特集

歩む前へ/国見平スキー場責任者 佐々木正則さん/宝のゲレンデ守った

営業再開に向け、ペアリフトを検査する佐々木さん(右)

<家族で乗って>
 山が目覚めた。
 「ウィーン、ウィーン」。岩手・宮城内陸地震で被災した奥州市衣川区の国見平スキー場。低い金属音に、驚いた鳥が飛び交う。リフトの試運転が始まった。

 「ようやく動いた。見ていると苦労が吹き飛ぶよ。感無量」。市衣川総合支所農林商工観光課の主査で、スキー場の現場責任者を務める佐々木正則さん(52)の顔は晴れやかだ。

 内陸地震で昨季は休業を余儀なくされた。19日、2季ぶりに営業を再開する。今季は新たにペアリフトを導入した。「家族連れのお客さんにも安心して乗ってほしい」と佐々木さん。「ペアリフトは国見平の再出発のシンボルだからね」

<閉鎖の危機も>
 市直営の国見平スキー場は旧衣川村時代の1979年にオープンした。広さ23ヘクタール、標高差250メートルで、最長滑走は1000メートル。岩手県南、宮城県北の愛好者に親しまれ、ピークの80年代後半は年6万人、ここ数年も年約1万人が訪れた。衣川スキー協会顧問の大石恒夫さん(66)は「子どもたちのいい練習場だった」という。

 佐々木さんの「山」への思い入れは人一倍、強い。スキー場勤務は通算で12年になる。10年ぶりに戻った昨年。ゲレンデににぎわいを出そうと張り切っていたところに、地震が襲った。

 3基あるリフトは2基が壊れた。特に第1リフトは支柱からワイヤが完全に外れ、空中に垂れ下がった。食堂が入ったセンターハウスも、ありとあらゆる棚が倒れ、割れた皿や丼などが散乱。水源の沢さえ枯渇した。県道からのアクセス道路は、ズタズタになった。

 「全身から力が抜けていった。もう二度と営業できないような感じだった」
 このまま閉鎖されてしまうのでないか。市の財政難、スキー人口の減少といったマイナス要素が重くのしかかる。弱気になりそうな佐々木さんを支えたのは、地域の住民の熱意だった。

<住民が後押し>
 市は昨年11月、施設の再建に向け、住民を加えたプロジェクト委員会を設立した。話し合いでは住民から意見や要望が次々と出た。

 「子どもたちのためにスキー場を残したい」「地域に愛されるレジャー施設にしよう」
 佐々木さんに希望がわいた。「こんなにもスキー場に期待しているのか。よし頑張ろう。山に歓声を取り戻そう」。ペアリフトは「親子で楽しめるスキー場に」と、委員会がまとめたアイデアだ。

 住民の声に押されるように、市は災害復旧費で道路の補修などに乗り出した。傷んだ第1リフトが1億4400万円でペアリフトに生まれ変わった。
 リフトの点検・調整、食堂の準備、ポスターの作製…。佐々木さんは今、営業再開の準備に追われる。

 「規模は小さいが、ここは地域の宝。誰でも気軽に楽しめる温かみのあるスキー場にしたい」
 復興のリフトが親子で埋まる日を思い、雪を待つ。(水沢支局・宮崎伸一)


2009年12月04日金曜日

Ads by Google

△先頭に戻る

特集
»一覧
新着情報
»一覧
  • 47NEWS
  • 47CULB