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1945(昭和20)年03月--日:専門学校体錬科教授要綱が制定。
1945(昭和20)年04月--日:学徒体錬特別要綱が制定。
1945(昭和20)年07月11日:文部省6局が5局となる。総務局、学徒動員局に改め、体育局を削除。
1945(昭和20)年08月06日:政治・一般、広島に原爆投下。(8月9日 長崎に投下。)。
1945(昭和20)年08月23日:ニューヨークで開催予定の明年の世界野球大会に、日本チームを招くことが決定
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年08月24日:戦争終結に伴う戦時関係諸訓令、学徒隊に関するものを全廃。学校教練教授要目ほか18件)
1945(昭和20)年08月26日: 次回オリンピツク大会を昭和23年に開催、會場は各國の投票で決定、と朝日が報ず。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年08月14日:政治・一般、ポツダム宣言受諾, 戦争終結。(9月2日、米艦ミズりー号上で、降伏文書に調印。)
1945(昭和20)年09月05日:文部省体育局を復活(体育課、勤労課、保健課を設置)、新日本国建設の教育方針を公布。
1945(昭和20)年09月10日:立川基地上空からDDT散布。
1945(昭和20)年09月15日:神宮外苑野球場、競技場などが進駐軍に接収決定。(1952年3月31日まで)
1945(昭和20)年09月15日:戦時体制の教育廃止と新教育の方向を指示すべく、文部省が「新日本建設ノ教育方針」を発表。
→【大場一義「体育と遊戯の奨励」】
1945(昭和20)年09月19日:文部省、武器引渡令に対する学校教練用銃兵器処理について通牒。
1945(昭和20)年09月21日:応召ならびに勤労動員解除された学徒のため臨時身体検査を施行。戦後初の身体検査。
1945(昭和20)年09月23日:厚生省、相撲・野球・庭球等、国民体育の復興を目指す。松村厚相談を「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年09月23日:関西ラグビークラブ対三高の試合開催。戦後初の運動競技試合。
1945(昭和20)年09月25日:戦時中に出来た「日本体育会」と「学徒体育振興会」を解散し、純民間の文化団体として新発足。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年10月25日:警視庁が、東京の待合・料理屋・バーなどの営業を許可。(1944年3月以降、非常時として閉鎖していた。)
1945(昭和20)年09月26日:文部省、連合国軍総司令部よりの命令に基づく校友会新発足に関して通牒。
1945(昭和20)年09月27日:マッカーサー元帥、厚生・保険確保を指令。
1945(昭和20)年10月01日:明大野球部、戦後復活の初練習。懐しグローヴの感觸。ネット裏には野菜畑
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年10月08日:全国体錬用具製造組合が本部に参集。厚生省役人も出席し運動用具の大量製産、年内増産を申し合わせ。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年10月09日:職業野球も復活。関東、関西に各4チーム。明年から華々しいリーグ戦がみられよう、と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】 →【毎日新聞】
1945(昭和20)年10月18日:終戦後初のボートレース、隅田川コースで開催。早、慶、帝、商、工、日の各大学、一高、外語も参加。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年10月24日:買い出しで命をつなぐ。まさに飢餓線の配給と「毎日」が報ず.
→【毎日新聞】
1945(昭和20)年10月25日:厚生省、体育運動実施に関する方針を通牒。
1945(昭和20)年10月26日:闇を食わない犠牲、亀尾東京高校教授の死を「毎日」が報ず。
→【毎日新聞】
1945(昭和20)年10月28日:戦後初の野球試合として、東京六大学OBによる紅白戦が実施される。
1945(昭和20)年11月01日:東京日比谷公園で、餓死対策国民大会。(この頃餓死者続出、上野駅で1日最高6人)
1945(昭和20)年11月01日:戦後初の秋場所、国技館での開幕が決まると「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年11月05日:日本排球協會を結成。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年11月06日:文部省、グライダ−・スポーツを廢止に。附屬器材等は科学工作用の教材に活用と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年11月06日:兵隊ごっこや柔剣道廃止、教授要目刷新。
→【毎日(東京)】
1945(昭和20)年11月06日:日本野球連盟、六球団が集まり連盟復活決める。
→【毎日(東京)】
1945(昭和20)年11月06日:GHQのW.マッカート、国民の娯楽を与える必要性から、プロ野球復興制作を急ぎ、日本野球連盟復活。
1945(昭和20)年11月07日:兵隊ごっこ武道の廃止。学校体育の根本刷新と「毎日」が報ず。
→【毎日新聞】
1945(昭和20)年11月08日:戦後初の大相撲秋場所開催をひかえ、土俵にも民主化の叫びと「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年11月16日:戦後初の大相撲本場所が両国国技館で復活。仕切り時間、幕内五分に短縮。
→【毎日(東京)】
1945(昭和20)年11月18日:全早慶野球試合、神宮球場で実施。
→【毎日新聞】
1945(昭和20)年11月18日:ボートレース復活。來月18日向島コースで関東インカレ開催。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年11月22日:日本野球連盟、復活後の初ゲームは東西対抗。プロ野球東西対抗試合を神宮球場で実施。23日まで。
→【朝日】
1945(昭和20)年11月24日:占領軍間で企画の太平洋オリンピック、日本でも試合開催予定あり、とその計画を「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年11月25日:69連勝の大横綱、双葉山定次、突然引退表明、年寄時津風を襲名。
→【毎日(東京)】
→【朝日新聞】
1945(昭和20)年11月29日:東京八王子でヤミのアルコールを飲みメチルアルコール中毒に、4人死亡。
1945(昭和20)年11月--日:文部省、「終戦に伴う体練科教授要目取扱に関する件」の通牒 軍国主義的色彩の払拭。
1945(昭和20)年11月--日:文部省、社会教育振興について訓令。
1945(昭和20)年12月01日:文部省、青少年団体育成協議会についての通牒。
1945(昭和20)年12月26日:文部省、青年学校教授および訓練指針および要目に関して通牒。
1945(昭和20)年12月26日:文部省、終戦に伴う体錬科教授要項(目)取扱いに関する件について禁止。
1945(昭和20)年12月27日:文部省、学徒の食糧増産について通牒。
1946(昭和21)年01月01日:アマチュア相撲を統制する日本相撲連盟発足。
1946(昭和21)年01月21日:GHQが、人身売買の公娼制度廃止を命令し、1万400人の娼婦が解放される。
1946(昭和21)年01月28日:朝日新聞社、大日本学徒体育振興協会と共催し全国9地域でスポーツ巡回学校開催を計画。「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年01月28日:警視庁が夜の女18人を初検挙する。
1946(昭和21)年01月28日:日本学校衛生会、財団法人として文部省から認可。
1946(昭和21)年01月30日:中等野球界展望し、力強い復活の芽生えはまづ各地球場施設から、と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年01月--日:米国教育使節団来日 報告書を提出。
1946(昭和21)年01月--日:一般社会人の体育が厚生省から文部省の学校体育と一元化。体育局に振興課(社会体育所管)を設置。
1946(昭和21)年01月--日:文部省、体錬科武道の教員免許を無効にする。
1946(昭和21)年02月10日:関西国民航空錬成場跡にローラースケート場開設。
1946(昭和21)年02月18日:巨人軍が松山市で戦後初のキャンプを実施。
1946(昭和21)年02月18日:北海道新聞、「青年にスポーツを与えよ」と題する社説を掲載。
1946(昭和21)年02月25日:中等野球連盟、朝日新聞大阪本社で代表20名を召集し創立
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年02月下旬:朝日新聞社、全国9地域でスポーツ巡回学校開催。陸上、蹴球、ラグビー、野球、籠球、排球の実施要領講習。
1946(昭和21)年02月--日:日本バドミントン協会創立。
1946(昭和21)年02月--日:政治・一般、農地改革、新円発行。
1946(昭和21)年03月05日:第一次米国教育使節団来日、教育の民主化、スポーツによる民主教育示唆。31日総司令部に報告書提出。
1946(昭和21)年03月06日:我が国最初のスポーツ紙「日刊スポーツ」創刊。
1946(昭和21)年03月07日:GHQ、全日本人にDDTを散布する計画を発表。3月15日に横浜桜木町駅で米軍によるDDT防疫開始。
1946(昭和21)年03月11日:東京六大学野球リーグが再開される。復活後の優勝は慶應義塾大学(6月19日)。
1946(昭和21)年03月15日:文部省、学校伝染病予防に関する件を通達。疱瘡・発疹チフスなどの流行への学校での対策指示。
1946(昭和21)年03月16日:「シラミ罷り通さず」と、横浜にDDTの関所。「毎日」が報ず。
→【毎日新聞】
1946(昭和21)年03月27日:文部省がソフトボール(プレーグランドボール)と相撲の普及に努めると発表。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年04月06日:昨年12月接収の両国国技館、今後進駐軍用体育館に。時間が許せば日本側の使用も許可と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年04月06日:今春は勝ち抜き試合、OB抜きで六大学野球を復活と、朝日新聞が報ず。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年04月14日:「ラジオ体操」放送が再開。新ラジオ体操、肉体の鍛練から舞踊的な感覚運動へ。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年04月17日:日本体育会、地方スポーツ懇談会を開催。
1946(昭和21)年04月19日:文部省、大衆スポーツ軟式野球のスポンジボール一万ダースを全各府県に配給。
1946(昭和21)年04月21日:銀座復興祭り実施。踊りよりも食欲の敗戦下の復興祭り。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年04月20日:プロ野球復活(後楽園球場の開幕)。第8回読売旗争奪戦。
1946(昭和21)年04月27日:後楽園と西宮球場で初のリーグ戦開始。巨人、猛虎、阪急、近鉄、青踏、金星、大平、中部の8球団。
1946(昭和21)年05月中旬:文部省体育局、戦前37年と45年の児童体位比較。都市国民学校6年女子で体重2.2Kg、身長4.4cm萎縮。
1946(昭和21)年05月19日:東京六大学野球が復活。
1946(昭和21)年05月23日:映画「はたちの青春」(幾野道子主演)封切。初めて接吻画面を見せる。
1946(昭和21)年05月30日:文部省、社会体育運動の普及奨励をはかるため、体育施設の復旧ならびに拡充のための会議開催を指示。
1946(昭和21)年05月--日:日本厚生協会を日本厚生(運動)連合と改める。
1946(昭和21)年06月10日:プールも防火用水から水泳場に復帰(復員)。復員プールでの「河童天国」出現。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年06月13日:戸山学校跡に総合体育場。健全スポーツの育成を都で計画と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年06月15日:戦後初の六大学野球リーグ戦、早慶戦が行われ徹夜組も含め超満員。全勝慶応、4対0で早大を破る。
→【毎日新聞】
1946(昭和21)年06月28日:文部省、秩序運動に必要な号令や隊列行進、徒手体操などは、非軍事的態度で行うよう通牒。
1946(昭和21)年06月29日:野球くじ発売。
1946(昭和21)年07月14日:大峰山の女子開放を目指し、近畿登山協会女子登山隊20名が登山決行。信徒総代らにより阻止され下山。
1946(昭和21)年07月20日:朝日新聞西部本社、社会部に運動課を設置。11月1日に運動部に昇格。
1946(昭和21)年07月28日:都民へ惠みの涼風。都教育局が国民学校や中等学校250箇所のプールを開放する計画、と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年08月01日:日本フェンシング協会結成。
1946(昭和21)年08月03日:「難しいラジオ体操」(19日付投書)にかかわる創案者の意見(リズム運動の重要性等)を「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年08月09日:第1回国民体育大会(夏季大会:水泳大会)が開会される。秋季大会は24競技で11月1日に開催。
1946(昭和21)年08月14日:朝日新聞が社説「スポーツ界の明朗化」を掲載。スポーツの復興とその健全な発展を強調。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年08月15日:全国中等学校野球大会開催(戦後の復活)。浪華商業が優勝(21日)。
1946(昭和21)年08月25日:文部省、「社会体育実施に関する件」を通牒。禁止すべき種目、奨励すべき種目など諸注意を喚起。
1946(昭和21)年08月25日:社会体育としての剣道に制限措置がとられる。
1946(昭和21)年08月26日:日本軟式野球連盟創立。
1946(昭和21)年08月--日:文部省、藤井寺球場で初のプレーグランドボール(ソフトボール)の講習会を開催。
1946(昭和21)年09月01日:「日本厚生協会」を「日本厚生運動連合」に改める。
1946(昭和21)年09月03日:文部省、学校給食の実施による生活要援護家庭の学童に対する措置について通牒。
1946(昭和21)年09月08日:「全日本学制水上選手権大会」(東京日大プール)の中継に、水中マイクロホンを使用。古橋広之進好記録。
1946(昭和21)年09月11日: 地域スポーツクラブ育成や体育指導員の養成など、文部省の体育奨励策を「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年09月21日:朝日新聞社、大日本体育会の各競技団体と図りスポ−ツ・コ−チ団を組織、と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年09月--日:日本厚生連合が文部省、厚生省両省が共管する団体となる。
1946(昭和21)年10月05日:朝日新聞社、関西スポーツ連合と共催で、市町村や学校を単位とする競技団体へコーチ派遣を計画と発表。
1946(昭和21)年10月08日:文部省、代用ワンアウトボールおよびスポンジボールを各府県に配給。
1946(昭和21)年10月11日:拳闘会館(後のボクシングホール)開館。第一回新人王予選開催。(49年10月5日閉館)
1946(昭和21)年10月14日:青少年犯罪が増加する中、文部省「青少年不良化防止対策要綱」決定、各地方に通牒。
→【朝日新聞】
1946(昭和21)年10月17日:東京府中競馬場、京都淀競馬場が、いずれも3年ぶりに再開。両競馬場あわせて1300万円の売上に。
1946(昭和21)年10月31日:大日本武徳会を解散。理事・評議員会の議を経て、自主的に解散を決定。
1946(昭和21)年11月05日:戦後初のプロ野球リーグ戦で近鉄が優勝。
1946(昭和21)年11月11日:文部省、社会体育振興のための、市区町村での体育指導員設置と補助金交付について通牒。
1946(昭和21)年12月04日:第日本体育会理事会、日本オリンピック委員会設立を決定。
1946(昭和21)年12月11日:学校給食実施の普及奨励、文部・厚生・農林3次官通達。小学校全児童を対象に、翌年1月から漸次開始。
1946(昭和21)年12月21日:日本学生野球協会成立、学生野球基準要綱きまる。
1946(昭和21)年12月23日:長崎民事部の建物で、ニブロ氏がスクエアダンスを指導。スクウェアダンス講習会の始まり。
1946(昭和21)年12月24日:IOCが第14会オリンピック大会(ロンドン大会)への日本・ドイツの不参加を決定。
1946(昭和21)年12月24日:日本体育指導者連盟結成。
1947(昭和22)年01月--日:政治・一般、マッカーサー21 ゼネスト中止命令。
1947(昭和22)年01月04日:関東学生箱根駅伝が復活。翌5日まで。
1947(昭和22)年01月06日:文部省、純血教育の実施について通達。
1947(昭和22)年01月15日:売淫処罰の勅令9号が公布される。
1947(昭和22)年01月15日:新宿帝都座5階劇場、初の額縁ヌードショー「ヴィーナスの誕生」開演。1回20円、定員420名、連日盛況。
1947(昭和22)年01月20日:東京都下で学校給食はじまる。おいしいなあ....顔をくずして喜ぶ学童。
→【朝日新聞】
1947(昭和22)年01月21日:新興宗教璽宇教の教祖璽光尊(じこうそん)と、幹部の元横綱双葉山らが食糧管理法違反で逮捕。
1947(昭和22)年01月22日:甲子園球場が接収解除されて使用が可能に。
1947(昭和22)年01月25日:第一回国民体育大会(冬季大会)を青森県八戸で開催。輸送事情悪化でスキーは中止。スケートのみ。
1947(昭和22)年01月26日:教わるより学びとる。子供の世界と生活を活かす新6・3制の新教育を、「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1947(昭和22)年01月--日:学校給食実施。
1947(昭和22)年02月01日:文部省、28日まで食生活の改善に学徒の関心を深め、学校を中心とする栄養教育実践強調運動を実施。
1947(昭和22)年02月21日:大日本体育会医事部、岸記念体育館内に体育医事相談所を開設、と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1947(昭和22)年03月01日:日本学生野球協会規約規程。
1947(昭和22)年03月16日:第一回「東京都復興宝くじ」を発売。現在の東京都宝くじの始まり。
1947(昭和22)年03月19日:厚生省に児童局が新設。 1947(昭和22)年03月24日:学校給食委員会規程きまる。
1947(昭和22)年03月30日:第19回全国選抜中等学校野球大会復活。翌4月7日まで。
1947(昭和22)年03月31日:教育基本法・学校教育法各公布(法)。6.3.3.4制を規定。
1947(昭和22)年04月01日:新学校教育法に基づき新学制が実施に。男女共学、6.3制義務教育始まる。
1947(昭和22)年04月03日:第10回読売旗争奪野球大会挙行。後楽園。
1947(昭和22)年04月08日:大日本体育会、アマチュア規定を作成・発表。
→【朝日新聞】
1947(昭和22)年04月15日:日本サイクリング協会設立総会。我が国最初のプロ・サイクリスト団体が発足。
1947(昭和22)年04月23日:東京六大学野球春のリーグ戦開催。慶応大学が8勝2敗で優勝。
1947(昭和22)年04月--日:大日本体育会アマチュア規定施行。
1947(昭和22)年05月03日:政治・一般、「日本国憲法」施行。(21年11月03日:日本国憲法公布)
1947(昭和22)年05月03日:日本野球連盟、新憲法施行を記念し、選手自由憲章を制定。
1947(昭和22)年05月03日:新憲法実施祝賀リズム体操大会、阪急西宮球場で開催。
1947(昭和22)年05月06日:文部省、養護教諭設置について通牒。
1947(昭和22)年05月08日:第一回100万人の舞踏会、後楽園で開催。翌9日まで。
1947(昭和22)年05月09日:文部省の世話で、「全国レクリエーション協議会」結成のための懇談会。
→【朝日新聞】
1947(昭和22)年05月21日:国立予防衛生研究所発足。
1947(昭和22)年05月26日:甲子園球場にラッキーゾーンが設けられる。
1947(昭和22)年05月21日:文部省、1932年当時の野球統制令(「野球の統制ならびに施行に関する件」)を廃止。
1947(昭和22)年05月30日:文部省、学生野球の施行について通牒。
1947(昭和22)年05月--日:東京レクリエーション協会発足。
1947(昭和22)年06月14日:日本アルプス開発の功労者英人故ウオルタ−・ウエストン氏の胸像除幕式。
→【朝日】
1947(昭和22)年06月29日:張り手の前田山が第39代横綱に。
1947(昭和22)年06月--日:学校体育指導要綱の作成・発行。
→【大場一義「体育と遊戯の奨励」】
1947(昭和22)年07月15日:学校体育指導要綱制定 体練科を体育科に改称。体育理論に「社会体育」が入る。
1947(昭和22)年07月19日:日本学生陸上競技大会復活。(神宮)
1947(昭和22)年07月26日:読売新聞社、自転車競争東京プロ選手権大会を後楽園で開催。
1947(昭和22)年08月09日:古橋広之進、400M自由形競泳(長水路)で4分38秒4の世界新記録樹立。以後2年間に23回世界記録を出す。
→【朝日新聞】
1947(昭和22)年08月13日:第29回全国中等学校優勝野球大会。甲子園。小倉中学が6対3で岐阜商業を破り優勝。19日まで。
1947(昭和22)年09月01日:ボクシング、第一回全日本チャンピオン決定戦で6人の初代王者決定。
1947(昭和22)年09月05日:改正保健所法公布。
1947(昭和22)年09月16日:文部・厚生・農林次官、学校給食計画の拡充について通牒。
1947(昭和22)年09月16日:東京六大学野球秋のリーグ戦開催。慶大が9勝1敗で連続優勝。
1947(昭和22)年10月04日:全日本陸上競技選手権大会、八幡で挙行。東京大阪以外の地方開催の最初。
1947(昭和22)年10月11日:山口良忠判事、配給食料による生活を守り、栄養失調で死亡。問題となる。
1947(昭和22)年10月12日:詐欺や強盗などの犯罪ともつながる、恐るべき子供の遊びについて「朝日新聞」が報ず。
→【朝日新聞】
1947(昭和22)年10月27日:第2回国民体育大会と同時に、第1回全国レクリエーション大会(金沢大会)開催。日本レク協議会発足。
1947(昭和22)年11月22日:東京ラグビー場(現秩父宮ラグビー場)完成。
1947(昭和22)年11月29日:第一回全国学校衛生大会、東京永田町小学校で開催。(1951年から全国学校保健大会と改称)
1947(昭和22)年11月--日:政治・一般、共同募金はじまる。
1947(昭和22)年11月--日:文部省、社会体育振興のため、市町村での体育指導員設置と補助金交付について通牒。
1947(昭和22)年12月01日:大蔵省、特等が100万円の宝くじの全国一斉発売。「100万円が当たったら」のソングも誕生。
1947(昭和22)年12月01日:日本赤十字社講堂で、運動医学講習会を開催。4日まで。
1947(昭和22)年12月07日:朝日新聞社と日本陸上競技連盟、第一回金栗賞マラソン大会を開催。(熊本)
1947(昭和22)年12月15日:大学基準協会、大学体育を正課に決定。
1947(昭和22)年12月24日:第一回学校給食記念日実施。
1947(昭和22)年--月--日:「労働基準法」制定。
1948(昭和23)年01月01日:児童福祉法施行。
1948(昭和23)年01月03日:プロ野球、名古屋に中日スタジアム完成。
1948(昭和23)年01月03日:復活後の第2回全国学生氷上競技選手権大会を、長野県松原湖で開催。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年01月19日:日本野球連盟代表者会議を箱根湯本で開催。公式試合の地方へ進出を検討。20日まで。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年01月19日:日本野球連盟代表者会議を箱根湯本で開催。(20日まで)フランチャイズ問題や公式試合の地方進出を検討。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年01月22日:古橋と山内が“アマ”違反? 大日本体育会理事会で問題視、娯樂放送に出て責めらる。水連で調査。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年01月30日:室内で大相撲や競技を。スポーツ館を日本相撲協会が建設。二月から工事に着手と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年01月27日:第一回東西学生選抜アメリカン・フットボール大会開催。
1948(昭和23)年02月04日:満一歳のスキーヤー出現。日光スキー場で話題にと「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年02月26日:学生が参加できる競技会、教育團体以外はだめと学生競技会主催の基準を文部省が決定。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年03月01日:文部省通達。学校体育研究会が小学校児童の対抗競技を禁止。中学生も遠征出来ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年03月01日:文部省、(社)日本野球連盟を認可。
1948(昭和23)年03月09日:日本レクリエーション協議会が財団法人日本レクリエーション協会に改称。
1948(昭和23)年03月28日:小学生対校競技は不可、中学生も遠征は出来ない。文部省が近く通達と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年03月29日:東京特種目陸上競技会開催、4種目で日本新記録出る。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年03月--日:厚生省児童局新設。
1948(昭和23)年04月05日:GHQの指令で、東京杉並区に「モデル保健所」開設。
1948(昭和23)年04月30日:読売新聞、健康相談欄をを新設。
1948(昭和23)年04月--日:「デイリー・スポーツ」紙創刊。
1948(昭和23)年05月02日:第一回全日本柔道選手権、講道館で開催。
1948(昭和23)年05月03日:サマータイム導入される。「夏時間では…」と注釈する氣象台...など。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年05月04日:新潟、長野、群馬の三県下に原因不明の伝染病、と「朝日新聞」が報ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年05月06日:新制大学で、体育が正課として独立。大学としては新しい試み。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年05月11日:「スポーツ用興奮剤(賦活剤)」、飲めば記録も楽に向上。第25回生理学会での話題を「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年05月12日:厚生省、児童福祉法に基づいて「母子手帳」の配布開始。(1965年に「母子健康手帳」と改称。)
1948(昭和23)年05月14日:厚生省、ふえる麻藥患者を今後どしどし強制収容。取締強化と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年05月22日:引揚げ孤児収容校の第2回対抗野球大会、都の主催で開催。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年05月24日:東京ラグビー場で日本に駐留しているニュージーランド軍と濠州軍との試合を公開
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年05月26日:神田共立講堂で、全国ファッション・ショー開催。入場者4,000人。
1948(昭和23)年05月--日:大阪府レクリエーション協会発足。都道府県レベルでの初の組織化。
1948(昭和23)年06月08日:GHQが自転車競技法案を認可。
1948(昭和23)年06月18日:東京都が学童ら90万を検便。寄生虫退治に270万円と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年06月19日:東京日比谷公園で、国際ボ−イスカウト大会開催。13ヶ国が参加。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年06月28日:「全国高等学校体育連盟」発足。
1948(昭和23)年06月30日:予防接種法公布。BCG接種が法制化される。
1948(昭和23)年07月03日:大浜パーク(南海電鉄沿線)開園。
1948(昭和23)年07月10日:風俗営業取締法公布。
1948(昭和23)年07月13日:改正競馬法、公布。9月11日に札幌で初の国営競馬開催。
1948(昭和23)年07月13日:優生保護法、公布。
母胎の生命健康を重視。人工妊娠中絶を認める。(9月11日施行。翌年6月改正。)
1948(昭和23)年07月15日:性病予防法、交付。(9月1日施行)
1948(昭和23)年07月15日:教育委員会法、公布。各教育委員会の事務局に、学校保健に従事する事務職員などを置くこと等。
1948(昭和23)年07月--日:国民の祝日に関する法律が施行。
1948(昭和23)年08月01日:自転車競技法公布。11月20日に最初の競輪が小倉市で開催。4日間で入場者5万5千人。
1948(昭和23)年08月06日:古橋広之進(日大)、1500m水泳に世界新記録(18分37秒)を樹立。
1948(昭和23)年08月08日:一高三高定期野球戦、第37回戦をもって閉幕。学制改革により、旧制高等学校の競技の終焉。
→【大和球士『真説日本野球史(明治編)』】
1948(昭和23)年08月13日:全国中等学校優勝野球大会、学制改革に伴い、「全国高等学校野球選手権大会」に改称。
1948(昭和23)年08月14日:日本脳炎、都内の患者数は1000名突破かと「毎日」が報ず。
→【毎日新聞】
1948(昭和23)年08月17日:プロ野球、初のナイターを横浜ゲーリック球場で実施(巨人対中日)。
1948(昭和23)年08月27日:米軍捕虜生体解剖事件(九大生体解剖事件)で、横浜軍事法廷、九州大教授ら5人に絞首刑の判決。
1948(昭和23)年08月31日:文部省、社会体育指導者講習会を東京女高師で開催。
1948(昭和23)年09月07日:第1回労働組合体育大会開催。
1948(昭和23)年09月11日:札幌で初の国営競馬開催。
1948(昭和23)年09月11日:第24回日本学生選手権大会、古橋広之進が800mに世界大記録。6月の記録を5秒6短縮。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年09月12日:400mも世界記録(4分33秒00)。学生水上の第三日、古橋広之進不死身の力泳。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年09月23日:第1回全国高等学校地区別野球大会、全国を8地区に分けて開催の計画と「朝日新聞」が報ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年10月19日:古橋広之進300mに世界新記録。3分20秒08。第三回国民体育大会水上競技で。ジャニーの記録を0秒2破る。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年10月21日:フランス全国ジュウドウ連盟から招かれた、柔道師範川石酒造之助六段が横浜港を出航。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年10月22日:薬剤師協会を創立総会、京大医学部薬理学講堂で開催。会長に刈米氏。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年10月29日:第二回全国レク大会(福岡県)開会。第三回国民体育大会(29日まで)と同時開催。
1948(昭和23)年11月01日:教育委員会発足。
1948(昭和23)年11月01日:自転車振興会連合会設立。
1948(昭和23)年11月13日:大日本体育会を「日本体育協会」と改称。
1948(昭和23)年11月14日: 東京ガール・スカウト、きのう第一回のラリーを都内久我山の立教女学院で開催。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年11月20日:小倉市が初の競輪を開催。窮乏する地方財政に活路。4日間で5万5千人参加、売上げ1973万円に。
1948(昭和23)年11月20日:秩父宮殿下ご臨席、46都道府県750名が参加。第一回全国勤労者陸上競技大会、埼玉県大宮で開催。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年11月21日:対校試合(日大対法大)で選手死亡。米式フットボールでの日本で最初の死亡事故。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年11月22日:日本の竹ポールで優勝と、米国スミス選手からお礼の手紙。「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年12月04日:農林省、初の競馬の「場外馬券」を銀座のプレイガイドで発売。
1948(昭和23)年12月06日:日本のオリンピック参加、マッカーサー元帥認めれば可能と米オリンピック委員長言明。「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年12月06日:日本スケート連盟と読売新聞社共催で、日本スケート連盟創立20周年記念祭を両国国技館で挙行。
1948(昭和23)年12月10日:高校野球は野球連盟で運営。学生野球協会と文部省が会談し、これまでの基準要綱を確認。
→【朝日新聞】
1948(昭和23)年12月--日:「児童福祉法」公布。
1948(昭和23)年--月--日:国家公務員法の施行。(第73条能率増進計画「元気回復に関する事項」)
1949(昭和24)年01月03日:女子走幅跳などを除外。オリンピック種目変更で、日本の有望種目が消滅と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年01月15日: 東日本で初の競輪(プロ・サイクル・レース)、大宮公園競輪場で開催。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年01月16日:米マイナー・リーグ代表訪日か。ショウネッシー会長の計画を「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年01月16日:日大の古橋と橋爪、1949年度朝日賞(体育賞)受賞。
1949(昭和24)年01月28日:柔道がフランスで大流行。パリ娘も大学生も、川石師範の復帰で拍車。フランスの現状を「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年01月30日:ヘルシンキ大会を目指し織田氏の米への派遣を決定。陸連、アメリカ陸上競技の新技術を視察。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年01月--日:東京新聞が世論科学協会と提携し、東京近郊14万以上の都市を対象に「あなたの楽しみ」調査実施。
1949(昭和24)年01月--日:前年より、北関東・東北地方で少年少女の人身売買事件続出。
1949(昭和24)年02月01日:文部省、学徒の対外試合について通牒。
1949(昭和24)年02月04日:48km耐久レースで2選手死亡。第4回北海道スキー選手権大会で替玉事故。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年02月05日:日本の国際卓球連盟の加盟を承認。
1949(昭和24)年02月05日:日本野球連盟、2日目の評議委員会で機構改革(コミッショナー制の採用など)について声明。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年02月07日:野球ストーブ・リーグ。くすぶる別所問題、道義知らぬ会社・選手と「朝日」が批判。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年02月16日:日本社会人野球協会発足。
1949(昭和24)年02月16日:全国民的「野球トバク」運動が必要。日本ノン・プロ野球連盟結成準備会に臨席のマーカット小將が忠告。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年02月23日:プロ野球が、コミッショナー制を導入。正力松太郎氏がコミッショナーに就任。
1949(昭和24)年03月02日:スポーツ使節に清川氏。水泳連盟からアメリカへ派遣を決定。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年03月19日:「学校身体検査規定」公布。
1949(昭和24)年03月20日:東京陸上競技協会記録会、中大練馬競技場でスターティング・ブロック初使用、軽量円盤投も初めて実施。
1949(昭和24)年03月25日:日本体育大学、設立許可。(1962年健康学科、65年武道学科を開設。)
1949(昭和24)年03月28日:小学校の先生100名参加し「リズム運動研究会」を開催。(3日間) レコード1万組を全国に配布。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年03月31日:日本ソフトボール協会創立。
1949(昭和24)年04月14日:プロ野球でいわゆる「ポカリ事件」。巨人監督の三原修が南海の筒井選手を殴って退場処分に。
1949(昭和24)年04月16日:競馬、初めて場外馬券発売所を開設。
1949(昭和24)年04月16日:大阪住之江競輪場で喧擾。(同様の事件、以後各地で発生)
1949(昭和24)年04月25日:バレーボールで誤って七階から落ちる。危ない屋上でのスポーツ。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年04月29日:日本およびドイツのオリンピック復帰勧告の声明。IOC総会が承認。
1949(昭和24)年04月01日:新制大学で体育が正課となる。
1949(昭和24)年04月--日:ボーイスカウト日本連盟発足、ガールスカウト日本連盟結成。
1949(昭和24)年04月29日:日本のオリンピック復帰をIOC総会が事実上承認。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年05月01日:東京教育大学で体育学部を開設。健康学科。(1964年健康教育学科と改称。1967年武道学科開設)
1949(昭和24)年05月05日:日本柔道連盟創立。第一回全日本柔道選手権大会を仮設国技館で開催。
1949(昭和24)年05月10日:妊娠中絶大幅に認めることに、「国会を通ればすぐに施行」と、「朝日新聞」報ず。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年05月11日:スポーツ議員連盟提唱の「スポーツ振興に関する決議案」が可決。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年05月16日:日本、世界保健機関(WHO)に加盟。
1949(昭和24)年05月26日:スポーツ振興会議創立、首相官邸で開催。
1949(昭和24)年05月28日:中学校の「体育科」を、「保健体育科」に改称。3年間に70時間保健学習を実施することになる。
1949(昭和24)年05月31日:「教育職員免許法」「教育職員免許施工例」が各々公布。「保健体育」「保健」の免許など。
1949(昭和24)年05月--日:日本レクリエーション協会で会報「レクリエーション」創刊号を発刊。第七巻で廃刊。
1949(昭和24)年05月--日:富山県レクリエーション協会発足。
1949(昭和24)年05月--日:酒類自由販売となる。
1949(昭和24)年06月01日:ビールの統制解除で、ビアホール再開。東京では21カ所。0.5リットル156円。
1949(昭和24)年06月01日:文部省、機構改革に伴い体育局廃止。初等中等教育、大学学術、社会教育などの各局に分散所管。
1949(昭和24)年06月10日:社会教育法交付、施行。(社会教育の定義、「レクリエーション」の法律用語化 第2条、第5条、第22条)
1949(昭和24)年06月17日:わが国の水泳が国際舞台へ、国際水連名誉主事リッター氏から復帰承認の電報届く。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年06月25日:高等学校の「体育科」が「保健体育科」と改称、「保健」「体育」の2科目となる。
1949(昭和24)年06月26日:日大対全東海水上競技大会で、古橋宏之進が800mに世界新記録(9分45秒6)。国際復帰に伴い記録申請第一号。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年06月--日:文部省の体育局廃止に伴い、レクリエーションと社会体育は社会教育局で所管され運動厚生課に。
1949(昭和24)年07月05日:保健体育審議会設置
1949(昭和24)年07月19日:渡米中の織田幹雄氏、アメリカの陸上競技界のシーズン終了に伴い近く渡欧の計画と「朝日」が報ず。。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年07月21日:レスリング国際連盟の総会で日本の国際復帰が正式に承認、と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年07月24日:シベリアから帰国したプロ野球選手水原茂が、ファンに復帰の挨拶。
1949(昭和24)年07月24日:全米大会への代表選手選考会を兼ね全日本水泳選手権大会を開催。渡米5選手は古橋、橋爪、浜口、村山、田中。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年07月24日:全日本選手権水上競技大会(最終日)に古橋が世界新記録。昨年より遅く400mに4分34秒6。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年07月--日:兵庫県レクリエーション協会発足
1949(昭和24)年08月08日:第一回全日本一般女子・高校女子ソフトボール選手権大会開催。9日まで。
1949(昭和24)年08月13日:全国高校野球選手権大会(甲子園)開催。湘南が岐阜を5-3で破り優勝。20日まで。
1949(昭和24)年08月16日:古橋広之進、ロサンゼルスの全米水上選手権で1500、800、400メートル自由型で世界新記録を樹立。
1949(昭和24)年08月17日:高校野球、九州小倉北高校の福島カズオ投手が準々決勝で敗退し、甲子園の土を持ち帰る。第一号。
1949(昭和24)年08月18日:日本自転車競技連盟、国際サイクリスト連合へ復帰。
1949(昭和24)年08月22日:日本レク協会が第一回レクリエーション指導者養成中央講習会を開催。文部省との共催、29日まで。
1949(昭和24)年08月--日:西武園開園。
1949(昭和24)年09月05日:文部省の新制大学体育研究協議会、スポーツを正科にと決定。今秋から大学で実施と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年09月23日:占領軍要員の制限緩和。日本人と友好増進 旅行、スポーツ参加、贈物も自由に。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年09月25日:東洋一の屋内競技場「日本スポーツセンター」が落成・開場式などの祝典。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年10月04日:東京都が健康優良児童審査会を開催。男6名、女5名を選定。上位各三名は全國審査に。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年10月12日:戦後初めて米野球チーム、サンフランシスコ・シールズ来日。
1949(昭和24)年10月13日:サンフランシスコ・シールズ野球團歓迎大会開催。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年10月15日:後楽園で巨人軍と第一戦。球場内でコカコーラを自由販売。
1949(昭和24)年10月16日:横綱前田山、秋場所を休場して東京に戻り、巨人との日米親善野球を見物。前田山事件(22日)の発端。
1949(昭和24)年10月18日:警視庁、少年ヒロポン患者の取締を命令。ヒロポン禍、問題化。
1949(昭和24)年10月21日:神奈川の川崎競輪で、参加28選手が出場して、我が国最初の女子選手権開催。
1949(昭和24)年10月22日:日本相撲協会、横綱前田山を不謹慎を理由に出場停止に。本場所を休場し野球見物をした件で処分。
1949(昭和24)年10月23日:横綱前田山、日本相撲協会の引退勧告を受けて、引退届を提出。
1949(昭和24)年10月23日:社説で「身体障害者を立たしめよ」と、身障者の更正・保護・補導の必要性について報ず。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年10月23日:日本児童愛護連盟主催、上野松坂屋で「赤ちゃん審査」復活。5日間で参加赤ちゃん5千人、約7百人が受賞。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年10月27日:9月25日開場以来、人気の東京芝公園スポーツセンター、会場の非常口設備が不備と「朝日」紙上で問題に。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年10月--日:第三回全国レクリエーション大会で、初めて社会体育優良団体を文部大臣が表彰。
1949(昭和24)年11月02日:第一回毎日スポーツ賞発表、受賞者は渡米水泳団(アマチュア)および藤村富美男(プロ)。
1949(昭和24)年11月03日:戦後初の全国健康優良児童の表彰、朝日新聞社主催、文部省・厚生省後援で行われる。
1949(昭和24)年11月06日:戦後初の全日本モーター・サイクル選手権、多摩川スピードウェーで開催。
1949(昭和24)年11月11日:メルボルン・オリンピック大会に日本の参加は反対。
オーストラリア移民相語る。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年11月23日:もめる日本野球連盟への加盟問題。結局2リーグ制か、と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年11月26日:太平洋野球連盟(パリーグ)結成。セリーグ結成は12月5日、以降はプロ野球2リーグ制に。
→【朝日新聞】 →【朝日新聞】
1949(昭和24)年11月30日:東京澁谷区猿楽小学校に奇病。「異型ショウコウ熱」が流行と「朝日」が報ず。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年11月--日:広島県レクリエーション協会発足。
1949(昭和24)年11月--日:政治・一般、湯川秀樹氏ノーベル物理学賞受賞。
1949(昭和24)年12月01日:政治・一般、お年玉つきの年賀郵便、新発売。
1949(昭和24)年12月25日:朝日スポーツ賞、アマチュア1位は古橋広之進(水泳)、プロ1位は藤村富美男(野球阪神)。
→【朝日新聞】
1949(昭和24)年--月--日:人事院能率局の中にレクリエーション課設置。人事院におけるレクリエーション活動が活発化。
1949(昭和24)年--月--日:政治・一般、三鷹事件(7月)や松川事件(8月)がおこる。
1949(昭和24)年--月--日:香川県香西小学校などで生活体育が提唱・実践。
→【大場一義「体育と遊戯の奨励」】
1950(昭和25)年01月02日:明治大学、戦後初のラグビーで学生王座に。
1950(昭和25)年01月14日:通産省、鳴尾競輪場騒擾事件に伴う措置要領、通達。翌15日自粛声明。(11月15日再開)
1950(昭和25)年01月26日:GHQのW.マッカート、プロ野球の選手引き抜き合戦の加熱に対し、単独コミッショナー制を提案。
1950(昭和25)年01月27日:プロ野球、西武ライオンズの前身にあたる西鉄クリッパーズが誕生。
1950(昭和25)年01月--日:政治・一般、千円札登場 年齢の数え方、満年齢に。
1950(昭和25)年02月05日:川崎競輪で八百長騒動。観衆暴徒化、売上金奪い去る。各地でも騒動頻発で、9月15日に通産省、全国競輪場の2ヶ月間の休場決定。
→【毎日新聞】
1950(昭和25)年02月06日:2リーグ制になりプロ野球選手引き抜き合戦が過熱、両リーグ会長が1リーグ時の状況に戻すことを決定。
1950(昭和25)年02月15日:人事院「国家公務員レクリエーション実施方針」決定。
1950(昭和25)年02月27日:日本相撲協会から諮問された候補力士を審査し、横綱を実質上決定する横綱審議委員会を設置。
1950(昭和25)年02月--日:人事院「国家公務員レクリエーション実施方針」を協議決定。
1950(昭和25)年03月02日:女子によるプロ野球の団体「日本女子野球連盟」発足。
1950(昭和25)年03月02日:プロ柔道の国際柔道協会発足
1950(昭和25)年03月05日:全日本剣道競技連盟創立。まもなく全日本撓(しない)競技連盟と改称。
1950(昭和25)年03月06日:「スポーツニッポン」創刊。
1950(昭和25)年03月09日:日本学生卓球連盟、受験替え玉事件で藤井選手を除名。
1950(昭和25)年03月11日:日本体育学会発足。(11月第一回大会を開催)
1950(昭和25)年04月01日:ドッズ師歓迎夜間陸上競技会開催。
1950(昭和25)年04月01日:鳥区駒場高校に保健体育科開設。公立高校で最初の保健体育専科。
1950(昭和25)年04月10日:日本初の女子プロ野球の初試合が後楽園球場で行われる。
1950(昭和25)年04月--日:「社会教育審議法令」公布。
1950(昭和25)年04月16日:プロ柔道として3月2日に発足した国際柔道協会が初興行。木村七段が優勝。
1950(昭和25)年04月22日:山本富士子、第一回ミス日本に選ばれる。読売新聞社他主催。
1950(昭和25)年04月--日:短期大学発足。149校のうち、私立132校、77校が女子短大。
1950(昭和25)年05月01日:精神衛生法、公布。
1950(昭和25)年05月13日:学校柔道復活に関する文部大臣請願書を、GHQに提出。
1950(昭和25)年05月15日:戦後外国体操選手として初めてアメリカ体操選手来日、日米交歓体操大会開催。
1950(昭和25)年05月19日:岡山県議会がエロ本取締条令を可決する。
1950(昭和25)年05月25日:文部省に学校給食課を新設。
1950(昭和25)年05月27日:小型自動車競争法公布。オートレースについて規定。
1950(昭和25)年05月--日:「文化財保護法」公布。
1950(昭和26)年05月--日:ラジオ体操復活、日本のWHO加盟を承認。
1950(昭和25)年06月12日:日本アマチュア・レスリング協会、国際アマチュア・レスリング連盟への参加を承認される。
1950(昭和25)年06月28日:藤本英雄投手(巨人)、青森でプロ野球初の完全試合(対西日本戦)を達成。
1950(昭和25)年06月--日:政治・一般、朝鮮戦争はじまる。
1950(昭和25)年07月05日:後楽園野球場で初ナイター。(大映対毎日戦)
1950(昭和25)年07月08日:ロレンス作・伊藤整訳「チャタレイ夫人の恋人」が発禁処分に。
1950(昭和25)年07月14日:日本ボウリング協会発足。
1950(昭和25)年07月24日:全国レクリエーション大会が国民体育大会から分離独立し、第四回帯広大会開催(27日まで)。
1950(昭和25)年07月--日:味噌、醤油統制廃止。
1950(昭和25)年08月04日:日米対抗水泳大会が東京・神宮プールで開催。6日まで。
1950(昭和25)年08月14日:文部省、8大都市の小学校に9月新学期からパン給食実施を発表。(52年4月に全国に拡大。)
1950(昭和25)年08月18日:体操協会とスケート協会、それぞれ国際連盟に復帰を許可。
1950(昭和25)年08月15日:大阪千日前に、アルサロ第一号店「ユメノクニ」が開店。
1950(昭和25)年08月23日:陸上競技協会が国際連盟に復帰を許可。
1950(昭和25)年08月26日:子どもクラブ全国大会(ジュニア・レクリエーション大会)開催。
1950(昭和25)年08月29日:IOC実行委員会、国際競技連盟が日本のオリンピック(ヘルシンキ大会)参加に同意した旨発表。
1950(昭和25)年08月--日:北海道レクリエーション協会発足。
1950(昭和25)年08月--日:東京に貸しおむつ出現。3枚1組4円。
1950(昭和25)年08月--日:ジュニアレクリエーション大会。
1950(昭和25)年08月--日:政治・一般、「警察予備隊令」公布。
1950(昭和25)年09月02日:後にプロレスラーに転向の関脇力道山、日本橋浜町の自宅で極秘にマゲを切り落とし、引退を決意。
1950(昭和25)年09月04日:日本最初のフェンシング・スタジオとして、武蔵野フェンシング・クラブ誕生。
1950(昭和25)年09月05日:鳴尾競輪で本命選手リタイア。大穴に激高した観衆と警察隊が衝突。死者1名、負傷者数十人。
1950(昭和25)年09月13日:GHQ、「学校柔道復活について」という覚書を日本政府に手交。これにより学校柔道の復活が許可。
1950(昭和25)年09月10日:初のノンプロ野球世界選手権が後楽園で開催。
1950(昭和25)年09月19日:ハンドボール協会、国際連盟に復帰を許可。
1950(昭和25)年09月22日:第二次米国教育使節団、マッカーサー宛報告書を提出。
1950(昭和25)年09月23日:蹴球協会、国際連盟に復帰を許可。
1950(昭和25)年09月--日:宮城県レクリエーション協会発足。
1950(昭和25)年10月01日:名古屋市金山体育館開館。
1950(昭和25)年10月01日:日活アイススケート場(「日活スポーツ・センター」)公開、戦後東京の唯一のもの。
1950(昭和25)年10月08日:全日本学生馬術大会、後楽園競輪場で開催。
1950(昭和25)年10月12日:重量挙げ、国際連盟に復帰を許可。
1950(昭和25)年10月13日:学校の体育教材として柔道の復活が認められる。(12月27日、学校柔道講習会を開催)
1950(昭和25)年10月24日:東洋フェザー級チャンピオンのピストン堀口、列車にはねられて死亡。36歳。
1950(昭和25)年10月25日:バスケットボール協会、国際連盟への復帰を許可。
1950(昭和25)年10月29日:船橋で開催のオートレースで初の投票券発売。
1950(昭和25)年10月31日:ボクシング協会、国際連盟に復帰を許可。
1950(昭和25)年11月03日:ホッケー協会、国際連盟に復帰を許可。
1950(昭和25)年11月19日:我が国で初めての公式女子ボクシング挙行される。広島市中央バレー・コート特設リンク)
1950(昭和25)年11月22日:プロ野球日本シリーズがスタート。(毎日オリオンズが優勝。)
1950(昭和25)年12月17日:我が国最初のサッカー場、横浜の保土ヶ谷公園に完成。
1950(昭和25)年12月29日:一般紙だった「報知新聞」がスポーツ紙(日刊紙)として発刊。
1950(昭和25)年--月--日:レクリエーション指導者の養成を背景に日本フォークダンス協会結成。
1950(昭和25)年--月--日:埼玉県レクリエーション協会発足。
1951(昭和26)年01月01日:読売新聞社、日本スポーツ賞を設定。
1951(昭和26)年01月03日:NHK、第一回紅白歌合戦をスタジオ放送。(大晦日の番組になったのは53年から)
1951(昭和26)年02月26日:最初の血液銀行(株)日本ブラッド=バンク、大阪に開業。
1951(昭和26)年02月28日:西鉄と西日本の合併球団の名称が「西鉄ライオンズ」と決定。
1951(昭和26)年02月--日:50年度大学・高専学制身体検査の結果、男子体位は戦前最高(39)年の水準に回復、女子は突破。
1951(昭和26)年03月01日:順天堂大学、体育学部設立認可。
1951(昭和26)年03月04日:印度ネール首相提唱、第一回アジア競技大会ニューデリーで開催。日本5競技に参加。56種目中24で優勝。
1951(昭和26)年03月--日:神奈川レクリエーション協会発足。
1951(昭和28)年03月31日:改正結核予防法、公布。BCGが強制接種となり、その是非が問題に。
1951(昭和26)年04月01日:東京銀座に、初めてトルコ風呂「東京温泉」開業。
1951(昭和26)年04月19日:第55回ボストンマラソンに日本人初参加。田中茂樹初優勝。参加総数153人で、日本からの参加は4人。
1951(昭和26)年04月--日:京都府レクリエーション協会、奈良県レクリエーション協会発足。
1951(昭和26)年05月03日:旭川東高生中尾昇、ボクシング試合で頭蓋骨骨折により死亡。
1951(昭和26)年05月04日:第一回全国しない競技大会を、東京日比谷公園で開催。
1951(昭和26)年05月05日:全日本柔道選手権大会で、審判の判定不信を理由に、柔道界初めての審判排斥騒ぎ。
1951(昭和26)年05月08日:IOC、日本の参加を決定。
1951(昭和26)年05月13日:日本体育協会、スポーツバッジテストを完成。
1951(昭和26)年05月13日:ラジオ体操復活。
1951(昭和26)年05月16日:文部省、小学校における健康教育の特設時間について通牒。
1951(昭和26)年05月--日:東京都レクリエーション連盟発足、新潟県レクリエーション協会発足。
1951(昭和26)年05月--日:日活スポーツ・センターで、アイススケートに加えてロータースケートが開始される。
1951(昭和26)年06月01日:三共製薬、カゼ薬「ルル」を発売。。
1951(昭和26)年06月03日:NHK、テレビ実験放送で初の実況中継。後楽園球場から日本橋三越の電波展覧会へプロ野球放送。
1951(昭和26)年06月03日:第18回日本ダービー開催。トキノミノル(大映社長、永田雅一氏の持ち馬)が優勝。
1951(昭和26)年06月08日:千代ノ山雅信、第41代横綱を免許される。
1951(昭和26)年06月17日:関西学生柔道連盟結成。
1951(昭和26)年06月18日:6月5日に衆議院で可決されたモーターボート競走法公布。即日施行。
1951(昭和26)年06月20日:医薬分業法が公布。医師は処方箋を交付するのみで、直接薬を売買することが出来なくなる。
1951(昭和26)年06月21日:プロ野球協定発効。
1951(昭和26)年06月--日:政治・一般、ユネスコ総会、日本加盟承認。
1951(昭和26)年07月04日:甲子園で、第1回プロ野球オールスターゲームが行われる。
1951(昭和26)年07月20日:政治・一般、日本放送連盟結成。民間放送開局へ。
1951(昭和26)年07月25日:熊本市で戦後初の国際陸上試合(日米陸上大会)を開催。
1951(昭和26)年08月--日:「思想」8月号で戦後初の大衆娯楽論を特集。清水幾太郎「大衆娯楽について」他。
1951(昭和26)年08月--日:生活難から児童福祉法違反事件(人身売買)激増。山形、東京、福岡、奈良など、訳5,000人。
1951(昭和26)年09月02日:新日本放送、甲子園の日米親善野球中継に中沢不二雄を解説に起用。初の解説付き実況。
1951(昭和26)年09月30日:不具児童救済資金募集を目的に、米・カナダ・仏などの外国人6名、初めてプロレス試合を開催。
1951(昭和26)年09月--日:政治・一般,「対日平和条約」締結、「日米安全保障条約」調印。
1951(昭和26)年10月01日:東芝川崎本社において「職場体育主管者会議」が誕生。
1951(昭和26)年10月06日:第1回全国学校保健大会を福岡で開催。
1951(昭和26)年10月06日:日本グライダー・クラブ創立。
1951(昭和26)年10月16日:日本ユースホステル協会結成。
1951(昭和26)年10月20日:全日本学生柔道連盟結成。同連盟主催全日本学生柔道選手権大会、全日本東西学生柔道選手権大会開催。
1951(昭和26)年10月28日:力道山対ボビー・ブランズ戦。日本人参加の最初のプロレス実施。結果は引き分け。
1951(昭和26)年10月--日:滋賀県レクリエーション協会発足。
1951(昭和26)年10月--日:主食統制廃止。
1951(昭和26)年10月--日:日本ソフトボール協会、国際連盟への加盟が承認に。
1951(昭和26)年11月01日:東京スケート・リンクが、新宿歌舞伎町に会場。
1951(昭和26)年11月02日:矯風会80団体、公娼制度復活反対協議会を結成。
1951(昭和26)年11月13日:第一回青森・東京間駅伝(55区759km)開催。
1951(昭和26)年12月02日:渋谷のデパート屋上に藁製のスキー滑走路が施設され、スキー連盟の無料コーチを実施。9日まで。
1951(昭和26)年12月06日:パリで国際柔道連盟結成。会長に嘉納履正が就任。
1951(昭和26)年--月--日:日本レクリエーション協会がレクリエーション指導者検定規程を制定。
1951(昭和26)年--月--日:朝日新聞社主催、文部省・厚生省後援で、健康優良学校中央表彰が戦後初めて行われる。
1952(昭和27)年01月12日:新日本放送、ラジオ東京、中部日本放送、ラジオ九州の4社共同で、商業放送最初の大相撲放送開始。
1952(昭和27)年01月31日:第19回世界卓球選手権大会(ボンベイ)に日本チーム初参加。2月10日まで。団体女子など4種目に優勝。
1952(昭和27)年02月18日:第1回全日本プロ自転車選手権大会、後楽園で開催。
1952(昭和27)年02月27日:秋田赤十字病院で、Rhマイナス因子の血液を持つ赤ちゃんの血液総入れ替え手術成功。
1952(昭和27)年03月16日:日本グライダー連盟結成。
1952(昭和27)年03月12日:日大の入学案内に、水泳古橋やマラソン田中選手の名前を使用した疑いで、アマチュア規程違反が問題に。
1952(昭和27)年03月26日:明治神宮外苑14万坪と外苑内各種競技場、接収解除で変換に決定。運営委員会設置。
1952(昭和27)年04月01日:GHQ、講和条約発効を前に、新宮外苑の各競技場、メモリアルホール(旧国技館)など接収解除。
1952(昭和27)年04月06日:長崎県大村市で、競艇が初めて開催。
1952(昭和27)年04月10日:文部省、中学校以上の体育教材に竹刀競技を採用してもよいと通達。
1952(昭和27)年04月10日:NHK、「君の名は」放送開始。人気集め、真智子巻き流行。
1952(昭和27)年04月28日:政治・一般、対日平和条約、日米安全保障条約が各々発効。(講和条約を締結、独立達成)
1952(昭和27)年04月--日:福井県レクリエーション協会発足。
1952(昭和27)年05月01日:政治・一般、血のメーデー事件(第23回)。デモ隊6000人警官隊5000人と乱闘。2名射殺、1230人検挙。
1952(昭和27)年05月10日:ボクシングの荒井選手(神奈川大)、頭蓋底骨骨折、脳内出血で死亡。
1952(昭和27)年05月19日:白井義男、ボクシング世界フライ級タイトルマッチでマリノを破り、日本人初の世界選手権を獲得。
1952(昭和27)年05月23日:文部省、学校給食の衛生管理の徹底について通達。(以後もたびたび同趣旨の通達あり。)
1952(昭和27)年05月--日:愛知県レクリエーション協会発足。
1952(昭和27)年06月02日:オリンピック陸上選手尾形、心臓肥大のため代表を辞退取り消し。
1952(昭和27)年06月--日:麦、砂糖十三年ぶりに統制撤廃。
1952(昭和27)年07月16日:福岡平和台球場の西鉄-毎日戦で、観客500人大乱闘。ノーゲームを狙っての引き延ばし作戦が原因で。
1952(昭和27)年07月19日:第15回オリンピックヘルシンキ大会開催。戦後初参加。8月3日まで。レスリングバンダム級石井庄八優勝
1952(昭和27)年07月29日:日本国際カヌー競技連盟への加盟を承認される。
1952(昭和27)年07月31日:栄養改善法公布。
1952(昭和27)年夏----日:透視ナイロンブラウス流行。
1952(昭和27)年08月02日:第1回全国高等学校柔道大会、茨城県体育館で開催。3日まで。
1952(昭和27)年08月05日:日米大学野球選手権、4勝3敗でアメリカ太平洋沿岸選抜が勝利。
1952(昭和27)年08月11日:全日本学生重量挙げ連盟結成。
1952(昭和27)年08月20日:第6回全国レク大会(熊本市)に全米レクリエーション協会からトーマス・リバース夫妻参加。
1952(昭和27)年08月22日:第1回全日本大学野球選手権大会が神宮球場で開催。慶応大学が優勝(5対3で関学大を破る)。
1952(昭和27)年09月08日:全オックスフォード大学のラグビーチームが来日。7試合全勝。10月6日まで。
1952(昭和27)年09月14日:第1回全日本学生柔道優勝大会、蔵前国技館で開催。
1952(昭和27)年09月21日:大相撲秋場所、4本柱を廃止して吊り屋根に4色の房をさげた土俵で開始。1年4場所制に。
1952(昭和27)年09月21日:全日本剣道連盟結成。
1952(昭和27)年10月11日:神宮球場から東京六大学野球実況をテレビ実験放送。
1952(昭和27)年10月23日:わが国初めての公認全国ボディ・コンテストが、国体の重量挙げ選手の集合を機に挙行。
1952(昭和27)年10月--日:政治・一般、警察予備隊を保安隊に改組。
1952(昭和27)年10月--日:婦人航空連盟創立。
1952(昭和27)年11月22日:第一回アジア卓球選手権大会をシンガポールで開催。日本選手参加。
1952(昭和27)年11月28日:津市競艇場に近い町の総代7名、競艇廃止の運動を起こす。
1952(昭和27)年11月--日:島根県レクリエーション協会発足。
1952(昭和27)年12月10日:パリの国際柔道連盟、日本の加盟を承認。同連盟会長に日本講道館長の嘉納履正が選出。
1952(昭和27)年12月09日:全国高野連、日本学生野球協会、日本社会人野球協会、日本大学野連が、アマチュアの統一規則作成。
1952(昭和27)年12月20日:東京青山に最初のボーリング場(東京ボーリングセンター)開業。
1953(昭和28)年01月04日:ラジオカーによるマラソン実況中継のはじめ。第29回東京=箱根間往復大学駅伝競走実況。
1953(昭和28)年01月08日:明大理事会、学部長会議を開催、ボクシング部解散に。集団暴行で致傷の5選手は放校処分。
1953(昭和28)年01月23日:剣道復活の動きあり、新学期からまず「しない競技」と、「毎日」が報ず。
→【毎日新聞】
1953(昭和28)年01月26日:早稲田大学山岳部遠征隊、南米のアコンカグア(7035M)登頂。
1953(昭和28)年02月01日:鏡里が第42代横綱を免許される。
1953(昭和28)年02月20日:国体スキー出場の増田一、立木に激突し死亡。
1953(昭和28)年02月--日:NHK東京でテレビ放送開始 一日四時間。
1953(昭和28)年03月17日:麻薬取締法公布。
1953(昭和28)年03月30日:壮大バレーボール・チーム渡米。渡米中(5月18日まで)に、初めて6人制の国際式を経験。
1953(昭和28)年03月--日:文部省『青少年キャンプ指導の手引き』刊行。
1953(昭和28)年04月01日:東京大学大学院、教育学研究科体育学専攻課が開設。
1953(昭和28)年04月10日:第1回関東インドア・スピードスケート選手権大会を後楽園アイスパレスで開催。最初の室内での競技会。
1953(昭和28)年04月20日:山田敬蔵、ボストンマラソンに優勝(2時間18分51秒)
1953(昭和28)年05月05日:西宮球場夜間照明施設完成。ナイター開始。
1953(昭和28)年05月06日:日本学生弓道連盟創立。
1953(昭和28)年05月13日:大相撲夏場所、前頭6枚目の時津山、15戦全勝で戦後初の平幕優勝達成。
1953(昭和28)年05月19日:文部省、社会体育としての剣道に対する制限を解除。
1953(昭和28)年05月20日:日本体育協会、社会体育審議会を設置。
1953(昭和28)年05月26日:六大学野球で、立教大が20年ぶりに優勝。
1953(昭和28)年05月--日:NHK、初めてのスポーツテレビとして、大相撲をテレビ中継。
1953(昭和28)年05月--日:日本体育協会、社会体育審議会を設置。
1953(昭和28)年06月01日:大阪梅田の第一生命屋上に初の「屋上ビアガーデン」開店。
1953(昭和28)年06月01日:木村製薬(現アース製薬)、殺虫剤「アース・エアゾール」発売。
1953(昭和28)年06月08日:東京麻布の日赤病院で、初めてソ連式「無痛分娩」が成功。
1953(昭和28)年06月24日:保健体育審議会、文相に「独立後におけるわが国保健体育レクならびに学校給食の振興方策」を答申。
1953(昭和28)年06月--日:保健体育審議会、文部大臣に「保健体育レクリエーションならびに学校給食の振興法策」を答申。
1953(昭和28)年07月10日:文部省、知事や教育委員会、公私立大学長、高等学校長宛て「学校における剣道の実施について」通達。
1953(昭和28)年07月16日:伊東絹子、米国でミスユニバース3位入選。「八頭身」流行語になる。
1953(昭和28)年07月30日:日本プロレスリング協会設立。日本橋浪花町に力道山道場完成。
1953(昭和28)年08月01日:全日本学生航空連盟、第1回学生グライダー講習会を、10日間にわたり、群馬県天狗山で開催。
1953(昭和28)年08月03日:日本ボクシング連盟結成。
1953(昭和28)年08月09日:国際学生競技会(西ドイツ)に、陸上競技・蹴球・フェンシングなど参加。16日まで。
1953(昭和28)年08月13日:日本テレビが甲子園の高校野球を、初めてテレビ放送開始。
1953(昭和28)年08月20日:第七回全国レクリエーション大会開催。(栃木県、21日まで)
1953(昭和28)年08月--日:箱根芦ノ湖で日本最初の水上スキー競技開催。
1953(昭和28)年夏----日:米国式移動遊園地(コニーアイランド・ショー)春日町で開催。初公開ジェットコースターなど人気。
1953(昭和28)年09月01日:ケンブリッジ大学ラグビーチーム来日。8試合全勝。10月4日まで。
1953(昭和28)年09月04日:西ドイツ体操チームが来日。
1953(昭和28)年09月14日:文部省、クラブ活動としての学生のグライダーを解禁に決定。
1953(昭和28)年09月16日:横綱在位13年の第36代横綱羽黒山が引退。
1953(昭和28)年09月--日:阪急共栄物産、軟膏タイプの風邪薬「ヴィップス・ヴェポラップ」を発売。
1953(昭和28)年09月--日:第1回プロ・サイクル・ロードレース全日本選手権大会を開催。東京=大阪間。
1953(昭和28)年10月16日:プロ野球、全米オールスター・チームが来日。
1953(昭和28)年10月27日:王者白井義男、テリー・アレンを破りフライ級ボクシングタイトル防衛。街頭でのテレビ熱高まる。
1953(昭和28)年10月--日:文部省「学徒の対外試合に関する基準」作成、協議会設置。
1953(昭和28)年10月--日:東京に赤電話登場。
1953(昭和28)年11月07日:福岡県の若松競走場で、第1回モーターボート全日本選手権競走開催。
1953(昭和28)年11月08日:第1回全日本剣道選手権大会、東京蔵前の国技館で開催。
1953(昭和28)年11月25日:クリスチャン=ディオールのファッションショー、専属モデルにより東京會舘で開く。
1953(昭和28)年11月27日:姫路競馬で、日本競馬会最高の大穴42万1920円がでる。
1953(昭和28)年12月03日:全国体育課長会議、小学生の対外試合は体育課長の許可によって認めることなどを決定。
1953(昭和28)年12月07日:体協のアマチュア資格委員会、アマチュアのスポンサーつき放送を団体の場合のみ認めることに決定。
1953(昭和28)年12月12日:学徒対外試合基準作成協議会で、新しい学校スポーツ憲章をまとめる。
1953(昭和28)年12月13日:全日本学生剣道連盟創立。東京神田の国民体育館で、第1回全日本学生剣道選手権大会を開催。。
1953(昭和28)年12月13日:文化服装学院、ファッション・モデルを開業。16歳から36歳までと「毎日」報ず。
→【毎日新聞】
1953(昭和28)年12月--日:政治・一般、初の有料道路、松坂市〜宇治山田市。
1953(昭和28)年12月--日:文部省『青年の体育レク指導の手引き』刊行。
1953(昭和28)年--月--日:この頃マンボ流行。
1954(昭和29)年01月--日:政治・一般、二重橋事件。
1954(昭和29)年01月16日:世界男子スピードスケート選手権大会、札幌円山公園で開催。日本主催での初の世界選手権試合。
1954(昭和29)年01月19日:文部省、保健室の設置ならびに学校医、学校歯科医の職務などについて通達。
1954(昭和29)年02月01日:米国のグラマー女優マりリンモンロー、夫のディマジオと共に来日。
1954(昭和29)年02月03日:吉葉山潤之輔、第43代横綱を免許される。
1954(昭和29)年02月07日:日本で最初の室内陸上競技会を岐阜市民センターで開催。
1954(昭和29)年02月07日:兵庫県神鍋山シャンツェで行われたスキージャンプ大会で関学の小谷英樹転倒、入院後死亡。
1954(昭和29)年02月08日:全国の23婦人団体の代表が、売春禁止法期成全国婦人大会を開催する。
1954(昭和29)年02月11日:元女子陸上選手堤妙子、性転換手術をうけ男性となる。
1954(昭和29)年02月19日:シャープ兄弟と力道山・木村の初タッグマッチ挙行。このころよりプロレス人気を集める。
1954(昭和29)年03月14日:「全日本しない競技連盟」と「全日本剣道連盟」とが合同して「全日本剣道連盟」となる。
1954(昭和29)年03月--日:静岡県レクリエーション協会発足。
1954(昭和29)年04月04日:第21回世界卓球選手権、ロンドンで開催される。日本3種目に優勝。
1954(昭和29)年04月13日:日本スポーツ芸術協会創立。
1954(昭和29)年04月14日:卓球の荻村伊智郎(日大)、世界選手権シングルスに優勝。
1954(昭和29)年04月16日:NHKテレビ、美容体操放送開始。竹腰美代子、小池幸。
1954(昭和29)年04月20日:第一回全日本自動車ショー開催。64年に東京モーターショーと改称。
1954(昭和29)年05月01日:第二回アジア競技大会がマニラ(フィリピン)で開催。5月9日まで。
1954(昭和29)年05月21日:東京、千駄ヶ谷に東京体育館が完成。
1954(昭和29)年05月22日:東京体育館で行われたレスリングの世界選手権フェザー級で、笹原正三選手が優勝。
1954(昭和29)年05月24日:ウィンブルドンのテニス大会に日本から初めて加茂幸子選手が参加。
1954(昭和29)年06月01日:神宮プール、戦後初めて一般に公開。
1954(昭和29)年06月03日:学校給食法公布。(7月23日、同施行令公布)
1954(昭和29)年06月27日:第13回世界体操選手権大会(ローマ)に日本初参加。竹本正男が徒手、田中敬子が平均台で優勝。7月1まで。
1954(昭和29)年06月--日:政治・一般、「防衛庁設置法」「自衛隊法」公布。
1954(昭和29)年06月--日:文部省『家庭の体育レクリエーション』刊行。
1954(昭和29)年07月01日:日本中央競馬会法公布。
1954(昭和29)年07月08日:藤村富美男(阪神タイガーズ)、松竹戦にプロ野球初の1000試合連続出場を記録。
1954(昭和29)年07月12日:国立東京第一病院で人間ドックを開始。
1954(昭和29)年07月--日:東大対京大剣道試合復活第1回戦、京大道場で開催。
1954(昭和29)年08月05日:日本女子体育連盟結成、お茶の水女子大学で第1回総会開催。
1954(昭和29)年08月11日:第八回全国レクリエーション大会開催。宮城県、仙台大会、14日まで。
1954(昭和29)年08月28日:第1回東西対抗ローラースケート競技大会、後楽園アイスパレスで開催。
1954(昭和29)年08月--日:酸ケ湯、日光湯元、四万の三ヶ所を国民温泉に指定。
1954(昭和29)年08月--日:日本女子体育連盟結成。
1954(昭和29)年09月01日:日本アマチュア野球協会創立。
1954(昭和29)年09月16日:日本中央競馬会が設立される。
1954(昭和29)年09月18日:蔵前国技館が落成。
1954(昭和29)年09月21日:プロレスの力道山・遠藤組が太平洋岸選手権のトロフィーを獲得。街頭テレビ黒山の人だかりに。
1954(昭和29)年09月25日:日本中央競馬会主催の第一回目の競馬が開催。
1954(昭和29)年09月--日:第36回全米レクリエーション大会(セントルイス)に、斉藤会長と白山理事が参加。
1954(昭和29)年09月--日:政治・一般、洞爺丸事件。
1954(昭和29)年10月01日:日本サイクリング協会(JCA)創立。
1954(昭和29)年10月08日:第1回日本学校保健学会総会を松江にて開催。
1954(昭和29)年10月12日:栃錦清隆、第44代横綱を免許される。
1954(昭和29)年10月25日:広島のキャバレーで初の女子プロレス興行。
1954(昭和29)年10月30日:日本赤十字社の招きで、中国紅十字会の代表団が来日。
1954(昭和29)年11月--日:東京都フォークダンス大会開催。
1954(昭和29)年11月08日:全国都道府県及び五大市レクリエーション協会会長会議が開催。
1954(昭和29)年11月17日:東京都公安委員会、警視庁。翌年4月より連発式パチンコ禁止決定。この年全国で2万9416店、109万7544台。
1954(昭和29)年11月17日:東京後楽園で、初の屋内ロータースケート場建設の棟上げ式を挙行。
1954(昭和29)年11月19日:日本初の世界女子プロレス大会、蔵前国技館で開催。
1954(昭和29)年11月22日:初のプロレス・アジア選手権、力道山がアジアチャンピオンになる。
1954(昭和29)年11月26日:ボクシング、世界フライ級選手権で白井義男がペレスに敗退。(翌年11月のリターンマッチも敗退。)
1954(昭和29)年11月28日:第1回全日本東西対抗剣道大会、宮崎で開催。
1954(昭和29)年12月11日:読売新聞社、後楽園に読売特設スキー場を開設。
1954(昭和29)年12月11日:公務員のゴルフ、麻雀などを禁止。
1954(昭和29)年12月12日:尼崎市長、競艇廃止を公表。競走会が存続を申し入れる。
1954(昭和29)年12月18日:第1回アジア野球選手権大会(マニラ)に八幡製鉄が日本代表として出場。
1954(昭和29)年12月22日:プロレス初の日本選手権で、力道山が木村政彦を蹴り倒し(ドクター・ストップ)、初代王者に。
→【毎日新聞】
1954(昭和29)年12月--日:東京芝に日本初のゴルフ練習場登場。ドライバー使用料1本50円、ボール1ダース80円。
1955(昭和30)年01月11日:閣議、競馬と競輪の土曜・日曜・祝日以外の平日開催制限措置を決定。
1955(昭和30)年01月22日:大阪府、競馬・競輪の全廃を決定。
1955(昭和30)年02月01日:天理大学体育学部設立許可。
1955(昭和30)年02月02日:日本近代五種競技連盟結成。
1955(昭和30)年02月02日:スポーツマン綱領決定。スポーツ振興会議のスポーツ憲章委員会。
1955(昭和30)年02月21日:「西日本スポーツ」創刊。
1955(昭和30)年02月26日:「サンケイスポーツ」創刊。
1955(昭和30)年03月02日:横浜の中学生、プロレス遊びで頭を殴られ死亡。
1955(昭和30)年03月05日:力道山人気で、テレビ・ブーム起こると「毎日」が報ず。
→【毎日新聞】
1955(昭和30)年03月16日:沢村投手をモデルとした映画「不滅の熱球」公開。
1955(昭和30)年03月18日:横浜で、給食により学童110余名が集団中毒。
1955(昭和30)年03月22日:プロボクサー桜井義春、試合で強打を受け脳内出血で死亡。
1955(昭和30)年04月12日:プロ野球、阪神の藤村富美男が史上初の200号ホームランを放つ。
1955(昭和30)年05月04日:力道山・遠藤組がシャープ兄弟を破り、初の世界タッグ王座を獲得。
1955(昭和30)年05月13日:岡山県児島競走場で第1回モーターボート全国地区対抗競走開催。
1955(昭和30)年05月24日:天皇が蔵前国技館で初めて大相撲を観覧する。夏場所10日目。
1955(昭和30)年05月28日:東京世田谷の田園コロシアムでデ杯東洋ゾーン予選が初開催、日本がフィリピンを破り優勝。
1955(昭和30)年05月28日:文部省「青少年野外活動の奨励について」通達。「野外活動」用語の公文書における最初の使用。
1955(昭和30)年05月--日:政治・一般、基地反対闘争激化(砂川、北富士演習場)、紫雲丸事件。
1955(昭和30)年06月01日:文部省「修学旅行協議会」を設け、その第一回会合を開催。29日に一応の結論を出す。
1955(昭和30)年06月19日:近鉄の武智文雄投手、対大映戦でプロ野球2人目の完全試合を達成。
1955(昭和30)年06月29日:文部省「修学旅行協議会」、小学生の宿泊旅行は原則としてやめること等、協議会の結論を文部省に提出。
1955(昭和30)年06月--日:日本水上スキー連盟結成。
1955(昭和31)年07月01日:第1回都市対抗サッカー、東京の後楽園球場と競輪場で開催。
1955(昭和31)年07月02日:文部省、青少年野外旅行の奨励について通達。
1955(昭和31)年07月07日:東富士、プロレスラーに正式に転向。
1955(昭和31)年07月08日:労働省、婦人少年局「売春白書」。集娼地域1921カ所、公認売春婦は全国50万人と推計。
1955(昭和31)年07月09日:後楽園遊園地開場。
1955(昭和31)年07月21日:医師8000人が結集して、共立講堂で「医薬分業法案反対大会」を開催。
1955(昭和31)年07月28日:三重県橋北中の女生徒36人、水泳訓練中に高潮のため水死。
1955(昭和31)年07月--日:「全国中学校体育連盟」発足。
1955(昭和31)年07月--日:青少年の体力に関する大統領審議会の設置(アメリカのフィットネス運動)
1955(昭和30)年07月--日:政治・一般、「日本住宅公団法」、「自動車損害賠償保障法」公布。
1955(昭和30)年08月07日:ソフトボール、第1回全日本一般男子選手権大会開催。8日まで。
1955(昭和30)年08月08日:日本学校給食会法公布。
1955(昭和30)年08月19日:文部省、児童生徒の水泳に関する事故防止について通達。橋北中学の水泳訓練中の事故発生とかかわって。
1955(昭和30)年08月25日:高校選抜野球チーム、ハワイへ遠征。9月13日帰国。
1955(昭和30)年08月28日:全米テニス選手権大会で、加茂・宮城組、日本人として初優勝。
1955(昭和30)年08月28日:NHK、第1回全日本中学校放送陸上競技大会を日本陸連他と共催。各都道府県大会の成績を取材し総合発表。
1955(昭和30)年08月28日:東京多摩競艇場で、第一回全日本水上スキー大会を開催。
1955(昭和30)年09月04日:スタリヒン投手が史上初の300勝を達成。
1955(昭和30)年09月08日:神田共立講堂で、ダンサー・女給・業者ら3000人、官給領収書全体反対全国大会。
1955(昭和30)年09月13日:文部省「修学旅行の留意点」として、小学校の宿泊は原則として行わないことなどを通達。
1955(昭和30)年09月22日:200人に1人「空」への関門。スチュワーデス募集に長い列。
→【毎日新聞】
1955(昭和30)年09月23日:第一回ノンプロ野球選手権大会(ミルウォーキー)に全鐘紡出場。
1955(昭和30)年09月28日:大相撲秋場所、横綱千代の山と関脇若の花戦。水入り後2番取り直しも再び水入。「引き分け預かり」に。
1955(昭和30)年09月29日:イギリス・ジョッキー・クラブ、日本中央競馬会の競馬国際協定加入を承認。
1955(昭和30)年09月--日:日本レクリエーション協会事務局、交通公社本社内に移転。
1955(昭和30)年10月01日:熱海に簡易保険〒年金加入者ホーム開所。初の国営老人ホーム。
1955(昭和30)年10月01日:特殊法人「日本学校給食会」発足。
1955(昭和30)年10月10日:東京都議会、第18回オリンピック大会を東京に招致することを決定。
1955(昭和30)年10月12日:プロ野球の金田正一投手、1シーズン340奪三振の新記録を樹立。
1955(昭和30)年11月03日:千葉県船橋市に最初のヘルスセンター開設。全国的普及の先駆に。入浴料金120円。
1955(昭和30)年11月12日:第九回全国レクリエーション大会開催。(宮崎大会、15日まで)
1955(昭和30)年12月--日:保健体育審議会「保健体育給食スポーツレクリエーション行政の一元化について」建議。
1955(昭和30)年12月--日:日本ボディビル協会結成。(56年2月12日、第1回ミスター日本コンテスト開催。)
1956(昭和30)年01月12日:赤線従業婦が売春防止法に反対して、東京女子従業員組合連合会を結成する。
1956(昭和30)年01月26日:第7回冬季オリンピック(コルチナ大会)開催。2月5日まで。
1956(昭和31)年01月31日:第7回冬季オリンピック(コルチナ大会)、トニー・ザイラーが初のアルペン3冠、猪谷千春回転で2位。
1956(昭和31)年02月14日:ボディ・ビルの第一回ミスター・ニッポンコンテスト開催。
1956(昭和31)年02月20日:ラグビー・オーストラリア学生チーム来日。8勝1敗。3月25日まで。
1956(昭和31)年02月--日:東京都体育協会設立。
1956(昭和31)年03月--日:千葉県レクリエーション協会、山梨県レクリエーション協会発足。
1956(昭和31)年03月25日:巨人の樋笠一夫選手、日本初の代打満塁逆転サヨナラ・ホームランを放つ。
1956(昭和31)年04月01日:水俣市の新日本窒素水俣工場付属病院、異常中枢神経疾患の女児が受診・入院。水俣病の正式発見。
1956(昭和31)年04月01日:医師の処方箋で薬局が投薬する、医薬分業制度が実施。
1956(昭和31)年04月18日:別府に日本初の室内50m温泉プール完成。
1956(昭和31)年04月20日:「都市公園法」公布。
1956(昭和31)年05月01日:水俣の新日本窒素工場付属病院院長、原因不明の中枢神経疾患が多発と報告。
1956(昭和31)年05月03日:山梨県レクリエーション協会発足。
1956(昭和31)年05月03日:第1回世界柔道選手権大会、蔵前国技館で挙行。夏井昇吉6段が優勝。
1956(昭和31)年05月06日:大洋の青田昇、4打席連続ホームランの新記録を達成。
1956(昭和31)年05月09日:日本登山隊(隊長槇有恒)ヒマラヤのマナスル(8125M)初登頂。(9月、映画「マナスルに立つ」)
1956(昭和31)年05月16日:ペニシリン乱用に警鐘。ショック死100件に迫ると「毎日」が報ず。
→【毎日新聞】
1956(昭和31)年05月24日:売春防止法公布。(57年4月1日施行)
1956(昭和31)年05月27日:読売新聞、「日曜クイズ」連載開始。新聞・週刊誌のクイズブーム始まる。
1956(昭和31)年05月30日:国立東京第一病院で、小児マヒのソークワクチンの使用を開始する。
1956(昭和31)年05月31日:巨人軍の川上哲治、史上初の2000本安打を達成。
1956(昭和31)年05月--日:青森県レクリエーション協会発足。
1956(昭和31)年06月30日:「新教育委員会法」成立。公布。
1956(昭和31)年06月30日:ハワイ派遣の高校相撲選手団、出発。
1956(昭和31)年06月--日:文部省『教育キャンプ指導の手引』『野外活動に関する安全指導の手引き』刊行。
1956(昭和31)年06月--日:石川県レクリエーション協会発足。
1956(昭和31)年07月20日:第1回スポーツ芸術展覧会、東京で開催。
1956(昭和31)年07月21日:日本フォークダンス連盟発。
1956(昭和31)年07月24日:一日いくらあれば食べてゆけるか。都会は56円で農漁村は42円と「毎日」で話題に。
→【毎日新聞】
1956(昭和31)年08月02日:第1回全日本選抜水上スキー競技会開催。芦ノ湖にて。
1956(昭和31)年09月04日:「ラジオ体操」、簡易保険局と共同で、全国で40優良団体、6個人を表彰。以後恒例化。
1956(昭和31)年09月08日:古川勝(日大)、日本学生水上選手権の200m平泳に2分33秒2の世界新記録樹立。
1956(昭和31)年09月13日:中央競馬サービス・センター開設。
1956(昭和31)年09月19日:国鉄の宮地惟友投手、対広島戦でプロ野球3人目の完全試合を達成。
1956(昭和31)年09月21日:大阪府立高校野球連盟の緊急理事会、浪商野球部の行き過ぎ訓練に対して1年間対外試合出場停止を議決。
1956(昭和31)年10月16日:オリンピック走高跳選手の笠松登、酔った上での喧嘩で重傷、選手を辞退。
1956(昭和31)年10月22日:文部省、大学の一般体育科目を保健体育科と改称。
1956(昭和31)年10月--日:国際レクリエーション協会(IRA)結成。
1956(昭和31)年11月06日:第十回全国レクリエーション大会開催(大阪大会、09日まで)。
1956(昭和31)年11月08日:「中日スポーツ」にヨーロッパから初のカラー電送写真(オリンピック聖火)。写真電送距離でも新記録。
1956(昭和31)年11月18日:米国剣道使節団一行17名訪日。日比谷公会堂(16日)、京都岡崎武徳殿(21日)、大阪府立体育館(25日)など。
1956(昭和31)年11月19日:大相撲が、九州場所も本場所とし、1年5場所となる。
1956(昭和31)年11月22日:第16回オリンピック、メルボルン大会開催。日本選手118名参加。体操の小野や平泳ぎの古川ら4種目優勝。
1956(昭和31)年12月23日:第1回中山グランプリ(有馬記念競走)に、メイジヒカリ優勝。
1956(昭和31)年12月28日:国立競技場、竣工式。
1956(昭和31)年12月--日:高橋製作所、一本足の竹馬のようなスプリングの反動で飛び跳ねる遊具「オッピング」を発売。
1956(昭和31)年12月--日:政治・一般、東海道本線電化完成。
1956(昭和31)年12月--日:政治・一般、国連総会、日本加盟可決。
1956(昭和31)年--月--日:全米レクリエーション大会に西田泰介、松原五一の両氏が参加。
1956(昭和31)年--月--日:マイケルハーマン夫妻来日、一ヶ月間に全国17都市でフォークダンス講習会を開催。
1957(昭和32)年01月--日:政治・一般、南極予備観測隊オングル島に「昭和基地」と命名。
1957(昭和32)年01月12日:日本で初の300勝を記録したプロ野球のスタルヒン投手、自動車事故死。40歳。
1957(昭和32)年02月14日:内閣総理大臣、初の諮問機関として、スポーツ振興審議会の設置決まる。委員20名。(3月4日に決定)
1957(昭和32)年03月--日:国際レクリエーション協会派遣の音楽指導者ルースダグラス女史が訪日。各地で音楽指導を行う。
1957(昭和32)年03月07日:第24回世界卓球選手権大会(ストックホルム)開幕。日本は荻村伊知朗など、7種目中5種目優勝。15日まで。
1957(昭和32)年03月18日:健保改悪絶対反対全国医師・歯科医師総会決起大会開催。東京両国の国際スタジアムに2万人参加。
1957(昭和32)年03月30日:プロ野球、両リーグが同時開幕。後楽園で初めて首相(岸信介)が始球式。
1957(昭和32)年03月31日:原爆医療法公布。
1957(昭和32)年04月06日:岸首相、後楽園のパリーグ公式戦開幕に登場。始球式を行う。初めての首相による始球式。
1957(昭和32)年04月--日:静岡熱海に初の「モーテル」(自動車で乗り入れ利用可能なホテル)が開業。洗車込みで1泊1000円。
1957(昭和32)年05月01日:文部省の体育指導委員制、正式決定。
1957(昭和32)年05月02日:総計対抗ボートレース、隅田川で開催。豪雨と荒波で慶大艇が途中で沈没。
1957(昭和32)年05月04日:相撲協会理事長出羽海、茶屋制度や入場券の公開販売など、改革問題に悩み国技館内で切腹自殺(未遂)。
1957(昭和32)年05月20日:「しない協議」と「剣道」を整理統合し学校剣道に。中学・高校で正課体育として実施できることに。
1957(昭和32)年05月--日:文部省の体育指導委員制度が正式決定。二万人に委員委嘱。
1957(昭和32)年06月01日:「観光基本法」公布。
1957(昭和32)年06月14日:スポーツ振興審議会が「スポーツの国民一般に対する普及振興策等」について、内閣総理大臣に答申。
1957(昭和32)年06月16日:福岡競走場で第1回大学東西対抗モーターボート競争挙行。
1957(昭和32)年06月19日:日本ラグビー協会の体協復帰承認。昨年6月オリンピック派遣費を競輪売上でまかなうことを批判し脱退。
1957(昭和32)年06月22日:文部省、学校衛生統計調査を発表。児童の体格が戦前を上回ったことが明らかに。
1957(昭和32)年07月08日:閣議、国民体育大会の開催方針決定。毎年開催、開催地都道府県持ち回り。
1957(昭和32)年07月15日:プロ野球国鉄スワローズの金田正一投手、史上初の2000奪三振を記録。
1957(昭和32)年07月16日:世界初の全コース夜間照明ゴルフコース、東京世田谷区の砧ゴルフ場完成。
1957(昭和32)年07月28日:村上峻介(日鉄二瀬)、対鐘化カネカロン戦で、都市対抗野球初めて完全試合を達成。
1957(昭和32)年07月--日:全日本剣道連盟、日米親善学生剣道使節団13人をアメリカに派遣。
1957(昭和32)年08月17日:全国高校体育延命主催の第1回登山大会、奈良県大台ヶ原山を中心に開催。
1957(昭和32)年08月20日:第11回全国レクリエーション大会開催。(広島大会、23日まで)
1957(昭和32)年08月21日:国鉄の金田正一投手、対中日戦でプロ野球4人目の完全試合を達成。
1957(昭和32)年08月27日:愛媛県下高校の体育教官31人、県教組の反対を排し、自衛隊に3日間入隊。
1957(昭和32)年08月31日:第1回国際学生スポーツ大会(パリ)開催。日本4種目(陸上、水泳、フェンシング、庭球)、32人参加。
1957(昭和32)年08月--日:東海村原子力研究所で「原子の火」ともる。
1957(昭和32)年08月--日:文部省「青少年野外活動の健全な実施ならびに振興について」通達
1957(昭和32)年09月14日:石本隆(日大)、100mバタフライ1分1秒0の世界新記録を樹立。
1957(昭和32)年09月16日:大相撲秋場所、NHKテレビが初めてスローモーション録画機を使用。
1957(昭和32)年10月01日:スポーツ振興審議会が「体育指導委員への制度化とスポーツ施設の充実について」内閣総理大臣に答申。
1957(昭和32)年10月01日:国民宿舎第一号「水明荘」が営業開始(鳥取東郷町)。
1957(昭和32)年10月01日:西鉄の稲尾和久投手、20連勝の新記録を達成。
1957(昭和32)年10月04日:閣議で1964年のオリンピック東京招致を申し合わせる。
1957(昭和32)年10月04日:閣議で「国民体育デー」設定を正式決定。
1957(昭和32)年10月24日:第五回カナダ杯国際ゴルフ大会、川越市で開催。日本、団体と個人(中村寅吉)に初優勝。
1957(昭和32)年10月--日:政治・一般、五千円札登場。
1957(昭和32)年10月--日:政治・一般、ソ連、世界最初の人工衛星「スプートニク」打ち上げ。
1957(昭和32)年11月--日:フォークダンスの指導者リッキーホールデンが訪日。(三年後の1960(昭和35)年にも再来日。)
1957(昭和32)年11月--日:大相撲の玉乃海がカラーまわしの第一号。金色のまわしで土俵に。
1957(昭和32)年12月27日:名古屋の中村遊郭が廃業する。
1957(昭和32)年12月--日:NHKがFM放送開始。
1957(昭和32)年--月--日:文部省『青少年野外旅行指導の手引き』『キャンプと工作』を刊行。
1958(昭和33)年01月06日:秩父宮スポーツ博物館が開館。 1958(昭和33)年01月10日:国士舘大学、体育学部設立許可。
1958(昭和33)年01月06日:横綱審議委員会、大関2場所連続優勝した力士を横綱に推すという内規を決定。
1958(昭和33)年02月03日:若乃花幹士が第45代横綱に昇進する(栃若時代の始り)。
1958(昭和33)年03月06日:田中薫らのパタゴニア探検隊、アレナレス(3427m)に登頂。
1958(昭和33)年03月25日:新築講道館(東京、文京区春日町)で落成式。
1958(昭和33)年03月30日:神宮外苑に国立競技場が落成。
1958(昭和33)年04月01日:「売春防止法」施行。全国約3万9000軒、従業婦12万人消える。
1958(昭和33)年05月01日:文部省に「体育局」設置。
1958(昭和33)年05月04日:初めての「国民体育デー」実施。1961年10月に「スポーツの日」と改称。
1958(昭和33)年05月24日:第3回アジア競技大会、東京国立競技場を中心に開催。参加20ヵ国から1412人参加、日本67の金メダル。
1958(昭和33)年05月25日:第3回アジア大会の国立競技場の入場券を売りすぎ、生徒ら4000人が入場できず責任問題生じる。
1958(昭和33)年05月26日:文部省、社会体育功労者の第1回表彰を行う。
1958(昭和33)年05月27日:国鉄スワローズの金田正一投手、64回1/3イニング連続無失点の新記録樹立。
1958(昭和33)年05月--日:昭和24年に廃止された文部省体育局が、アジア競技大会開催を機に復活設置。
1958(昭和33)年06月07日:名古屋の享栄商業高校野球部員、グランドの整地中に生き埋めに。1人死亡。
1958(昭和33)年06月08日:第4回中山競馬第2日、下見所入口の橋上から競走場に硫酸を振りかける事件が発生。被害馬6頭。
1958(昭和33)年06月28日:ストックホルムで、サッカーの第6回ワールドカップ決勝戦。ブラジル・チーム優勝。
1958(昭和33)年06月--日:文部省「野外活動における事故防止について」通達。
1958(昭和33)年07月06日:大相撲、この年より6場所制となる。初の名古屋場所開幕(初日)。
1958(昭和33)年07月15日:日本交通公社、スキー、スケート旅行傷害保険の取扱を開始。
1958(昭和33)年07月19日:西鉄の西村貞朗投手、対東映戦でプロ野球5人目の完全試合を達成。
1958(昭和33)年08月01日:日本対ガン協会設立。
1958(昭和33)年08月01日:ビクター、国産の初のステレオレコード発売。
1958(昭和33)年08月04日:京大登山隊(隊長桑原武夫)、ヒマラヤのチョゴリザ(7654M)初登頂。
1958(昭和33)年08月08日:全国高校野球選手権大会、甲子園と西宮球場で開催。第40回を記念し、各県ごと代表チーム参加に。
1958(昭和33)年09月01日:警視庁、競輪場等におけるいわゆる暴力団犯罪取締りの強化について通達。
1958(昭和33)年09月07日:日本相撲協会の十両以上の力士整理。行司の定年制実施などの改革案を力士会承認。
1958(昭和33)年09月15日:日本相撲協会、立行司式守伊之助の「行司規定無視」の協会批判発言に対し、秋場所中出場停止処分。
1958(昭和33)年09月19日:巨人軍の長嶋茂雄三塁手、一塁ベースを踏みわすれた幻の本塁打を打つ。
1958(昭和33)年09月21日:大阪で常習野球賭博団、一斉に検挙。
1958(昭和33)年09月21日:第1回全日本実業団剣道大会を後楽園で開催。
1958(昭和33)年10月09日:この年巨人軍に入団の長島茂雄、29ホームラン、92打点で、新人王獲得。
1958(昭和33)年10月15日:日本交通公社、山岳旅行傷害保険の取扱いを開始。
1958(昭和33)年10月18日:身体で回して遊ぶ「フラフープ」発売。東京銀座の松屋デパート、1本270円(子供用200円)。
1958(昭和33)年10月21日:巨人軍の川上哲治が引退。
1958(昭和33)年11月19日:東京豊島園に屋内スキー場開場。砕氷機を用いた人工ゲレンデ。
1958(昭和33)年11月26日:運輸省、日本初の「ユースホステル」の建設地8カ所を発表。
1958(昭和33)年12月01日:政治・一般、一万円札発行。
1958(昭和33)年12月17日:ミッチー・ムード、今や女学生の人気の的と「毎日」が話題に。
→【毎日新聞】
1958(昭和33)年12月22日:富士登山者2人転落死。北海道十勝岳で訓練中の北大生3人行方不明....など。
1958(昭和33)年12月27日:国民健康保険法改正。国民皆保険を目指し、新たに農民や自営業者を対象に、国庫負担2割に引き上げ。
1958(昭和33)年12月27日:オリンピック後援会の募金不正使用問題で、体協理事全員辞任。
1958(昭和33)年--月--日:この年、ミッチーブーム。フラフープ流行。
1958(昭和33)年--月--日:H.マルクーゼ『エロス的人間』(南博訳)が紀伊国屋書店から出版。
1959(昭和34)年01月06日:秩父宮スポーツ博物館開館。
1959(昭和34)年01月10日:NHK教育テレビ開局。(2月1日日本教育テレビ、3月1日フジテレビ開局)
1959(昭和34)年01月20日:中京大学、体育学部設立許可。(1962年健康教育学科、1967年武道学科を開設。)
1959(昭和34)年02月03日:深夜喫茶取締りの風営法が成立する。
1959(昭和34)年03月10日:第1回全日本「大阪・東京」毎日駅伝大会開催。旭化成が30時間22分37秒で優勝。
1959(昭和34)年03月12日:プロ野球代表者会議で、選手の契約金制度など決定。新人の契約金は1000万円以下とする。
1959(昭和34)年03月25日:朝汐が、第46代横綱となる。
1959(昭和34)年04月01日:文部省、貧困家庭の学童に修学旅行費を贈ることを実施。
1959(昭和34)年04月06日:国民年金法が公布。厚生年金法と並ぶ公的年金制度を創設。11月1日施行。
1959(昭和34)年04月10日:政治・一般、皇太子殿下ご成婚。皇居前の結婚パレードに、馬車に飛び乗ろうとする少年出現。
1959(昭和34)年04月16日:国民年金法公布。(11月1日施行)
1959(昭和34)年04月16日:中央大学フェンシング部、練習中に折れた剣先が胸にささり、死亡。
1959(昭和34)年04月29日:第28回総計ボートレース(隅田川)を移動艇上のテレビカメラで全コースを中継。
1959(昭和34)年04月--日:秩父宮記念スポーツ図書館設立。
1959(昭和34)年05月01日:野球体育博物館(野球殿堂)の第1回表彰者に安部磯雄ら9人決定。
1959(昭和34)年05月18日:皇太子ご結婚記念スポーツ祭開催。
1959(昭和34)年05月26日:IOC総会で1964年度オリンピックの開催地が東京に決定。
1959(昭和34)年06月02日:日本レク協会がアジア地区レクリエーション会議を横浜で開催。(15日まで)
1959(昭和34)年06月12日:野球殿堂が誕生。第一回表彰者9名。(正力、平岡、青井、安部、橋戸、押川、久慈、沢村、小野。)
1959(昭和34)年06月15日:厚生省、集団発生の小児麻痺を指定伝染病に指定。
1959(昭和34)年06月23日:千葉県松戸競輪の八百長騒ぎで大混乱。(7月2日通産省から3ヶ月間の開催停止処分)
1959(昭和34)年06月25日:巨人軍長島茂雄内野手、天覧試合で阪神の村山実投手からサヨナラ本塁打を打つ。
1959(昭和34)年06月26日:スポーツ振興国会議員懇談会が結成。
1959(昭和34)年06月--日:国際レクリエーション協会派遣指導員として,日本レク協会に民謡指導者トニー・サレタン来日。
1959(昭和34)年07月02日:日本テレビ、プロ野球ナイターで初のカラー中継。
1959(昭和34)年07月12日:日本選手権水泳競技大会で、田中聡子、200M背泳に2分37秒1の世界新記録。
1959(昭和34)年07月26日:山中毅、400M自由形に4分16秒6の世界新記録。
1959(昭和34)年07月27日:文部省、青少年スポーツ活動リーダー講習会を開催。
1959(昭和34)年08月01日:日産自動車、ダットサン・ブルーバード発売。マイカー時代始まる。
1959(昭和34)年08月05日:日本オリンピック後援会の元事務局長佐藤昇、募金の不正使用で逮捕。
1959(昭和34)年08月16日:オックスフォード大学クルー来日。(23日に全日本レガッタで一橋大が12年ぶりに敗り優勝。)
1959(昭和34)年08月23日:高校野球選抜チーム、アメリカ太平洋岸とハワイへ遠征。9勝6敗。9月19日まで。
1959(昭和34)年08月27日:第一回ユニバシアード大会、イタリアのトリノで開催。日本は陸上、テニス、フェンシングに参加。
1959(昭和34)年09月07日:オックスフォード、ケンブリッジ両大学連合ラグビーチーム来日。7戦全勝。
1959(昭和34)年09月11日:東京オリンピック組織委員会、政府の横やりで選考し直し。国会議員や都会議員を増やし、計25人を決定。
1959(昭和34)年09月14日:暴走する「カミナリ族」、時速90キロは普通。加熱ぶりを「毎日」が報ず。
→【毎日新聞】
1959(昭和34)年09月19日:御殿場市に国立青年の家開所。
1959(昭和34)年09月30日:東京オリンピック大会組織委員会創立。
1959(昭和34)年10月27日:「エコノミスト」誌に北里字一「“浪費”は美徳になった。マスレジャー時代の経済とモラル」。
1959(昭和34)年10月--日:西ドイツオリンピック協会、「黄金計画」を発表。「第二の道」発足(西ドイツ)。
1959(昭和34)年11月01日:日本自転車振興会、甲子園の八百長競輪で選手85人に出場停止処分。
1959(昭和34)年11月16日:兵庫県、県営競輪の廃止を決定。
1959(昭和34)年11月19日:学童交通整理「緑のおばさん」誕生。
1959(昭和34)年12月12日:埼玉県議会、社会党提出の「競輪廃止条例案」を否決。
1959(昭和34)年12月17日:日本学校安全会法公布。学校管理下での児童生徒の負傷、疫病、廃疾または死亡に、必要な給付を制度化。
1959(昭和34)年12月23日:千葉県議会、競輪を漸次廃止する決議案を可決。
1959(昭和34)年12月23日:文部省、学校におけるなぎなたの実施について通達。
1959(昭和34)年--月--日:この年、かみなり族横行。
1960(昭和35)年01月03日:第36回東京・箱根往復大学駅伝競走、中大が新記録11時間59分33秒で2年連続、9度目の優勝。
1960(昭和35)年01月19日:政治・一般、岸首相日米新安保条約に調印。
1960(昭和35)年02月20日:政治・一般、東証ダウ平均千円の大台を突破----岩戸景気。
1960(昭和35)年02月28日:第一回冬季ユニバシアード大会、アメリカのスコー・バレーで開催。
1960(昭和35)年02月29日:日本学校安全会法施行令制定公布。(4月1日、特殊法人日本学校安全会発足)
1960(昭和35)年03月01日:日本レクリエーション協会「会報」創刊。 雑誌「レクリエーション」の前身(4頁のタイプ印刷)
1960(昭和35)年03月03日:神戸市議会競輪等廃止対策特別委員会、市営競輪即時廃止を決定。
1960(昭和35)年03月15日:滋賀県信楽群で、競輪が原因の一家6人無理心中起こる。
1960(昭和35)年03月17日:東京都議会財務主税委員会、「昭和35年度下記から競輪の開催日を縮める」との方針決定。
1960(昭和35)年03月20日:大相撲春場所千秋楽、横綱栃錦と横綱若乃花が史上初の全勝対決となり、若乃花が勝つ。
1960(昭和35)年04月01日:選抜高校野球の祝賀飛行に参加の毎日新聞社機が墜落。乗員3人死亡。
1960(昭和35)年04月28日:ソ連のレスリングチーム来日。4勝。
1960(昭和35)年04月29日:巨人の別所毅彦投手、通算302勝をあげ、スタルヒンの記録を破る。
1960(昭和35)年04月30日:ソニー、世界最初のトランジスターテレビ発売。
1960(昭和35)年04月30日:全日本柔道選手権大会、東京体育館で開催。5月1日まで。従来の地区代表32名と指定選手16名が参加に。
1960(昭和35)年05月07日:第一回レクリエーション関係団体懇談会を開催。近畿地区での国際レク大会の開催で意見一致。
1960(昭和35)年05月10日:横綱栃錦が引退を表明。
1960(昭和35)年05月15日:政治・一般、ソ連人工衛星第一号打ち上げ。
1960(昭和35)年05月23日:7カ国47代表参加のもとに、はじめてアジア競馬会議を開催。
1960(昭和35)年05月24日:慶応大登山隊、ヒマラヤのヒマルチュリ(7864m)に初登頂。
1960(昭和35)年05月--日:「思想」五月号で大衆娯楽論が再度特集に。(遠藤湘吉「消費革命の社会的、政治的意味」など。)
1960(昭和35)年06月02日:慶応大学登山隊、ヒマラヤの処女峰ヒマルチェリ(7864m)に初登頂。
1960(昭和35)年06月15日:政治・一般、安保阻止の全学連の学生が国会に突入、警官右翼と大乱闘。
1960(昭和35)年06月16日:ルーマニア・ハンドボール・チーム来日。10試合を実施し全勝。
1960(昭和35)年06月28日:甲子園球場のナイターで漁業被害を受けたと、地元漁民がデモを実施。
1960(昭和35)年07月10日:奈良県大峰山竜泉寺、1300年間の女人禁制の境内を開放。
1960(昭和35)年07月13日:ユースホステル第1号が北海道支笏湖畔に開所。
1960(昭和35)年08月03日:第14回全国レクリエーション大会(札幌)。6日まで。
1960(昭和35)年08月04日:保健体育審議会、オリンピック東京大会を契機とする「体育振興6カ年計画」を答申。
1960(昭和35)年08月11日:大洋の島田源太郎投手、対阪神戦でプロ野球6人目の完全試合を達成。
1960(昭和35)年08月11日:政治・一般、テレビ受信契約数五百万突破。
1960(昭和35)年08月17日:第1回全日本長距離水上スキー選手権大会を、千葉県勝山=神奈川県久里浜間16kmで開催。
1960(昭和35)年08月25日:第17回オリンピック、ローマ大会開催。参加選手169名。体操男子団体優勝はじめ、水泳や重量挙等活躍。
1960(昭和35)年08月27日:厚生省、5年間で全国22カ所に国民休暇村を建設する計画を発表。(1961年度予算から)
1960(昭和35)年08月--日:兵庫県青少年野外活動協会(OAA)発足。
1960(昭和35)年09月05日:政治・一般、池田首相 高度経済成長国民所得倍増政策を発表。
1960(昭和35)年09月07日:ローマ・オリンピック大会で、男子体操団体で日本が初優勝。個人では小野・相原が優勝。
1960(昭和35)年09月10日:カラーテレビ放送開始。
1960(昭和35)年09月16日:東京オリンピック費用捻出で、都知事(東龍太郎)、プロ野球トトカルチョを提案するも、反対にあい撤回。
1960(昭和35)年09月19日:谷川岳一ノ倉沢エボシ岳衝立岩を登攀中の横浜蝸牛山岳会の2人が遭難し死亡。ザイルで遺体宙吊りに。
1960(昭和35)年09月21日:社団法人日本モーターボート選手会結成。
1960(昭和35)年09月25日:谷川岳一ノ倉沢エボシ岳衝立岩に宙吊の遺体(19日)の回収で、自衛隊が1500発の銃撃でザイルを切断。
1960(昭和35)年10月07日:日本女子登山隊(細川沙多子隊長)、アジア女性として初めてヒマラヤ登頂。
1960(昭和35)年10月16日:第1回水上スキー、ジャンプ記録会、箱根で開催。宮沢安雄が20m80を記録。
1960(昭和35)年10月19日:東洋一の中山競馬場スタンド完成。
1960(昭和35)年10月20日:サンフランシスコ・ジャイアンツ来日。11勝4敗1分。
1960(昭和35)年10月25日:長野県飯田山岳隊、ネパールヒマラヤのサルバチョメに登頂。
1960(昭和35)年10月29日:東京浅草や五反田の「トルコセンター」を売春防止法違反、児童福祉法違反で検挙。初のトルコ風呂検挙。
1960(昭和35)年11月12日:東京六大学野球秋のリーグ戦で早慶6連戦となり、早大が優勝。
1960(昭和35)年11月19日:プロ野球巨人軍の監督に川上哲治が就任。
1960(昭和35)年11月19日:富士山で早大生ら55人がなだれで遭難。11人死亡。
1960(昭和35)年12月06日:国際ローラー・スケート競技大会、後楽園で開催。
1960(昭和35)年12月--日:全国国民宿舎運営協議会発足。
1960(昭和35)年--月--日:イギリスで、ウォルフェンデン委員会が「スポーツとコミュニティ」を発表。
1960(昭和35)年--月--日:「レジャー」が流行語になる。
1961(昭和36)年01月08日:スポーツ史上初のテレビ・カラー放送、大相撲の中継を実施。
1961(昭和36)年01月29日:第1回NHK杯ラグビー試合、秩父宮ラグビー場で開催。八幡製鉄50-13日大。
1961(昭和36)年02月08日:児童生徒の保健管理と保健指導を徹底するため、文部省、健康手帳の使用を奨励する通知をだす。
1961(昭和36)年04月12日:政治・一般、ソ連最初の人間衛星船「ウォストーク」一号が帰還、ガガーリン少佐。
1961(昭和36)年05月11日:大阪市大登山隊の3人がヒマラヤ雪崩で遭難、死亡。ヒマラヤでの日本人の初遭難。
1961(昭和36)年05月13日:社会人野球協会、プロ野球退団者を一切受け入れないことを決定。
1961(昭和36)年05月--日:全日本学校剣道連盟結成。
1961(昭和36)年06月01日:厚生省、国立がんセンターを設置。翌1962年5月23日、病院診療開始。
1961(昭和36)年06月06日:国会議員柔道連盟結成。会長正力松太郎。
1961(昭和36)年06月09日:関西学院大学隊、ペルー・アンデスの最高峰ワスカラン(6768m)に登頂。
1961(昭和36)年06月10日:文部省、学徒の対外運動競技の基準について通達。
1961(昭和36)年06月12日:マン島オートレースの125ccと250ccで、本田技研工業のチーム優勝。オートバイ輸出増加の道を開く。
1961(昭和36)年06月12日:一橋大学ペルー・アンデス探検隊、ペルーのプカイルカ北峰(6050m)に初登頂。
1961(昭和36)年06月16日:スポーツ振興法公布。
1961(昭和36)年06月17日:改正学校教育法公布。施行。
1961(昭和36)年06月17日:文部省、中学生の全国大会参加を認めるという学徒対外試合基準要項の一部緩和を通達。
1961(昭和36)年06月20日:国鉄の森滝義巳投手、対中日戦でプロ野球7人目の完全試合を達成。
1961(昭和36)年06月21日:東京五輪の種目(20種目)をIOCで決定。日本が強い柔道とバレーボールが新種目に。
1961(昭和36)年06月21日:小児麻痺患者、1月以来1000名突破。厚生省、ワクチン1300万人分緊急輸入決定。7月20日投与開始。
1961(昭和36)年06月25日:毎日マラソンで初来日のアベベ・ビギラ(エチオピア)が優勝。
1961(昭和36)年06月--日:文部省、中学生の全国大会参加を認めるという学徒対外試合基準要項の一部緩和を通達。
1961(昭和36)年07月07日:競走会連合会・日本モーターボート連盟共催、東京平和島=大阪中島間、太平洋1000kmマラソン競走挙行。
1961(昭和36)年07月25日:公営競技調査会、運営改善の条件をつけ競輪・競馬などの存続を内閣総理大臣に答申。
1961(昭和36)年07月--日:奈良ドリームランド開園。
1961(昭和36)年08月14日:第37回日本学生水上選手権大会、早大の中川清が100m平泳で1分11秒1、200平泳で2分35秒7の世界新記録。
1961(昭和36)年08月15日:一橋大学ペルー・アンデス探検隊、ボリビアのアポロバンバ群の4未踏峰(5000m級)に初登頂。
1961(昭和36)年08月18日:第15回全国レクリエーション大会(新潟)。21日まで。
1961(昭和36)年08月23日:全国高校野球連盟、大分県高田高校に試合禁止令。同校門岡投手が大会期間中にプロ野球入りを表明で。
1961(昭和36)年08月23日:戦後初の、第1回中学生水上競技大会を浜松で開催。
1961(昭和36)年08月25日:ユニバーシアード(ソフィア大会)、日本は陸上、水上、庭球、バスケット、体操、フェンシング出場。9月3日まで。
1961(昭和36)年09月17日:第1回アジア自転車競技選手権大会を開催。23日まで。
1961(昭和36)年09月--日:労働省婦人少年局「生活時間白書」発表。
1961(昭和36)年09月--日:相模湖での水上スキー禁止条例でる。
1961(昭和36)年10月02日:柏戸剛と大鵬幸喜、同時に第47代と48代目の横綱に昇進。柏鵬時代の開幕。
1961(昭和36)年10月04日:日本相撲連盟、「段位制」実施を発表。
1961(昭和36)年10月07日:第1回「スポーツの日」(国民体育デーを改称)。
1961(昭和36)年10月08日:プロ野球、中日ドラゴンズの権藤博投手、新人で最多の35勝を達成。
1961(昭和36)年10月14日:稲尾和久(西鉄)、1シーズン奪三振353個の新記録をつくる。後楽園球場。
1961(昭和36)年10月15日:欧州遠征の日紡貝塚女子バレーボールチーム帰国。大松博文監督のもと「東洋の魔女」24戦無敗。
1961(昭和36)年10月25日:全日本学生空手連盟、拓殖大、東海大を学連諸行事に無期限出場停止に。
1961(昭和36)年10月--日:プロ野球、西鉄の稲尾和久投手、年間42勝と奪三振353の新記録達成。
1961(昭和36)年11月11日:生理用品の「アンネ・ナプキン」発売開始。
1961(昭和36)年11月20日:厚生省、少年の睡眠薬遊びの流行に警告。
1961(昭和36)年11月23日:競馬天皇賞、3万人の観衆の前サチカゼが、完走直後に心臓麻痺で死亡。
1961(昭和36)年12月01日:財団法人国民休暇村協会設立。
1961(昭和36)年12月02日:第三回世界柔道選手権大会(パリ)開催。日本選手がオランダのヘーシンクに敗北。
1961(昭和36)年12月08日:文部省、学校給食15周年を記念して「学校給食白書」を発表。
1961(昭和36)年--月--日:ドドンパ、パチャンガ、スクスク流行。/「ウエストサイド物語」ロードショー公開で大人気。
1961(昭和36)年--月--日:M.カプラン編による“Leisure in America”が日高六郎監修『マスレジャー論』として一部翻訳に。
1962(昭和37)年01月20日:東京女子体育大学設立認可。
1962(昭和37)年01月27日:関西六大学野球連盟解散、新組織の一つとして再編・発足。
1962(昭和37)年02月01日:政治・一般、東京都世界初の一千万都市となる。
1962(昭和37)年02月25日:全日本柔道少年団発足。
1962(昭和37)年03月01日:政治・一般、テレビ受信契約数一千万台突破、普及率48.5パーセント。
1962(昭和37)年03月08日:厚生省、「国民健康調査」結果を発表。
1962(昭和37)年03月26日:衆議院で不正使用を追求された東大検見川ゴルフ場について、茅学長が廃止の声明。
1962(昭和37)年04月01日:日本レクリエーション協会の事務局長に小川長治郎氏就任。
1962(昭和37)年04月01日:文部省体育局運動競技課、スポーツ課と改称。
1962(昭和37)年04月15日:第1回国際少年モーターボート競技大会、東京石神井公園で開催。ゴムボートに2馬力エンジン付きで。
1962(昭和37)年04月16日:全日本プロボクシング協会が発足。
1962(昭和37)年04月27日:プロレス中継で興奮した視聴者(63歳の橋本杉三郎さん)、脳出血を起こし、心臓麻痺で死亡。
→【毎日新聞】
1962(昭和37)年04月--日:香川県レクリエーション協会、埼玉県レクリエーション協会発足。
1962(昭和37)年04月--日:この年度から、剣道を中学校において必修正科として実施。
1962(昭和37)年05月03日:全日本山岳連盟ヒマラヤ登山隊、ビッグ・ホワイト・ピーク(7038m)に初登頂。
1962(昭和37)年05月08日:日大登山隊、西ネパールのホンディ・ピーク(6600m)に登頂。
1962(昭和37)年05月17日:大日本製薬、西独でのサリドマイド系睡眠薬奇形児問題化のため、自主的に出荷中止。。
1962(昭和37)年05月23日:国立がんセンター、診療開始。
1962(昭和37)年05月29日:大相撲、ハワイへ初の海外巡業に出発。
1962(昭和37)年05月--日:大相撲、横綱若の花が引退。
1962(昭和37)年06月16日:ロンドンで開催の第10回パラリンピックに、日本も初参加することが決定。
1962(昭和37)年06月17日:高梨弥八、芦ノ湖で日本初の水上スキー凧に成功。
1962(昭和37)年06月19日:北大登山隊、ヒマラヤのチャムラン(7319m)に初登頂。
1962(昭和37)年06月20日:東大の検見川ゴルフ場、オリンピック・トレーニング・センターとして使用を決定。
1962(昭和37)年06月22日:日米大学野球選手権、ホノルルで開催。ミシガン大学3勝2敗で法政大を破る。
1962(昭和37)年06月23日:日本体育協会、スポーツ少年団結成。
1962(昭和37)年07月01日:日本レク協会の会報が「レクリエーション」と改称され8頁となり、雑誌移行への準備を整える。
1962(昭和37)年07月01日:東京都の給水制限、56日ぶりに解除で学校プールも復活。
1962(昭和37)年07月03日:第15回世界体操選手権大会(プラハ)開催。日本、男子団体に初優勝。
1962(昭和37)年07月10日:アメリカ高校レスリングチーム来日、8試合全勝。31日まで。
1962(昭和37)年07月13日:オリンピック関係閣僚懇談会、資金調達に公営競技の特別立法をまとめる。選手強化を最重点。
1962(昭和37)年07月25日:ロンドンで開催の第10回パラリンピックに、日本から2人が初参加。
1962(昭和37)年07月31日:厚生省、コレラ侵入防止で台湾バナナ輸入禁止。(8月2日台湾から門司入港の貨物船に17名患者。)
1962(昭和37)年08月01日:第16回全国レクリエーション大会(米子)を開催。IRA代表のドナルドエドルフ夫妻来日。
1962(昭和37)年08月08日:国体の水泳に中学生も参加できると決定。
1962(昭和37)年08月19日:全国高校野球選手権大会で作新学院が優勝(1対0で久留米商を破る)し、初の春夏連続優勝を達成。
1962(昭和37)年08月12日:堀江健一青年、93日間でヨットによる太平洋単独横断成功。サンフランシスコ着。
1962(昭和37)年08月14日:前穂高の屏風岩付近で落石のため3人死亡、5人重軽傷、今夏最大の事故。
1962(昭和37)年08月24日:第4回アジア競技大会(ジャカルタ)に、日本の陸上選手、国際陸連の除名覚悟で参加決定。11カ国同調。
1962(昭和37)年08月29日:フランス学生ラグビー・チーム来日。7勝1敗1分。
1962(昭和37)年08月--日:ボーイスカウト、アジア・ジャンボリー開催。
1962(昭和37)年09月05日:プロ野球、国鉄スワローズの金田正一投手、三振奪取3514個の世界記録樹立。
1962(昭和37)年09月06日:第1回漕艇世界選手権、スイスのルツェルンで開催。日本代表24人参加、エイト11位。
1962(昭和37)年09月12日:政治・一般、東海村の国産原子炉運転開始。
1962(昭和37)年09月20日:本田技研が日本初の本格的自動車レース場、鈴鹿サーキットを完成。
1962(昭和37)年09月--日:日本レク協会が、職場レクリエーション担当者協議会を城ケ島ユースホステルで開催。
1962(昭和37)年10月10日:ファイティング原田、ボクシング世界フライ級選手権獲得。
1962(昭和37)年10月13日:世界バレーボール選手権大会(モスクワ)開催。決勝でチェコを3-0、日本女子チーム7戦全勝の完全優勝。
1962(昭和37)年10月13日:京都大学山岳部のパンジャブ・ヒマラヤ遠征隊、インドラサン(6221m)に初登頂。
1962(昭和37)年10月21日:沖縄が、岡山で開催の第17回国民体育大会秋季大会に初めて正式参加。
1962(昭和37)年10月31日:中国卓球チーム来日(男子は中国2勝1敗、女子は日本2勝1敗)。11月4日まで。
1962(昭和37)年11月03日:新設の鈴鹿サーキットで、第1回全日本オートバイ選手権ロードレース大会を開催。4日まで。
1962(昭和37)年11月03日:東京湾の第2回オーシャン・レース(参加43隻)、早慶両大学のヨット2隻が行方不明。2遺体漂着、8人絶望。
1962(昭和37)年11月18日:第1回全国学校体育研究会開催。
1962(昭和37)年11月26日:国民休暇村第一号が鳥取県大山に開設。一泊700円。
1962(昭和37)年11月--日:日本レク協会が、第一回上級レクリエーション指導者講習会を城ケ島ユースホステルで開催。
1962(昭和37)年11月--日:最初の国民休暇村が鳥取鏡ヶ城で開業。
1962(昭和37)年12月05日:名古屋地裁、安楽死が違法とならない6要件を示した判決を下し話題に。
1962(昭和37)年12月--日:東京にスモッグ騒ぎ発生。
1962(昭和37)年--月--日:クレージーキャッツ「無責任」「スーダラ節」流行。/ツイスト流行。
1962(昭和37)年--月--日:日本レク協会で、上級指導者の資格を盛り込んだレク指導者検定規程の改訂が行われる。
1963(昭和38)年01月01日:北海道学芸大函館分校のスキー部員11名、氷点下30度の旭岳で遭難。
1963(昭和38)年01月03日:第39回東京=箱根間往復大学駅伝競走で、中央大学が史上初の5連勝を達成。
1963(昭和38)年01月16日:閣議、第11回オリンピック冬季大会の会場に札幌の立候補を了承。
1963(昭和38)年01月21日:中京女子大学、体育学部設立認可。
1963(昭和38)年01月--日:雑誌「新体育」1月号でレクリエーション問題を特集。(前川峰雄「近代社会とレク」等)
1963(昭和38)年02月09日:日本ハンドボール協会、11人制を全廃し、7人制を実施することを決定。
1963(昭和38)年02月16日:熊本大学の水俣病研究班、水俣病の原因は日本窒素工場の排水であると結論。
1963(昭和38)年02月17日:寺沢徹、別府毎日マラソンで2時間15分15秒の世界最高記録。
1963(昭和38)年02月22日:「サンケイスポーツ」創刊。
1963(昭和38)年03月20日:財団法人日本モーターボート協会発足。
1963(昭和38)年03月29日:閣議で東京オリンピックのためNHK放送センターを代々木公園に設置することを決定。
1963(昭和38)年04月01日:文部省体育局に「オリンピック課」設置。1965年3月まで。
1963(昭和38)年04月10日:東京オリンピック組織委にIOCから「インドネシアは招待するな」の公文書が届く。
1963(昭和38)年04月21日:第2回日豪水上東京大会800mリレーで日本チームが8分9秒8の世界新記録。
1963(昭和38)年04月25日:大阪駅前に、我が国最初の横断歩道橋完成。(9月10日、東京五反田駅前にも完成)
1963(昭和38)年04月--日:この年度から剣道を高校の必修正科として実施。学習指導要領の改正による。
1963(昭和38)年05月02日:三重県の鈴鹿サーキットで第1回日本グランプリ自動車レース大会が開催される。3日まで。
1963(昭和39)年05月12日:松山=呉間の瀬戸内海横断ヨットレースで、強風のため24隻転覆。大型艇を除きレース中止に。
1963(昭和39)年05月14日:財団法人国際身体障害者スポーツ大会運営委員会が設立。
1963(昭和39)年05月24日:古河電工、不況対策で各種競技への参加を中止。
1963(昭和39)年05月25日:競馬での、馬券用自動販売機が登場。
1963(昭和39)年05月26日:大鵬、大相撲で初めて6場所連続優勝。
1963(昭和39)年05月30日:千葉大学登山隊、東部ネパールのヌンブール(6954m)に初登頂。
1963(昭和38)年05月--日:日経連「職場レク実態調査報告」を刊行。
1963(昭和38)年06月20日:「観光基本法」公布。施行。
1963(昭和38)年06月30日:金田正一(国鉄スワローズ)、311勝の最多勝新記録。
1963(昭和38)年07月01日:身障児登録管理制度実施される。
1963(昭和38)年07月10日:関西六大学野球連盟、応援団不祥事の龍谷大学に秋のリーグ戦不出場を勧告。
1963(昭和38)年07月11日:老人福祉法公布。(法)
1963(昭和38)年07月--日:第45回全米レクリエーション大会に、日本レク協会から金井、吉田、江橋の三氏を派遣。
1963(昭和38)年08月04日:東大カラコルム遠征隊、ヒマラヤのバルトロ・カンリ(7312m)に初登頂。
1963(昭和38)年08月11日:日本学生柔道団(団長浜野正平九段)、ソ連に遠征。9月7日まで。
1963(昭和38)年08月13日:甲子園の高校野球に、初めてバトンガールが登場。対横浜高校戦で福井若狭高校の応援に。
1963(昭和38)年08月22日:日本レクリエーション協会、職場レク指導者を養成する「レク学苑」を、国立競技場を会場に開始。
1963(昭和38)年08月22日:名古屋の中村百貨店、屋上遊園地の回転飛行機ゴンドラ4台落下、子供8人が重軽傷。
1963(昭和38)年08月30日:ユニバシアード(ブラジル大会)に日本選手団66人参加。金メダル9個。9月8日まで。
1963(昭和38)年08月--日:山形県レクリエーション協会発足。
1963(昭和38)年09月18日:文部省、体育施設設備5カ年計画を発表。5年間で公立のプール、運動場、体育館などの倍増を目指す。
1963(昭和38)年09月18日:海老原博幸、タイのポーン・キングピッチを破り、日本人3人目のボクシング世界フライ級選手権を獲得。
1963(昭和38)年09月28日:日本相撲協会、「日刊スポーツ」の文が協会の名誉と力士の誇りを傷つけたと、社と石原新太郎を告訴に。
1963(昭和38)年10月02日:悪書追放運動はじまる。
1963(昭和38)年10月10日:慶応病院・順天堂病院で、一般から募る「アイ=バンク」開業。
1963(昭和38)年10月11日:東京国際スポーツ大会、顔入場や不正入場で、前売券を買った客が入場できないという不祥事おこる。
1963(昭和38)年10月12日:依田郁子、80mローハードルで10秒6を記録。11秒の壁を破る。
1963(昭和38)年10月21日:同志社大遠征隊、ヒマラヤのサイバル・ヒマール(7043m)に登頂。
1963(昭和38)年10月22日:都立大と大阪府立大合同登山隊、ヒマラヤの未踏峰シャルブ(7200m)に全員初登頂。
1963(昭和38)年11月10日:オートバイ世界選手権第一回日本グランプリ大会、鈴鹿サーキットで開催。
1963(昭和38)年11月23日:政治・一般、通信衛星による日米間のテレビ宇宙中継成功。第一報はケネディー大統領暗殺。
1963(昭和38)年12月03日:プロ野球広島球団との契約で訴訟ざたの関大西川投手、アマチュア資格剥奪。関大の秋季優勝も取消に。
1963(昭和38)年12月08日:「不死身のリキ」こと力道山(39歳)赤坂のキャバレーでやくざと喧嘩し刺される。(15日死亡、39歳)
1963(昭和38)年--月--日:J.ホイジンハ『ホモルーデンス』(高橋英夫訳)が中央公論社から出版。
1964(昭和39)年01月07日:高校生5人が、吹雪の岩木山で遭難。
1964(昭和39)年01月29日:第一回スポーツ少年団指導者中央講習会開催。2月2日まで。
1964(昭和39)年02月01日:栃ノ海晃嘉に、第49代横綱が免許される。
1964(昭和39)年02月22日:大相撲、ハワイ出身のジェシー・クハウルア(後の高見山)、米国人初の力士として入門。
1964(昭和39)年02月24日:東京オリンピック記念の大型貨幣(1000円)、1000万枚発行と決定。
1964(昭和39)年02月25日:ボクシングのカシアス・クレイ、ヘビー級王者に。(3月25日、タイトルマッチで初防衛、対リストン戦)
1964(昭和39)年02月--日:鈴木恵一が世界男子スピードスケート500mに優勝。
1964(昭和39)年03月14日:中山競馬、一番人気ハヤトオーに薬物注射事件。調教師、過怠金5000円を徴収される。
1964(昭和39)年03月20日:第1回全日本ラグビー選手権。花園ラグビー場で開催。同大が優勝。22日まで。
1964(昭和39)年03月20日:横浜から油壺にむかっていた学習院大学のヨット「翔鶴号」乗員5人が遭難。
1964(昭和39)年03月28日:中央アルプス駒ヶ岳の遭難者捜索、出動の自衛隊機が谷間に墜落。二重遭難。(29日にはヘリが墜落。)
1964(昭和39)年03月--日:日本レクリエーション協会の支援で、教育・研究者などからなるレク研究懇談会を発足。
1964(昭和39)年04月01日:総理府「観光白書」を国会に提出。
1964(昭和39)年04月01日:年間滞在費五百ドル(18万円)以内で海外旅行自由化。
1964(昭和39)年04月01日:東京オリンピックの標語、名古屋の中学生作「世界は一つ東京オリンピック」が入選作と決定。
1964(昭和39)年04月01日:東京教育大学大学院、体育学研究科開設。
1964(昭和39)年04月06日:戦後初の海外観光旅行ツアー羽田空港を出発。日本交通公社「ヨーロピアン・ジェット・トラベル」の16名。
1964(昭和39)年04月10日:長野県山岳連盟遠征隊、ヒマラヤのギャチュンカン(7922m)に初登頂。(9日に、滝隊員遭難)
1964(昭和39)年04月14日:文部省、「青少年スポーツテスト」の全国実施を発表。
1964(昭和39)年04月17日:オリンピック記念メダルを発売。怪我人でる。
1964(昭和39)年04月23日:奈良県五条高校のオリンピック水泳選手候補3人、「勉強の妨げ」と強化合宿不参加に。
1964(昭和39)年04月--日:人事院規則106(職員の元気回復)が制定公布。
1964(昭和39)年04月--日:佐賀県レクリエーション協会発足。
1964(昭和39)年05月03日:プロ野球巨人軍の王貞治選手、対阪神戦で史上初の1試合4打席連続本塁打を放つ。
1964(昭和39)年05月16日:立教大学登山隊、ヒマラヤのパタンツェ(5730m)に登頂。
1964(昭和39)年05月17日:慶應義塾大学の渡辺泰輔投手、慶立戦で六大学野球史上初の完全試合を達成。
1964(昭和39)年05月17日:新潟県白山競技場で、国体開会式の練習中、小中高校生ら149人が日射病で卒倒。
1964(昭和39)年06月01日:ビール酒類、25年ぶりに自由価格になる。
1964(昭和39)年06月07日:大阪球場の南海・近鉄戦で、判定に端を発して両軍選手大乱闘、日本プロ野球史上初めての不祥事に。
1964(昭和39)年06月14日:陸上競技の飯島秀雄(早大)、西ベルリン陸上競技会で100mに10秒1を記録。29年ぶり日本新記録を更新。
1964(昭和39)年06月20日:第13回全日本学生柔道優勝大会(東京都体育館)、明治大学初の4連覇。
1964(昭和39)年06月22日:東都大学野球連盟を再編成、東海大など5校で「首都大学野球連盟」を新組織。
1964(昭和39)年06月27日:新潟地震で国民体育大会(夏期大会)が中止に。
1964(昭和39)年06月--日:「教育職員免許法の一部を改正する法律案」国会で可決。剣道・柔道等の高校職員検定制度の途開かれる。
1964(昭和39)年07月07日:山梨県「富士急ハイランド」開園。
1964(昭和39)年07月10日:岸記念体育会館落成(東京代々木)。
1964(昭和39)年07月13日:全日本大学野球連盟が、日体大や東海大など7校で新たに組織した「首都大学野球連盟」を承認。
1964(昭和39)年07月20日:警視庁、流行に先手を打ち「トップレス水着は禁止」と全国へ取締を通達。
1964(昭和39)年07月23日:東京世田谷に東京都立「駒沢オリンピック公園」完成。
1964(昭和39)年07月29日:名古屋大学OBら3人乗組のヨット「チタ2世」(6月6日名古屋港出発)、54日20時間で太平洋横断。ロス到着。
1964(昭和39)年07月--日:政治・一般、新幹線愛称きまる「ひかり」「こだま」。
1964(昭和39)年08月01日:「改正風俗取締法」施行。(公布5月1日)深夜営業規制強化により「深夜喫茶」消える。
1964(昭和39)年08月12日:北ア前穂高で近大生が転落、同行者と付近を登攀中の早大生がザイルに足をすくわれて3人死亡。
1964(昭和39)年08月31日:プロ野球、南海ホークスの村上雅則選手、日本人初の大リーガーとなる。ジャイアンツ入り。
1964(昭和39)年09月05日:丹下健三らが設計した代々木の国立屋内総合体育館の落成式が行われる。
1964(昭和39)年09月09日:東京オリンピックの記念切手、第1次発行開始。
1964(昭和39)年09月23日:王貞治(巨人)、年間最多本塁打55本の日本新記録。この頃長島茂雄と並びON砲といわれる。
1964(昭和39)年09月26日:大相撲が部屋別総当たり制になる。翌年初場所から実施ときまる。
1964(昭和39)年09月--日:政治・一般、モノレール営業開始、浜松町=羽田間。
1964(昭和39)年10月01日:東京、「明治公園」開園。
1964(昭和39)年10月02日:日本体育学会と毎日新聞社共催で「日本スポーツ史展」を東京西武百貨店で開催。21日まで。
1964(昭和39)年10月02日:オリンピック東京大会に先駆け、大阪を中心に京都や奈良で、世界レク大会開催(07日まで)
1964(昭和39)年10月03日:日本武道館が開館。
1964(昭和39)年10月06日:オリンピック東京大会を機に、世界青少年キャンプを東京学芸大学内で開く。
1964(昭和39)年10月10日:第18回東京オリンピック大会開催。日本選手団410名。参加94カ国、選手総数5541名。(24日閉幕)
1964(昭和39)年10月13日:京大登山隊(樋口隊長)が、世界で初めてヒマラヤのアンナプル南峰に登頂。
1964(昭和39)年10月17日:「歩け歩けの会」発足。明治神宮絵画館前から東京学芸大学までを歩く。歩け歩け運動の始まり。
1964(昭和39)年10月23日:東京オリンピック、女子バレーボールで東洋の魔女と言われた日本チーム、金メダル獲得。
1964(昭和39)年10月--日:政治・一般、東海道新幹線開通営業開始、東京ー新大阪。
1964(昭和39)年11月02日:総評、中立労連主催第1回日本労働者スポーツ祭典、国立競技場などで開催。
1964(昭和39)年11月08日:パラリンピック(国際身体障害者スポーツ大会)東京大会開催。アジアでは初。11月14日まで。
1964(昭和39)年11月09日:政治・一般、佐藤栄作内閣成立。
1964(昭和39)年11月15日:シンザン、菊花賞レースに勝ち3冠馬となる。23年ぶり。
1964(昭和39)年11月--日:国民健康体力増強策について閣議決定をみる。
1964(昭和39)年11月--日:第1回の高等学校剣道教員資格試験を、全国4箇所で実施。
1964(昭和39)年12月16日:文部省、高校生の冬山登山を禁止。
1964(昭和39)年--月--日:「11PM」(日本テレビ)/「テイジンエル」(帝人の膝上10センチのミニスカート)
1964(昭和39)年--月--日:「みどりの窓口」(指定券の電子計算機での発売)。
1965(昭和40)年01月08日:第1回東西大学ラグビー選手権大会、秩父宮ラグビー場で開催。砲台優勝。10日まで。
1965(昭和40)年01月10日:大相撲初場所から、従来の系統別の取組を廃止し、部屋別総当り制の取組に。
1965(昭和40)年01月16日:京都競馬第7レース障害特別の本命馬ミスマサコ。薬物(鎮静剤)注射で出走取り消しに。犯人は馬主と判明。
1965(昭和40)年01月25日:日本女子体育大学、設立許可。
1965(昭和40)年01月29日:佐田の山晋松、横綱免許。
1965(昭和40)年02月07日:政治・一般、アメリカ。北ベトナム爆撃再開。
1965(昭和40)年02月22日:厚生省、死者続出でアンプル入り風邪薬の販売中止を要請。
1965(昭和40)年02月24日:第33回全日本スピード選手権大会開催。鈴木恵一(明大)、500mに40秒2の世界最高記録樹立。25日まで。
1965(昭和40)年02月28日:新治伸治(東大)、「大洋ホエールズ」に入団。東大からのプロ野球入り第1号。
1965(昭和40)年03月06日:河野国務相、全国の河川敷を体育振興のため「クランド用に解放するよう努力」と語る。
1965(昭和40)年03月06日:中岡競馬の騎手等3名逮捕。暴力団から賄賂を受け取り、八百長レース。
1965(昭和40)年03月25日:「体力づくり国民会議」発足。
1965(昭和40)年03月--日:大阪に山田スイミングクラブ誕生、同じ頃東京に代々木スイミングクラブ発足。
1965(昭和40)年03月--日:初の「国民健康の日」。
1965(昭和40)年03月--日:かつらのアートネイチャーが創業、男性用かつらブームの先駆。
1965(昭和40)年04月07日:初の「国民健康の日」。
1965(昭和40)年04月07日:中大ボクシング部主将、酔って大暴れ、23日退学処分。ボクシング部は休部と決定。
1965(昭和40)年04月16日:松下電器、完全週休二日制実施。
1965(昭和40)年04月19日:日本眼球銀行(アイ・バンク)協会設立。
1965(昭和40)年04月30日:七大都市周辺の河川敷を国民広場にする公園化5カ年計画、競馬の益金で着工と決定。
1965(昭和40)年04月--日:大塚製薬、炭酸入り滋養強壮ドリンク「オロナミン」発売。
1965(昭和40)年04月--日:秋田県レクリエーション協会発足。
1965(昭和40)年05月10日:日本労働者スポーツ協会発足。
1965(昭和40)年05月13日:日本レクリエーション研究会発足。日本レジャー・レクリエーション学会の前身。
1965(昭和40)年05月13日:大相撲の大鵬、柏戸、北富士らがピストル汚染。米国巡業の際に入手したと、協会が警視庁に届出。
1965(昭和40)年05月18日:ファイティング原田、世界バンタム級ボクシング選手権を獲得。日本人初の二階級制覇。
1965(昭和40)年05月22日:東京農大ワンダーフォーゲル部員、上級生のシゴキをうけ1年生和田君が死亡、他の2人も重傷。問題化。
1965(昭和40)年05月26日:山梨県、遭難対策として全登山者に傷害保険をかけさせ、事故の活動費に充当することを決定。7月実施。
1965(昭和40)年05月--日:群馬県レクリエーション協会発足。
1965(昭和40)年05月--日:日本労働者スポーツ協会発足。
1965(昭和40)年05月--日:東京、池上スポーツ普及クラブ発足。
1965(昭和40)年06月03日:文部省、学生の課外活動について通達。
1965(昭和40)年06月06日:日本サッカーリーグ(実業団A級8チーム)開幕。釜本や杉山ら人気集める。開幕試合に5000人。
1965(昭和40)年06月12日:新潟大学の植木幸明教授ら、阿賀野川流域で有機水銀中毒患者発生と発表(第2次水俣病)。
1965(昭和40)年06月12日:ウィンザーマラソンで、重松森雄が2時間12分の世界最高記録で優勝。
1965(昭和40)年06月13日:日高山脈で3月14日に遭難の北大生リーダーの遺体、4日間の「死の日記」とともに発見。
1965(昭和40)年06月14日:農大シゴキ事件で、監督ら7人起訴。
1965(昭和40)年06月29日:阪神地方、水の汚染が激しく、神戸須磨海水浴場を除いて海水浴場が全面廃止に。
1965(昭和40)年06月--日:政治・一般、名神高速道路開通。
1965(昭和40)年06月--日:政治・一般、ノーベル物理学賞、朝永振一郎氏受賞。
1965(昭和40)年07月13日:鹿島郁夫、ヨットで大西洋横断に成功。
1965(昭和40)年07月25日:日ソ文化交流のスポーツ使節として、ソ連文化省から招聘された相撲団大鵬ら34力士、モスクワ巡業へ。
1965(昭和40)年07月--日:日本男女卓球チーム・日本体育代表団、中国を訪問。
1965(昭和40)年08月06日:服部満彦、渡部恒明、マッターホルン北壁、日本人初登頂。
1965(昭和40)年08月15日:高田光政、アイガー北壁に、日本人初登頂。同行の渡部恒明、遭難し死亡。
1965(昭和40)年08月18日:母子保健法公布。
1965(昭和40)年08月28日:プロ野球コミッショナー委員会発足。
1965(昭和40)年08月--日:全国勤労青少年野外活動大会(戸隠=42年まで)。
1965(昭和40)年08月--日:「歩け歩けの会」が「日本歩け歩け運動協会」と発展的に改称。
1965(昭和40)年09月05日:「エレキ」に乗って若いブーム呼ぶ、フランス生まれ。シビレるゴーゴーダンスと毎日が報ず。
→【毎日新聞】
1965(昭和40)年09月13日:中央競馬界、暴力団員と一流騎手(山岡つとむ、中沢、高橋勇など)が組んだ八百長事件発覚。
1965(昭和40)年09月--日:国立社会教育研修所開所。
1965(昭和40)年10月05日:北海道釧路の小学校、炊事遠足でコンロ爆発。4人死亡、24人重軽傷。
1965(昭和40)年10月13日:第一回日本レクリエーション研究大会開催。
1965(昭和40)年10月21日:プロ野球パリーグ、南海の野村克也捕手が、三冠王となる。
1965(昭和40)年11月12日:新日本体育連盟結成。
1965(昭和40)年11月17日:プロ野球、第1回ドラフト会議開催。
1965(昭和40)年11月21日:第11回全日本学生重量挙選手権大会で、ミドル級の大内仁(法大)、トータル452.5kgの世界新記録樹立。
1965(昭和40)年11月27日:日本男女バレーボールチーム総勢31名、中国を訪問。
1965(昭和40)年11月--日:文部省『わが国の社会教育』刊行。
1965(昭和40)年11月--日:政治・一般、東海原子力発電所、一般向け送電開始。
1965(昭和40)年12月01日:日本スケートフォークダンス普及会設立。氷上フォークダンスカーニバル開催。
1965(昭和40)年12月26日:競馬のシンザン、有馬記念で優勝。史上初の五冠馬達成。(さつき賞、ダービー、菊花賞、天皇賞)
1965(昭和40)年--月--日:J.フーラスティエ『四万時間----未来の労働を予測する----』(長塚隆二訳)が朝日新聞社から出版
1966(昭和41)年01月06日:橋本登美三郎長官、事務次官会議で、公務員の姿勢を正すため、平日のゴルフ自粛を指示。
1966(昭和41)年01月06日:文部省、雪山の遭難続出に「無謀登山させるな」と再警告。
1966(昭和41)年01月08日:第18回社会人ラグビー、八幡製鉄が初の4年連続優勝。。
1966(昭和41)年01月15日:常磐炭坑、廃坑跡に温泉娯楽場「常磐ハワイアンセンター」オープン。
1966(昭和41)年01月--日:文部省主催、日本歩け歩け運動協会後援で、歩け歩け運動中央大会(皇居一周他)を実施。
1966(昭和41)年02月05日:ユニバシアード冬季大会(イタリア)開会。13日まで。笠谷幸生と佐藤信夫優勝、福原美和二連勝。
1966(昭和41)年02月10日:オリンピック記念青少年総合センター開所式挙行。
1966(昭和41)年02月13日:第15回別府毎日マラソンに寺沢徹(東レ)、前人未踏の4連勝を達成。
1966(昭和41)年03月26日:富山県、全国初の登山届出条例制定。無謀登山防止の動きを背景に。
1966(昭和41)年03月27日:日レク協会事務局岸記念体育会館へ移転。
1966(昭和41)年04月07日:千葉大学付属病院医局員鈴木充、千葉など3県でチフス菌や赤痢菌の人体実験をした容疑で逮捕。
1966(昭和41)年04月11日:日産自動車ブルーバードが、第14回サファリラリーで1、2位を獲得。
1966(昭和41)年04月16日:日本キャンプ協会設立。
1966(昭和41)年04月16日:国立競技場トレーニングセンター開設。
1966(昭和41)年04月19日:第70回ボストンマラソンで、君原健二が優勝。4位まで日本人が独占。
1966(昭和41)年04月23日:アントニオ猪木と豊登が「東京プロレス」を設立と発表。
1966(昭和41)年04月26日:IOCが、1972年冬季五輪大会の開催を札幌に決定。
1966(昭和41)年04月--日:総理府に「青少年局」設置。
1966(昭和41)年05月01日:大洋の佐々木吉郎投手、対広島戦でプロ野球8人目の完全試合を達成。
1966(昭和41)年05月02日:東都大学野球連盟、応援団乱闘事件の日大・亜大を処分。(9日処分を撤回)
1966(昭和41)年05月06日:農林省、水銀系農薬の非水銀系への切替え通達。(5月17日、民間15団体が農薬中毒対策協議会設立)
1966(昭和41)年05月12日:西鉄の田中勉投手、対南海戦でプロ野球9人目の完全試合を達成。
1966(昭和41)年05月21日:14日開催の第4回ユーバー杯(バドミントン)で、日本女子チームが初参加で世界初制覇を遂げる。
1966(昭和41)年05月28日:第1回アジア柔道選手権大会、マニラで開催。重量級、中量級、軽量級、無差別級で優勝。
1966(昭和41)年05月--日:青少年育成国民会議結成。
1966(昭和41)年05月--日:東京北区、加賀温泉に「コインランドリー」第一号機登場。
1966(昭和41)年06月04日:第1回全日本大学選抜バレーボール大会開催。男子は中大、女子は武庫川女子大が優勝。
1966(昭和41)年06月22日:農大ワンゲル部のシゴキ事件、東京地裁で7被告全員に有罪の判決。
1966(昭和41)年06月23日:第1回世界学生柔道選手権大会(プラハ)に日本、団体戦で優勝。
1966(昭和41)年06月25日:国民祝日法が改正され、「敬老の日(09月15日)」と「体育の日(10月10日)」が祝日に。
1966(昭和41)年06月26日:日本初のオリエンテーリング大会、「徒歩ラリー」の名称で高尾山で開催。
1966(昭和41)年06月30日:富士登山の日大山岳部リーダー3人、下級生シゴキで逮捕。
1966(昭和41)年07月11日:第1回全日本サーフィン大会、千葉の鴨川海岸で、女性1人を含む99人が参加して開催。ドルフィンクラブ優勝。
1966(昭和41)年07月26日:性病予防法改正公布。婚姻時の梅毒血液検査や診断書の交換を奨励。
1966(昭和41)年07月27日:大韓国体育会、日韓スポーツ交流を中止することを正式発表。
1966(昭和41)年07月--日:日通富士見ランド(静岡県)開園。
1966(昭和41)年08月06日:女子バレーボール、日紡貝塚チーム世界バレー代表選考会でヤシカに敗れ、連勝記録は258に終わる。
1966(昭和41)年08月07日:初の全日本軽飛行機レース開催。
1966(昭和41)年08月11日:高田光政、マッターホルン北壁に登頂。
1966(昭和41)年08月14日:宮崎県でキャンプ中の女子生徒と教師、濁流にのまれる。5人死亡、4人行方不明。
1966(昭和41)年08月24日:第48回全国高校野球選手権、中京商高が春夏連続優勝。
1966(昭和41)年09月17日:日本学生野球協会、日本アマチュア野球協会を脱退。
1966(昭和41)年09月28日:浜名湖競艇場で、アクアラングを用いてスクリューを狂わせ、レースで「大穴」をあてた盗人を逮捕。
1966(昭和41)年10月10日:初の「体育の日」。全国各地でスポーツ行事。
1966(昭和51)年11月19日:横綱栃ノ海引退。横綱在位2年9ヵ月で史上最短命。
1966(昭和51)年11月27日:第一回福岡国際マラソン選手権が開催。ニュージーランドのライアンが優勝。
1966(昭和41)年12月09日:第5回アジア競技大会、タイのバンコックで開催。12月20日まで。
1966(昭和41)年12月--日:和歌山県レクリエーション協会発足。
1966(昭和41)年--月--日:東京都三鷹市、体育指導委員を中心とする「自主スポーツクラブ」を発足。
1996(昭和41)年--月--日:「おはなはん」(NHK) 第一次フォークブーム(ギターの普及)。
1967(昭和42)年01月11日:NHKが日本バレーボール協会に絶縁状通告。第5回女子世界選手権大会の民放との特約中継が原因。
1967(昭和42)年01月22日:精進湖で氷が暖気で割れ、スケートの高校生3人水死。
1967(昭和42)年01月23日:東海大学、体育学部設立許可。仙台大学、体育学部設立許可。
1967(昭和42)年01月27日:日本プロボウリング協会設立。
1967(昭和42)年01月29日:横綱大鵬、2度目の6場所連続優勝を達成。
1967(昭和42)年01月31日:大相撲、九重親方が出羽海部屋から独立。(2月2日、日本相撲協会がこれを許可)
1967(昭和42)年01月--日:徳島県レクリエーション協会発足。
1967(昭和42)年02月11日:<政治・一般> 最初の「建国記念日」。
1967(昭和42)年02月--日:宮城県レクリエーション協会発足。
1967(昭和42)年03月04日:高見山大五郎、外人初の関取(十両)となる。
1967(昭和42)年03月09日:新潟の苗場で第1回全日本スピードスキー競技大会開催。楠村喜一が134.479kmのスピードで日本一に。
1967(昭和42)年04月08日:富士スピードウェイで日本初の長距離耐久自動車レース開催。
1967(昭和42)年04月12日:青年医師連合、インターン制度に反対して医師国家試験をボイコット。
1967(昭和42)年04月15日:政治・一般、東京都知事に革新系の美濃部亮吉当選。
1967(昭和42)年04月21日:第29回世界卓球選手権で、日本は男女団体など6種目で優勝。
1967(昭和42)年04月25日:プロ・スキーヤーの三浦雄一、富士山頂から滑降。
1967(昭和42)年04月29日:モーターボート平和島競走場で、競艇界最初の500円勝舟投票権の発売を開始。
1967(昭和42)年03月05日:第1回青梅マラソン開催。
1967(昭和42)年04月22日:ストックホルムの世界卓球選手権、日本が男女団体で優勝。個人戦でも6種目で優勝する。
1967(昭和42)年04月28日:ヘビー級チャンピオンのカシアス・クレイ徴兵宣誓を拒否。世界ボクシング協会タイトルを剥奪。
1967(昭和42)年04月30日:ハワイ生まれの日系3世藤猛、ジュニア・ウエルター級チャンピオンに。「ヤマトダマシイ」を強調。
1967(昭和42)年04月--日:保健体育審議会、壮年体力テスト実施要項を答申。
1967(昭和42)年05月22日:東京六大学野球春のリーグ戦、慶・法戦で法大の田淵幸一2本塁打、通算10号の新記録を樹立。
1967(昭和42)年06月02日:東京YMCA山中キャンプ場で第一回全国キャンプ指導者講習会を開催(日本キャンプ協会)。
1967(昭和42)年06月15日:ボクシングの沼田義昭、ジュニア・ライト級のチャンピオンに。
1967(昭和42)年06月15日:群馬県警、谷川岳遭難の4人を初の遭難防止条例違反で送検。
1967(昭和42)年07月08日:キング夫人が、テニス女子2人目のグランドスラムを達成。
1967(昭和42)年07月13日:鹿島郁夫、コラーサ2世号(小型ヨット)で、101日かかり太平洋横断に成功。
1967(昭和42)年07月19日:東京女子医大登山隊(今井通子隊長)、マッターホルン北壁を登頂。女性としては初。
1967(昭和42)年07月22日:高田光政、グランドジョラス登頂に成功、マッターホルン、アイガーの北壁と併せアルプス三大北壁征服。
1967(昭和42)年07月29日:文部省、公立学校公害調査(1967)の結果を発表。被害高は約2000校に。
1967(昭和42)年07月--日:東龍太郎、日レク協会の第四代目の会長に就任。
1967(昭和42)年07月--日:岩手県レクリエーション協会発足。
1967(昭和42)年07月--日:日本人の総人口が1億人を越したと、総理府統計局が発表。
1967(昭和42)年08月24日:高校野球選抜チーム、ハワイとアメリカへ遠征。9月12日帰国。
1967(昭和42)年08月26日:ユニバーシアード東京大会、参加は34ヶ国と「毎日」が報ず。
→【毎日新聞】
1967(昭和42)年08月27日:第5回ユニバーシアード大会(東京大会)開催。共産圏諸国不参加、日本21種目に優勝。64メダル獲得。
1967(昭和42)年09月01日:四日市ぜんそく患者9人。石油コンビナート6社を相手に慰謝料請求訴訟。初の大気汚染公害訴訟。
1967(昭和42)年09月27日:IOCでオリンピックでのセックス・チェックやドーピング・テストの実施決定。
1967(昭和42)年10月18日:イギリスからミニの女王ツイッギー来日。ミニスカート流行。
1967(昭和42)年10月--日:サッカー、日本のオリンピック出場が決まる。
1967(昭和42)年10月--日:政治・一般、吉田茂元首相死去、国葬。
1967(昭和42)年11月02日:厚生省、尾瀬地区の環境保護のために「尾瀬を守る計画」を策定。
1967(昭和42)年11月21日:第42回全日本庭球選手権大会で、高校生の沢松和子(16)が優勝。12日開始。
1967(昭和42)年11月--日:茨城県レクリエーション協会発足。
1967(昭和42)年11月--日:栃木県レクリエーション協会発足。
1967(昭和42)年12月03日:第1回バスケットボール日本リーグで、松下電器と二チボーが男女それぞれの王者に。
1967(昭和42)年12月07日:交通事故による「むちうち症」激増。名古屋で患者の全国組織準備会を開催。
1967(昭和42)年12月14日:ボクシング、小林弘がジュニア・ライト級のチャンピオンに。
1967(昭和42)年--月--日:国際プレイグラウンド協会世界大会に日レク協会から代表を派遣。(国際)
1967(昭和42)年--月--日:P.H.モー、トリム運動を提唱。(ノルウェー)
1967(昭和42)年--月--日:鶴見俊輔『限界芸術論』(勁草書房)出版。
1968(昭和43)年01月06日:高見山、外国人力士として初入幕。
1968(昭和43)年01月09日:東京オリンピック大会マラソンで三位入賞の円谷幸吉、自殺。27歳。
1968(昭和43)年01月19日:ユニバシアード冬季大会(インスブルグ)開幕。28日まで、女子フィギュアで大川久美子、純ジャンプと複合で板垣宏優勝。
1968(昭和43)年02月03日:プロレス、ジャイアント馬場とアントニオ猪木が新タッグ・チャンピオンに。
1968(昭和43)年02月06日:第10回オリンピック冬季大会(グルノーブル)開幕。日本役員16、選手62人参加。
1968(昭和43)年02月22日:第46回日本選手権ノルディック(大鰐温泉)、女子10kmで中学生(阿仁二中)の石川きぬ子が優勝。
1968(昭和43)年03月15日:大相撲、横綱佐田の山が引退。
1968(昭和43)年03月--日:キック・ボクシングが初めてテレビ放送されて人気に。沢村忠ヒーローとなる。
1968(昭和43)年04月11日:川崎競輪で、レースが不明朗だと観衆が騒ぎ、正面スタンドや払戻所などに放火。9人逮捕、28人怪我。
1968(昭和43)年04月14日:NHK、第23回毎日マラソン大会を、スタートからゴールまで初の完全中継。
1968(昭和43)年04月26日:全国の加入電話数が一千万台を突破。
1968(昭和43)年05月08日:富山県イタイイタイ病、公害病に認定。
1968(昭和43)年05月18日:イギリスのプロサッカーチーム、アーセナル来日。対全日本で3勝0敗。
1968(昭和43)年05月18日:文部省、1968年度の「体力・運動能力調査報告」を発表。「男42歳、女39歳が老化への曲がり角」。
1968(昭和43)年05月19日:東京青山で、第一回「自閉症児親の会全国大会」開催。
1968(昭和43)年05月--日:岡山県レクリエーション協会発足。
1968(昭和43)年06月20日:モンブラン頂上からのスキー滑降、日本人で初めて植木毅が成功。
1968(昭和43)年06月26日:政治・一般、小笠原諸島日本復帰。
1968(昭和43)年06月--日:文化庁発足。
1968(昭和43)年07月01日:東京体育館タータントラック竣工。
1968(昭和43)年07月07日:日本ダービーで、売上げ41億円の新記録。
1968(昭和43)年07月07日:女性登山家小原ケイ、ヒマラヤで転落、行方不明。
1968(昭和43)年07月16日:東京オリンピックの散弾横流しで、クレー協会関係者など33人送検。
1968(昭和43)年07月--日:政治・一般、「郵便番号制度」発足、「交通違反点数制」スタート。
1968(昭和43)年08月07日:脳性麻痺の身障者グループ「青い芽の会」35人、富士山に登頂。
1968(昭和43)年08月08日:和田寿郎札幌医大教授、日本初の心臓移植手術を行う。
1968(昭和43)年08月--日:自転車道路協会が東京・明治神宮外苑に阿行くリングコースを開設。
1968(昭和43)年09月03日:日大山岳部グリーンランド横断隊、60日間に約1000kmの踏破横断に成功。
1968(昭和43)年09月14日:広島の外木場義郎投手、対大洋戦でプロ野球10人目の完全試合を達成。
1968(昭和43)年09月23日:モーターボート児島競走場(倉敷市営)第9レースで大規模な騒擾事件。運輸省10月4〜11月3まで開催停止。
1968(昭和43)年09月26日:厚生省、水俣病が新日本窒素から排出のメチル水銀化合物が原因と断定。公害病と認定。
1968(昭和43)年09月27日:ボクシングの西城正三、WSAフェザー級チャンピオンに。
1968(昭和43)年10月10日:阪神の江夏豊、奪三振401のプロ野球新記録を達成。(9月17日、王を三振に打取り354奪三振新記録に。)
1968(昭和43)年10月10日:戸山商高サッカー部員、シゴキで死亡。
1968(昭和43)年10月12日:第19回オリンピックがメキシコで開会。17競技215人参加。金11、銀7、銅7。
1968(昭和43)年10月25日:アジア・レク・シンポジウム(千葉) 八カ国22名が参加。(31日まで)
1968(昭和43)年10月29日:札幌医大の和田寿郎教授執刀の、日本初の心臓移植を受けた患者、移植後83日目に死亡。
1968(昭和43)年10月--日:国際スポーツ体育協議会「スポーツ宣言」を採択(国際)。
1968(昭和43)年11月01日:第43回全日本庭球選手権大会開催。9日まで。高校生の沢松和子が連勝。
1968(昭和43)年11月10日:第16回全日本学生剣道優勝大会開催。国士舘大が2年ぶり3度目の優勝。
1968(昭和43)年12月09日:日本プロ卓球連盟創立。
1968(昭和43)年12月10日:政治・一般、三億円事件。
1968(昭和43)年12月16日:勧業銀行、初の一等賞金1000万円の宝くじ「第76回全国自治宝くじ」を発売。
1968(昭和43)年12月17日:厚生省、約50万人分の保育施設が不足していると推計。保育施設増設の具体策を都道府県に通達。
1968(昭和43)年--月--日:愛媛県久万町「体力つくりの町」を宣言。
1968(昭和43)年--月--日:日レク協会、「レクソング教室」開催。レクリエーションソングを対象とした指導者講習会のはじまり。
1968(昭和43)年--月--日:「ローラーゲーム」、浪越徳次郎の指圧教室など、テレビで人気に。。
1968(昭和43)年--月--日:安田武の『遊びの論』(永田書房から出版)。さらに森秀人『遊民の思想』(虎見書房)刊行。
1969(昭和44)年01月07日:全国高校サッカー選手権大会で、浦和南高校が優勝。初の三冠王。
1969(昭和44)年01月11日:東京=石打間に特急スキー列車「新雪」の運転開始。スキー特急は全国初めて。
1969(昭和44)年01月19日:学生スキー選手権で、岩谷俊一(法大)、30km、15kmに優勝し、大会史上初の二冠王に。。
1969(昭和44)年01月21日:水泳の木原美知子、日大水泳部に退部届を提出。東洋レーヨンの千束の水着モデルとなる。
1969(昭和44)年01月24日:美濃部東京都知事、都主催の公営ギャンブル(競馬、競輪、オートレース、競艇、宝籤)の廃止方針を発表。
1969(昭和44)年01月--日:日本フォークダンス連盟「通信講座」開設。
1969(昭和44)年01月--日:厚生省「東海道自然歩道」建設計画発表。
1969(昭和44)年02月08日:日本実業団卓球連盟発足。
1969(昭和44)年02月12日:静岡で、レーサー福沢幸雄が走行中に激突死。
1969(昭和44)年02月15日:世界選手権、スピードスケート500mで、鈴木恵一が三連勝達成。
1969(昭和44)年02月15日:東京地裁、1964年に男性3人に性転換を行った東京都中央区の産婦人科医に、優生保護法違反の有罪判決。
1969(昭和44)年02月19日:東京、聖橋高校の火事は、競馬狂の高校生の放火と判明。
1969(昭和44)年03月01日:かつら会社のアデランス創業。
1969(昭和44)年03月10日:海老原博幸、ホセ・セペリノを倒して世界フライ級チャンピオンに返り咲く。
1969(昭和44)年03月10日:大相撲、大鵬の連勝45でストップ。翌日の新聞、相手の足が早く土俵を割った写真掲載する等話題に。
1969(昭和44)年03月15日:岩手教組、来年の岩手国体で小中学生の集団演技や鼓笛の中止を、主催者側の県国体局や県教委に要請。
1969(昭和44)年03月18日:日本相撲協会、夏場所から写真を勝負判定の参考に使用することを正式に決定。
1969(昭和44)年03月22日:バドミントン全英選手権女子シングルスで、湯木博恵が日本人初チャンピオンに。
1969(昭和44)年03月--日:三重県レクリエーション協会発足。
1969(昭和44)年04月01日:警視庁、15年ぶり連発式パチンコを正式認可。
1969(昭和44)年04月04日:国際剣道連盟発足(15カ国)し、日本武道館で第一回剣道世界選手権大会を開催。
1969(昭和44)年04月--日:文部省体育局監修「健康と体力」創刊。
1969(昭和44)年05月02日:日本初のインターナショナル・フォーミュラー・カーレース、1969年度JAFグランプリを開催。
1969(昭和44)年05月04日:第1回全日本シーボッブ大会、山形県月山スキー場で開催。自転車にスキーをつけ、両足に小橇を履き滑走。
1969(昭和44)年05月13日:45連勝中の大鵬が敗れた一件から、五月場所よりビデオ判定導入。この日の大鵬対藤ノ川戦、初利用。
1969(昭和44)年05月16日:プロレス、アントニオ猪木、ワールド・リーグ戦で初優勝。
1969(昭和44)年05月26日:政治・一般、東名高速道路全面開通。
1969(昭和44)年05月28日:日本相撲協会理事会、大関は2場所連続負け越しで関脇に陥落の方針を決定。
1969(昭和44)年05月--日:一等車がグリーン車に。
1969(昭和44)年06月29日:中山大障害で一番人気バスター号への興奮剤(抹茶)混入事件。他の馬の馬主が馬丁を買収。
1969(昭和44)年06月--日:大阪の高槻市・豊中市で、コンドーム自販機が登場。
1969(昭和44)年07月09日:第47代横綱柏戸引退、年寄鏡山を襲名。
1969(昭和44)年07月21日:青少年スポーツ連絡協議会(仮称)設立決定。青少年運動競技中央連絡協議会として28日第1回会合。
1969(昭和44)年07月21日:政治・一般、米国の「アポロ11号」人類初の月面着陸。
1969(昭和44)年07月22日:文部省、初の肥満児全国調査を発表。男子11歳、女子14歳時が肥満の出現率が高いと報告。
1969(昭和44)年07月--日:全英テニス・ジュニア女子選手権で沢松和子が優勝。
1969(昭和44)年08月06日:長野県飯田市の山中での神戸市御影高校のパーティ、鉄砲水で遭難。7人行方不明に。
1969(昭和44)年08月15日:6人の日本登山隊、アルプスのアイガー北壁の直登ルート登頂に成功。。
1969(昭和44)年08月18日:第51回高校野球の決勝戦で、三沢高と松山商、0対0のまま延長18回引き分け。
1969(昭和44)年08月19日:前日延長引き分けとなった第51回高校野球決勝戦再試合、松山商が4対2で三沢を下し優勝。
1969(昭和44)年08月23日:タレントなみ太田幸司投手。一回戦から引き分け、再試合の優勝戦で人気沸騰と毎日が報ず。
→【毎日新聞】
1969(昭和44)年08月31日:東京・御岳渓谷で第1回全日本スラローム・ワイルドウォーター・カヌー選手権大会を開催。
1969(昭和44)年09月14日:横綱大鵬、30回の優勝の功績により、はじめて相撲協会より「一代年寄」(大鵬)を与えられる。
1969(昭和44)年09月14日:タケシバオー、第20回毎日王冠レースに優勝。1着賞金900万円ほかを獲得し、史上初の賞金1億円馬に。
1969(昭和44)年09月--日:福島県レクリエーション協会発足。
1969(昭和44)年10月05日:女子バレーボールチームに題材をとったテレビドラマ「サインはV」スタート。高視聴率に。
1969(昭和44)年10月10日:金田正一(巨人)、対中日24回戦(後楽園)で、日本初の通算400勝をあげる。20年間943試合で達成。
1969(昭和44)年10月15日:北アルプス白馬岳大雪渓で修学旅行中の神戸高校生、頭上から大雪塊がくずれ落ち3人死亡。1人重傷。
1969(昭和44)年10月19日:3月にチャンピオンに返り咲いた海老原博幸、初防衛戦に敗れ、再び短命チャンピオンに終る。
1969(昭和44)年10月27日:岡山県笠岡商工渡辺広造、小児麻痺を克服し、国体の走り高跳びに出場で話題に。
1969(昭和44)年10月29日:厚生省、発癌性の疑いでチクロの使用を禁止。このため渡辺製菓が倒産することに。
1969(昭和44)年10月--日:全国レクリエーション指導者クラブ発足。
1969(昭和44)年11月11日:大阪府、約5億円の鐘が動いた野球賭博を摘発。2人逮捕。
1969(昭和44)年11月22日:東京武道館で日本初のダンス世界選手権大会開催。
1969(昭和44)年11月28日:プロ野球八百長事件で、西鉄の永易将之投手が「永久追放」となる。
1969(昭和44)年11月30日:通算400勝の金田正一投手引退。
1969(昭和44)年12月01日:東京都、老人医療費無料化を実施。
1969(昭和44)年12月10日:日本BHC工業会、DDTとBHCの製造を停止。
1969(昭和44)年12月15日:埼玉県桶川のエアーポートで、ダイビング練習中の女性、パラシュートが開かず墜落、死亡。
1969(昭和44)年12月--日:神戸市垂水区団地スポーツ協会設立。
1969(昭和44)年12月--日:公営ギャンブル、一年間の掛け金一兆四千億円。
1969(昭和44)年--月--日:国際プレイグラウンド協会世界大会に日レクリエーション協会から代表派遣。
1969(昭和44)年--月--日:トリムインヨーロッパ会議がノルウェーで開催。
1969(昭和44)年--月--日:連発式パチンコが復活。/第二次フォークソングブーム。
1969(昭和44)年--月--日:清水、辻村、坂本編による『余暇時代と人間』が潮出版社から出版。
1970(昭和44)年01月31日:玉の海正洋、北の富士勝昭、横綱免許。
1970(昭和44)年02月06日:朝日新聞が、スモン病はウィルス感染症であるとの記事を掲載。
1970(昭和44)年02月10日:文部省婦人教育、性教育に関する第一回懇談会を開催。
1970(昭和45)年03月01日:第1回全日本大学駅伝対校選手権大会開催。日体大が6時間5分24秒で総合優勝。
1970(昭和45)年03月14日:政治・一般、日本万国博開催「進歩と調和」大阪千里丘陵で開催。閉幕の09月迄に入場延べ数642万人余。
1970(昭和45)年03月22日:第1回全日本プロボウリング選手権大会で、中山律子が優勝。
1970(昭和45)年03月24日:第1回全国高校バレー選抜優勝大会開催。東京体育館他。29日まで。
1970(昭和45)年03月31日:全日本スキー連盟、初めて海外に中学生選手を派遣。
1970(昭和45)年03月--日:政治・一般、よど号事件。
1970(昭和45)年04月02日:第1回全国家庭婦人バレーボール大会開催。4日まで。
1970(昭和45)年04月03日:ユニバシアード冬季大会(ロバニエミ)開催。9日まで。日本は役員・選手48人参加。銅メダル3。
1970(昭和45)年04月04日:国際剣道連盟発足。加盟国はアメリカ、ブラジルを初めとする15カ国。沖縄とハワイを加えた17団体で。
1970(昭和45)年04月05日:ボクシングの沢田義明がWBCジュニアライト級でチャンピオンに。
1970(昭和45)年04月21日:日本人として初めてヨット世界一周に成功の「チタ三世号」、1年2ヶ月ぶりに奄美大島の名瀬港に入港。
1970(昭和45)年04月--日:「自転車道整備法」公布。
1970(昭和45)年04月--日:第一回全国家庭婦人バレーボール大会開催。
1970(昭和45)年05月06日:三浦雄一郎、エベレストでスキーによる滑降に成功。
1970(昭和45)年05月11日:日本山岳登山隊エベレスト登頂成功。
1970(昭和45)年05月17日:日本山岳会エベレスト登山隊の渡部節子、エベレストのサウスコル(7985m)まで到達。女性の登高世界一。
1970(昭和45)年05月22日:日経連、サラリーマンの体力づくりに指導者養成講習会を東京で開催。
1970(昭和45)年05月22日:東都大学リーグ、芝工大=亜細亜大戦終了後、亜大応援団が木刀などもって殴り込み。10数人怪我。
1970(昭和45)年05月25日:プロ野球八百長事件で、西鉄の池永正明・益田昭雄・与田順欣の3選手が永久追放となる。
1970(昭和45)年05月29日:和歌山県高教組、第27回定期大会で「来年の和歌山国体に高校生のマスゲームは行わせない」方針を決定。
1970(昭和45)年05月30日:私立育英高校ボクシング部員清口仁志、練習中頭蓋内出血で死亡。
1970(昭和45)年05月--日:国際レク協会(現国際レジャーレク協会)が、スイスジュネーブの国際会議で「レジャー憲章」採択。
1970(昭和45)年06月07日:山田宏臣、第10回実業団・学生対抗陸上競技会で、39年ぶりに南部忠平の7m98を更新、8m01日本新記録。
1970(昭和45)年06月11日:第1回スポーツ障害補償懇談会、岸記念体育会館で開催。
1970(昭和45)年06月15日:拓大空手同好会「拓忍会」で、退会しようとした1年生(安生良作)がシゴキのため死亡。
1970(昭和45)年06月30日:重量挙の三宅義信、テレビ出演などで協会からアマチュア違反を注意。
1970(昭和45)年07月05日:全国大学保健体育協議会、大学保健体育は必ずしも必修科目の必要なし(中教審)に、再審議の要望。
1970(昭和45)年08月02日:銀座、新宿、池袋、浅草で「歩行者天国」の試み。
1970(昭和45)年08月15日:第1回全国中学体操大会はじまる。この後中学生の全国大会が盛んに。
1970(昭和45)年08月22日:小型ヨットで日本人初の世界一周に成功した「白鴎号」、神奈川県三崎港に1年3ヶ月ぶりに帰港。
1970(昭和45)年08月30日:万博記念に大阪長居競技場で開催の第2回世界女子ソフトボール選手権大会、日本1対0で米国を下し優勝。
1970(昭和45)年08月30日:植村直己がマッキンリー登頂に成功し、世界初の五大陸最高峰の征服を達成。
1970(昭和45)年08月--日:歩行者天国始まる=銀座、新宿、池袋、浅草。
1970(昭和44)年09月07日:厚生省、キノホルムがスモンの原因の疑いがあるとして使用と販売の中止を通達。
1970(昭和44)年09月25日:5月22日の応援団不祥事で、東都大学野球連盟、亜細亜大応援団の活動を1年間禁止に。
1970(昭和45)年10月06日:近鉄の佐々木宏一郎投手が、対南海戦でプロ野球11人目の完全試合を達成。
1970(昭和45)年10月14日:国鉄「ディスカバー・ジャパン」の初の観光キャンペーンを開始。
1970(昭和45)年10月21日:体協理事会、アマチュア規定を答申どおり決定。
1970(昭和45)年10月22日:ボクシング、大場政夫がWBAフライ級のチャンピオンに。
1970(昭和45)年10月--日:厚生年金グループの主催で第一回老人スポーツ大会、東京で開催。
1970(昭和45)年11月05日:体協理事会、クレー協会を除名。
1970(昭和45)年11月10日:第1回明治神宮野球大会開催。東海大が優勝。
1970(昭和45)年11月--日:高知県レクリエーション協会発足。
1970(昭和45)年12月09日:第6回アジア競技大会(バンコク)、日本は役員・選手260人が参加。74種目に優勝。
1970(昭和45)年12月10日:スポーツ安全協会設立。
1970(昭和45)年12月11日:ボクシング柴田国明、WBCフェザー級チャンピオンに。
1970(昭和45)年12月16日:アジア競技大会で女子水泳の西側よしみが大会史上初の5冠を達成。
1970(昭和45)年12月--日:スポーツ安全協会設立。
1970(昭和45)年12月--日:環境庁新設決定。
1970(昭和45)年--月--日:国際レク大会に日本レクリエーション協会から代表を派遣。
1970(昭和45)年--月--日:R.カイヨワ『遊びと人間』(清水、霧生訳)が岩波書店から出版。
1971(昭和46)年01月03日:第47回箱根マラソンで往路第四位の日体大が逆転優勝。3連覇達成。
1971(昭和46)年01月06日:社会人ラグビーで新日鐵釜石とリコーが引き分け、史上初の2チーム優勝。
1971(昭和46)年01月07日:笠谷幸生、90m級ジャンプで112.5mの日本最長不倒をマーク。
1971(昭和46)年02月07日:プレオリンピックの札幌国際冬季大会、23カ国の1100余人を集めて開催。
1971(昭和46)年03月21日:日本レクリエーション研究会を発展的に改称し、日本レクリエーション学会設立。
1971(昭和46)年03月25日:警視庁、シンナー遊び規制の立法措置を厚生省に要請。
1971(昭和46)年03月26日:厚生省、「国民健康調査」発表。1969年10月1日現在で100人に9人が何らかの病気。
1971(昭和46)年03月--日:スポーツ傷害保険発足。
1971(昭和46)年04月07日:名古屋での世界卓球選手権大会。中国がアメリカ・チームを正式招待で話題(ピンポン外交の始まり)。
1971(昭和46)年04月09日:世界卓球選手権大会(名古屋)に参加していた卓球のアメリカ選手団、北京に向かう(ピンポン外交)。
1971(昭和46)年04月26日:デ杯庭球東洋ゾーンAセクション、日本がオーストラリアに50年ぶりに勝つ(田園コート)。
1971(昭和46)年05月14日:優勝32回の第48代横綱大鵬、横綱在位58場所を記録し引退。
1971(昭和46)年05月17日:日本マナスル西壁登攀隊、西面に初登頂。
1971(昭和46)年05月24日:環境庁設置法成立。(7月1日、環境庁発足)
1971(昭和46)年05月29日:アーチェリー男子シングルス総合、中本新二が1252点の世界新。
1971(昭和46)年06月08日:厚生省、一人暮らしの老人は全国で54万人、などとする「老人実態調査結果」を発表。
1971(昭和46)年06月18日:第一回全国キャンプ指導者講習会開催(日本キャンプ協会).
1971(昭和46)年06月28日:首都圏一帯で「光化学スモッグ」発生。2万2000余人が被害に。
1971(昭和46)年06月30日:富山地裁、イタイイタイ病慰謝料請求訴訟でカドミウムを原因と認定。三井金属鉱業に慰謝料命令。
1971(昭和46)年06月--日:政治・一般、沖縄返還協定調印。
1971(昭和46)年07月01日:日本医師会、医療保険制度の改正を要求して保険医を総辞退。
1971(昭和46)年07月01日:政治・一般、環境庁発足。(5月24日、環境庁設置法成立)
1971(昭和46)年07月02日:和製ベーブルース野村、プロ野球史上初の500号本塁打。
1971(昭和46)年07月17日:プロ野球、阪神の江夏豊、オールスター戦で9連続三振奪取(全打者三振)。
1971(昭和46)年07月17日:今井通子、グランドジョラス北壁の登頂に成功。女性でのアルプス三大北壁征服は世界初。
1971(昭和46)年07月--日:兵庫県明石市にコミュニティスポーツセンター発足。
1971(昭和46)年08月08日:光化学スモッグのため、東京杉並の桜水商高で水泳合宿の女高生4人が入院。
1971(昭和46)年08月08日:朝日連峰縦走中の新潟県立加茂農林高校生パーティに落雷。教師1人が感電死、生徒3人けが。
1971(昭和46)年08月16日:浦和市の全国中学サッカーで光化学スモッグ、選手17人倒れる。
1971(昭和46)年08月21日:東映の高橋義正投手、対西鉄戦でプロ野球12人目の完全試合を達成。
1971(昭和46)年08月--日:政治・一般、ドルショック変動為替相場制採用。
1971(昭和46)年09月13日:全日本スキー連盟久慈庫男特別強化部長らを、オリンピックの合宿費不正使用の疑いで札幌地検が逮捕。
1971(昭和46)年09月19日:プロ野球から転身して2年目の尾崎将司(24歳)、日本プロゴルフ選手権大会で初優勝。
1971(昭和46)年09月28日:全イングランド・ラグビーチームが来日。3戦全勝。
1971(昭和46)年09月--日:須田、中山、石井らの女子プロボウラー先導のボウリングブーム。ボウリング場全国で1800カ所を越える。
1971(昭和46)年10月03日:東京八王子でノーカー運動。
1971(昭和46)年10月06日:蜷川京都府知事のギャンブル必要論に、美濃部都知事が反論。
1971(昭和46)年10月21日:アメリカ大リーグ、ボルチモア・オリオールズ来日。12勝2敗4分。
1971(昭和46)年10月27日:文部省、公立中学校の休職実施率が50%になったとの調査を発表。
1971(昭和46)年10月31日:ボクシング、輪島功一がジュニアミドル級のチャンピオンに。
1971(昭和46)年11月03日:明星大合気道のジゴキ事件、学生6人が逮捕。
1971(昭和46)年11月04日:日本レクリエーション学会が第一回学会大会を開催(北九州市戸畑文化ホール,12題発表)
1971(昭和46)年11月04日:北九州市でアジアレクリエーションシンポジウム開催。8日まで
1971(昭和46)年11月17日:沖縄返還協定、自民強行採決。
1971(昭和46)年11月20日:日活がロマンポルノの第1作「団地妻・昼下がりの情事」を公開する。
1971(昭和46)年11月28日:ハンドボール・アジア地区予選で日本男子宿願の完全優勝。初のオリンピック出場決まる。
1971(昭和46)年11月28日:少年たちの競馬の馬券買いが横行、警視庁、47人を補導。
1971(昭和46)年12月04日:日本相撲協会が「黒い霧」で緊急理事会を開催。監察委員会を発足。八百長力士は処分。
1971(昭和46)年12月22日:日本相撲協会が公傷制度、生活指導部設置など体質改善案発表。
1971(昭和46)年12月25日:大相撲、協会理事会の一方的な給与改正に反発して行司30人が全員辞表提出。
1971(昭和46)年--月--日:雑誌「an .an」(1971)と「non.non」(1972)創刊。
1971(昭和46)年--月--日:E.フィンク『遊戯の存在論』(石原達二訳)がせりか書房から出版。
1972(昭和47)年01月24日:政治・一般、グアム島より横井庄一氏帰還。
1972(昭和47)年01月--日:通産省『余暇白書』発刊。
1972(昭和47)年01月--日:日本レク協会、「レク運動推進要項」決定。
1972(昭和47)年02月03日:第11回オリンピック冬季大会、札幌で開催。2月13日まで。
1972(昭和47)年02月06日:札幌オリンピックの70メートル級ジャンプで笠谷、金野、青地の3人が金・銀・銅のメダルを独占。
1972(昭和47)年02月19日:政治・一般、連合赤軍の浅間山荘事件。
1972(昭和47)年03月15日:政治・一般山陽新幹線岡山まで開通。
1972(昭和47)年03月24日:大相撲、前の山対琴桜戦に無気力相撲の認定。前の山は休場、(琴桜)関脇に陥落。
1972(昭和47)年04月26日:通産省の外郭団体として「(財)余暇開発センター」設立。
1972(昭和47)年04月--日:長岡市にレクリエーション課。
1972(昭和47)年04月--日:経済企画庁「余暇開発室」設置。
1972(昭和47)年04月01日:兵庫県に余暇課。翌年に埼玉、愛媛にも設置。
1972(昭和47)年05月07日:大阪吉野ミュージック劇場出演中のストリッパー一条さゆり、公然猥褻罪で現行犯逮捕。12月06日実刑判決。
1972(昭和47)年05月12日:東京練馬区の中学校で授業中の生徒300人以上が、光化学スモッグで被害。
1972(昭和47)年05月15日:政治・一般、沖縄返還。日米沖縄返還協定発効、復帰記念式典。
1972(昭和47)年05月22日:拓大応援団が退団新入生をリンチ、5人を退学処分。
1972(昭和47)年05月--日:日本レク協会、レクリエーション運動推進本部設置。
1972(昭和47)年06月22日:スイス・ローザンヌでの世界柔道選手権大会で、日本は6階級全てを制覇。
1972(昭和47)年06月23日:改正老人福祉法公布。70歳以上の老人の医療費を国が2/3、地方自治体が1/3負担し無料に。翌年1.1.施行。
1972(昭和47)年06月27日:最高裁、違法建築の隣家から日照を奪われた住民に、日照権の法的保護を認める判決。
1972(昭和47)年06月--日:政治・一般、国連人間環境会議(=ストックホルム)。
1972(昭和47)年07月14日:日米大学野球第2戦で送球を頭に受け入院中の東門明(早大)が死亡。
1972(昭和47)年07月16日:外人力士として、高見山が大相撲名古屋場所で初の優勝。
1972(昭和47)年07月18日:第1回日米大学野球選手権大会、日本チームが5勝2敗でアメリカを破り初優勝。
1972(昭和47)年07月21日:日本水泳選手権大会で、青木まゆみが女子100mバタフライで1分3秒9の世界新記録。
1972(昭和47)年08月09日:名古屋高裁、イタイイタイ病訴訟で三井金属鉱業側の控訴を棄却。会社側は上告を断念。
1972(昭和47)年08月16日:厚生省、栄養過多と運動不足で中年女性の太りすぎが増加、と警告。1971年度国民栄養調査。
1972(昭和47)年08月26日:第20回オリンピック大会(ミュンヘン)開催。9月11日まで。体操団体初の4連勝、男子バレーなど優勝。金13。
1972(昭和47)年09月06日:第1回アジア卓球大会(北京)、男子団体で日本優勝。
1972(昭和47)年09月10日:大相撲、テレビで「大相撲ダイジェスト」開始。
1972(昭和47)年09月12日:兵庫県衛生部、ブームのピアス用品の販売を「維持法違反」とみなして禁止を通達。
1972(昭和47)年09月19日:巨人軍の王貞治選手、6試合連続ホームランの新記録を達成。
1972(昭和47)年09月26日:阪急ブレーブスの福本豊選手、年間105盗塁の世界新記録達成。
1972(昭和47)年09月27日:北海道雌阿寒岳に登山の遠足学童に落雷、児童1人死亡、10数人が失神。
1972(昭和47)年09月29日:日本スケート連盟から独立して日本アイスホッケー連盟創設。
1972(昭和47)年09月29日:政治・一般、田中首相、周恩来首相、日中共同声明に調印。中国ブームおこる。日中国交正常化。
1972(昭和47)年09月27日:北海道雌阿寒岳に登山の遠足学童に落雷、児童1名死亡、10名が失神。
1972(昭和47)年10月01日:大阪のサイクリング大会で数百個の風船が爆発。小学生ら8人がやけど。
1972(昭和47)年10月01日:群馬県太田市の小学校の運動会に祝賀飛行の父親ら2人が墜落死。
1972(昭和47)年10月09日:総理府「スポーツに関する世論調査」の結果を発表。人気のトップはボウリング。
1972(昭和47)年10月15日:婦人団体、中絶禁止(優生保護法)にある「経済的理由」を削除せんとする改正案に反対し全国同時デモ展開。
1972(昭和47)年11月05日:パンダ上野公園に登場。
1972(昭和47)年11月24日:男子バレーボールチームのアマ違反(少年マンガに手形やサイン掲載ほか)、責任をとり松平康隆ら2役員辞任。
1972(昭和47)年11月28日:13歳の渡辺絵美(米ゴールデンバレー中)が全日本フィギュア選手権で初出場優勝。
1972(昭和47)年12月17日:千葉県船橋市の中山競馬場の有馬記念レース、100億円を越える史上最高の売上げ。
1972(昭和47)年12月20日:保健体育審議会「体育スポーツの普及振興に関する基本方策について」答申。
1972(昭和47)年12月--日:東京都レクリエーション連盟事務局独立。
1972(昭和47)年--月--日:サイクリング協会によるバイコロジー運動おこる。
1972(昭和47)年--月--日:政治・一般、「列島改造論」
1972(昭和47)年--月--日: J.デュマズディエ『余暇文明に向かって』(中島巌訳)が東京創元社から出版。
1972(昭和47)年--月--日:松田道雄編『あそび----私のアンソロジー6---』(筑摩書房)出版される。
1972(昭和47)年--月--日:朝日ジャーナル(5月12日号)が「豊富の中の退化---レジャーブームの疑問」を特集。
1973(昭和48)年01月01日:老人福祉法施行。70歳以上の医療が無料に。
1973(昭和48)年01月24日:環境庁、宮崎県土呂久鉱山の慢性砒素中毒症を第4の公害病に指定。
1973(昭和48)年01月24日:琴桜が、第53代横綱となる。
1973(昭和48)年01月--日:通産省余暇開発産業室編「わが国余暇の現状と余暇時代への展望」。最初の余暇に関する政府刊行物
1973(昭和48)年02月09日:全国身体障害者スキー大会、志賀高原で開催。12日まで。
1973(昭和48)年02月--日:経済企画庁「経済社会基本計画----活力ある福祉社会のために----」を発表。
1973(昭和48)年02月--日:岩手県:県民総スポーツ推進計画「岩手ゴールデンプラン」を発表。
1973(昭和48)年03月04日:公営大井競馬場でデビュー以来6連勝のハイセイコー、中央競馬に移籍し中山競馬場の弥生賞で優勝。7勝目
1973(昭和48)年03月12日:ボクシングの柴田国明、WBCジュニアライト級のチャンピオンに。
1973(昭和48)年03月12日:日本で初めてのスキーのワールドカップ戦、新潟の苗場で開催。
1973(昭和48)年03月18日:日本相撲協会、夏場所から行司部屋を解散し、行司を各部屋の所属とすることを決定。
1973(昭和48)年03月26日:東京都営ギャンブル全廃へ。(1月20日大井競馬閉幕、3月25日江戸川競艇閉幕)
1973(昭和48)年03月28日:松下電器、スポーツ施設を地域住民に開放。
1973(昭和48)年03月29日:東京地裁、70年の拓忍会リンチ事件は大学の過失と、拓大に1500万円の支払いを命じる判決。
1973(昭和48)年03月--日:ローマクラブによる『成長の限界』刊行。
1973(昭和48)年03月--日:石川弘義編『レジャーの思想と行動----人間とレジャー----』(日本経済新聞社)刊行。
1973(昭和48)年04月03日:大相撲北京場所開催。北京と上海で7日間相撲を披露。周恩来首相らも観戦。10日まで。
1973(昭和48)年04月06日:祝日と日曜日が重なる時、翌日を休日とする祝日振り替え法成立。
1973(昭和48)年04月06日:プロ陸上(ITA)来日。国立競技場でへーズ、ミルバーン、ジプチョら参加。7日まで。
1973(昭和48)年04月14日:プロ野球パ・リーグが2シーズン制となり、開幕。
1973(昭和48)年04月27日:政治・一般、春闘史上初のゼネスト決行。
1973(昭和48)年05月03日:交通遺児を励ます会全国協議会、「ゆっくり歩こう会」開催。ユックリズムの提唱。
1973(昭和48)年05月06日:ハイセイコーがNHK杯に勝ち、10連勝。
1973(昭和48)年05月23日:第一回国際トリムフィットネス会議をフランクフルトで開催(国際)。25日まで。
1973(昭和48)年05月27日:日本ダービーでタケホープがハイセイコーを破る。
1973(昭和48)年05月30日:輪島が第54代横綱に昇進する(初の学生出身横綱)。
1973(昭和48)年05月--日:堀内伊太郎商店、ダイエット甘味料「シュガーカット」発売。
1973(昭和48)年06月24日:サンタクララ大会、100m平泳ぎで1位となった田口信教、泳法違反で失格。
1973(昭和48)年06月--日:国立公園協会「ゴミ持ち帰り運動」を実施。
1973(昭和48)年06月--日:日本レクリエーション協会、上級、1級、2級の三段階制に指導者養成検定規定を改定。
1973(昭和48)年07月25日:乗鞍岳大雪渓付近のサマーキャンプの全面禁止。自然破壊に歯止め。
1973(昭和48)年07月--日:文部省、市民スポーツ振興のための初の懇談会を開催。
1973(昭和48)年08月03日:政治・一般、金大中事件。
1973(昭和48)年08月03日:南海ホークスの野村克也捕手、川上哲治の通算安打記録2351本を更新。
1973(昭和48)年08月23日:日本女子プロゴルフで樋口久子が6連勝。
1973(昭和48)年10月03日:ナイターをめぐる公害訴訟(藤井寺球場訴訟)で大阪地裁証明工事続行を禁止。
1973(昭和48)年10月04日:千葉県立安房農業高校、体育授業中「罰」で行わせた運動で女子生徒ケガ、初めて教師の有罪確定。
1973(昭和48)年10月05日:幼児の大腿四頭筋短縮症が多発したのは注射が原因と判明。山梨県で問題化。
1973(昭和48)年10月05日:公害健康被害補償法公布。
1973(昭和48)年10月10日:ロッテの八木沢荘六投手が、対太平洋戦でプロ野球13人目の完全試合を達成。
1973(昭和48)年10月22日:巨人軍がプロ野球史上初の9連覇を達成。(11月01日?)
1973(昭和48)年10月23日:政治・一般、第四次中東戦争はじまり、オイルショックおきる。
1973(昭和48)年10月--日:文部省が「日常生活圏域の公共社会体育スポーツ施設整備新七カ年計画」を発表。
1973(昭和48)年11月23日:富士GC最終戦で、激突事故で4台炎上。レーサー中野雅晴が死亡。
1973(昭和48)年11月05日:神和住純、戦後初のテニス・サーキット・プロに転向を表明。
1973(昭和48)年11月--日:政治・一般、ガソリンスタンド日曜祭日閉鎖、トイレットペーパー、洗剤、砂糖の買いだめおこる。
1973(昭和48)年--月--日:文部省、「地域社会住民スポーツ活動振興指定市町村」設置。
1973(昭和48)年--月--日:余暇行政に関する各省庁連絡会、都道府県余暇行政担当課長会議の発足。
1973(昭和48)年--月--日:R.カイヨワ『遊びと人間』が塚崎と多田の訳で、再度講談社から出版。
1973(昭和48)年--月--日:中村祥一編『現代娯楽の構造』(文和書房、池井望「盛り場行動論」など。)
1973(昭和48)年--月--日:石川弘義編『レジャーの思想と行動』(日本経済新聞社、藤竹暁「レジャーの概念」など)
1973(昭和48)年--月--日:井上俊著『死にがいの喪失』(筑摩書房)刊行。
1973(昭和48)年--月--日:ジョギングブーム、ゴルフブーム起こる。
1973(昭和48)年--月--日:渡辺正『にんにく健康法』が話題に。
1974(昭和49)年01月01日:日本ウインドサーフィン協会発足。
1974(昭和49)年01月01日:日本ボールカロティ協会(後にペタンク連盟と改称)が国際ペタンク連盟に加盟。
1974(昭和49)年01月26日:政治・一般、電力、石油の節減強化、NHKテレビ午後11時で打ち切り。
1974(昭和49)年02月06日:日本庭球協会、認定選手制を採用。アマ・プロの垣根を取る。
1974(昭和49)年02月27日:政治・一般、ルパング島で小野田氏発見される。
1974(昭和49)年02月28日:ボクシングの柴田国明がWBCジュニアライト級のチャンピオンに。
1974(昭和49)年03月01日:プロ野球、野球規則委員会で野球規則が変更される。セーブ・ポイントなどが新設。
1974(昭和49)年03月04日:高野連が金属バットの使用を許可。
1974(昭和49)年03月--日:岐阜県レクリエーション協会発足。
1974(昭和49)年04月11日:ボクシングのガッツ石松、WBCライト級でチャンピオンに。
1974(昭和49)年04月15日:ゴーマン美智子がボストン・マラソンで優勝する。
1974(昭和49)年04月--日:「モナリザ」公開。
1974(昭和49)年05月01日:全国初の身障者専用スポーツ施設「大阪身障者スポーツセンター」オープン。
1974(昭和49)年05月04日:堀江健一、西回り単独無寄港世界一周の、277日早周り世界新記録を達成
1974(昭和49)年05月04日:日本女子登山隊マナスル(8158m)登頂に成功。世界初の8000m以上峰への女性による登山。
1974(昭和49)年05月--日:熊本県レクリエーション協会発足。
1974(昭和49)年06月05日:自然保護憲章制定国民会議、日本初の自然保護憲章採択。
1974(昭和49)年06月07日:日本生活協同組合連合会、食品添加物AF2(発癌性のあるフリルフラマイド)を使用したものは扱わずと宣言。
1974(昭和49)年06月13日:日レク協会で最初の「高齢者レクワーカー養成セミナー」はじまる。(16日まで)
1974(昭和49)年07月24日:北の湖が21才4ヵ月で最年少横綱(第55代)になる。
1974(昭和49)年07月--日:南箱根ダイヤモンド、日本初の「フィールドアスレチック」がオープン。
1974(昭和49)年08月22日:厚生省、発癌性の疑いのある合成洗剤AF2の禁止を決定。
1974(昭和49)年09月--日:A.G.インダストリー、NASA開発の三角形たこ「ゲイラー・カイト」を発売。
1974(昭和49)年10月01日:ボクシングの小熊正二、WBCフライ級のチャンピオンに。
1974(昭和49)年10月11日:沢松和子、日本国内のテニス試合でシングルス連勝記録を192でストップ。対マリア・ブエ戦で。
1974(昭和49)年10月13日:全国サリドマイド訴訟原告団、厚生省・大日本製薬と和解確認書に調印。
1974(昭和49)年10月14日:ミスタージャイアンツ、長島繁雄選手引退。
1974(昭和49)年10月15日:巨人軍王貞治、史上初の2年連続三冠王になる。
1974(昭和49)年10月18日:ボクシングの花形進、WBAフライ級のチャンピオンに。
1974(昭和49)年10月21日:長嶋茂雄、巨人軍の監督に就任。
1974(昭和49)年10月23日:日本医大の丸山千里、フィレンツェの国際癌学会で「丸山ワクチン」の治療成績などを発表。
1974(昭和49)年10月--日:鹿児島県レクリエーション協会発足。
1974(昭和49)年11月17日:ゴルフの尾崎将司、日本シリーズに優勝し、日本四大タイトルを全獲得。。
1974(昭和49)年11月18日:パリーグ来年度から指名打者(D.H.)制度の採用を決定。
1974(昭和49)年11月20日:フォード大統領来日し、この日日本武道館で各種武道を見学。。
1974(昭和49)年11月--日:埼玉県越谷市「スポーツレク都市」宣言。
1974(昭和49)年12月07日:国立市国立一小、地元企業から校庭開放の代わりにグランド借用。4年生テニスのワイヤで死亡事故。
1974(昭和49)年12月09日:政治・一般、三木武夫内閣成立。
1974(昭和49)年12月--日:鳥取県レクリエーション協会発足。
1974(昭和49)年12月15日:ハイセイコー引退。有馬記念2位、17戦連続一番人気の記録残して。
1974(昭和49)年12月--日:政治・一般、GNP実質 0.6%減。戦後初のマイナス成長。
1974(昭和49)年--月--日:J.アンリオ『遊び---遊ぶ主体の現象学へ---』(佐藤信夫訳、白水社)
1974(昭和49)年--月--日:J.ホイジンハ『ホモルーデンス』(里見元一郎訳、河出書房新社から再度)
1974(昭和49)年--月--日:斉藤清一郎、松田義幸『日本の余暇マーケット』(日経新聞社)。
1974(昭和49)年--月--日:大河内一男『余暇のすすめ』(中公新書)。
1974(昭和49)年--月--日:中満須満子『紅茶キノコ健康法』発売。翌年にかけてブームに。
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