生中継の魅力を自ら放棄するTV局月刊ビジネスアスキー12月 1日(火) 22時29分配信 / エンターテインメント - エンタメ総合究極の氷上美を競うフィギュア・スケートのグランプリシーズ第2戦は、男子は織田選手が2位に入り、女子は安藤美姫選手が逆転で優勝を飾った。だが、その瞬間を見届けた日本人はどれくらいいただろう。残念なことに、またしてもテレビの中継は1日遅れの録画放送であった。 フィギュア・スケートに限らず、わが国のスポーツ中継は録画放送が多い。だが、結果が分かっているスポーツ中継に、どれだけの価値があるのだろう。それは、結果が分からないまま、試合終了を伝えることなく放送を終了した、かつてのプロ野球中継とちょうど裏返しに見える。その結果、テレビはプロ野球という、潜在力のあるコンテンツを自らの手で殺してしまった。 あえて言ってしまえば、テレビの最大の魅力は、今起こっていること、これから何が映し出されるのか分からないというスリルを伝えることにある。視聴者を歴史の証人として、巻き込んでいく力が人々の熱狂を呼ぶ。早朝、あるいは午前中という悪条件にもかかわらずWBCが高視聴率を記録したのは記憶に新しい。これはスポーツ中継だけでなく、スペースシャトルの打ち上げやあさま山荘事件などドキュメンタリーや報道の分野でも同様だ。 それがなぜ普段からできないのか。なぜわざわざ定められた放送枠に編集した録画を放送するのか。大きな理由は、ネット局の放送枠調整の問題、あるいはCM枠の問題だろう。ネット局やスポンサーの意向を優先した結果、テレビは肝心の視聴者からそっぽを向かれつつある。テレビ局が自らの手で最も有力なコンテンツを封印していることを考えれば、むしろ当然のことのように思える。 ■いまどきのユーザーは必要ならタイムシフトとCM早送りで見る 長年テレビは、お茶の間への情報提供者として圧倒的な地位を誇ってきた。おおよそ世の中すべての情報は、テレビが伝えるまで一般人が知り得るものではなかった。たとえ録画であろうと、最初に録画が放送されるまでは、人々はそれを知り得ない。そうした奢りが、録画と生中継の違いを見えなくしたのだろう。 これを変えたのはインターネットだ。インターネットにより情報は瞬時に伝えられる。テレビが半日遅れの録画を放送する前に、結果はインターネットを通じて伝えられ、掲示板ではその結果が盛んに論じられる。録画中継が始まる頃には、それはすでに歴史の一部だ。 録画放送を行う理由の一つには、時差の関係で深夜や早朝になる中継を、多くの人が見やすい時間帯に放送したい、という親心もあるのかもしれない。確かにそれは、アポロが月に降り立った40年前なら感謝されたことだろう。しかし録画機とそれを用いたタイムシフト視聴が普及した今、わざわざテレビ局がタイムシ フトをしてくれる必要はない。見たいと思う視聴者は、自分の都合の良い時間に録画を見る。それどころか、山場の前にCMを挟もうとするあざとい演出には、タイムシフトとCM早送りで対抗するだけのしたたかさを持つのが今の視聴者だ。 録画というアーカイビング作業は、すでにテレビ局から視聴者の側にシフトしている。にもかかわらず、テレビ局の意識は40年前と何ら変わらないように思える。これでは、視聴者とのズレは広がっていくばかりだ。 文:元麻布春男
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