国家を食い潰す国民
民主党広報担当のマスコミによる事業仕分けショウについて、今日の産経新聞では2人の論者が異を唱えている。
ひとつは東谷暁氏の「倫理問われる『劇場政治』」で、この「事業仕分けは、脱官僚を唱える民主党の主張と矛盾し、重要な政治案件から国民の目をそらす「ねこだまし」だという。
本来は政治家が政治理念に基づく方針を打ち出し、官僚が技術的な技量でそれを具体化していくべきなのに、「国民の前に示されたのは、技術的な技量に欠ける政治家が視聴者の目を意識してスタンドプレーを行う『必殺仕分け人』の演技だった」と厳しい。
菅副総理の国家戦略室がまったく機能していないのは誰の目にも明らかで、日本経済は鳩山不況どころか破滅の坂を転がり落ちている。
昨日、日銀が追加金融緩和を発表してもマーケットには失望感が漂う。
ブレまくる鳩山首相で日米関係は悪化し、首相の偽装献金に対する国民の疑惑の念は高まるばかりだ。
にもかかわらず、事業仕分けショウに国民は喝采し、それに下支えされた鳩山首相の支持率は落ちない。
まさにポピュリズムが国を滅ぼす姿を絵に描いたようである。
「私たちは『事業仕分け』などと言う『学芸会』のような保護者付きの劇場政治に一喜一憂しているわけにはいかないのである」
と論者は結んでいる。
コラム「正論」では佐伯啓思京都大学院教授が「国の長期的方向付け』こそ肝要」と題して、事業仕分けは「常軌を逸したやり方」と批判している。仕分けの中味の是非ではなく、このような人民裁判と同じやり方が国民の広範な支持を得るという日本の風潮に何ともいえない嫌なものを感じるとしている。
Ponkoが一番嫌いな「国民目線で」という政治家の言葉の欺瞞を佐伯氏はズバリと突いている。
「『国民が国家の将来を見通しつつ判断を下せば、国民のための政治は、国家の将来を約束できる』といってよい。しかし、国民にそれだけの判断能力も情報も関心もなければ、『国民のための政治』と『国家の将来』とは決して一致などするはずはない。
このことから分かることは『国民のための政治』と『国家の将来のための政治』は必ずしも同じではない、という当たり前のことである」
後で紹介する予定の「雑誌「WILL」1月号では国民が国家を収奪し食い潰している、そして国は「国民の生活が第一」とバラマキ政策で国民に媚びて借金地獄に陥っているという指摘もある。
大方の顰蹙を買うことを承知の上で言えば、大国アメリカを相手に戦った当時の「欲しがりません勝つまでは」の国家意識で窮乏生活に耐えた精神、そして敗戦後の焼け跡から立ち上がった不屈の精神でこの日本を何とかせねば将来の子供にツケを残すことになるとつくづく思う。
「鳩山政権は、いまだに、日本社会の将来にわたった長期的な展望を語ってはいなし、この展望を軸にした政策も打ち出してはいない。『国の長期的方向付け』もなくして、事業仕分けなどは本来はできるはずはないのだ。『国民の監視』が必要なのではなく、『国の将来像』からくる基本政策を打ち出すことこそが政治の責任というものである」
と佐伯氏は結語している。
事業仕分けは画期的だ、透明性が確保された、国民は税金の無駄が如何に多いか分かった、国民参加型の政治だ・・・などと美辞麗句で語る代物ではない。
両氏は指摘していないが、仕分けショウの演出はマスコミによるものだという事も忘れてはならない。
「政権交代」を民主党と共に叫び、それを今年の流行語大賞にすることでマスコミは今年の仕事の締めくくりとした。
年末から来年にかけて鳩山不況の深刻化で世間が混乱することは必定であり、民主党広報担当のマスコミがどんな仕事ぶりを見せるか見ものである。
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by izatoraneko
朝日新聞がなくなる日