現地の写真を手に、南京で見た様子を語る三谷翔さん(左)と松岡環さん=大阪府内南京入城式の日に行進する旧日本軍=1937年12月、中国・南京
日中戦争開始から5カ月後の1937年12月、旧日本軍の南京攻略戦に参加した元海軍兵士が、現地で目撃した光景を語る集会が5日、大阪市である。12年前、初めて証言した時は「虐殺」を否定する人たちからの反応が気になりついたて越しだったが、今回は素顔を見せて語る。いま90歳。最後の生き残り世代として「ほんまに見たんや」と伝える責任があるから、という。(武田肇)
大阪府在住の三谷翔(みたに・しょう)さん。37年6月、18歳の時、志願して佐世保の海兵団に入った。同10月、3等水兵として駆逐艦「海風(うみかぜ)」に乗り組み中国へ。揚子江遡行(そこう)部隊として南京に向かった。
三谷さんによると、自分の身長ほどの高さの死体の山を見たのは12月17日、日本軍の南京入城式に参加するため上陸した時だ。後ろ手に縛られた人や、縄で数珠つなぎにされた人々が、弾痕や銃剣で刺されたあとをさらして折り重なっていた。
「兵隊の格好をしたもんはおらんかった。首のない死体は切り口が内側にくぼみ、ゼリーのように固まっていた」
翌日、停泊する駆逐艦で見張りをしていた三谷さんは「ドドドド」という音を聞いた。川岸を見ると、機関銃が火花を上げ、バタバタと人の群れが崩れていった。「日本軍兵士が中国人を集めていっぺんに殺していた。1時間おきくらいに20、30人ほど運ばれてきては、同じように殺された」
防衛省防衛研究所図書館が所蔵する「第二十四駆逐隊 支那事変日誌」によると、「海風」は12月12日に南京攻略戦で陸上部隊を支援する任務につき、中国軍のトーチカや砲台を砲撃。同17日の南京入城式に陸戦隊員を派遣。その後、南京やその周辺の警戒にあたり、同30日に佐世保に向けて出港した。