、私は家庭をものすごく大事に思っていて、家庭の中で本当の愛というものが極めて乏しくなっているんじゃないかと思うんです。お父さんやお母さんが働くようになったので子供に接するだけじゃなく愛情をやりとりする機会も減ってきています。機会が少ないものだから少ない接触で溺愛して何でも許してしまう。愛とはそうではなくて、子供の個としての存在を、尊敬をもって認めて自立を促すことです。非行はいけない、暴力はダメだと、それなりの刑罰は必要なところはあると思いますよ。でも政治が関心を高めて、厳罰に処することによって未然に非行化を防ごうとしても決してうまくいかないと私は思います。


青少年の非行の問題はその国のモラルのバロメーターでもありますね。

全くそう思います。教育基本法を変えればいいとか教育の分量を減らしてその分を精神修業にあてるとかいろんなことが言われてますが、対処療法的な発想で解決できるとは思えないですね。


行き場を失ったホームレスの人達の青テントが各地に点在しています。政治の冷たさを象徴するようなこの寒々とした光景は鳩山さんの視界に入っていますか。

毎日見ているという感じじゃないですが、時折上野公園などで多くの方々がテント生活されているのを見ればたまらないですよね。我々は今、ホームレスに対する法律を作っている最中です。ホームレスの人達のカウンセリングから始めて、また自立できるようにいかに温かく誘導できるかという内容です。風雨をしのぐための施設を作るだけじゃだめで、彼等にやる気を与え自立のための支援をやりたいと我々は法律を考えてきたわけです。


資産家の家に育った鳩山さんには、庶民の生活苦が理解できますか。

私はできると思っています。私の選挙区は日本の中でも経済的に疲弊しているところですから、苦しい事は間違いないです。その人達の気持ちと同じになれるかと言われれば全く同じにはなれてないと思う、現実にはね。鳩山一郎自身も最後の選挙までお坊ちゃん育ちと言われ続けてきた。でもそれは生まれた時の環境を言ったわけで、だから気持ちが分かるはずがないと言われたら決して私はそうは思いたくないし、そういう存在だったら政治家を辞めた方がいいと思います。経営に失敗するというのはひとつのゲームに挫けたような話で、もう一度新たな挑戦をしようじゃないかと。アメリカは日本以上に倒産が多いけれども、それ以上に新しい仕事をどんどん生み出す自立型の社会になってるから日本ほど苦しくないと見られている。私はそこだと思っています。経営に失敗したら命を失うような社会じゃなくて、日本は2度あることは3度あるで2度失敗したらもうお金は貸さないよというのじゃなくて、3度目の正直なんだから挑戦しようという意欲をいかに作るかが一番大事で、そのためのお手伝いをするのが政治だと思っています。自分が同じ立場にならなくても救う道は十分にあると思ってるし、小泉さんが痛みは伴いますよ、覚悟して下さいって言うけど、その言い方はないだろうと私は思いますね。だからといってお金を与えればいいんでしょうという立場じゃなくて、いかにして新しく生きる力を与えるかというところに政治がもっと前向きに支援すべきだと思います。確かにお坊ちゃん育ちで必ずしも一般的な生活から見れば違うと思いますけど、だからといってそういう人達の苦しみを理解できないという発想は全くないと思いますね。でも言われます。死ぬまで言われると思います。


友愛という哲学を根底にした政策作りが出来れば国民の共感を得られるのでは。

今まで、例えば障害者の人達は、みんな一緒に隔離して施設にいれましょうという、恵んであげる愛だったわけですよ。でも彼等が本当に期待しているのは自分の家でお母さんやお父さんと一緒に生活を送りたいということ。私の言う友愛は自立と共生で一人ひとりが自立することに喜びを感じるような社会を作ること。今まさに蛭田さんが言われた友愛を基軸にした政策を作るっていうのは、そこにあると思ってるんです。


経済至上主義に走るあまり、自然の恩恵を忘れ環境を破壊してきた。人間にとって真に豊かな社会を築くためには我々は何を為すべきか。

金儲け主義でやってきたら自然がいつのまにかなくなちゃった。そのしっぺ返しに今、あっているという状況ですよね。資源という制約の中で経済をどう導いていくかという資源制約型資本主義、あるいは環境資本主義というものがあるんだろうと思うんですね。この21世紀には全部なくなっちゃうんじゃないかというぐらい今の資源の減り方はめちゃくちゃなわけでしょう。私は自然を蘇らせるための21世紀にするべきだと思うんです。自然と人間だって友愛で結ばれるべきで、自然を畏れ感謝しながら自然が昔のように自立できるように、即ち魚が住み土が蘇るような川や海に戻して、そこで子供達が自然への感謝につつまれて愛というものを取り戻すことができると思っているんです。この瞬間の経済じゃなくて、50年100年200年あるいは1000年先の大きな流れの中で経済がかくあるべきだという方向性を見出していくことが大事で、そのためにも自然と人間が共生できる環境を、いかに経済活動の中で作り上げていくかが、最大のテーマだと思っているんですけどね。地球にとってのベストは、必ずしも人間にとってベストじゃないかも知れないが、そこを上手く共存していくために、物差し全体を大きく変えていかないと世界はもたないです。


以前、ある新聞の対談で中曽根康弘氏は「鳩山さんは総裁候補の器だと思う。非常におおらかで、長期的展望と広い視野、近代的知性、教養を持って政治を見つめている。人の話をよく聞く。このままおっとりといったら、相当なプロになる。天性の政治家、大変なウワバミと思う。」(記事より部分抜粋)とアドバイスの他、評価もしている。この鳩山評をどう思うか。

ウワバミってなんだかよく分からないところはあるんですけど。中曽根元総理とは今は立場を異にしていますし、彼の人生を100%評価する立場ではないんですけども、大変な勉強家であの歳でも私以上に勉強しておられるようでこちらが恥ずかしい思いをするくらいです。そういう方からそれなりの評価を頂くのは、非常に名誉な事だと率直に思いますね。政治家は大局観や時代認識を持たないといけないと思ってますから、そういう広い視野に基づいた的確な判断ができる政治家でありたいと思っていますね。おっとりって良いですね。今の政界でおっとりを認めてくれるといいですね。


将来、是非とも首相になってみたいと思っていますか。

この国の統治の最高責任者を任せられたら面白いなという気持ちと恐れと両方ありますね。小泉さんをハタで見ていて統治することの難しさをしみじみ感じますが政治家である以上、本来それを目指すべきだとは思う。だからといってその欲のためにあらゆる手段をつくすようなことはやるべきすいじゃないですが、総理という座を求められる器として行動すべきでしょうね。


政治家の自己実現にとっては首相は最適なポジションですよね。

自分の考え方を中心に政治を変えていくためには、最も望ましい役割を演ずることができる場所だとは思いますね。日本の首相の権限は結構強いですから。細川さんは首相は単なる会議の議長役だと言ってましたが、閣評を見てたらそんな感じでしたね。でも本当は結構権限あるんですよ。


小泉さんも首相になる前に、首相の権限って大きいから決断次第でたいていのことはできるんだというようなことを言ってましたが。

そうだと思います。まさに小泉さんが抵抗勢力をはねのけて自分の信念を貫き通るせるか、あるいは妥協して自分の身の安全を保つように行動してしまうか、そこは二律背反的な難しさがあるんですよね。総理に居つづけたいと思うと保身的な考えが先に出て、言いたい事が言えなくなる。そこの強さをどう持つか。総理であり続けたいという気持ちが強すぎると結果として政策を間違えるってことはあり得るんじゃないでしょうか。


政治家として自己採点すると自分に何点つけられるか。

政治家をやっている以上、自分を落第点と思ってたらやるべきじゃないですね。最低でも及第させないと。70点ぐらいは常に自分の点数として持ちつづけないと一生やるべきじゃないと思いますね。


国民の側からどう見ても落第点と思える政治家が目に付きますが。

自分が基準になって政治を私物化してしまうと、選挙は楽になるかもしれません。でも、それは政治家でいられるだけの話であって、必ずしも選挙に強い政治家がいい政治家だとは思っていないです。特に政権与党側に政権欲とか自己保身が出てしまいますから十分な、及第点をあげられない政治家は多いですよね。逆に民主党の若い連中は、この国の今の状態はいかんと、純粋な気持ちで政策の勉強してくれてますから、そういう人達は将来非常に有望だと思ってるし、名は売れていなくても及第点をあげられる政治家は沢山いますよ。


政治家として自分を誇れる点はなんですか。

先日の党首討論の後で純な鳩山としたたかな小泉と書かれました。政治家にはしたたかさが必要だということは否定しません。しかし自分が誇れる部分があるとすれば、純粋さを保ち続けたいという信念を持っていることだと思いますね。


足りない点は。

足りないところがあるとすればしたたかさをどうやって学ぶかですが。これは身につかないですね。いつまでたっても(笑)


その努力はされているんですか。

いや、してないです。


不要なものであると。

サポートしてくれる仲間たちがそのしたたさを補ってくれるのが一番いいんですが。鳩山一郎が倒れた時、三木武吉や河野一郎が彼を助けて総理にした。鳩山一郎の純情な思いを三木武吉という極めて有能でしたたかな男が、政略的な思いをはりめぐらせて政権の座につけてしまった。そういう知将を自分の近いところに作り出すのが大事じゃないかという気がします。


今、知将に相当する人が側にいないのですか。

いえ、何人かはいるんですけどね。そういう人達ともっと意志の疎通を計れるような自分を作るっていうことでしょうか。


不況や先行き不安におびえる国民を元気づけるために何を訴えたいか。

経済社会の中で勝ち負けが決められ、貧しい人や職業を見出せない人達が出てきているわけですね。今までの日本の経済は負けたら終わり、無限に責任をとりなさいという経済の原理だったんですが、そうじゃなくて負けてもその次がありますよというむしろ敗者に対して復活を保障できるような社会を作りたいと思っています。アメリカだと一回失敗したら、その経験を生かして次は頑張れと、その人に対してむしろお金が集まってくる。即ち三度目の正直ということです。日本だと一回失敗すると烙印が押されてしまって二度あることは三度あるとますます人が離れてしまうけれども、そうじゃなくて三度目は必ず成功するからと勇気づけを回りの人達が与えるような社会を作れば、この国は誇りを取り戻せると思うんです。敗者復活を支援するのが政府の役割で一時的に職業を失った人に雇用保険は必要だと思うが、お金を出せばいいっていう話じゃなくて、むしろ彼等にもっと勇気を与える役割が政府なんだと思うんです。


有珠山噴火による地元の被害の状況は今どうなっていますか。

お陰様で観光客も大分戻ってきています。8割ぐらい、それ以上戻ってきているかもしれません。ただ温泉街全体をこれからどう火山と一緒に共生させていくかっていうのは結構難しい話です。今、住民の間で国の政策が非常に問題になっていて我々に様々な要望がきています。たとえば、ゾーニングと言って地域を危険なところ、やや危険なところ、安全なところと色分けしているのですが、やや危険なところが一番問題で、そう指定されると商売する人はいない、けれどもそこから外へ移りたくても政府が支援するわけでもない。じゃあ、どうすればいいんだと。


地元選挙区の皆さんにはどんな思いを抱いていますか。

全く親類縁者が一人もいない北海道の室蘭に移り住んで、政治家としての資質もよく分からない、そういう私を15年間にわたって支えつづけてもらっているわけです。この土地の人間だとも見て下さっています。みんなの温かさが伝わるんですね。よく帰ってきたなと喜んでもらえる。そこまで親しんで頂いているのは有難いことだと思っています。ならば私が地元のために、いわゆる利益誘導型の政治をしているかというと、むしろその利益誘導型の政治がいけないんだと、こういう政治が今の政治を悪くしてしまったんだと言い続けてきたわけですから地元の人達から見ると、なんだ全然オレ達に恩返しもしてないじゃないかという思いを持たれたとしても不思議じゃないですよね。当然、地域のために最低限やらなきゃいけない事はしているつもりです。まさに地域主権の時代ですから東京よりも地域の方がはるかに活き活きと暮らせる社会を造ろうと思って政治家になっているんですが、でもそこは未来の話で政権を取っていない今、鳩山がいいこと言ったって実現できないじゃないかっていう思いを持っておられると思うんですね。有珠山の噴火の時、盛んに言われましたね、噴火があっても公共事業は要らないのかと。そんな十把ひとからげに全ての公共事業が要らないなんて言ってるわけじゃなくて、まさに緊急を要する事業とそうでないのがあるじゃないですかっていう話なのに、そこを逆手に使われて鳩山批判する内容で叩かれましたね。でも必死に踏ん張ってくれる地元の支持者達って本当に有難いことですね。前回はギリギリの戦いでしたけれども勝たして頂くことができたし、これからも勝つための政治よりも、より良い世の中を作り出していくための政治家でありたいと思っているもんですから、選挙は常に厳しいと思うんです。日本で最も景気対策が必要と思われ、人口減少の最も激しい地域で私を理解してくれる人達が一番多いということは、この国民は捨てたもんじゃないぞという気持ちになりますね。だから本当に感謝の言葉しかないんです。しかも民主党の代表という立場上めったにお目にかかって人間的なお付き合いをすることができないでいます。そんな環境を多くの地元の人達が分かったよ鳩山、思う存分やれと、後援会長も大変激烈に応援してくれてますから有難いですね。


自分の信念はこれからも変えることはないと。

鳩山は選挙に弱いんだから、地元に戻って地元のためにもっと働くような政治家になれと言われることがあります。そういう声に押されて本当にやらなきゃならない活動をおろそかにしてしまったら、元も子もないと思ってますからね。信念は変えませんよ。信念を変える時は政治家を辞めるときです。鳩山さんにとっての理想的国家像とはどういうものですか。一言で言えば尊厳のある国ですね。国としての生き様を見せながら、他の国からそのことによって尊敬される。そういう国家としての理想の姿を目指したいですね。別な言い方をすれば友愛国家像なんです。


実現の希望はありますか。

希望は持っていますけど、相当困難です。お金や物欲で社会を動かしてきた価値観が、今の日本の崖っぷちの状態を作り出してきたということを考えれば、新しい価値観がこの国に必要になってきていると思います。価値観の転換が急務ではないかと思いますね。それができるかといえば、今の政権ではできないと思いますが、私が政権を取った時に、そういう世の中を作り上げたい。それが政治家になって最もやらなきゃならない仕事だと思うんです。


今後の政治活動の最大の目標はなんですか。


2002年の3月には金融面でも危機的な状況を迎える可能性がある中で、破滅のシナリオからいかに日本を救い出すかということだと思っています。それは本来政権がやるべきものですが政権が担わないのなら我々がやるぞという話です。一番先にやらなきゃならないのが不良債権の処理です。全くやろうとしていない対応のなさが今の経済をさらに悪化させている。日本の破滅のシナリオを考えると残りがそれほどないので、小泉政権がやらなければ我々に日本を破局から救い出すための仕事を任せてくださいという話になりますね。小泉さんにあなたの責任でやるべきではないかと申し上げてきたわけですが、今日に至っても重い腰が上がらないということであれば2002年の状況は相当緊迫してくると思いますね。全ての銀行を国有化するぐらいの相当大胆なシナリオを書かないとこの国はもたないところまで来ていると思っています。それをやり切れるかやり切れないかです。


最後の質問です。鳩山さんを政治活動にかりたてる原点はなんですか。

原点は愛です。愛が全てじゃないでしょうか。政治に本来最も必要な愛とか友愛という考え方が余りにも希薄すぎている。愛をもっと堂々と論議できるような政治にしなければいけません。その思いが私の原点です。従ってずっと言い続けて来た友愛社会の実現というものを目指していきたいです。


フォト・インタビュー集「鳩山由紀夫」は、人物写真家の蛭田有一氏が1998年より4年間、鳩山由紀夫を公私にわたり密着撮影したものです。
2002年4月、求龍堂より刊行
版型 220×270mm
写真166頁、インタビュー28頁で構成
価格 3000円(税込)
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