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(cache) 「ヘルンさん言葉」における小泉セツの調整日本語
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小山iild念日本語教育研究会論文集142006.3
調査報告
「ヘルンさん言葉」における小泉セツの調整日本語
一書簡におけるフオリナー・ライティングならびにロ述筆記録に残るフォリナー・トークー
金沢朱美
要旨
小泉八雲(LahadioHearn、以下、ハーン)の、日本橘での言語活mljは、自称
「ヘルンさん言葉」と呼んでいた、独特の、ピジン性の強い日本語の-変種で行
われていた。
妻セツの、ハーンとの意思疎通ならびに薪作補助言語として使われた日本語は
フオリナー・ライティング(以下、FW)ならびにフオリナー・トーク(以下、
FT)であると判断されるが、第二言語習得に役立つとij語教育でいわれている
FW、FTとはその質において異なる。セツのFW、FTは非文が多く助詞の顕著
な脱落が見られるが、丁寧体、豊富なオノマトペを使い、単純化した文章ながら
内容の詳述が可能である。illi度な深い内容の話において多量のレベルのiMHいFT
が出現するという点でSnow(1981)の主張と一致を見る。地域的(方i二10ならび
に時代的特徴も見られる。一方で、Ferguson(1977,1981)の「言語のピジン化」
の起源としての性質をもち、ハーンのビジン性の強い日本語とセツのFW、FT
との相互作川によって「ヘルンさん言葉」が成立した。
キーワード:小泉セツ、iilM盤l」本語、ピジン性、ヘルンさん言葉
1.研究の目的
本稿の目的は、小泉セツが夫八雲と意思疎通を図る際の、書きことば(FW)
ならびに話しことば(FT)における調整'三1本譜の特質のi凋査と考察ならびに「ヘ
ルンさん言葉」成立の検証である。具体的には、その言播学的特徴、地域的、時
代的ならびに出自的環境から影響される特面および使川状況、ハーンの薪作物に
果たした功紙等の考察である。「ヘルンさん言葉」といわれる二人の意思疎通言
語の成立に尚した社会言語学的性格についての考察も行う。なお、本稿に引用し
た文献の表記は全て原文表記のままである。
2.ハーンの日本語の概略
2-1.調査資料の性格
本題に入る前に、ハーンの日本語について概略を述べたい。
麦1の活用語調査の資料としてハーンの焼津発原文諜簡8通(明治37年[1904
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年]8月10日、13日、15日、18日、19日のセツ宛ならびに同年同月日付不明の
玉木光栄(あきひで)宛かたかな書簡、及び2通のセツ宛ひらがな書簡(1901年頃
8月)と『思ひ出の記』(1914年初刊本を底本とする旧仮名遣いのもの複数)を
使用した。『思ひ出の記」はセツの口述、三成重敬(みなりしげゆき)の躯記であるゆ
え、セツの記憶の中で無意識に修正されたり、三成によって文体が整えられた可
能性もあり、録音された資料のように事実に忠実とは言いがたいが、1992年に
一部分が初公開された『恩ひ出の記草稿』(以下、『草稿』)と合わせ検討し、実
状が相当復元できる性格の文献である。
助詞の使用状況の調査については、話しことばの性質上書簡のみを調査した。
なお、表1の調査結果(1)には反映させていないが『草稿』、小泉一雄『父「八
雲」を憶う』も考察した。
2-2.ピジン性の強い日本語
表1は、上述の文献中に出現した、動詞、イ形容詞、ナ形容詞の異なり語数と
述べ語数及び助詞の使用状況の詳細である。
表1:ハーンの日本語の特徴的な運用
上の表から、書きことばにおける「は」「が」の脱落の顕著な傾向が見られる。
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項目
異なり語数(造語も含むため約とした)
延べilIi数(造語も含むため約とした)
動詞
約149
約423
イ形容詞
約46
約184
ナ形容詞
約25
約59
係助詞「は」(叙述の題目、取りたて提示)の脱落
53回
格助詞
(主語提示)の脱落
32回
格助詞
(Uil]作の目的物提示)の脱落
20回(内、「に」を誤用5回)
格助詞
(動作の場所提示)
使用せず(5回とも「に」を誤用)
格助詞
(変化の結果提示)の脱落
11回(6回は「と」で代替)
格助詞「へ
(方向提示)
使用せず(「に」を使用)
「は」(Hj「}
取り立て提示)の適切な使用131,1(18.8%)
は」(Mn、、取り立て)の不適切な使用3回
が」(主蛎提示)の適切な使用5回(122%)
が」(='三譜提示)の不適切な使用4回
を」(動作の目的物提示)の適切な使用」111回](33.3%)
を』(11的物提示)の不適切な使用2回
で」(理由、手段)の適切な使用6回(100%)
で」(理由、手段)の不適切な使用0回
「に」(方向、存在、時等)の適切な使用261回I(553%)
「に」(〃IbI、時等)のイ§適切な使用10回

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目的格「を」の脱落も目立つ。「に」は方向、帰着点、対象、存在、時等において
標準日本語的な使用の傾向(55.3%)が見られる。動作の場所の「で」、方向の
「へ」は未習得、連体格の「の」は習得が容易だったようである。変化の結果を
示す「に」は使用せず、替わりに「と」を多用しているのが目立つ。助詞以外の
特質として①全般的に活用語に活用がない。動詞に二極の運用をさせている。-
種は活用が無く、全て「動詞の辞書形十丁寧な断定の助動詞です」を用いる(「ニ
ッキ・カク・トシ・ヲ・カク・卜・テガミ・カク・卜・エイゴ・ヲ・ヨム・ベ
ンキヤウ・デス・子」「待つないです」等)。もう一種は「動詞の連用形十丁寧の
助動詞ます」が標池種と同じように使用されている。この二極の使用の状況を見
ると、文中に形式名詞や準体助詞や「て形」等が必要な、複雑な文構成の場合に、
辞書形を使うことが多いようである。その場合、文末尾も「辞書形十です」で終
わる傾向が見られる。(例:毎日経読むと墓を弔ひするで、よろこぶの生きるで
す)②サ変動詞の造語、使い方に工夫が見られる。「はた・する(旗を立てる)」
「ふれ・する(舟を作る)」等。③「ある」は8通の書簡中、22例見られる。有
生、無生物の存在に両用するほか、多くの動詞の意味の代用をする多義語として
の機能をもつ。多義語機能での「ある」の出現の割合とピジン性の強さは、
YbkohamaDialect(2)の考察からも比例すると思われる。ほかに『草稿』には
「ある」が丁寧「ます」や丁寧な断定「です」の機能を担っている例が一例のみ
見られる。
「皆世界の人おもふモー私不思議のちいさい男です。あの男どうやらの生
きるありま士か皆知らぬのです。ですから私モーかくれとモーないしよ、モ
-私しの好き仙人となる。山の中にかくれるであなたと一雄で」(下線柵行。)
の箇所で、ここではYbkohamaDialectにおける機能、例えば「highkmarimas」
(稿者注:「拝見します」)や「piggyammas」(摘者注:「だめです」)と同様の機能を担い、強
いピジン性を示している。④「参る」「くだされ」「ござる」等、丁寧で上品な表
現を頻用している。明治期の元士族は困窮がはなはだしかったものの、松江藩に
おいて三百石の禄を食んでいた士族出身の妻セツならびにセツの養父母ら同居
家族のことばの影響が大きい。
『思ひ出の記』『草稿』「父・八雲を憶う」からハーンとの日常生活にも丁寧な
「です、ます体」を話していたことが知られ、ハーンは「ます形」を習慣的に習
得していたようである。⑤接続詞「と」の造語(お守り参りました。と、パパ乙
吉にやりました。と、たへん喜びました。/私この家に、朝さようならします。
と、大学に参る。)⑥英語からの、文法、表現等における転移。⑦自動詞と他動詞
の混用等が見られる。
表記された形容詞等の長音脱落が顕著な点から、耳からの習得法が主であるこ
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とがわかり、実際、ハーンはnaturalmethodやoral-auralmethodを推奨して
いる。(3)ハーンの変種日本語の規則性は意繊して創りだされたものではないと
考えられるから、新しい言語創出過程に起こる揺れとしての例外も見られるが、
相当体系性をもった蜷然とした筋略言語である。
3.小泉セツの調整日本語の考察
3‐1.最大の日本語環境であったセツ
ハーンは来日後没するまで14年間日本に在住したが、霧しい日本関係の著作
物をなすことに没頭し、性格も好悪の感情の激しい人であったため、特に東京時
代は通常の交際はほとんど誰ともしていない。「恩ひ川の記』にも
…ヘルンは面倒なおつき合ひを一切避けてゐまして、立派な方が訪ねて参ら
れましても、「時間を持ちませんから、お断り致します」と申し」こげるやう
にと、いつも申すのでございます。……そのために交際もしないで、一分の
時間も情んだのでした。(4)
とある。しかし、薪作のための支援者との交流という意味においては、多くの人々
と交流している。来日当初から東京へ移るまでバジル・ホール・チェンバレン
(BasUHallChamberlain)とは互いにiff料供与のため、移しい書筋を英語で交
わしている。松江中学校の教頭であり、論理学や英語科の教師であった西田千太
郎や松江、熊本時代の学生たちとは深い交友Ull係があり、英語での交流苫前が数
多く残っている。西田や、ハーンの学生であった大谷正信や藤崎八三郎、また、
雨森信成や日本語教育でも名を残しているliIUfTlj1三郎からも英語によるiiT料供
与を受けた。セツの縁戚で『恩ひ出の記』を縦iirI1した三成重敬からの資料供与も
あった。最後にセツからの日本語FwTによる多大な資料提供がある。
このように見てくると、ハーンの交友関係は深い交流が成立する場合は英語を
介してであり、相手が極めて英語に堪能でなければならなかった。
晩年、毎夏焼津に長逗留をし、部屋を借りていた魚屋の山口乙吉家とも非常に
親しくなったが、この頃にはハーンの日本語は、既にピジン性の強いロ本禰に化
石化してしまっていたことが、セツ宛及びiIl;生である玉木光栄宛の焼津からの~諜
簡で知られる。玉木もセツの親戚である。
結局、ハーンの日本語環境として挙げ得る人々は、セツ、同居したその身1人]、
書生、女中たちである。しかし、そのうち蛾大の情報源としてのセツのロ本繍の
みが、ハーンの日本語に圧倒的な影響を及ぼしたと考えられるのは、萩l;〔朔太郎
の次の文からも窺い知れる。
…ヘルンの奇妙な言葉を、真に完全に理解し得たものは、彼の妻より外には
なかった。(中略)そうした夫婦の会話は女中や下僕にはもちろんのこと、
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子供たちにさえもよく解らなかった。『内のパパとママとは、だれにも解ら
ない不`思議な言葉でだれにも解らない神秘のことを話している』……(5)
3-2.調査資料の性格
小泉セツのFWの正確な記録としては、ハーンに宛てた3通の自筆原文書簡
(1904年8月12日、18日、23日付)が公開されている。FTの口述筆記録と
しては既出の『恩ひ出の記」の全部、『草稿』の一部がある。
『草稲』については語り部としてのセツの文体について、関田(1992)は、
…セツの口調そのままです。・・・(中略)なかでも八雲とセツの会話が「ヘ
ルン言葉」で直裁に綴られているところは、二人の日常生活をほうふつさせ
るほどです。セツの記憶力豊かな語り口は、八雲というひとりの人間の素顔
を鮮やかに浮びあがらせてくれます。(6)
と述べている。セツの地の文としての語りに込められた口吻もFTの部分も『繭
稿」の方が「思ひ山の記』より読者にはるかによく伝わってくる。セツのFT
の部分は同じ箇所でも少しずつ記述の表現は異なっているが、「草稿』と比較す
ることでセツのFwTの実態は相当程度再現され得る。しかし、いずれにしても
FWの方がFTより徹底した「外国人性」(FergusonandDeBosel977)が観察
される。以下は『草稿』と『思ひ出の記』の同じ箇所を比較したものである。
「草稿』:
良「ママさん、モー私のからだから病気にげました。少しウヰスキー如何
ですか」私「あなた心臓のための病ウヰスキー少し疑ます。然しあなた
大へん好みますならば少し薄くしてあげましょう」良人はウヰスキーを飲
みて良「ア>よろしい。オー大そうよろしいです。モー死にません」
『恩ひ出の記』:
「ママさん、病、私から行きました。ウヰスキー少し如何ですか」と申し
ますから、私は心臓病にウヰスキー、よくなからうと心配致しましたが、
大丈夫と申しますから「少し心配です。しかし大層欲しいならば水を割っ
て上げませう」と申しまして、与へました。
3-3.『草稿』に見られるセツの方言の語り口について-ハーンを取り巻く方言
の問題一
小泉凡氏の談話(7)によると、当時、ハーンの家には常時10人以上の人々が
生活を共にしていたという。ハーン以外は皆、松江、出雲出身の人々であったか
ら、セツのことばはもちろん、ハーンのことばにも松江ことばが混じっていただ
ろうとのことである。
「父「八雲」を憶う』には同居の輿らが出雲言葉でハーンに話しかけたり、身
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近で使用していたことが活写されている。「もすもす先生(しえんしえい)..」「一
枝(ふとえだ)ごつさい」「ツウと休んましようかいな」等である。(8)
ハーン自身も出雲言葉の「なんぽう」を随所に使っており、ハーンの書簡なら
びに『思ひ出の記』に計10回出現している。「なんて~だろう」「どれほど~だ」
の意味で使っている。
ハーンの著作物に対するセツのFTによる功績は、後述するように極めて大き
いが、それゆえにセツの方言がハーンの著作物に与えた影響も見られる。一例と
して、セツが『古今著聞集』を読んでハーンに聞かせ、産まれた再話に「おしど
り」があるが、掲載された和歌「日くるれはさそひし物をあかいまの」(r線、概打)
の-音が「さそえし」と原典と異なること、『日本俗謡ローマ字写』中、「かぞえ
うた」を「かずえうた」と書いていることについて、染村(1990)は「セツ夫人
の出雲弁の影響であろう」と指摘している。(9)
「草稿』においても語葉そのものが共通語とは異なった出雲言葉をふんだんに
使って語っているというわけではない。記述の表現の相違のほか、主たる相違点
は動詞の活用形である。
『草稿』における動詞の「て形」は例えば「言って」が「言ふて」、「行って」
が「ゆきて」、「書き終わって」が「書き了りて」、「持って」が「持ちて」、「遅く
なって」が「遅くなりて」、「廻って」が「廻りて」、「去って」が「去りて」、「飲
んで」が「飲みて」等となり、古形の活用形やう音便の活用形で語られている。
セツが『草稿』を語ったとき、松江の発音やアクセントのほかにも、多くの動
詞の活用形を出雲言葉で語ったことが知れる。関田(1992)によると、『草稿』
も『思ひ出の記」をまとめた三成重敬が筆記したと推断されているが、『恩ひ出
の記』は上記動詞の古形の使用はない。三成重敬は東大の史料編纂所勤務の人で
あり、1904年から小学校で標準語とされる言葉で書かれた教科書が使用され始
めた頃のことゆえ、最終的には標地語でまとめようとしたのであると考えられる。
故に、『恩ひ出の記』のほうはそれらが全て現在の標準日本語の文法で記述され
ている。
ハーンとセツの家族は14年間という比較的短期間に、松江、熊本、神戸、東
京と移動しているが、地域によるこのような動詞の活用の相違の難しさ、煩わし
さがあり、これも40歳で来日したハーンが日本語の活用語の活用形が習得でき
なかった原因の一つであると考えられるのではないか。それ故、セツもハーンが
最も使いやすい活用語に活用のない日本語を話し響いたのであろう。
4.考察の詳細
ハーンの日本語の概略で見たように、「外国人性」の強い「ヘルンさん言葉」
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の創出にはセツの徹底的な言語簡略化の協力があった。ここではその実態を考察
したい。全般的にはセツのFWならびにFTも忠実にその特質を反映し、両者が
呼応して「ヘルンさん言葉」を形成していった過程がわかる。
セツのFW、FTもスクータリデス(1988)の調査結果や第二言語の習得促進
(志村、1989)における機能とは異なり、非文法的である場合が多い。
4-1.統語法
非文や未完成文が多い。動詞等の活用語が活用をせず、文中「て形」を使用せ
ず辞書形を使うなど、ハーンの日本語の非文法性にセツも合わせて調整している。
セツは子供たちに対する教育でも言葉遣いの教えが非常に厳しく、長男の小泉一
雄がたとえ身内のなかだけでも汚い言葉を使うと、「16賞幾百匁の母に押えつけ
られ、目茶苦茶に叩かれてしまいました。」と語っている('0)通り、ハーンにも
常に丁寧体で話した。ロング(1992)では日本語におけるIFTによる丁寧体の回
避の報告がされているが、社会や時代や環境の背景があり、一概に「日本語のF
Tでは丁寧体の回避の傾向がある」とは言えないことがわかる。セツも有生の物
にも「あります」を使用し、「動詞の終止形十です」を使用しており、助詞の脱
落が顕著である。原文書簡に見られるFWの方が、セツの記憶のなかで再生、後
述筆記されたFTよりはるかにピジン性が強い。
…パパサマ、アナタ、シンセツ、ママニマイニチ、カワイノ、テガミ、ヤ
リマス。ナンボ、ヨロコブ、イスムヅカシイ、デス。アナタ、カクノエ、
ヒキフ子ノニオモシロイ、デス子一・ワタシラ、ハヤク、やいづエ、マイ
リマスト、パパノカオ、ミルト、オモシロイノ、コトバ、キク、大い-[タイ]、
スキ。(中略)イマ、大久保ノイエニダイク、アリマス。パパサマノ・カ
ワイノ、ベンキヤウノ・マ・トストウフノ、マ、ナオスデスヨ。パパオカ
エリノ、トキ、ナンポ、キレイ、卜、ベツニト、ナリマショーヨ。(以下、
略。)(1904年M18日セツの書簡)
…小・ママ・サマ・
アナタ・ノ・タクサン・カワイ・テガミ・アリマス・ダイク・ワ・卜・カベ
ヤ・ワ・アリマス・卜・キク・カラ・タクサン・ヨロコブ・コンニチ・アサ・
ウミ・ガ・ソノ・ヨナ・アライ・オヨグ・スカシ・ムツカシイ・デスカラ・
ワダ・二・マイル・オトキチ・サン・デ・卜・オモウ.(以下、略。)
(1904年8ノ119年ハーンの返書)
4-2.内容の詳述化
文構造は単純化されているが、内容については詳述化されており、相当詳細な
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話の内容、話の雰囲気まで擬声語や擬態語を効果的に使って伝達できるFTであ
った。
セツの書簡に現われた表現は色彩感や音感に満ちており、独特の世界を形成し
ている。例えば1904年8月23日の、焼津のハーンに宛てた書簡中に見られる
色彩感を感じる表現として、朝顔の話に、「ムラサキ、四ツ、アカニツ、サキマ
シタヨ」、音感を感じる書き方としては、「ミナ女デ、ヤカマシデシタユホホホ
ホホ」が見られる。同年8月18日に同じくハーンに宛てた書簡(前掲書簡の後
半部)に、
…パパノカワイガルノ、バシヤウ、大キ大キデス。ナンボ、タクサン、ハ、
アリマス。シカシ、ミナ、ニワノ木、イイマシタ。ダンナサマ、ルス、サム
シイデス子一、トイイマスヨ。セミ、アサカラ、ウタウ、ミン、ミン、ミ
ン、ミン、ミン、ツク、ツク、ウイス、ツクツクウヱス、ウエヨース、……
とあり、庭の芭蕉の様子、蝉の鳴き声等が情感豊かに独特の擬声語を駆使して活
写されている。また、東京のセツから焼津にいる幼い長男一雄に出した同年8月
の書簡の中にも、FWではなく共通語であるが、「さよなら下駄の音カタカタカ
タ..…」という表現が見られる。村松(1988)はセツの擬声語の、ハーンの文
学に与えた具体的な影響として次のように述べている。
例の「牡丹燈髄」の幽霊話を語る「恋の因果」(',APassionalKarma,,)と
いう作品で、女の幽霊が近づいてくる下駄の音を「カラコン、カラ・コン」
とハーンは書いているが、これなども良き助手であったセツ夫人のヒントが、
多分あったのではないかと考えられる。('1)
セツの文体は、簡略で簡潔なFWや児童宛ての文体であるゆえに、擬態語や擬
声語を使った音感や色彩感の効果が際立つと思われる。聴覚に優れていたハーン
はセツの擬声語の音感がもつ雰囲気から詩想を得たり、着想を得たりすることが
多かったと思われる。セツへの書簡で焼津の祭礼に触れて「ヤレヤレハヤト」
と神輿を担ぐ者の様子を擬声語で書き止めたり(12)、クラゲを「クラギー」と言
い、周りの人が注意すると、「ギーと刺すので、クラギの方が感じがでる」と言
っていたという長男一雄の話もある(13)。「小ねこミヤウミヤウといました」('4)
のように英語の擬声語をそのまま使ったハーンのひらがな書簡(拙者注:ミヤウミヤ
ウのみ、力、たかな表記)もある。両者とも少ない語彙で豊厨なオノマトペを使って情感
豊かな表現に成功している。
セツが『思ひ出の記」に以下のように語っている。
私が本を見ながら話しますと、「本を見る、いけません。ただあなたの話、
あなたの言葉、あなたの考でなければいけません」と申します故、自分の物
にしてしまってゐなければなりません……
58

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具体的な一例として、r耳なし芳一の話」を産みだしたときの苦労については
次のように述べている。
中々苦心致しまして、もとは短い物であったのをあんなに致しました。「門
を|)Hけ」と武士が呼ぶところでも「門を開け」では強みがないと云ふので、
色々考へて「開門」と致しました。
染村(1990)は、上記の例に関して原話には「門を開け」も「開門」もないこ
とを指摘している。('5)
以上の数例はセツのFTによる表現力の卓越性や創作の能力さえも示している
と思われる。ハーンとのコミュニケーション言語としての意義のみならず、ハー
ンの著作に関するhf報を得る言語としてのセツのFTの功績の大きさが窺える。
セツのFTが文章は単純化されているにもかかわらず、質的複雑さを持ちえた
ことに関連して注目すべき主張としてSnow(1981)では、道を尋ねる等の短い
簡単な内容の会話はあまりFTを産出しない、一方、長い複雑な抽象的な会話の
方がレベルの高いFTを多く産出する(16)とある。Snowの主張はセツのFTが
何故こんなにも効果的であったかという疑問に解答を与えていると思われる。
4-3.語蕊
語彙レベルでは神道や仏教関係の用語等、セツのFvTでは平易化されておらず、
難しい単語もそのまま取り入れている。これについては平川(1992)ならびにハ
ーンの弟子の藤崎(1928)がハーンの文章について言及していることが大変参考
になる。
…神道を語る際に、しきりに「翻訳不能」という形容を用いている。それは
端的に、感性に言語が追いつかぬもどかしさを伝えるものだ…('7)
…逐字的の和文英訳を余に求められた事が度々であった。故に先生の著書中
には往々この極の直訳的の文章を見ると同時に原文の意を失はざる点に於
て頗る忠実である事もわかる。(中略)仏教方面の事は主として余が担任し
た。('8)
ハーンは、既述の大谷正信や藤崎八三郎等に直訳させて意味や味わいを吟味し
ている。その単語だけがもつ味わいが感じられる場合に難解な概念のことばも翻
訳せず、ことばそのものの響きを尊重してそのまま使用したため、セツもそれに
合わせて話し、書き、また、教えたのであろう。例として、神輿等の神道関係、
大黒、比丘尼、経、弔う等、仏教関係の語彙に詳しく、ハーンからセツへの書簡
にはこのような語典が頻用されている。
英語の語棄は、「パパ」等を除いて全くといっていいほど使用されておらず、
スクータリデス(1981,1988)における「英単語の使用は日本語のフオリナー.
59

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トークの特徴」はこの場合は当てはまらない。セツはハーンから少し英語を学習
した痕跡がセツの『英語練習帳』に残っているものの、ほとんど英語を習得しな
かった。英単語の使用が日本語のFTの特徴となるためには、談話者の双方が英
語を知っているか、双方とも知っていると想定される条件がなければばらないだ
ろう。ゆえに英単語そのものは使用されていないが、書箙の文末の「ヨキコトバ」
等、英語表現の'伝移は見られる。ハーンの日本語を忠実に反映している。
4-4.主格人称代名詞の頻用
話し手、聞き手の位置を明確にするためで、今日のFTにおいても同様の傾向
が見られる。対称代名詞として二人とも「あなた」を頻用しているが、この時期
には「あなた」の方が「おまへ」より待遇価値が高い。飛田(1982)によると、
当時「あなた」は西洋好きな人や異人に好んで使われたとある(19)が頷ける。対
等に対話する場合の非常に丁寧な敬意や教養を示したと思われる。
4-5.助詞
二人の言語の相互作用の結果である「ヘルンさん言葉」が示す、しばしば「片
言である」と評された強いピジン性は統語法や助詞の脱落等に因るところが大き
いと思われる。表2は発表されている3通のセツの原文普簡から助詞の使用状況
を考察した結果である。『草稿」『忠ひ出の記』は話しことばの性質上、調査しな
かった。
表2:小泉セツのFWに見られる助詞の使用状況
60
係助Miil「は」(叙述の題目、取り立て提示)の脱落
42回
格助 可「が」(主Hli提示)の脱落
23回
格助 N]「を」(動作の目的物提示)の脱藩
16回
格助iFil「で」(動作の場所提示)の脱落
0回(「で」の使用なし)
格助ilii「に」(変化の結果提示)の脱落
0回(11面1適切に使用、下記参照。)
格助Mii]「へ」(方向提示)の脱藩
0回(11m1のみ使用、他は「に」を使用)
係助M1「は」(叙述の題月、取り立て提示)適切な使川 0回(「は」の使用なし)
格助Mii「が」(主iMi提示)の適切な使川
0回(「が」の使川なし)
格助1m「を」(】iノリ作の目的物UIL示)の適切な使用
0回(「を」の使)Hなし)
格助,1可「で」(理由、手段)の適切な使用
6回(不適切な使用なし)
格助tlii「に」の適切な使用
6回(方向4回、変化1回、存〈151回)

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特徴として、「は」、「が」、「を」の使用が全くない。ハーンの日本語も「は」「が」
の脱落の顕著な傾向及び「を」の脱落が目立ったが、セツの調整日本語の方が脱
落の度合いが更に大きいことを示している。ゆえに助詞の脱落はセツのFW、FT
が導いたものではないかと思われる。動作の場所提示の「で」の使用は全くなく、
結果、ハーンも同機能の「で」は未習得であった。他の助詞より難しいと思われ
るさまざまな機能の「に」をハーンが55.3%の適切な使用をしているのもセツの
影響かと思われる。
5.セツのFW、FTと言語のピジン化との相関性
セツのFW、FTは、志村(1989)が報告している外国語教育における第二言
語話者にとって有効と思われるFTの特徴と比較して、非文や未完成文の多さ、
助詞の顕著な脱落、内容の詳述化、質的複雑さや概念の難しい諦薬の使用等にお
いて異なるところが大きい。
セツのFW、FTは言語学的には、Ferguson(1977,1981)の「言語のピジン化」
の起源としてのFTの性質をもつものであり、ハーンの中間言語を化石化させる
働きがあり、ピジン日本語の形成の役割を果たすものであったと考えられる。
FergusonandDeBose(1977)は、FTとBL(注:brokenlanguage)ならびに
ピジン語の定義について次のように記述している。
ピジン化は、標準言語をインプットとして受け入れ、筋略化され、混成化
された不安定な変種の言語をアウトプットとして産出する過程である。非母
語話者によって使われるときはBLとして同定され、母語話者によって使わ
れるときはFTとして同定される。ある特別な言語状況における母語話者と
外国人の間での言葉上の相互作用の言語的なアウトプットとして観察され
るとき、ピジン語として同定されるのである。(拙訳)(20)
更に、三者の関係について、
FTとBLの相互作用の結果は、両方の要素の総和として観察される。双
方で生ずるこれらの特徴は双方とも強化される。(中略)(例えば)A語のF
Tを使用しているA語の話者は、B語話者と話すとき、A語のFTを他の簡
略言語(例:幼児に対するベイビー・トーク)では見られないほど多く使用
し、後者のBLに合わせて調整するのである。同様にB語話者は(A語の)
FTを聞き続けることにより、B語話者が通常のA語から聞いたことがない
ような(A語の)BLの特徴を形成してしまう原因となる。(拙訳)(21)
と述べ、FTとBLの相互作用がピジン譜の形成に血要な関わりをしていること
を論じている。
結局、ハーンの著作物への著しい貢献を別にすると、セツのFW、FTは第二
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言語習得促進に有効なFW、FTではなく、コミュニケーションのための原初的
なピジン語を生み出していくFW、FTであったと考えられることが、Ferguson
(1971,1977,1981)の理論を適用できることからいえると思う。
ここから、「ヘルンさん言葉」は、ハーンが一人で創出したものではなく、ハ
ーンのBLとセツのFTとの相互作用によって産出され、徐々に安定性のある体
系的なピジン性の強い日本語の-1mになっていったのであると考えられる。
6.結輪と今後の課題
「ヘルンさん言葉」は、ハーンの生存中から今日まで長い間、片言であると評
されてきたが、ハーンの変種日本語とセツの原初的なFW、FTで構成されてい
るピジン性の強い個人言語であることがわかった。
上に考察したことをまとめると、小泉セツのFW、FTは、非文法的であり、
活用語に活用を持たない、常に丁寧体である、内容の詳述が可能であり、豊富な
オノマトペの使用により音感や色彩感に富む、語彙は神道や仏教関係の用語等、
ハーンの関心の深い分野において平易化されない、助詞「は」「が」「を」の100%
の脱落と他の一部の助詞の脱落等が見られる。社会言語学的には地域的な方言や
出自的、ならびに時代的な特徴も観察される。言語のピジン化の起源としての
FW、FTの性質をもち、ハーンの日本語と相互に影響し合い、ピジン性を補強し
合っている傾向が見られる。両者の相互作用によって、ピジン性の強い「ヘルン
さん言葉」が産出された。
しかしながら、小泉セツのFW、FTは、ハーンとの日常生活における意思疎
通のみならずハーンの著作物への貢献が著しかった。
一方、セツのFW、FTの今日的意義を考えるとき、現代における日本語の国
際化を見据えたさまざまな試みの底に流れる思想と通底するものがあることに
気づく。セツはハーンの死去まで14年間に亙り、FW、FTを使い続けた。日本
語国際化の試みは、百年以上前のハーン、セツによる「ヘルンさん言葉」創出の
努力と繋がる一面があろう。今後「ヘルンさん言葉」が百年以上の時を超えて、
日本語教育や日本語の国際化を考える上で示唆するものは何なのかを考えたい。
注:
(1)2004年10ルj、IIL八雲没後100年記念111際シンポジウムにてヘルンさん言葉についてロ双発災した際
の資料を補足したものである。
(2)師よから明治期にかけて横浜にあった居留地で使用されていた日本語ベースのピジン綱。
当時の文献に『ExercisesintheYbkohamaDialect』(1874,1879)がある。拙稿「幕末Iリl治期
の居留地における日本語についての考察一YbkohamaDialectを中心に-」『日本語学摘説資
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科』第40号(2003年発表論文災)、鏑脱資料保存会参照。
(3)ラフカディオ・ハーン「言語学習における目の効用、耳の効用」『ラフカディオ・ハーン著
作梨』第4巻312頁。恒文社1987年
(4)小泉節子「皿ひ出の記」平川jiMi弘「′I、ルL八雲回想と研究』42jfIo撫談社学術文瓜[1992
(5)萩lji(朔太郎「小泉八雲の家庭生滴Jちくま日本文学全典『萩原朔太郎』337頁。筑摩杏房1991年
(6)1111111かおる「14小泉セツ『凪ひ川の3画のWI稿一離合鄭貞三郎Ⅱ」ノ段資料一」(小ルL八雲未刊行資IsHH
jn姿11会「Ⅳ未刊行資IIP}.埋もれた資料(K)」)「へるん』1992N0.29118-119頁。
(7)2002年10J17日近18による小IiUL氏の淡`Mio
(8)小liL-・雄『父「八雲」を低うき『小泉人望Lljjr収44011.位文社1976年
(9)染村絢子蒋、人糞会細『小泉八父IIT橘・未}:リ行書簡拾iH雌LiIY稿』ljlr収381〔、252頁。雄松蛍
出版
(10)}111棚苔、小》l一雄署、247頁。
(11)村松眞一「焼rl1におけるハーン1111係資料」IIP岡大学人文学部『人文論典』136頁。No.391988
(12)ハーン苫而。1904年8月13日付焼津発來ル(のセツ宛。
(13)小#し時「ハーンの焼rItから出した.ひらがな,の手紙(未発災)その他」『八雲ざ3面。第6月・平
成5年小泉八裳顕彰会
(14)同上。5頁。
(15)染材絢子(『小jiL八雲jiW1il・未刊1丁普筋拾遺災LiUY橘』(1990)301r〔によるとljf(賭「琵世秘曲泣
一二幽霊一」の凹該部分には「一つの門を過て殿中にいたり」とあるという。原書は窟山大学「ヘル
ン文庫」にあり、稿行は今回は1lx苔の砿泌ができなかった。
(16)Snow,CE.,VkmEeden,R・andMuysken,R`ThelnteractionaIOriginsofForeigner
Thlk:MunicipalEmpIoyeesandForeignWOrkers,UDTねmatlmaノcノb、刀日ノ並
妨eSbcjbノb幻'0fLangwHg笹28pp81-911981
(17)平川iiMi弘『小泉八雲回想と研究』412頁。講談社学術文Ⅱ[1992年
(18)藤崎人三郎『小泉八翼先生の追憶』130頁。平川祓弘、iii掲書所収
(19)飛田良文「近代語彙の概説」佐藤喜代治編『近代の語彙』所収8頁。明治醤院昭和57年
(20)Ferguson,CAandDeBose,CE.(1977)SimpIiHedRegistersofBrokenLanguagesand
Pidginization,PグコgmJmdC℃りんIndianaUnivLPress
(21)肺乢。
参考文献(注記に記した文献以外のもの)
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speech,babytalk,fbreignertaIk,andpidgins,」口ツコgmj2mjbna"dCrwZjzabbJ7"
LmglJag色qCambridgeUniMPress
Ferguson,CA.(1981)ForeignerTRllkastheNameofaSimplinedRegister;mremaZjmaノ
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