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大江健三郎の「日本国民としての責任」論――沖縄問題について(下) [2009-11-26 00:01 by kollwitz2000]
大江健三郎の「日本国民としての責任」論――沖縄問題について(上) [2009-11-26 00:00 by kollwitz2000] 上田耕一郎の慧眼と誤算――共産党の「社会帝国主義」政党化? [2009-11-15 00:00 by kollwitz2000] 第三回口頭弁論期日報告 [2009-11-13 00:00 by kollwitz2000] 佐藤優の言論封殺行為について(原告「準備書面(1)」より) [2009-11-10 00:00 by kollwitz2000] 歴史問題を回避する「ナショナリズム」復興論――レイシズム的保護主義グループの成立(2) [2009-11-08 00:00 by kollwitz2000] 「良心的」な立場とは何か――岡真理氏と『金曜日』 [2009-11-01 00:00 by kollwitz2000] 4.
「日本国民としての責任」論が消えていったのは、リベラル・左派の全般的な「右」の立場への移行(転向)という要因が大きいと思われるが、後者のポストコロニアリズムからの「国民主義」批判も、同じく大きな役割を果たしていると思う。こうした批判により、「日本国民としての責任」論自体が消されてしまったからである。 一例を挙げよう。西川祐子は、以下のように、大江を「国民主義」者として批判している。 「戦後歴史学を対称軸として、現に復活しつつある皇国神話と大江が構築した民衆神話はポジとネガの関係をもって対抗的に位置づけられる。三者は桔抗するが、どうじに奇妙に安定した構図を形づくる。三者は互いに支えあっている。反体制の作家である大江健三郎は反体制の神話の創作により安定の一翼を担い、戦後文学を代表する国民的作家となる。この安定した構図が戦後という地政学そのものであるとしたら、わたしはそれを読みぬくことによってネーションという枠組みの外へでたいと思う。」(西川祐子「もう一つの神話の構築――大江健三郎『M/Tと森のフシギの物語』論」、ひろたまさき/キャロル・グラック監修、西川祐子編『歴史の描き方2 戦後という地政学』東京大学出版会、2006年11月、241頁) 同書の巻末には、西川と成田龍一、上野千鶴子、ヴィクター・コシュマンといった、カルチュラル・スタディーズ周辺の面々による「座談会」が、解説として附されている。ここでは、上記の西川の論文の認識に則った形で「座談」がなされており、特に上野は大江を「国民作家」と呼びつつ、冷笑的な姿勢をあらわにしている。 上記のような、大江を「国民主義」として批判、嘲笑する立場は、今日ではステロタイプなものである。これが駄目なものであることは見やすいが、より警戒すべきは、一見、大江の「可能性」を救い出しているように見えながら、実際には、大江の「可能性」を、西川らと同じく殺している言説である。成田龍一の大江論がこれである。 成田龍一は、自身の大江論の中で、以下のように述べている。 「 被爆が「日本」の体験であり(むろん、大江は韓国人被爆者にも言及している)、国民運動として原水爆禁止運動が展開されねばならず、「ヒロシマを生き延びつづけているわれわれ日本人の名において」否定的シンボルとしての広島の提示=「新しい日本人のナショナリズムの態度の確立」を訴える。語りの位相として、「日本」「日本人」という共同性のもとに、被爆者の証言=記憶をたばねて回収していくのである。換言すれば、被爆者の記憶を「日本人」の記憶とし、「日本」の経験と総括し、「日本」「日本人」という単一のアイデンティティヘと方向づけてしまう。だが、この瞬間から大江はさらなる動きをみせ、証言の語りの位相をずらしていく。 『ヒロシマ・ノート』連載中の1965年春に、大江健三郎は沖縄本島と石垣島を訪れている。重藤文夫によってひらかれた「眼」によって沖縄をみつめようとするのだが(『原爆後の人間』)、「ぼく自身の内なる日本人」を見つめる目へとただちに「反転」したと述べている。こののち、沖縄も大江にとって意味をもつ場所となり、『万延元年のフットボール』における(兄弟の姓となる)「根所」は伊波普猷『古琉球の政治』に想を得、「小説全体の構想への出発が確保された」という(「未来へ向けて回想する――自己解釈(四)」『大江健三郎同時代論集 4』岩波書店、1981年)。 「沖縄の文化の多様な側面」に触発されたというが、沖縄での大江の体験は、大江にとっての「もうひとつの日本」の発見であったといえよう。大江は、沖縄によって「本土」の「日本人」たる「われわれ」を相対化し、現時の「日本」ではない、「日本」を構想するのである。この試みは、『沖縄ノート』として展開されるが、「このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえる」ことを模索し、「日本」「日本人」が俎上にのせられ問われる著作となっている。 これは、語りの統一体として設定した「日本」「日本人」をこわす作業で、証言=記憶の「日本」への回収の拒絶である。『ヒロシマ・ノート』での「日本」への回収がただちに解体されている。たしかに、大江のこうした試みも、多様化されたより高次の「日本」に証言を回収する点では差異がないという批判もあろう。証言=記憶を、異化をつうじてより強固に「日本」に回収するという異論があろう。しかし、これは「identity」(『万延元年のフットボール』)を追求するという1960 年代の「枠」ともいうべきものであり、内実をくみかえることによる語りの統一性の解体は、こののち、語りそのものの考察へと関心を移すことにより、この点からの解決が図られる。 「谷間の村」を描く、『同時代ゲーム』『M/Tと森のフシギの物語』『懐かしい年への手紙』から近年の『燃えあがる緑の本』三部作にいたるまで、「語り」に焦点をあてている。記憶=証言のたばね方に、記憶の問題はいきつく。これは、単一の統一された主体=アイデンティティではなく、複合的な多面体としての主体=アイデンティティの模索ともいえよう。」(成田龍一「方法としての記憶」――1965年前後の大江健三郎」(初出は1995年)、成田龍一『歴史学のスタイル』校倉書房、2001年、174~176頁) 成田はここで、「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という問いについて、大江は沖縄に触れることで、日本国内の(文化的)多様性を認識し、単一的な主体としての「日本人」という概念に対して批判的であるように呼びかけている、と解釈している。大江のこの問いは、「国民主義」批判なのだそうだ。 私は成田のこの一節を読んで爆笑してしまった。『沖縄ノート』を読めば、この解釈がいかに珍妙であるかは明らかなのだが、ここでは大江自身に語ってもらおう。 「『沖縄ノート』は、本土の戦後世代である私が、明治の日本近代化の始まりに重なる「琉球処分」によって、沖縄の人間が日本国の体制のなかに組み込まれてゆく、そして皇民化教育の徹底によってどのような民衆意識が作りあげられ、一九四五年の沖縄戦における悲劇にいたったか、を学んでゆく過程を報告した。それが第一の柱です。 私は戦後日本の復興、発展が、講和条約の発効、独立の出発点から、沖縄を本土から切り離しアメリカ軍政のもとにおいて巨大基地とすることを根本の条件としたこと、それが沖縄にもたらした新しい受難について書くことを第二の柱としました。その実状を具体的な人間の経験をつうじて示すために、とくに私が「沖縄の戦後世代」と呼ぶ、自分と同世代の人々へのインタヴィユーを中心にすえています。私の見る限り、それを伝えている刊本はまだありませんでした。 そのようにして長い新しい苦難のなかで、沖縄の施政権返還が(巨大基地はそこにおいたままで)達成するまでを、私は報告したのですが、その過程で私のうちにかたまってきた主題がありました。私は太平洋戦争以前の近代・現代史において、本土の日本人が沖縄に対して取ってきた差別的な態度、意識について資料を読みとく、ということをしてきたのでしたが、戦後においても、日本の独立と新しい憲法下において、その憲法から切り離されている沖縄の犠牲のもとに、本土の平和と繁栄が築きあげられてきたことに、本土の日本人は、それをよく認識していないのではないか、そしてそれは近代化以来、現代に続くこのような日本人としての特性を示していることなのではないか、と考え始めたのでした。 そして、私がこのような日本人としての、もとより自分をふくむ現在と将来の日本人について、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか、と問いかけ、答えてゆこうとする努力が、この『沖縄ノート』の第三の柱をなすことになりました。」 http://www.okinawatimes.co.jp/spe/syudanjiketsu/ooe_chinjutsu03.html 明らかなように、大江は、「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という問いは、日本国民としての歴史的責任の問題として考えているのである。ところが成田は、『沖縄ノート』を読めば自明である、こうした歴史的責任という問題には一切触れず、大江の主張について、「国民主義」を解体し、複合的なアイデンティティを志向しているもの、などとしているのである。「ナショナリティの脱構築」だ。成田が大江の発言を恣意的に拾ってきて、自分の図式を作り上げているだけであることは明らかであろう(注5)。成田がやっていることは、「日本国民の責任」論の解体であり、大江の主張の脱政治化である。 なお、成田は、ある座談会で、北田暁大の「愛国左翼」擁護論について、「興味深い指摘」、「ナショナリズムと左翼の両者は結びついていましたが、50年代後半以降は批判的運動を展開するときにナショナリズムの部分は直接に表面には出さず、民主主義を強調しました。戦後思想による戦略ですが、あたかも民主主義とナショナリズムが分離していたかのように映るのでしょう」などと、好意的な態度を表明している。北田はこの座談会で、特に90年代の左派がナショナリズムの脱構築やマイノリティ問題や戦争責任問題にばかり目を向けていたことが、丸山真男のような愛国左翼の立場を忘却させ、「朴訥とした愛国心を持つ「大衆」との乖離が出てしま」い、小林よしのりのような右翼が大衆的人気を勝ち取ることを招く一要因となった、などと発言しているのである。 もともと北田(どうでもいいが、上野の忠実な弟子である)はどこにでもいるブロガー以下の、本来論じるにすら値しない人物であるから、大江らの「日本国民としての責任」論を理解していないことは仕方ないとして、成田のここでの姿勢は、「国民主義」批判の「ナショナリズム」擁護論との共犯関係を、大変鮮明に表している。合わせ鏡のようだ。「論壇」が「ナショナリズム」批判から「ナショナリズム」擁護に行きつつあるようだから、それに寄り添って動いているだけかもしれないが、そのように動けてしまう(これは成田のパーソナリティの問題かもしれないが)ところに、「国民主義」批判の問題性があると言えよう。 (注5)もう少し言うと、実は、成田の上記の引用箇所、「「沖縄の文化の多様な側面」に触発されたというが、沖縄での大江の体験は、大江にとっての「もうひとつの日本」の発見であったといえよう。大江は、沖縄によって「本土」の「日本人」たる「われわれ」を相対化し、現時の「日本」ではない、「日本」を構想するのである。この試みは、『沖縄ノート』として展開される」という箇所自体が、恣意的な資料解釈または誤読から成り立っているように思われる。 ここで挙げられている「沖縄の文化の多様な側面」という文言は、成田が言及しているように、「未来へ向けて回想する――自己解釈(四)」にある(『大江健三郎同時代論集 4』327頁)。この一文は、『沖縄ノート』を含む、大江が1965~1971年に「沖縄問題」に関して書いた文章を収録した本(『大江健三郎同時代論集』第4巻)に附された、大江自らによる解説であるが、この「沖縄の文化の多様な側面」なる文言が出てくる前後の部分を見てみよう。 「僕が沖縄について書いた文章は、政治的な状況につねに関わっていた。しかし沖縄へ行き、滞在する間、僕の関心が政治的なところにのみ向っていたかといえばそうではなかった。沖縄の文化の多様な側面が、僕に激しく触発的であったこと、そこから質の高い喜びをつねにあたえられてきたこと、それはあきらかである。しかも僕は、政治的なものに由来する翳りのなかでのみ報告を書き、文化的な輝やきのなかの経験については、それをよく書くことがなかったと思われるのである。文化的な側面をもまた自分の文章に配分しえていたとするなら、繰りかえしになるが、政治的な憂鬱のつみかさなったこれらの文章に、決して憂鬱なだけではない方向性をも導入できていたかもしれぬのだが。 しかしあらためてその可能性をはかって見る時、やはりそれは、あの年齢の僕になしとげえぬことだったのだろうというところにおちつく。なぜなら僕は、しだいに時をへだてつつ、沖縄の文化的な輝やきについて、よく納得するようになっていったのだから。それでも納得の原点をなす経験は沖縄でしたのである。自分の仕事としての小説についてみても、僕が沖縄に旅することで受けとめたものが、政治的な主題にそくしては表層に出てこぬのに、文化的な深いレレヴェルでは力を発揮していたと、いまふりかえってあきらかになる例はいくつもある。」(同書、327~328頁) 大江はこの後、沖縄での文化的な経験が、『万延元年のフットボール』執筆や山口昌男の周縁性理論の受容に影響を与えた、と書いているが、上の引用から明らかなように、文化的な経験自体は、同書収録の沖縄論にはほとんど書かれていないとはっきり述べている。 実際に、『沖縄ノート』を見ると、「多様性にむかって」という章があるが、そこで述べられている「多様性」は、沖縄の人々の「天皇制にたいする態度の、生きた多様性」(同書、122頁)や、沖縄独立論に象徴される「沖縄の人々のものの考え方の多様性」(同書、139頁)であって、文化的な「多様性」ではない。 もちろん、『沖縄ノート』について、大江自身が『沖縄ノート』をも念頭において「文化的な輝やきのなかの経験については、それをよく書くことがなかった」と述べているにもかかわらず、大江が「沖縄の文化の多様な側面」に触発され」た結果として書かれたものだと成田自身は解釈する、と言うことは可能である。だが、成田は、そう解釈するにあたっての論拠を何一つ提出していない。 5. 周知のように、名護市長選は、民主党系候補と共産党系候補との間で、(1)「辺野古、大浦湾の美しい海に新たな基地は造らせない」「名護市に新たな基地はいらない」という信念を最後まで貫くことを市民に約束する(2)名護市の「閉塞(へいそく)的現状」を打破し、現在の利権にまみれた市政を刷新するため「市民の目線でまちづくり」を行い、公平、公正で透明性の高い行政運営を行う――の2点で合意し、民主党系候補に一本化することになった。こうした条件での一本化が成立したことには拍手を送りたい。 ただ、これは地元の人には自明のことであろうから何かを提言するつもりはないが、共産党系候補に象徴されるような「安保廃棄」の立場はとりあえず引っ込めて、「県外移設」という民主党系の候補の主張に統一し、保守層にも支持を増やしていこう、というあり方が、選挙戦術のみならず、選挙以外の運動レベルにまで貫徹されてしまうと、民主党系候補は、当選しようが、何らかの形で妥協するだろう。民主党系候補が「県外移設」を言い続けるのは、「安保廃棄」といった、「非現実的」に見える声が力を持っているからである。この力が弱体化すれば、割と簡単に妥協すると思う。 候補者一本化が成立していなかった時期に、『金曜日』が、民主党系候補の支持の立場から、共産党系候補を攻撃するデマ記事を垂れ流したことが話題になっていたが、これもこの文脈で考えた方がいいように思う。『金曜日』や『世界』は、今や、実質的には民主党の機関誌のようなものだから、民主党がコントロールできる形で、民主党系候補を勝利させたいのであって、その立場からすれば、「安保廃棄」の声が一つの力として顕在化していることは邪魔なのだろう。あの記事は、単に『金曜日』編集部や記者のミスという一過性のものというよりも、構造的なものとして捉えた方がいいと思う。 そして、現在のリベラル・左派は、「安保容認・県外移設」と「安保廃棄」のどちらかと言えば、ほぼ全てが前者の立場である。共産党は、沖縄問題については比較的原則的であるようだが、どこまでもつかは疑問である。以前にも指摘したように、共産党系の衆議院選候補者の半数近くは朝鮮民主主義人民共和国に「より圧力を」かけることを要求しているのであるが、「より圧力を」かけることが安保なしには不可能であることは明らかである。 したがって、沖縄の基地問題に関しても、その是正のためには、「国民主義」批判ではなく、大江のような「日本国民としての責任」論の立場からの沖縄問題への取り組みが不可欠だと思う。そうした立場に立ってはじめて、集団自決の強制性の件だけではなく、「慰安婦」制度等の東アジアでの日本の加害の問題の教科書への記述の要求への動きも生じてくるだろうし、日本の右傾化に 対して、日本国民と(在日朝鮮人を含む)周辺諸国の人間が連帯して対抗する、ということも可能になるだろう。逆に言えば、この立場にしか可能性はない。それを別に「ナショナリズム」と呼ぶ必要はないが、それは「国民主義」または「ナショナリズム」として否定すべきでないものである。 1.
mdebugger氏が、ブログ「media debugger」で、「沖縄の反基地闘争闘争における国民主義」について書いておられる。これを読むと、mdebugger氏は、沖縄の反基地闘争は「国民主義」の限界を所詮は持っているから駄目だ、と言っているかのように受け取られると思う。 mdebugger氏は「私は沖縄の反基地闘争を否定する気はまったくない(以前も書いたように米軍基地は東京に集中させるべきだと思っている)」と一応断っているが、沖縄の反基地運動がはじめから「国民主義」という限界を持っていると規定しているように思われるから、だとすればどうせよというのだ、という話に結局なってしまうのではないか。 こうした形の「国民主義」批判は、90年代以降のポストコロニアリズムの流行の影響もあり、左派では一般的な言説である。これへの反発として(これを反転させた形で)、より悪質な「ナショナリズム」復興論も近年、リベラル・左派の間で出てきている。私は、こうした形での「国民主義」批判というのは多くの問題を含んでおり、これまでかえって悪影響を及ぼしてきていると考えている。 ひょっとすると、私の立場も、「国民主義」批判のものであると思われているのかもしれない。私は以前、以下のように述べた。 「<佐藤優現象>によって、佐藤と結託するリベラル・左派、メディアで言えば『世界』『金曜日』『情況』といった雑誌や、佐高信、山口二郎、斎藤貴男、魚住昭、香山リカ、雨宮処凛、沖縄の左翼(大田昌秀、新川明、仲里効)ら言論人たちによるこれまでの日本政府・日本社会批判といった言論活動は、単なる「利権運動」に過ぎず、国家という枠組みの下での待遇の平等を求めていたものであって、「国益」とは必ずしも合致しない人々(例えば、上記のパレスチナ人、在日朝鮮人、外国人労働者等)に開かれた「普遍性」を持ったものではなかった、ということが示されたと私は思う。それは簡単に国家に取り込まれる、いや、むしろ取り込まれることが前提の運動である。 私たちはある意味で、佐藤に感謝すべきなのかもしれない。佐藤がリベラル・左派内部のさまざまな人間と組んでくれるお陰で、その主張が「利権運動」にすぎない人間があぶりだされるのであるから。 2009年は、金融危機という「非常時」の掛け声の下で、「格差社会の是正」を名目に、「普通の国」化を完成させる「大連立」体制――それこそまさに佐藤が待望しているものだと思われる――が成立する可能性が高いと私は思う(民主党が衆院選で勝っても、そうである)。アジア太平洋戦争下の総力戦体制に、各種の社会運動が簡単に回収されたように、佐藤に結託するリベラル・左派の人々、運動は簡単に「大連立」体制に回収されるだろう。そうした「大連立」に回収されない質の言説を作っていくことが必要だと思う。」http://watashinim.exblog.jp/9193135/ だが、私の上記の主張は、ポストコロニアリズム風の「国民主義」批判ではない。よい機会だと思うので、今回はこの件について述べておきたい。 2. まず、上の私の文章から引けば、「国家という枠組みの下での待遇の平等を求め」る運動は、それ自体としては批判されるものではない。これが否定されるならば、「国民」としての権利を獲得しようとする運動はすべて否定されることになるから、歴史的事件、市民革命や女性の参政権獲得運動すら否定されてしまう。韓国国籍の在日朝鮮人(「在日韓国人」という言い方を否定しているわけではない)による、大韓民国国内での市民権を一定獲得しようという運動も否定されてしまう。 権利の獲得と引き換えに、その「国家」の侵略行為や抑圧行為を容認したり黙認したりするようになった事例はほとんど無数にあるだろうが、だからといって(90年代以降の「国民国家」論者にありがちな)「戦争協力しなければ十全な市民権は獲得できないのだ」とするのは、ニヒリズムでしかないのであって、戦争協力せずに運動を続ける人々を愚弄するものであると言わざるを得ない。もう少し言うと、「国民主義」だから駄目だ、という立場ならば、マイノリティの権利獲得運動の戦争協力も必然、ということになるから、そうした戦争協力自体をかえって明確に批判できなくなってしまう。上野千鶴子がその典型である。 問題は、こうした「国民主義」的運動が、当該国家の侵略行為やそれへの加担、マイノリティ集団への抑圧行為等に対して、「国民」としての政治的権利を行使して批判するどころか、自らの地位の向上と引き換えに、黙認・容認する時に発生する。私が上記の引用で問題にしたのは、沖縄の左派も含めた日本のリベラル・左派が<佐藤優現象>を推進することは、佐藤による在日朝鮮人への排外主義の扇動や、パレスチナへの抑圧(への先進国の加担)の肯定といった行為を容認していることなのであるから、リベラル・左派の、「国家という枠組みの下での待遇の平等を求め」る運動は、第三世界の民衆ら他の非抑圧者との連帯という「普遍性」を志向したものだと思われていたにもかかわらず(注1)、<佐藤優現象>へのそれらの勢力の加担以降は実態としてはそうではなくなっている、ということである。そして、<佐藤優現象>への加担は、そのような行為を行なっている日本国家に回収されることを予兆している、ということだ。 したがって、「国民」内部での差別的待遇を是正しようという運動それ自体が、「国民主義」の名のもとに否定されるべきではあるまい。批判されるべきは、<佐藤優現象>への加担に見られるように、自分たちの権益の確保と引き換えに容易に右翼や排外主義勢力と結びついてしまう一部の勢力であって、全てを一緒くたにして否定してしまうと、かえってそうした勢力の自己正当化を助けてしまうことになるだろう。 (注1)反帝国主義の立場にある良質な民族主義者は、普遍的な「解放」の文脈で、自分たちの運動を位置づけていると思う。いくつか例を挙げよう。 「今日、われわれはインドを解放しようとしている。それは偉大な仕事だ。だが人道の発展ということはもっと偉大だ。そしてわれわれは、われわれの闘争が、窮乏と悲惨とに終止符を打つための、人類の偉大な闘争の一部だと感ずるからこそ、われわれはまた世界の進歩をたすけるために、なにがしかのちからをささげているのだと、よろこびあうことができるのだ。」(ネール『父が子に語る世界歴史』第1巻、大山聡訳、日本評論新社、1954年、18~19頁。原文は1931年1月5日付書簡。強調は引用者、以下同じ) 「ヨーロッパの風が東にふきよせるや、安南はフランスにほろぼされ、ビルマはイギリスにほろぼされ、朝鮮は日本にほろぼされる、ということになってしまった。したがって、中国がもし強大になったら、われわれは民族の地位をとりもどすだけでなしに、世界にたいして一大責任を負う必要がある。もし中国がこの責任を負えなかったならば、中国が強大になったところで、世界にとって大した利益はなく、むしろ大きな害になるのである。それでは、中国は世界にたいしてどんな責任を負う必要があるのか。いま世界の列強があゆんでいる道は、ひとの国家をほろぼすものである。もし中国が強大になっても、同様にひとの国家をほろぼし、列強の帝国主義をまね、おなじ道をあゆむとしたら、かれらの仕損じた跡をそのまま踏むのにほかならない。それゆえ、われわれはまず一つの政策、すなわち 「弱いものを救い、危いものを助ける」ことを決定する必要がある。それでこそ、われわれの民族の天職をつくすというものだ。われわれは弱小民族にたいしてはこれを助け、世界の列強にたいしてはこれに抵抗する。全国の人民がこの志をしっかりさだめてこそ、わが民族は発展できるのである。この志をしっかりさだめぬかぎり、中国民族には希望がない。われわれは、こんにち発展しない以前において、「弱いものを救い、危いものを助ける」という志をしっかりさだめ、そして将来、強大になったときは、こんにち身に受けている列強の政治・経済の圧迫による苦痛を思いおこし、将来の弱小民族もこういう苦痛をもし受けていたならば、われわれはそんな帝国主義を消滅してしまわなければならない。それでこそ「治国・平天下」といえるのだ。」(孫文『三民主義』上巻、安藤彦太郎訳、岩波文庫、1957年、135~136頁。1924年3月2日付講演) こうした発言を、近年の先進国における「ナショナリズム」復興論、例えば以下の山口二郎の発言と比較するのは興味深い。 「自省的ナショナリズム、あるいは再帰的ナショナリズムという問題ですね。私は、社会民主主義はあと100年ぐらいしか動かないと思うんです。グローバル社会民主主義、先進国から途上国に大きな再分配ってそんな簡単なものじゃありません。まずはそれぞれの国の中で貧困をなくしていく、あるいはミニマムを保障していくという社会民主主義を実践しないと、外には目が向かないと思っています。そういう意味では私も、ポストコロニアルのような議論はあまり好きではなく、やはり国民国家という単位のなかで当面、政治を闘っていくしかないと思います。」(柄谷行人・山口二郎・中島岳志「現状に切り込むための「足場」を再構築せよ」『論座』2008年10月号) 山口においては、ネールや孫文とは逆に、普遍性を否定するために、「ナショナリズム」が擁護されている。 3. この「国民主義」批判の問題は、近年の沖縄をめぐるリベラル・左派の言説の変容の問題とも絡んでいると思われる。 沖縄戦集団自決訴訟関連の発言を見ると、日本のリベラル・左派の沖縄問題に対するスタンスは、第2次世界大戦の惨劇や戦後の米軍基地の押し付け等をもたらした日本国民の責任として捉える論理から、「沖縄の人々がそう言っているから、その主張を尊重して配慮すべきだ」という論理に変容しているように思われる。 近年のリベラル・左派の論調は、非常に大雑把に言えば、中国や韓国等の周辺アジア諸国による日本の右傾化批判は「反日ナショナリズム」だが、沖縄の人々によるそれは、配慮しなければならない、というものだ。これは、沖縄問題に関する論理が、「日本国民の責任」論から「主張を配慮すべき」論(注2)に変容していることと並行した現象だと思う。 「日本国民の責任」論ならば、周辺アジア諸国との間に関する歴史認識問題も、沖縄の問題と同じく、「日本国民の責任」として捉える、という主張が帰結しやすいだろう。だが、「主張を配慮すべき」論ならば、問題は、主張する相手と日本のマジョリティとの政治的関係、「国益」論上の利害得失に還元される。この立場からすれば、沖縄の問題は、「日米同盟」の問題や、沖縄の国内統合の観点からみて配慮が不可欠であるから、主張は聞いてあげなければならないが、周辺アジア諸国の「反日」の主張は基本的に聞く必要はないので、「国益」論的にまずいのみ場合、配慮する、ということになるだろう。 そして実際に、歴史教科書問題に関する日本のリベラル・左派の論調は、沖縄の集団自決の強制性記述の復活は要求するが、朝鮮人強制連行や「慰安婦」制度の記述を復活すべきという声はほとんど聞こえてこない。ただし、「慰安婦」制度に関しては、米国下院の議決等の国際的圧力が強いから、「国益」を鑑みて、この点に関しては記述復活を要求する声が強くなるかもしれない。 上記の指摘は、沖縄戦集団自決訴訟に関するリベラル・左派の言説で、裁判の焦点たる大江健三郎の『沖縄ノート』の核心部分に関する言及がほとんどなされなかったところからも推測できるのではないか、と私は思っている。 大江の『沖縄ノート』の主張の核心は、読めば誰にでも分かるように、「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という問いをめぐってなされている。これについては、大江もそのことを認めている。 沖縄戦集団自決訴訟をめぐる左右の対立の奇妙な点は、小林よしのりのような「右」は、大江のこの「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という文言を取り上げて、口を極めて罵る一方、「左」は、大江の上記の問いについての言及を避けるか、まれに言及したとしてもそれを「日本国民としての責任」論として捉えていないかであることである(注3)。要するに、大江のこの文言は、「反日」的であるから、現在のリベラル・左派は擁護しようがないのだ。 大江の立場は、「<佐藤優現象>批判」でも引用したが、大江の親友であった安江良介の、朝鮮問題に関する立場とほぼ同じものである。ただ、大江や安江と近かった、大田昌秀が佐藤優の熱心な擁護者であるところから察するに、安江も生きていたらどうなっていたかわからないし、最近の大江もどうなっているかわからない(最近の大江の発言をあまり読んでいないので知らない)。ここで論じているのは、あくまでも『沖縄ノート』における大江である。 上記の大江の立場は、高橋哲哉の『戦後責任論』の立場と非常に近いのである。以前にも引用したが、もう一度引用しておこう。 「この責任(注・「日本人としての責任」)は、戦後責任をきちんと果たしてこなかった日本国家の政治的なあり方に対する責任として、日本国家が戦後責任をきちんと果たすように日本国家のあり方を変えていく責任であり、日本政府に戦後責任を果たさせることを通じて、旧帝国の負の遺産を引きずった既成の「国民化」や「皇民化」を可能にし、またそれらによって可能となった「日本人」や「日本国民」を解体し、日本社会をよりラディカルな意味で「民主的」な社会に、すなわち、異質な他者同士が相互の他者性を尊重しあうための装置といえるような社会に変えていく責任なのです。」 「「日本人として」戦後責任を果たすとは、侵略戦争や植民地支配を可能にしたこの社会のあり方を根本から克服し、日本を「日本とは別のもの」に開かれた「別の日本」に変革していくことにほかならないと私は思っています。」(『戦後責任論』文庫版、60頁) そして、大江のような「日本国民としての責任」論は、大雑把に言って、ある時期から、「右」と「左」から攻撃を受けて、論壇からはほぼ消滅するに至る。 「右」(といってもリベラル・左派内部だが)というのは、「対米自立」論である。これは、沖縄の基地問題について、日本の米国への従属性と、日本の米国からの「独立」の必要性を強調するものである。そのためには、(必ずしも明示はされないが)日本の「ナショナリズム」意識の涵養と、日本の保守派との連携が志向されることになる。今の『金曜日』がこれで、『世界』もこれに近い。沖縄の集団自決の問題も、それもまた「日本人」の歴史として、米国の残虐性を強調しつつ、日本軍の「関与」は認める、ということになる。逆に言えば、「日本人」ではない、東アジアでの日本の加害行為について歴史教科書に盛り込む必要はないのである(「国益」論的な「ナショナリズム」の観点からも盛り込みたくないであろう)。この立場は、直接的に「日本国民としての責任」論を攻撃しているわけではないが、同じく「日本人」を強調しているので、そこから移行(転向)しやすいし、事実、移行(転向)している。 もう一つ、「左」からの「日本国民としての責任」論批判がある。これは、ポストコロニアリズムの立場からなされたものだが、要するに、「日本国民としての責任」を強調すること自体が、「国民主義」に取り込まれている、といったものだ。 この「右」と「左」は、本来は水と油のはずなのだが、実際にはそうはなっていない。前述したように、「反国家」を唱えていた新川明や、仲里効のようなポストコロニアリズム周辺の沖縄左派は、簡単に「国家主義者」である佐藤優とつるむようになっているし、『世界』や『金曜日』などのリベラル・左派ジャーナリズムでも、両方の立場は、両論併記という形でもなく、奇妙なことに同居している。同一人物が両方の主張をしていたりする場合もあるから、むしろこれは、積極的な共犯関係にある、と言うべきであろう。 「日本国民としての責任」論の解体は、恐らく、沖縄左派の転向と並行して、相互に影響を与えつつ進んだように思う。以前、金玟煥氏の「日本の軍国主義と脱文脈化された平和の間で 」の紹介文 で書いたように、金玟煥氏の指摘を借りれば「1995年の「平和の礎」の建立発表の時には「全ての戦争犠牲者を同一視し、日本の戦争責任に関する問題を曖昧にする」として反対の声が見られたが、2004年段階では、こうした論争が沖縄では「収束」したことになっている」のであって、「沖縄戦集団自決訴訟や教科書問題がはじまる以前に、すでに、沖縄の左派の「広島化」はほぼ完了していた」と思われる(注4)。 (注2)岡本厚『世界』編集長が発言したという、以下のものが典型例であろう。 「この裁判は「名誉棄損」裁判というが、靖国応援団やつくる会などが原告を説得して、原告の名誉ではなく、日本軍の名誉を守りたいということから起こされた裁判である。 大江さんや岩波書店が訴えられているが、実際には、歴史修正主義者と沖縄の体験者・証言者との闘いであったわけで、勝訴できたのは沖縄の人たちの新たな証言が次々と出てくれたことにある。まさに、沖縄の人たちの怒りが、この裁判を勝たせてくれたものだと受けとめている。」 http://blog.goo.ne.jp/okinawasen-nerima/e/47a268aaad0e2f889e47bc19f60c26b6 (注3)この、リベラル・左派と小林ら右翼の関係性は、かつて、徐京植が、「「空虚な主体」と「危険な主体」」という卓抜な表現を用いて描写した事象に酷似している。徐の文章を見よう。 「『ナヌムの家』という映画が上映された折、右翼が消火剤を撒いてそれを妨害するというということがありました。その時、その上映運動をしている人たちが上映を全うするための声明を出して記者会見を開きました。私はただちにそれに賛同して、一観客として、そういう時は沢山行ったほうがいいんだという親しい友人の呼びかけに引かれて、朝早く会見場に行きました。しかし私はそこで、ある当惑を感じた。壇上に並んだ人のほとんどが、映画監督の土本典昭さん以外のあらゆる人が言ったことは、「『ナヌムの家』は特定の国を指した映画ではないんだ。普遍的な戦争と性暴力を語っている映画なのだ。それなのにこれに対して右翼国家主義者が反発している。だから言論の自由を守らなければいけないんだ。表現の自由を守らなければいけないんだ」、こういう話です。しかしそうだろうか。もちろん、映画製作者の意図、あるいはそこに込められたメッセージは普遍的なものであるけれども、しかしそこにおける日本人の当事者性をそういう形で解除していいんだろうか。日本がかつて犯した戦争犯罪、現在それがあらわになってきている、そのことに対する対処がいま日本人に問われているという認識でこれを受けとめなければいけないのではないか。映画監督の土本さんだけが、自分はかつて北方領土のことを映画にしたときに右翼から妨害にあった、まさに右翼は日本の弱点をよく知っている、ということを言った。それ以外の人はすべて、いわば自分自身の置かれている日本人としての立場を解除して、普遍的な言葉を普遍的なメッセージとして語った。しかもそれを、この映画上映を全うしたいという呼びかけのほとんど唯一の内容として。これでいいんだろうか、このまま黙っていていいんだろうかと思っていた矢先にある人がそこで手を上げた。名の知れた新右翼というか、民族派の評論家ですが、彼が壇上の人たちに、あんたがたはおかしい、これはなにかそういう抽象的、普遍的人権の問題ではないんだ、日本が問われているんだ、自分は右翼のなかでは少数派だけど日本としてこれを受けとめなければいけないと思う、こう言ったんですね。私はこれを、「空虚な主体」と「危険な主体」との対峙というふうに思うのです。主体の不在状態が危険な主体へと引きずられていく現実というものをそこに見たように思います。もちろん、私はどんなことがあっても、たとえ空虚でも、壇上にいる人たちの側に立ちますが。」(日本の戦争責任資料センター編『シンポジウム ナショナリズムと「慰安婦」問題』青木書店、1998年、65~66頁。1997年9月28日のシンポジウムでの徐京植の発言より) ただし、徐の発言時以降、「主体の不在状態が危険な主体へと引きずられていく現実」が際限なく進んだ(進んでいる)結果、今日においては、「どんなことがあっても、たとえ空虚でも、壇上にいる人たちの側に立」つべきである、とは必ずしも言いがたくなっており、往々にしてどっちもどっちとしか言いようがなくなっていると思う。 (注4)佐藤優は、『琉球新報』を含む多くの媒体で、同じく日本批判をする人々でも、沖縄人については、国内統合の観点および日本人「同胞」として、中国人や朝鮮人(韓国人)に対するように粗略に扱ってはならない、などと主張しているが、沖縄左派の転向が既に完了していたからこそ、このような発言を行なっている佐藤が沖縄のメディアで活躍しているのだと思われる。もう少し言うと、沖縄において本土のメディアよりもより強く<佐藤優現象>が生じているのは、佐藤が本土メディアで、沖縄人を中国人や朝鮮人と同一視するなという、かの人類館事件を想起させるような主張を積極的に行なっていることを、沖縄の人々が積極的に支持しているからだと思われる。こうした主張は本土の人物、例えば、リベラル・左派論壇で重用されている濱口桂一郎からも、「まともな保守主義者」の警告として積極的に肯定されている。 私は、沖縄人が中国人・朝鮮人との違いを明確化しようとするのには、アジア太平洋戦争における沖縄戦というトラウマが背景にあるのではないか、と考えている。「集団自決」問題の本質というのは、要するに、当時の本土の日本人が、沖縄人を、中国人や朝鮮人と同じく人間と見なしておらず、奴隷か何かだと見ていたため、簡単に虐殺した、ということである。だから「集団自決」問題とは、本来は「差別」(または異民族支配)の問題なのだ。ところが、本土の保守派が絶対に認めないことは言うまでもないが、沖縄人も、そのように見なされていたということは認めたくないらしいのである。 だから、「集団自決」問題は、差別や異民族支配の問題ではなく、「軍隊は住民を守らない」といった、大多数の人間が信じていない(信じていれば自衛隊は存在しないだろう)一般論を示す問題として語られることになる。 自衛隊・安保容認論の「平和基本法」を掲げる『世界』の岡本厚編集長ら本土のリベラル・左派は、集団自決問題の時にのみ、旧社会党の非武装中立論者のようなものに変貌する。http://okinawasen.web5.jp/html/news/news12.html 1.
故・上田耕一郎は、「<佐藤優現象>批判」でも名前を挙げたように、山口二郎や和田春樹らによる「平和基本法」への最も初期の批判者であるが、上田の『現代世界と社会主義』(大月書店、1982年)を読んでいたら、以下のような一節があった(強調は引用者、以下同じ)。 「 日本が「西側諸国」――つまり帝国主義陣営のことです――の一員として、資本主義世界の、東西問題と南北問題とがからまりあって生みだされる国際的な政治・経済危機に対処するために、いま、海外における軍事力の発動能力を含む「柔軟な行動能力」を求められているのです。こうして、国際的には、日本にたいして、安保条約の双務化改定と、そのために必要な集団的自衛権をもてるようにする憲法改悪というきびしい要求が、すでに日程にのぼされています。 このように今日、日本は、資本主義世界の経済危機、政治危機に対処するための、「柔軟な、行動能力を待つ」主要五カ国(注・アメリカ・イギリス・フランス・西ドイツ・日本)の一つとして、国際的に期待されています。これは別の言葉でいえば、NATOと日米安保条約とを結びつけた共同対応が緊急のものとして要請されているということであり、安保のNATO化が国際的に要請されていることにほかなりません。昨年(注・1981年5月)のレーガン・鈴木(注・鈴木善幸首相(当時))の日米首脳会談の要求も核心はここにありました。 いま、日本国内ですすめられている軍備拡張と日米共同作戦態勢の強化、第二臨調によるニセ行政改革、財政再建、憲法改悪の準備などなどは、国内の政治情況にみあった一進一退や戦術的かけひきにいろどられており、タイム・スケジュールはまだ最終的に確定していないとしても、基本レールは、対米従属の日本軍団主義(注・恐らく「日本軍国主義」の誤記と思われる)の復活完了というこの方向にむけて敷かれており、国民の世論と運動や、野党の動向をみながら、安保のNATO化、憲法改悪をゴールとし、それを可能にする政治的力関係をつくりだすことが企図されていることは疑いありません。こうして、国際的比重の高まった日本の、国内での二つの道をめぐる対決は、国際的な対決と、きわめて緊密に結びつけられつつあります。」(同書、84~85頁) 上田のこの「安保のNATO化」への危惧と批判は、少なくとも1995年までは一貫しており、同年の著作『構造変動の時代』(新日本出版社、1995年9月)では、「日米安保のNATO化」という節見出しを掲げて、その中で以下のように述べている。少し長くなるが、現在のASEAN重視の「東アジア共同体」論の原型とも言える動きを、上田はよく捉えていると思う。 「第二の重要な問題は日米安保条約の多国間条約化、いわばNATO化がめざされてきたことです。ヨーロッパのNATOのような軍事同盟機構をアジアにもつくろう、その中心に日米軍事同盟をすえようというわけです。(中略) アジアに新しい軍事同盟機構をつくろうというねらいについて、ナイ国防次官補は、95年2月19日に毎日新聞(小松記者)との単独会見でそのねらいを次のようにのべています。「我々が今度発表する『東アジア戦略報告』で示すのは、固い礎石としての日米安保体制を維持しながら中国や韓国、他の諸国も含めた信頼醸成の場としての多国間協議体を発展させていきたい、ということとだ。これは日米安保にとって代わるものではない。我々が考えているのはNATOのように強固な日米安保関係と、OSCEのような幅広い多国間協議体だ」(毎日新聞95年2月20付)。 これは非常に重大な表明です。つまり、ヨーロッパではソ連がなくなった後、米軍の撤退もはじまるという状況があるのに、アジアでは新たに日米軍事同盟を「固い礎石」としてNATOをつくろうというわけです。ナイ次官補は、「『東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム』の機能強化やアジア・太平洋経済協力会議(APEC)を活用した安保対話機構の設立に、前向きに取り組む構えを示した」(同前)とあります。 これに日本側も積極的にとりくみをはじめているのですね。去年(94年)の11月にナイ国防次官補が日本にきて、外務省、防衛庁と話し会ったことは先にのべましたけれど、ナイ次官補がこういう表明をして2月27日に「東アジア戦略」(注・アメリカ国防総省が1995年2月27日に発表した報告書「東アジア・太平洋地域にたいする安全保障戦略」)が公表された後、朝日新聞3月13日付に、防衛庁のアジアと安保対話を促進するという方針がまとまったという大きな記事が載りました。「日米安保体制を基軸としながらも、対話の促進によって(アジア・太平洋)地域の『不安定要因』を減らすとしている」というもので、防衛庁方針(要旨)の最後はこうなっています。「この地域ではASEAN地域フォーラムを中心に今後、安保面での多国間の対話が促進されていくことが見込まれ、関与を強めていくことが必要」。 「東アジア戦略」もこのASEAN地域フォーラムを重視しています。「1993年、ASEANは、アジア最初の安全保障問題にかんする幅広い基盤をもつ協議体としてASEAN地域フォーラム(ARF)の創設を提案し、他の国々もそれに同意した。……その第一の目的は、アジア・太平洋地域における安全保障問題を協議する場を提供することにある」。日本はASEAN加盟国でないにもかかわらず、昨年7月、この地域フォーラムに河野(注・洋平)外務大臣と福田外務審議官が出席しています。アメリカが重視しているASEAN地域フォーラムを日本政府も重視しているのです。それが、この防衛庁方針にも表われています。アメリカのNATOのアジア版づくりの構想に、日本も前向きにとりくむ姿勢をとっているのです。 こうなると、当然、安保条約の見直し、集団自衛権や憲法改悪の問題が登場してきます。NATOのアジア版に日本が中心になって参加しようとなると、これは本格的軍事同盟です。第一のPKOからPKF、そういう形で自衛隊の海外派兵が量的にも質的にもひろがっていくということも集団的自衛権問題と大いにかかわりがありますが、第二にあげたNATOのアジア版づくり構想への参加は、本格的軍事同盟への重大な踏み切りであり、自衛隊と米軍の日米共同作戦の地球規模化の実行ですね。」(同書、272~275頁) 今、鳩山政権が提唱している「東アジア共同体」というものは、上で上田が言う「NATOのアジア版」、「本格的軍事同盟」以外の何者でもない(進藤栄一はこのことを極めてあけすけに語っている。このリンク記事参照)。前から書いているように、姜尚中や和田春樹を含めた、東アジア共同体の主要な論者は、ほぼすべて、アメリカをもその構成国に入れているのであって、その下での「安全保障体制」=「東アジア共同体」は、「安保のNATO化」されたものにならざるを得ないだろう。 このことは、朝日新聞も認めると思う。朝日は、昨日(11月14日)の社説「日米首脳会談―新しい同盟像描く起点に」で、「さまざまな分野で協力を強化する日米同盟の「深化」。半世紀に及んだ自民党政権にとってかわった鳩山民主党政権にとって、日本の安全保障と外交の基本を米国との同盟に置くこと、地球規模の課題でも信頼できる同盟パートナーであり続けること、の2点を米大統領と確認しあった意味は大きい。 /中国の経済的、軍事的台頭が著しいこの地域にあって、日米が同盟を基礎に連携し、結び合うことは双方の国益にかなう。地域の安定を保ち、繁栄を続けるためにもそれが欠かせない。両首脳が語り合った同盟強化の根底には、そんな共通理解があるはずだ。」などとした上で、首脳会談を「21世紀の同盟のあり方を描き出す起点としたい。」と述べている。その上で、同日の記事(「米、合意履行が前提 日本の先送り論に不満」)でも、恐らく鳩山が「反米」ではないと説明するために、「政権交代した後も、憲法9条の解釈を問う国会の質問主意書の内閣の答弁書に「現時点で、従来の解釈を変えてはいない」と、あえて「現時点」との留保を入れるなど、(注・鳩山首相は)今後の見直しに含みを持たせている。鳩山首相が旗印にかかげる「東アジア共同体構想」にも、日本が東アジアの安全保障環境を率先して整備することで東アジアの米軍依存を減らしていくという発想が根本にあると見られる。」などと説明している。 以前に、「おそらく、いずれの政権になっても米国は国防費を削減し、米軍規模を減らし、海外から米軍を撤退し、米軍再編を進め、国際協調主義を進め、同盟国に貢献を迫ってくるという一般的傾向を示すことになると思います。こうした全体の傾向の中で、(注・米国)民主党政権のほうがむしろ同盟国に具体的な貢献を一層、迫ってくる可能性が高いといえます。」という森本敏の発言を引用したが、そのまんまだ。「安保のNATO化」である。 また、内閣法制局解釈の縛りがなくなり、派兵の一般法・恒久法が成立すれば、実質的には「憲法改悪」と同じことである。 2. 28年前の上田の慧眼は、「日本軍国主義の復活完了」(という言い方はいろいろ語弊があるが)が、「安保のNATO化、憲法改悪」として表れるであろうことを見抜いている。ところが、あろうことかその後、上田自身が共産党の「東アジア共同体論」への傾斜を率先したようである(このリンク記事参照)。 28年前の上田には残念ながら、以下のことは見抜けなかったようだ。現実に、「安保のNATO化、憲法改悪」を実現しようとする政権を、共産党が実質的に支えることを。また、渡辺治のような共産党系の学者が、東アジア共同体構想を宣伝したり、民主党主導政権を(「監視」しながらも)応援しようなどと大衆に率先して勧めたりすることを。 上田の本から、もう一箇所引用しておこう。 「小選挙区制は、日米支配層にとっては、憲法にもとづく民主主義の原理を合法的に破壊できる一石二鳥の絶大な効果を持った反動的政治手段である。なぜなら第一に、小選挙区制は、『自民党一党独裁の三十八年間に終止符を打つ「政権交代」を可能にする制度』という美辞麗句のもとで実際には主権者の意思を反映できる民主的選挙制度を絞殺して、自民党の絶対多数の確保を可能とし、同時に、憲法改悪に反対する社会党の護憲派を解体し、日本共産党をもほぼ完全に封じ込めることを可能とする選挙制度であるからである。(中略)第二に、小選挙区制は、(中略)金権腐敗にたいする国民の怒りを『政治改革』にすりかえる大規模な欺瞞を可能にし、大企業の企業献金と政・官・財の癒着構造という金権腐敗政治の根源はそのまま温存することを可能とするからである。」(上田耕一郎『政界再編と日本の進路』新日本出版社、1993年12月、27~28頁。上田は、小沢一郎や武村正義の政治構想についても、「自民党政治の大枠での引き継ぎ、危機に瀕した自民党「五五年体制」のいきづまりを、再編強化しようという」ものだと捉えている(『構造変動の時代』53頁)。) 日本共産党はこのたびの選挙で実質的に「政権交代」に手を貸したわけだが、結果は、上田が指摘したように、「ほぼ完全に封じ込め」られたままだ。そして、民主党主導政権の下で、「大企業の企業献金と政・官・財の癒着構造という金権腐敗政治の根源」が温存され続けるであろうことは、誰の目にも明らかになっている。ただし、雑誌『世界』や、リベラル・左派の物書きたち(渡辺治や周辺も含む)はそのことを認めないかもしれない。『世界』は、鳩山政権について、こんなことまで言っている。もはやこれでは与党の雑誌である。 「自民党政治からの「大転換」である。こうした転換は、政権交代の意味と意義を一か月足らずで誰の目にも明らかにした。これまでの政治から利権と特権に与ってきた人々からは怨嗟の声と抵抗が起き、発想を変えられないメディアは戸惑い、苛立っている。しかし、国民は全体として、この大転換について好感を持ってみているようだ。「予想以上」というのが大方の評価なのではないか。」(『世界』臨時増刊号「大転換 新政権で何が変わるか、何を変えるか」巻頭言より。2009年11月8日売) 上田は、『構造変動の時代』で、高畠通敏の言葉を引用しつつ、村山内閣の成立について、「「世界の大勢」への順応という名のもとに、戦前の大政翼賛会つくりに社会大衆党がのみこまれていった経過と同じような事態」だとし、「社会党は、もっぱら、自民党政治を国民に押し付けるための欺瞞の道具、社会党という名で多少いいことをやるんじゃないかという幻想をかきたてて自民党政治を美化する、アメリカ帝国主義と日本の反動勢力を美化する、きわめて醜悪な役割しか演じない党に完全に変質したといわなければなりません。」(同書、62頁)と述べている(なお、上田は村山内閣を「戦後最悪の内閣」としている(同書、133頁))。今の社民党がまさにそれだが、共産党も、似たような道を辿らないという保証はあるまい。実質的にはそうなりつつある。 興味深いことに、上田は、当時の社会党について、以下のように述べている。 「第一次大戦当時の歴史が明らかにしているように、社会党と共産党との違いは帝国主義者のように行動するのかどうかです。帝国主義戦争にたいする態度の問題で別れたんです。いまの社会党の委員長、村山首相をみてごらんなさい、社会帝国主義者です。口先は社会主義で(口でもいわなくなったけれど)、行動では安保も堅持でしょう、自衛隊も合憲でしょう、なんでもアメリカ賛成ですよ。あれも社会帝国主義者です。」(同書、173頁) 私は社会主義者でも共産主義者でもないが、「社会帝国主義」という社会科学上の概念は有効かつ妥当性があると考える。上の上田の指摘は、その通りとしかいいようがないだろう。では、渡辺治らが主張している、民主党主導政権の下での「福祉国家」の成立は、「社会帝国主義」ではないのだろうか。社会主義者たちが自国の第一次世界大戦への参戦を擁護し、レーニンらの激しい批判を招いたことは、高校の世界史でも習うから、渡辺がそのことに無自覚であるはずはない、と普通は思うだろう。では、最近の、渡辺によるこのあたりの叙述について、見てみよう。湯浅誠との対談からの一節である。 「湯浅 (前略)実は戦前から、軍隊にいくのは農家の二男坊、三男坊と決まっていて、野宿している人の中にも自衛隊出身者は多かったのです。だから貧困と自衛隊は切っても切れないのですが語られてこなかった。高度経済成長の中で日本が貧困問題を忘れた。それがいま裏側から問題になってきているのではないでしょうか。 赤木智弘さんの、「『丸山真男』をひっぱたきたい―31歳、フリーター。希望は、戦争。」(『論座』2007年1月号)もそういう話だと思っていて、結局、現状から脱却できるルートはほかに何もないではないか。だから戦争でも起こらない限り流動化しない、何もないことの不在に対するアイロニーとして戦争を持ち出したのであって、彼の言っているところの良質的な部分を読めば、別に若者の右傾化というような話ではないだろうと思っています。 渡辺 いまの話を歴史的に考えると、資本主義の歴史で、「戦争」と「貧困」がセットになるのは19世紀末からの福祉国家と帝国主義の時代です。 それ以前の、古典的な自由主義の時代に、資本の野放図な活動により貧困や格差が深刻化し、社会問題となった。それに反対し貧困の抑止をめざす二つの大きな動きが起こった。労働組合・労働者政党と、もう一つはまったく逆の帝国主義です。 帝国主義間の市場競争の中で、植民地の獲得戦争に国民を総動員するには、帝国主義戦争への同意と引き換えに選挙権・社会権と福祉を与えざるをえなくなったのです。さらに、戦後の「冷戦」の中で、社会主義との対抗の意味でも、福祉国家的な政策が実現していく。「貧困の抑止」と「戦争・冷戦」がセットになった。 「戦争」と「貧困の抑止」というセットが大きく崩れたのが第三の新自由主義の時代です。冷戦が終わって社会主義がつぶれてなくなった。グローバルな競争が激化する中で、今までのように福祉供与のための重い税金とか、労働者に対する保護、国民の安全とか労働者の保護のための規制をやっていたら競争に勝てない。資本の競争力強化のために福祉を切り捨てるドラスティックな新自由主義の改革が強行された。しかも、旧社会主義体制も吸収して拡大したグローバル企業の市場を維持するには、それを守っていくための警察官が必要だし、秩序に刃向かうイラクとかイラン、北朝鮮などの「ならず者国家」は、場合によっては力によってでもつぶさないと、日本やアメリカなどの大企業が安心して活動する世界はつくれない。アメリカを中心として、世界の警察官のための軍事化、冷戦期にもないような戦争の時代が始まった。戦争と貧困の新たなセットが出現したのです。 特に日本の場合には旧福祉国家であるイギリスとかフランス、ドイツには見られないような、非常に深刻なかたちでの戦争と貧困のセットが登場しています。」(湯浅誠・渡辺治「対談 戦争と貧困」『金曜日』2008年9月12日号) 赤木を大して問題だと思っていないらしい、「国家戦略室参与」の発言も興味深いのだが、ここで見ておきたいのは渡辺の叙述である。上の叙述は極めて奇妙なのである。 奇妙なのは、上田が指摘した周知の史実、第一次大戦での参戦肯定に典型的な、「帝国主義」を擁護する「労働組合・労働者政党」である、「社会帝国主義」が独自のカテゴリーとして存在していない点である。あくまでも、「労働組合・労働者政党」と、「まったく逆の帝国主義」という二項対立である。 かつての渡辺(や共産党系の学者)ならば、「社会帝国主義」(ヨーロッパ型の社会民主主義政党)というカテゴリーが自明のごとく存在したから、「帝国主義戦争への同意と引き換え」に、福祉を享受し、戦後の冷戦体制を擁護しつつ「福祉国家的な政策」を実現させてきた「社会帝国主義」への批判は自明のものだった。ところが、上の渡辺の叙述では、そのようなカテゴリーが存在せず、「帝国主義」と「労働組合・労働者政党」の二項対立しかないから、「第三の新自由主義の時代」が来て、新自由主義が、安定装置としての「社会帝国主義」政党や御用組合すら切り捨てようとする動きも、労働者全般への攻撃ということになり、それに反撃してもう一度「福祉国家」を立ち上げること自体も正当化されることになる。かくして、共産党や共産党系の渡辺のような学者は、「福祉国家」の建設という建前で、民主党主導政権に協力できるわけである。 「口先は社会主義で(口でもいわなくなったけれど)、行動では安保も堅持でしょう、自衛隊も合憲でしょう、なんでもアメリカ賛成ですよ。あれも社会帝国主義者です」というのは、臨検特措法にすらまともに反対せず、対北朝鮮政策でも衆議院選候補者の半数近くが「より圧力を」かけることを要求する、今の共産党を表すにふさわしい言葉かもしれない。共産党の幹部らしい(2003年6月時点で共産党政策委員会安保・外交部長)、『ロスジェネ』の出版にも関わっている松竹伸幸は、城内実をすら擁護している人物である。典型的な「社会帝国主義者」である。こんな人物が幹部なのだ。 上田は、『構造変動の時代』で、クリントン政権が、「アメリカ帝国主義の新しい「拡張戦略」のもとで、「冷戦が終わった」という大宣伝にかくれて、実際に彼らは戦時動員態勢をつづけ、作戦を展開してい」ることに触れ、「とにかくみなさん、アメリカ帝国主義を甘くみたらいけないですよ。核拡散防止のために核兵器を使うなどという許せない態度で、マスコミを動員して、日本の反動勢力を動員して、アメリカの方針が当然のことであるかのようなキャンペーンをやっているのですから。ここをしっかり見ぬかなければなりません。」と警告している(193頁)。もちろん、同質の「キャンペーン」に疑問を持たず、「核兵器廃絶」(核拡散防止条約でも謳われているのだが)を訴えたオバマ大統領のプラハ演説に感動し、オバマから手紙の返事を貰って喜んでいる共産党に、そのことを期待するというのは愚かというものだろう。 対『週刊新潮』・佐藤優氏裁判の第3回口頭弁論期日が終わった。東京地裁第708号法廷にて、11月11日14時から約10分間開かれた。被告側は、弁護士2名(岡田宰弁護士・杉本博哉弁護士)が出席していた。
今回は、原告側による、準備書面(その一部は、前回公開した)に基づいた陳述(被告の準備書面への反論)が行なわれた。次回は、被告側の再反論である。 次回口頭弁論期日は、12月14日(月)10時10分より、東京地裁第536号法廷で開かれる。 裁判の第3回口頭弁論期日は、以前にも述べたように明日11月11日であるが、11月5日付で裁判所・被告に送付した「準備書面(1)」から、「第1 本件記事の「公共性」・「公益性」」と「第3 補足」を掲載する(なお、原文にはないが、読みやすさのために、一部に強調をつけた)。
名誉毀損の免責が成立するためには、記事に公共性・公益性があることが少なくとも必要であるから、被告の新潮社らは当然そのように主張しているのだが、ここで私は、本件記事(甲1号証。『週刊新潮』2007年12月6日号掲載記事「佐藤優批判論文の筆者は「岩波書店」社員だった」)は佐藤優が昵懇の『週刊新潮』記者に書かせたものであり、佐藤の言論封殺行為の一環であって、「公共性」も「公益性」も全くない、と主張している。「新潮社・早川清『週刊新潮』前編集長・佐藤優氏への訴訟提起にあたって」 と重複しているところもあるが、佐藤のこれまでの言論封殺行為について比較的まとまっていると思うので、是非ご一読いただきたい。「第3 補足」では、佐藤がこのところ力を入れているらしい、緒方林太郎衆議院議員への攻撃(私によるブログの引用が契機らしい)についても触れている。 佐藤の言論封殺行為の問題は、もちろん佐藤のみに留まるものではない。佐藤によるこのような言動・行為を野放しにしているメディア、特に『世界』や『金曜日』など、佐藤と積極的に結託するリベラル・左派メディアの問題でもある。また、この『週刊新潮』の私に関する記事に便乗して、私への執拗な嫌がらせを行なってきている岩波書店労働組合、この記事に対して会社として抗議するどころか、この記事を根拠の一つとして、「会社に多大な迷惑を与えた」などと私に厳重注意を与え、退職勧告まで行なっている株式会社岩波書店の問題でもある(「首都圏労働組合特設ブログ」参照)。 ------------------------------------------------------------------ 第1 本件記事の「公共性」・「公益性」 1 本件記事(甲1号証)は,もっぱら,被告佐藤優(以下,「被告佐藤」という)が,原告の社会的評価を低下させることにより,原告の論文「<佐藤優現象>批判」(甲3号証。以下,「論文」という)の信頼性を低下させることを企図して,昵懇の 『週刊新潮』記者,被告株式会社新潮社(以下,「被告会社」という),被告早川清(以下,「被告早川」という)と結託して成立せしめたことは明らかであり,なんら公共性・公益性を有しない(なお,被告佐藤による,自身への批判を回避するための言動・行動については,「第3 補足」で詳しく論じる)。以下,具体的に述べる。 原告は,論文を,「1976年生まれ。会社員。韓国国籍の在日朝鮮人三世。」とのプロフィールの記述の下,自らの所属会社を明らかにせずに,被告も認めるとおり一私人として,発表したのであり,被告が本件記事で,原告が岩波書店社員であるという事実を摘示するまで,原告が運営するブログでも,岩波書店社員であることを原告は明らかにしていなかった。本件記事が摘示する,原告が岩波書店社員であるという事実,原告の異動経緯,原告への岩波書店社内の反応,「岩波関係者」の原告への評価等は,原告の論文内容とは何ら関係がなく,公共性を持たない。 本件記事は,原告の社会的評価を低下させることにより,原告の発表した論文の信頼性をも失わせるものであり,被告佐藤は,本件記事の成立にあたって,積極的に関与していると見なしうる。被告も「準備書面(1)」の「4」の「(3)」で「岩波書店の社員から「社外秘のはずの組合報まで引用され問題になっている」と耳にした被告佐藤」と記述しているところからも,被告佐藤が,単に本件記事中での自身の発言だけではなく,本件記事の成立に関与していることは明らかである。また,2009年3月14日に原告が『週刊新潮』編集部に電話したところ,その際応対に出た『週刊新潮』編集部佐貫(法務担当)は,本件記事を執筆した『週刊新潮』記者は,被告佐藤と昵懇の関係にあり,被告佐藤と「毎日のようにやりとりしている」と思うと発言している。 また,原告以外にも,これまで,被告佐藤の怒りを買ったと思われる書き手について,『週刊新潮』が中傷記事を書くというケースが,短期間の間に2つも存在する。 大鹿靖明(雑誌『AERA』編集部員)が執筆した記事「佐藤優という『罠』」(『AERA』 2007年4月23日号掲載)について,被告佐藤氏は代理人弁護士を通じて抗議し(『週刊金曜日』2007年5月11日号に被告佐藤による「大鹿靖明『AERA』記者への公開質問状」が掲載されている),公開質問状の掲載とほぼ同時期の発売である『週刊新潮』2007年5月17日号では, 「朝日『アエラ』スター記者が『佐藤優』に全面降伏」とのタイトルの記事(甲13号証)が掲載されている。この記事は,大鹿が被告佐藤に謝罪したこと,匿名の第三者による「記者としてこれからやっていけるのか」などの大鹿批判,被告佐藤による大鹿批判などを取り上げており,大鹿の社会的評価を低下させるものである。 また,原田武夫(原田武夫国際戦略情報研究所代表,元外務省職員)は,自身のブログで被告佐藤を批判する記事を書き(2007年5月13日付),2007年12月12日には,「佐藤優という男の「インテリジェンス論」研究(その1)」なる被告佐藤への批判記事をブログで掲載し,この批判をシリーズ化することを予告していた(甲14号証)。そして,被告佐藤への批判の内容を含む原田の著書(原田武夫『北朝鮮vs.アメリカ』ちくま新書,2008年1月10日発行)が刊行される直前である,12月29日発売の『週刊新潮』2008年1月3日・10日号で,「「天皇のお言葉」の秘密を暴露してしまった「元外務官僚」」なるタイトルの,大々的な中傷記事(甲15号証)を書かれている(この「元外務官僚」とは原田であることが,同記事では実名で示されている)。 このように,2007年5月~2008年1月という短期間に,原告の事例も合わせて,被告佐藤の怒りを買ったと思われる書き手について,『週刊新潮』が中傷記事を書くというケースが3つも存在しており,本件記事への被告佐藤の関与,本件記事執筆記者との親しい関係からも,本件記事の成立自体に被告佐藤が積極的に関与していることは十分に推認し得る。 また,被告会社は,被告佐藤の単著の本を,本件記事掲載時に至るまで,『国家の罠』(2005年3月25日刊行),『自壊する帝国』(2006年5月31日刊行),『国家の罠』(文庫版,2007年11月1日刊行)と3冊刊行しており,本件記事掲載直後の2007年12月18日にも,『インテリジェンス人間論』なる被告佐藤単著の単行本を刊行しており,被告会社と被告佐藤の関係は深く,被告会社が被告佐藤の著述家としての社会的評判を低下せしめない措置をとる合理的理由も存在する。 以上から,本件記事は,原告の社会的評価を低下させることにより,論文の信頼性の低下を企図して,被告佐藤が,昵懇の『週刊新潮』記者,被告会社,被告早川と結託して成立せしめたことは明らかであり,何らの公共性はない。 2 前項で述べたように,本件記事は何ら公共性を持っておらず,本件記事が摘示する事実も,論文内容とは無関係なものである。本件記事は,論文が原告の私怨に基づいて書かれており,客観性を持っていないと読者をして思わしめるものであり,原告に対する人身攻撃であって,なんら公益性を有しない。 第3 補足 (1) 「第1 本件記事の「公共性」・「公益性」」で,「本件記事は,原告の社会的評価を低下させることにより,論文の信頼性の低下を企図して,被告佐藤が,昵懇の『週刊新潮』記者,被告新潮社,被告早川清と結託して成立せしめたことは明らか」だと述べたが,ここでは,被告佐藤が,自身への批判を回避するために,自身の主張への批判を萎縮させる効果を持つ発言を繰り返していることを示しておく。 まず,「第1 本件記事の「公共性」・「公益性」」で挙げたように,被告佐藤の怒りを買ったと思われる書き手について『週刊新潮』が中傷記事を書くというケースが,短期間の間に原告のケースも含めて3つも存在することが挙げられる。これが,被告佐藤を批判する人物は,『週刊新潮』に中傷記事を書かれるという認識を読者に与える,「見せしめ」の効果を持つ,被告佐藤への批判を萎縮させるための行為であることは明らかであり,憲法第21条が保障する「言論の自由」への挑戦であると言える。 (2)また,被告佐藤自身も,被告佐藤を批判する人物が『週刊新潮』に中傷記事を書かれるという認識が一般読者に広がっていることを自覚し,そのことを利用して,自身への批判を萎縮させる行動を行なっていると思われる。 被告佐藤は,株式会社産経デジタルが運営するニュースサイト「イザ!」において「佐藤優の地球を斬る」を連載しているが,その連載の,2009年10月19日12時1分付で投稿された記事(表題「国益を損なう「思いつき外交」」(甲17号証)において,以下のように述べている。 「もちろん外務官僚もこのこと(原告注・岡田克也外相がアフガニスタン「電撃訪問」の結果,「恥をかいた」ということ)に気づいている。「今回の(岡田)大臣のアフガニスタン電撃訪問は,外務省出身の民主党衆議院議員の入れ知恵によるもので,われわれとしても当惑しています」という情報を流している。近く,週刊誌でスキャンダル仕立ての記事になるかもしれない。与野党問わず外務官僚出身の議員には,外交官としてのたいした経験もないのに官僚的体質を引きずっている者がいる。そういう人間の専門知識を欠いた助言を採用すると国益を毀損し,岡田外相自身の政治力も低下する。」 また,被告佐藤は,株式会社ライブドアの運営するニュースサイトでの連載「佐藤優の眼光紙背」の,上記記事の投稿と同時期(2009年10月21日11時0分)に投稿した,「岡田外相の危険な思いつき外交」なる表題の記事(甲18号証)でも,以下のように述べている。 「外務省関係者が筆者に流してきた情報によると,今回の電撃訪問は,外務官僚出身の民主党国会議員が岡田外相に進言して行われたという。アフガニスタンは専門知識を必要とされる地域だ。外務官僚であったという過去があるから,適切な外交政策を提言できるという保障はどこにもない。こういうことを繰り返すと,日本人は頭が悪いと国際社会から軽く見られるようになる。」 被告佐藤はここでも,「外務官僚出身の民主党国会議員」を攻撃している。そして,この「外務官僚出身の民主党国会議員」は,多くの読者からすれば,緒方林太郎衆議院議員(民主党・福岡9区・当選1回)を指すと理解されると思われる。緒方は,外務官僚出身の民主党国会議員である。 被告佐藤は,自身への批判的記述のあった,緒方のブログの記事(「Raspoutin Japonais」2007年3月4日20時投稿。甲19号証に対して,被告佐藤による上記2つの記事の投稿の直前である10月7日付の内容証明を送付し,抗議している。その結果,緒方の上記記事は削除され,緒方により,そこには,かわりに,以下の文章(甲20号証)が記されている。 「2年半前くらいにこのアドレスで書いた記事を削除しました。関係者の代理人という弁護士の方から「名誉毀損だ」という平成二十一年十月七日付内容証明が議員会館に送られてきました。 この場に書かれていたエントリーは衆議院選挙候補者になる前に書いたもので,書いた事実を放念していました。このブログで誰かと戦っているわけではなく,たしかに内容証明が送付されてきた時点においては国会議員の名の下で存在するブログになっていたわけであり,特定の私人の評価に過度に踏み込むものは適切ではないと判断しました。 上記を踏まえ,削除しておきます。なお,内容証明の中で「謝罪を求める」と書いてありましたので,上記の認識の下,お詫び・訂正をいたします。」 また,被告佐藤の熱心なファンであり,被告佐藤の執筆・講演活動などを,ほぼ網羅的に情報発信しているブログ「マイページ」を運営しているハンドルネーム「えっつぃ」は,同ブログに2009年10月17日22時21分付で投稿した記事「民主党: おがた林太郎氏」(甲21号証)において,以下のように証言している。 「さて,10月16日の佐藤さんの講演によると,やはり,(原告注・緒方を)許さないようですね。(笑) 2週間後の週刊誌?で,書いてしまうようです。 そういえば,以前言われていましたが,佐藤さんには,「水に流す」っていう習慣が無いそうです。 おがた氏も,えらい人を敵に回してしました。 口は本当に災いのもとですね。 (中略) 10月11日の講演で佐藤さんは,おがた林太郎氏に対しても言及。 おがた氏は,外務省勤務の際に感じた佐藤さんの事を2007年に不適切な批判をしていました。 それについて,佐藤さんは,内容証明書付きで送付し,謝罪が無い場合については,週刊誌などで言及すると言われていました。 民主党が選ばれたのでは無く,自民党が大負けしたことをわからなければならない。決して優秀な人が議員になっている訳ではない事を,このおがた氏を例に出して言及。」 緒方自身が「書いた事実を放念してい」たとする,緒方の記事を佐藤が取り上げるに至ったのは,原告が,自身のブログ「私にも話させて」で,2009年9月21日付で投稿した記事「外務省時代の佐藤優に関する民主党当選議員の証言」(甲22号証)で,被告佐藤と同時期に外務省に勤務していた緒方が,被告佐藤について,「あれを私物化と言わなければ,私物化という言葉が死語になってしまうくらい(原告注・ロシア外交を)私物化してい」たなど,批判的に記述していることを紹介したことが発端であると思われる。原告の同記事がきっかけで,緒方が被告佐藤を批判していたことが,インターネット上で広く話題になっていったからである。 以上より,被告佐藤が,自身を批判していた緒方に対して,強い憤りの感情を抱いているであろうこと,または,強い憤りの感情を抱いていることは,被告佐藤の「イザ!」への10月19日付記事の投稿時点で,多くの人間に認識されていたと解するべきであり,同記事において,「外務省出身の民主党衆議院議員」について,被告佐藤が「近く,週刊誌でスキャンダル仕立ての記事になるかもしれない。」などと述べていることが,被告佐藤を批判する人物が『週刊新潮』に中傷記事を書かれるという認識が一般読者に広がっていることを自覚し,そのことを利用した上での,自身への批判を萎縮させる効果を狙った発言であることが,十分に推認し得る。 (3)また,被告佐藤は,以下のように,テロリズムを背景とした,自身の主張への批判を萎縮させる効果を持つ発言を頻繁に行なっている。 被告佐藤は,各誌・単行本で,ガザ侵攻等のイスラエルの軍事行動を擁護する発言を繰り返しており,国際法違反すら容認している(『国家の謀略』小学館,2007年12月4日刊行,275~276頁。甲23号証)。被告佐藤が,イスラエルの軍事行動を一貫して擁護している人物であることは,数多くの著作によって,広く知られている。 その一方で被告佐藤は, 「アラブの原理主義やパレスチナの極端な人たちの中から,「佐藤は日本におけるイスラエルの代弁者だ」ということで,「始末してしまったほうがいい」と言ってくる人たちが出てくるかもしれない。それはそれでかまわない。それを覚悟で贔屓しているわけです。しかしそれと同じように,アラブを贔屓筋にしている人たちは,イスラエルにやられても文句は言えないですよという話です。たとえばアルカイダ,ハマス,ヒズボラのテロリストを支援するような運動をやった場合,これはイスラエルにとって国家存亡の問題ですから,その人は消されても文句は言えない。それくらいの覚悟が求められる贔屓筋の話だと思います。」(『インテリジェンス 武器なき戦争』(手嶋龍一との共著,幻冬舎,2006年11月30日刊行。甲24号証),168頁) 「日本の論壇では,中東問題について,親パレスチナ,親イランの言説が大手を振るって歩いている。筆者は,数少ない,イスラエルの立場を理解しようとつとめる論客に数え入れられているようだ。講演会の質疑応答でも,(あまり数は多くないが)思考が硬直し,自らが日本人であることを忘れ,ハマスやヒズボラの代理人であるかの如き人を相手にすることがある。」(「なぜ私はイスラエルが好きなのか 上」『みるとす』2009年4月号,20頁。甲25号証) などと語っており,イスラエルの軍事行動を批判する人物を,「ハマスやヒズボラの代理人であるかの如き人」とした上で,そのような人物はイスラエルに「消されても文句は言えない」と主張している。 また,被告佐藤は,自身がモサド元長官をはじめとして,イスラエルの多数の要人と懇意であることを多くの媒体で表明しており,イスラエルで「インテリジェンス」を勉強した,そのことは自分の本や論文を読めば誰にでもわかるとの旨の発言を行っている(佐藤優「『AERA』,『諸君!』,左右両翼からの佐藤優批判について」『月刊日本』2007年6月号,39・40頁。甲26号証)。 以上のように,被告佐藤は,自身のイスラエルとの関係の深さをことさらに顕示した上で,イスラエル批判者はイスラエルに殺害されても文句は言えないなどと,「言論の自由」を原理的に否定する主張を行っており,こうした被告佐藤の振る舞いおよび発言が,被告佐藤のイスラエル擁護の諸発言を批判することを萎縮させる効果を持つことは明らかである。 実際に,被告佐藤は,自身を批判した漫画家の小林よしのりを攻撃する文章の中で,以下のように述べている。なお,この文章は,「言論封殺魔」(被告佐藤のこと)との争いに脅える「大林わるのり」(小林よしのりのこと)の架空の相談に,被告佐藤が忠告するという形式で書かれている。 「まず,「言論封殺魔」の履歴をきちんと調べることです。CIA(米中央情報局),KGB(旧ソ連国家保安委員会),モサド(イスラエル諜報特務庁)などと「言論封殺魔」が関係をもったことがあり,インテリジェンス業務の経験があるならば要注意です。」(「佐藤優のインテリジェンス職業相談 第三回」『SPA!』2008年12月9日号,24・25頁。甲27号証) こうした発言が,被告佐藤が,モサド等と関係が深いという自身のイメージを利用した,小林に対する威嚇であることは明らかである。 また,被告佐藤は,オリックスの宮内義彦会長の発言に対しても,「北海道の右翼が情けないですよね。街宣車で会社の回りをグルグル回るというようなことをして,怖いと思わせなければ,こういう発言はやめないですよね。「発言は自由である。しかし,それには責任がともなう。これが民主主義だ」って」などと,言論に対して暴力をちらつかせて威圧させて黙らせることを積極的に肯定している(山口二郎編著『政治を語る言葉』七つ森書館,2008年7月1日刊行,242頁。甲28号証)。これが,「言論の自由」の原理的な否定であることは明らかである。 こうした被告佐藤の「言論の自由」への挑戦と言える特異な言動は,多くの人間が注目し,警戒するところとなっており,11月5日時点で99名が署名している「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」(甲29号証。原告が管理するブログ「資料庫」で公開されている)も,「佐藤氏は,言論への暴力による威圧を容認し」ていると述べた上で,本件訴訟にも触れ,被告佐藤と本件記事と論文について,「佐藤氏は,その記事のなかで,同論文を「私が言ってもいないことを,さも私の主張のように書くなど滅茶苦茶な内容」だなどと中傷しています。これは,市民の正当な言論活動を萎縮させかねない個人攻撃です」と指摘している。被告佐藤のこのような特異な言動は,自身の主張への批判を萎縮させるためのものであることは明らかであり,このことは,本件記事が,自身への批判者に対する「見せしめ」のための,被告佐藤への批判を萎縮させるためのものであることを裏付けている。 (4)また,被告佐藤は,小林による雑誌『SAPIO』および雑誌『わしズム』における自身への批判に対しても,直接反論することなく,小林の批判を掲載した『SAPIO』(株式会社小学館発行)編集長に対して,「既に刊行した書籍の重版を中止し,他の版元から文庫本を出す」,「刊行中の書籍は一切引き揚げ,この会社で行っている雑誌連載や出版計画などもすべて白紙撤回す」る,「今回の内幕について,どこかの雑誌に手記を寄稿するか,新書本を書き下ろす」などと通告するなどの圧力をかけて,自身への批判の掲載をやめさせようとしている(「佐藤優のインテリジェンス職業相談 第一回・第二回」『SPA!』2008年9月23日号,27~29頁。甲30号証)。被告佐藤のこうした行為から,小林は被告佐藤を「言論封殺魔」と名づけて批判しているが,被告佐藤は,こうした小林の批判に対し,小林が指摘するように,その行為の「言論封殺」性を否定することのないまま,開き直りと言える態度をとっている。 被告佐藤がこのように,わざわざ公開の形で『SAPIO』編集長に対して圧力をかけたのは,被告佐藤への批判を掲載すると,紛糾事態が生じるということを各誌の編集者に知らしめ,被告佐藤を批判する記事を掲載することを各誌の編集者に萎縮させるためであると思われる。これも,本件記事が,自身への批判者に対する「見せしめ」のための,被告佐藤への批判を萎縮させるためのものであることを裏付けている。 (5)なお,『実話ナックルズRARE』2008年11月号の記事「マスコミを手玉に取る「佐藤優」の「剛腕」ぶり」(甲31号証)は,大鹿や原告への被告佐藤の行動を,「エグい批判封じ」と報じており,「佐藤を知るジャーナリスト」の証言を用いて,本件記事は「佐藤が新潮に書かせたものだったんじゃないかといわれている」と述べている。また,『中央ジャーナル』第203号(2008年11月25日発行。甲32号証)の記事「佐藤優が岩波書店社員を恫喝」においても,被告佐藤が,「出版社への佐藤批判封じ」をエスカレートさせ」ていると報じられている。 以上述べたように,被告佐藤は,批判に対しては言論による反論で応じるという,「言論の自由」の下での基本的な原則を一貫して踏み躙っており,被告佐藤のこのような言動・行動から,本件記事は,原告の社会的評価を低下させることにより,論文の信頼性の低下を企図して,被告佐藤が,昵懇の『週刊新潮』記者,被告新潮社,被告早川清と結託して成立せしめたことは明らかであると考える。 前回(第1回)からかなり間隔が空いてしまったが、「レイシズム的保護主義グループの成立」の第2回である。
1. このところ、日本のリベラル・左派の間で、「ナショナリズム」の復興論(「リベラル・ナショナリズム」)があちこちで唱えられている。そして、私見によれば、ここで唱えられている「ナショナリズム」は、非常に奇妙な特徴を持っている。この奇妙な「ナショナリズム」は、レイシスト的保護主義グループの存立基盤の根本を支えるものであると思われる。 この「ナショナリズム」を検討するに際しては、「ナショナリズム」肯定論者の一人である萱野稔人と、高橋哲哉の対談(高橋哲哉・萱野稔人対談「ナショナリズムが答えなのか」『POSSE』vol.2、2008年12月)が大変興味深い。 萱野はここで、 ①グローバリゼーションそれ自体は、先進国と第三世界の経済格差を縮小させているのであるから、日本国内の経済格差を問題にするならば、「ナショナリズム」を肯定しなければならない ②下層労働者は、外国人労働者と競争することが多く、「排外的ナショナリズム」を支持する人が多い。そうした人々に社会的承認を担保する上でも、「ナショナリズム」を肯定しなければならない と、二通りの仕方で、「格差問題に関して、ナショナリズムを肯定しなくてはならない」理由を説明している。①で示されている現状認識には相違があるかもしれないが、①を<日本国内の経済格差を問題にする上では、「ナショナリズム」を動員することが、仮にそれが保護主義の傾向を帯びるとしても、有効であり、かつ必要である>という命題に言い換えれば、このところの「格差問題」に関連した「ナショナリズム」肯定論の大半も、大雑把に言って、萱野のこうした主張に帰結すると思われる。 無論、萱野の主張に対して、①を先進国の国民の醜悪な居直り、②を排外主義の容認(および下層労働者の政治的判断力への蔑視)として片付けてもよいのだが、私が今回検討したいのは、むしろ、萱野の言う「ナショナリズム」とはどのような性質のナショナリズムなのか、それは一体何なのか、ということである。 私がなぜわざわざ、萱野の多くの媒体での「ナショナリズム」肯定論のうち、この対談での発言をとり上げたかといえば、それは、この対談において、萱野の以下の発言があるからである。 「萱野 「慰安婦」問題に関して日本政府の責任を問うという議論のなかで、高橋さんは、「主権者である日本人の応答責任」ということを問題にしましたよね。これは、まさにナショナリズムの中心的なテーマをなすものだと思います。というのも、ナショナリズムの最も核となる主張とは、「国家はネーション(国民・民族)によって、ネーションのために運営されなくてはならない」というものですから、つまり国民こそ国家の主体であるという意識がナショナリズムの一番の核をなすという以上、国民としての責任を問う高橋さんの議論もナショナリズムと親和性をもつのではないでしょうか。格差の問題においても同じです。国民経済のもとである程度平等な分配政策なり雇用政策なりをめざすかぎり、それはナショナリズムを前提とした議論にならざるをえない。で、僕はそれでいいと思うんです。ナショナリズムだということを素直に認めれば。僕自身はだから、自分の立場は高橋さんと同じだと思っていますし、高橋さんの議論もナショナリズムだと認めてしまったらどうかと思うんです。」(強調は引用者、以下同じ) 高橋は、萱野のこの問いかけに対しては、「日本国民である限り、日本政府のすることへの政治的な責任というのは、多かれ少なかれみんな共有している」が、「自分が帰属している政治的共同体に対して、帰属意識が成り立つためにはナショナリズムが必要である、とまではたして言えるだろうか」と否定的である。 ところで、萱野はこの対談の冒頭で、「今日は高橋哲哉さんとお話をするということで、個人的な気持ちとしては、最近僕が言っていることを批判してもらおうというつもりでここに来ました(笑)」と述べている。 高橋の上記の発言も、一応は萱野への「批判」ではある。もちろんこの批判でもよいのだが、高橋の「批判」は、萱野の「ナショナリズム」肯定論の奇妙さの核心には届いていない。僭越ながら、私が高橋に代わって「批判」してあげよう。以下の私による「批判」は、高橋の『戦後責任論』の論理から帰結するはずのものであり、こうした「批判」ができないところに、誰も言わないが、ここ3年ほどの高橋の迷走振りが示されている(そもそも、萱野ごときと好意的に対談すること自体が迷走の最たるものだが)。高橋は、萱野に、こう聞けばよかったのである。 萱野は、日本の周辺アジア諸国に対して、侵略と植民地支配それ自体およびそこから派生するもろもろの「大日本帝国の加害行為」(『戦後責任論』講談社学術文庫版、40頁)が存在したと認識しているのか? もしそれが存在したと認識しているとすれば、萱野は「自分の立場は高橋さんと同じ」だと言っているのであるから、以下の高橋の主張にも同意しなければならない。 「この責任(注・「日本人としての責任」)は、戦後責任をきちんと果たしてこなかった日本国家の政治的なあり方に対する責任として、日本国家が戦後責任をきちんと果たすように日本国家のあり方を変えていく責任であり、日本政府に戦後責任を果たさせることを通じて、旧帝国の負の遺産を引きずった既成の「国民化」や「皇民化」を可能にし、またそれらによって可能となった「日本人」や「日本国民」を解体し、日本社会をよりラディカルな意味で「民主的」な社会に、すなわち、異質な他者同士が相互の他者性を尊重しあうための装置といえるような社会に変えていく責任なのです。」 「「日本人として」戦後責任を果たすとは、侵略戦争や植民地支配を可能にしたこの社会のあり方を根本から克服し、日本を「日本とは別のもの」に開かれた「別の日本」に変革していくことにほかならないと私は思っています。」(『戦後責任論』文庫版、60頁) とすれば、萱野は、まさにナショナリストとして、「日本を「日本とは別のもの」に開かれた「別の日本」に変革していく」ために、萱野自身の①や②のような主張に対してこそ、徹底的に戦わなければならない。 このジレンマを避けるためには、萱野は、「大日本帝国の加害行為」は基本的に存在しなかったし、大日本帝国の「負の遺産」など存在しない、としなければならない。その上でならば、ナショナリストとしての萱野の一貫性は保たれるのである。もちろんこれでは小林よしのりその他の極右と同じになるから、その立場は萱野は採らないだろう。かといって、「自分の立場は高橋さんと同じ」などと言っているにもかかわらず、高橋の言うような形での「日本人としての責任」を果たそうとしているわけでもなさそうである。 だから、高橋は萱野に対して、本来、上記の問いを行なった上で、以下のような結論を下すべきだった、と私は考える。萱野の主張は、そもそも本当にナショナリズムなのか、むしろレイシスト的な保護主義と言うべきなのではないか、と(注1)。 (注1)ナショナリズムという概念は周知のように多義的であるから、ここで私は、萱野の主張が「ナショナリズム」ではない、と言っているのではない。ここで検討しているのは萱野の言う「ナショナリズム」の性質である。萱野は別のところで、「ナショナリズムというのは、ゲルナーが述べているように、民族的な単位と政治的な単位が一致しなくてはならないと主張する政治的原理のことです」(『思想地図』第1号、2008年4月、37頁)と自らの定義を述べているが、ここでは、この定義の下で萱野が肯定する「ナショナリズム」を、萱野の諸発言から鑑みて、レイシスト的な「ナショナリズム」として捉えている。 2. 萱野の語る「ナショナリズム」肯定論には、萱野自身が、「大日本帝国の加害行為」について、「ナショナリスト」としてどのように政治的責任を果たそうとしているのか、また、大日本帝国との現在の日本国との連続性を擁護しているのか、大日本帝国の一時期について否定するというのならば、どの時期までは肯定しているのか、といった、「ナショナリスト」としての肝心要の、自らの歴史的な位置づけという点が、欠落しているのである。 これは、萱野だけではなく、このところのリベラル・左派の「ナショナリズム」復興論全般に見られる傾向である。彼ら・彼女らは、大衆の政治参加を促す等の、政治学の入門書にあるようなナショナリズムの肯定的側面を、得意げに一般論として語るわけであるが、他ならぬこの日本で、大日本帝国の歴史をどのようにナショナリストとして位置づけるのか、という、ナショナリストならば真っ先に来るべき論点についてはほとんど語らない。 もちろんこれは、こうした「ナショナリズム」復興論者たちが、日本の近現代史について饒舌に語ることを妨げない。実際に、中島岳志などは、教養俗物層向けの歴史雑学の文章を大量に書いているが、中島自身の大日本帝国やその加害行為に対する認識はほとんど分からない。だから、中島は、天皇制について誰々という思想家はこう語った、といったことは散々述べる一方で、自分自身については、「僕は、天皇制についての議論をまだ詰め切れていません」(姜尚中・中島岳志 『日本 根拠地からの問い』毎日新聞社、2008年2月、69頁)などと告白するのである。呆れた「保守主義者」「ナショナリスト」である。 「ナショナリズム」復興論者たちは、リベラル・左派が「ナショナリズム」を擁護しなかったことを批判するが、それは、萱野や北田暁大らが言うように、「ネイションやナショナリズムは幻想」といった社会構築主義が蔓延していたからではない。そもそも、そんな話はアカデミズムやジャーナリズムのごく一部でのみ流行したにすぎないのであって大衆的な影響力はほとんど持っていない(彼らが「社会構築主義」をあえて持ち出す理由については、「「楽しくない」思想から「楽しい」思想へ」で推測した)。「平和」や「人権」に関心のある市民が、概ね、ナショナリズムについて積極的に語らなかったのは、戦前の歴史から、ナショナリズムの復興は自分たち庶民がつけを払わせられることになる、と考えていたからだと思う。アカデミズムやジャーナリズム周辺の教養俗物層たち(大学院生なども含めて)は、ほぼ全てが富裕層かプチブル出身だから、「庶民が割を食う」という発想がないのだろう。 ここ数年間のリベラル・左派の論調は、「大東亜戦争」を肯定する人々はニセモノのナショナリストで、保阪正康や半藤一利のような真っ当なナショナリストは日本の過去の加害行為も一定反省する(注2)、といったものである。だが、これは転倒しているのである。彼ら・彼女ら真っ当らしい「ナショナリスト」は、例えばアジア太平洋戦争における日本の加害行為を「恥」として「道義的責任」があるとするが、「道義的責任」の強調は、国家責任の否定とセットで提出されるのである。もし真っ当なナショナリストならば、ナショナリストとして、大日本帝国および日本国の「法的・政治的責任」を追求する、ということになるはずなのだが、彼ら・彼女らにはそうした認識はないらしい。実際に、加害行為を認めてしまえば、それは、「道義的責任」などといった手前勝手なレベルだけではなく、必ず、国家責任の問題にいたることは、「慰安婦」問題一つとっても明らかであろう。 したがって、大日本帝国が、庶民にとっても抑圧者以外の何者でもなかった、という史観(昔の共産党のような史観だ)に立たずに、ある時期までの大日本帝国はよかった、一時的に逸脱して酷いことをやった、という史観は、総じて、自らの日本人性を、歴史的なものとは別のところに置いているのである。それが、自分は日本人だ、という素朴な血統主義的な原理だ。言い換えると、血統主義的な同質性を暗黙の前提として、「ここまでは悪かった、ということを認めようよ」とお互いで肯いているのがこの史観である。 念のために言っておくが、私は、日本人はナショナリストたるべきだ、と言っているわけではない。高橋が言うように、政治的責任を果たすこととナショナリストであることは別だからである。だが、自らを「ナショナリスト」として規定するならば、より一層、歴史問題に関する政治的責任を果たすことに能動的であるべきだろう。現在の「ナショナリズム」復興論は、驚異的な手前勝手さで、歴史問題を回避している。別にこれは萱野や中島らに限らず、福祉国家の建設のためにナショナリズムの意義を積極的に評価すべきとする宮本太郎(佐藤優らの「フォーラム神保町」にも登場している)や、その周辺の論者たちもそうである。また、『現代思想』系の書き手もこれは概ね同じで、民社党の歴史も知らずに「日本には社会民主主義を実現させようという試みはなかった」などと語る市野川容孝や、誰が読んでいるのか分からないヌルい文章を大量生産する立岩真也あたりもこれに含まれるだろう。影響力はほとんどなさそうだが、レジス・ドゥブレの劣化版コピーの「共和国」論者(ただし、天皇制の問題は回避している)もこれに該当する。 血統主義と市民主義という、ナショナリズムの2つの原理から考えれば、現在のリベラル・左派の「ナショナリズム」復興論は総じて、自らの主張を市民主義的なものとして打ち出している。だが、歴史問題を本質的に回避した「ナショナリズム」復興論は、血統主義的な原理を暗黙の前提とすることになるのであって、市民主義的なものを掲げながら、実態としては血統主義的なものとして機能するのである。周知のように共産党の「日本人」理解は、血統主義的な性格が非常に強いものであるから、渡辺治ら共産党系の学者も、「福祉国家」の建設という飴玉がちらつけば、何の躊躇もなくこうしたレイシズム的保護主義グループに参加していくことになる。 (注2)「国益」の観点から考えて、大日本帝国の一時的な逸脱を認めて「謝罪」した方が得だ、といった同種の議論は、大衆的には説得力を持たないだろう。極右であり歴史修正主義者の中川八洋は、福田和也が、「民族の誇り」を取り戻すために「慰安婦」に償わなければならないという大沼保昭の主張に共感していることを指弾し、以下のように主張している。 「「そもそも和也の造語「加害者の誇り」という言葉は、「南京虐殺」という歴史の偽造を日本人に受容させ定着させるため“ハイパー・スキゾ文藝”の魔語として発明された。だから、このスキゾ語「加害者の誇り」が書かれている、次の引用文は、南京虐殺はあったと和也が主張する歴史偽造のエセーの結論となっている。和也の“ハイパー・スキゾ文藝”の正体があらわである。 「加害者の誇り、というこなれない言葉を、この頃私は作り、用いている。私たちが自らの優れた資質、過去を誇るためには、被害者として免責される事を求めず、加害者としてふるまうべきではないか。たとえいかに私たちが、貧しく、悲しい存在であるとしても」(福田和也「ジョン・ラーベの日記『南京大虐殺』をどう読むか」『諸君!』、1997年12月号、46頁) まず和也は、加害していない無実の人間が加害者としてふるまうことはできないのに、日本人を狂人にしたいのか、自分が狂人のためにか、そうしろとアッピールする。次に、「日本人は貧しい存在」「日本人は悲しい存在」だと断じているのに、それを反転させて「日本人は自分の優れた資質を誇れ」「日本人は自分の過去を誇れ」とアッピールする。「貧しい存在」がなぜ「優れた資質」なのか。「悲しい存在」をどうやって「誇る」のか。 これらの言辞は、明らかに精神医学上の分裂症からのもので、この故に、この手法を用いる文学者の、その作品を“スキゾ(分裂症性)文藝”という。和也のは、その度合いが極端に激しいので、“ハイパー・スキゾ(超分裂症性)文藝”と称される。 「加害者の反省」「加害者の悔恨」ならば正常な人間であろう。殺人を犯した加害者が、もし「誇り」をもってその被害者や遺族に対峙すべきとの和也の転倒(スキゾ)ロジックがまかり通れば、そんな人間は倫理を破壊するしかないし、社会の倫理規範も崩壊する。和也は、ポスト・モダンの論法で、日本から倫理・道徳の破壊と一掃を図っている。」(中川八洋『福田和也と<魔の思想>』清流出版、2005年9月、277~278頁) 加害者としての(謝罪も含めた)振る舞いが「誇り」であるとする認識が馬鹿げている、という主張は大変正しい。中川のような歴史修正主義者は、加害者であると認めた場合に発生する倫理的・道徳的な重みを理解しており、それを認めると「ナショナリスト」としての「誇り」が消滅すると考えているのであろう。文春系の保守派からリベラル・左派までよく見られる、「国益」のために一定謝罪した方がよい、という立場は、「良識」でもなんでもない。それは、加害行為の重みを認識しない、富裕層やプチブルの、倫理的・道徳的退廃と言うべきである。 3. いずれにせよ、レイシズム的保護主義グループにおいては、それが大衆的な支持を得て政治的な力を持とうとするならば、いずれは大日本帝国をどう位置づけるか、現在の日本国および日本国民をどのように歴史的に位置づけるか、という点を議論とせざるを得ないだろう。例えば、ナショナリズムの復興を主張している山口二郎(例えばこれ参照)は、例によって鉄砲玉の役割を買って出て、以下のように述べている。 「(注・講演では)戦前と戦後の断絶のみを重視するのではなく、自由や民主主義の追求という理念の連続性を重視する必要もあるということを強調したかった。戦前の日本には悪いことばかりではなかったというのは保守派の主義だが、逆に権威や権力を恐れず自由を貫くという伝統も存在したという主張をぶつけることも必要である。こうした視点については、政治史学者の坂野潤治氏の著作から多くを学んだ。講演で、永井荷風や石橋湛山を重視したのも、この理由による。こうした意味での連続性を強調することによって、ナショナリズムと戦後民主主義との接合を図りたいというのが、私の意図であった。」(「序章 瀬戸際の日本」山口二郎編著『政治を語る言葉』七つ森書館、2008年7月、33~34頁) 山口は、戦前と戦後の連続性ということを何らかの形で担保したいのである。レイシズム的保護主義グループにおいては、自らを天皇制国家の被害者として位置づけ、過去清算を追及していくという路線はあらかじめ排除されているから、連続性をどのような形で正統化するか、という主張にならざるを得ない。その点では山口は、他の「ナショナリズム」復興論者に比べて、問題の所在は理解しているのである。だが、ここでの山口の試みは、悲惨なまでに成功していない。問われているのは大日本帝国という国家の位置づけであって、個々の論者がどうであるかは無関係であるからである(注3)。 山口の試みは失敗しているが、同種の試みは、今後もこのグループから表れ続けるだろう。 (注3)興味深いことに、同書で山口は、以下のように語っている。 「近未来の日本は、このまま進むと、労働力として切り捨てられ、下に滞留し、どんどん希望を失っていく。そのなかではけ口を求めていくという悪いシナリオはあると思います。日本の経済的なエリートは、労働力人口はどんどん減っていくから移民を入れろ、というような議論を内部でしています。教育も、下にはスカスカのメニューでやり上の方へ来る可能性をハナから排除していく気配はあります。新自由主義を進めるエリートたちは、同胞などというものはいないと思っているし、ましてや共感や連帯などももっていません。」(同書、148頁) 移民の流入という文脈で、「同胞」なる血統主義的な言葉が使われている。 1.
『金曜日』の最新号を見ると(と書き出さなければならないのが嫌なのだが)、佐高信による鈴木宗男への提灯インタビュー記事があったり、本多勝一の「何度でも言う、千島全島はロシアの侵略だ」というタイトルの記事があったりと、また一歩混迷が進んだような内容だったが、それらだけならばあえてこのブログで取り上げるまでもなく、「また『金曜日』が自滅している」と感想を持つだけで終わっていただろう。 ただ、同号には、本橋哲也による岡真理氏へのインタビュー記事が掲載されている。岡氏と『金曜日』については、思うところがあるので、今回は、この件を中心に取り上げる。 なお、岡氏へのインタビューは、『金曜日』の全66頁(表2・表3を含めれば68頁)中、6ページにわたっており、岡氏の大きな写真も4枚も掲載されている。破格の待遇と言っていいだろう。少なくとも私は、『金曜日』でこんなに長いインタビュー記事を見たことがない。イスラエル批判とパレスチナ支援で知られる岡氏についてのこの破格の扱いを、前回取り上げた「佐藤優の歴史人物対談」における「和田洋一」の登場に続く、「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」への『金曜日』編集部の対応策と考えるのは、私の考えすぎだろうか。 2. ところで、まず確認しておきたいのは、今号の鈴木宗男への提灯記事である。『金曜日』のこの記事の紹介文を引いておこう(強調は引用者)。 「佐高 信 対談 日本を何とかしよう3 鈴木宗男 外務官僚のニセ情報によって世論の猛反発をかった鈴木宗男氏は、国会議員の職を失った時期さえある。衆議院外務委員長に就任し、なにを外交の最優先事項として取り組み、外務官僚とどう向き合うのか。」 単に鈴木の言い分を載せるだけではなく、ここまであからさまに鈴木を持ち上げる雑誌を私は知らない。「外務省時代の佐藤優に関する民主党当選議員の証言」で、「護憲派ジャーナリズムは鈴木に関しても佐藤と同様の擁護論を展開する、と思われる」と書いたが、そのまんまだ。そして、『金曜日』が鈴木を持ち上げるのはこれが初めてではない。 だが、鈴木は、2009年1月26日質問書提出の国会質問で、「今般の武力紛争において、パレスチナ側に一千万ドルの緊急人道支援を行うことは、国際社会に対して、我が国はテロ支援をし、テロに加担する国であるというアピールをすることに等しく、我が国の国益を損なうことに繋がるのではないか。」と発言している。鈴木のこうした活動は、すでに、パレスチナへの支援者の間でも問題とされているようである。私のよく知らない人々であるが、以下を参照のこと。 http://list.jca.apc.org/public/aml/2009-February/024069.html http://wind.ap.teacup.com/applet/palestine/msgcate3/archive このうち、「パレスチナ民衆連帯!イスラエルボイコット行動」は、鈴木の行動を、以下のように要約している。 「イスラエルがガザ地区に対して攻撃を加える最中、新党大地の鈴木宗男衆議院議員が、「ハマスがテロリストである事を政府に対して確認する質問主意書」を繰り返し提出している事が判明しました。 内容的には、「ハマスがテロリストである」とすることで、イスラエルによる虐殺を正当化するものであるのみならず、それをファタハのパレスチナ自治政府、パレスチナ民衆全体をも「テロリスト」だとして描き出そうとする、恐るべきものでした。」 鈴木と佐藤優との結びつきは周知のことであろう。『金曜日』や『世界』は、こうした人々を積極的に擁護しているのである。 だとすれば、今回の岡氏の記事は一体何なのか、ということになろう。これでは、岡氏の記事は、『金曜日』が鈴木や佐藤を擁護することに対するアリバイ役にしかならないのではないか。人々は、『金曜日』は岡氏に謝罪するべきだ、岡氏は『金曜日』がそんなことをやっているなんて知らないのだから、と言うかもしれない。 だが、事態の実際は、そうではないのである。 3. 岡氏は、『金曜日』の2009年1月23日号で、イスラエルのガザ侵攻に関する、「いま見逃してはならないこと」なる記事を書いている。 私はこの記事を見て、大変驚いた。そもそも岡氏は私の「<佐藤優現象>批判」掲載時の『インパクション』編集委員である。その岡氏が、イスラエルの侵略行為を積極的に擁護している、佐藤優と結託す『金曜日』に執筆しているというのは、やはり奇妙だろう。 私は、岡氏の知人から岡氏のメールアドレスを聞き、原稿依頼のメールを2月12日に送った。私の運営するブログ「資料庫」に、短いものでいいので、「イスラエルを擁護する佐藤優への批判か、そうした主張を行う佐藤を重用する左派メディア(『金曜日』など)への批判の文章」をもらえないか、という趣旨の内容である。以下、私の送ったメールから抜粋する。 「佐藤優のこれまでのイスラエル擁護の発言については、「<佐藤優現象>批判」でも触れましたが、以前書いたブログ記事の「佐藤優のイスラエル擁護に嫌悪感を抱かないリベラル・左派の気持ち悪さ」http://watashinim.exblog.jp/9193135/で主なものをまとめましたので、ご参照ください。 そこでも書きましたが、佐藤は、天木直人氏も指摘しているように、モサドとの関係やイスラエルの人脈を誇示し、イスラエル擁護論を展開しながら、日本政府が対パレスチナ政策をイスラエル全面擁護の方向に転換するよう積極的に主張しています。彼の2002年の逮捕に関しても、恐らく、鈴木宗男と佐藤のイスラエルとの関係が背後にあったことは、佐藤自身が示唆しています(上の私のブログ記事参照)。 今回のイスラエルの侵略についても、佐藤は、各メディアで、日本のマスコミ関係者はパレスチナへの思い入れが強く、この件に関しては信頼できない、対テロ戦争の観点から、日本はイスラエルを全面的に支持すべきである、という主張を繰り返しています。●さんが挙げられたメディア(引用者注・私の知人が岡氏あてのメールで挙げたもの)だけではなく、最新号の「クーリエ・ジャポン」(講談社)の自身の連載でもそのように主張していました。いずれも、数万(十数万)部の売上げを誇る、左派メディアとは比べ物にならないほど影響力のある媒体です。 彼は、先月からテレビにも進出しているので、そうした場でもイスラエル擁護の発言をこれから行なっていくでしょうし、新聞や雑誌、ベストセラーたる単行本でもこうした主張を行なっていくでしょう(私が確認できていないだけで、すでに行なっていると思います)。 仮に経済規模が世界第二位の日本が、イスラエルの全面支持に向かうとすれば、大変忌忌しき事態になることは、火を見るより明らかです。天木氏も指摘しているように、これほど日本でイスラエルを全面的に擁護している人間は右派の間でもいないでしょう。かつ、彼には大きな影響力があります。 そこで、天木氏は、●さんが送られたメールにもあるように、佐藤を批判しており、私も、ブログ上で佐藤批判、イスラエルを擁護する佐藤を左派メディアが重用することを批判してきました。 また、ウェブ上でも、パレスチナ支援のブログ等で、佐藤の主張への批判も若干ながら出てきています。 私は、この<佐藤優現象>に対して、私の論文が出てからも、「「<佐藤優現象>批判」スルー現象」と言われたり、前田朗さんが「奇妙な沈黙」と評するように、左派から表立って<佐藤優現象>に批判的な声が出ないことを、大変奇妙に思い、かつ腹立だしく思ってきました。http://watashinim.exblog.jp/8863402/ http://watashinim.exblog.jp/9096346/ こうして、<佐藤優現象>を批判することがいまだにほぼタブーであったところに、ここにきてようやく、天木さんのような方の批判や、ウェブ上での批判(「日刊ベリタ」等)が出てきたというのが現状です。 そこで、私としては、ここで、岡さんから、お願いしたような趣旨の文章をいただければ、<佐藤優現象>と、その現象を通して拡大するイスラエル擁護論の蔓延に大きな打撃を与えることができると思います。(引用者注・「岡さんがが大変多忙であろうことは」という一節が脱落)岡さんの各種のご活動を見るだけでも、十二分に分かります。したがって、このようなお願いをするのは大変心苦しいのですが、事柄の重要性に鑑み、そこで、岡さんにお願いする次第です。 岡さんにお願いするのは、こういうことを言うのはこれもまた心苦しいのですが、岡さんが少し前に、今回のイスラエル侵略に関する文章を『金曜日』に執筆されていたからでもあります。 私は、岡さんの文章の掲載を知り、大変当惑しました。天木さんが佐藤のイスラエル擁護論を批判し、私が佐藤と結託する「金曜日」の問題を批判していたちょうどその時に、岡さんの文章が載ったので。 「金曜日」編集部は今はもちろん、イスラエル批判の立場ですが、彼ら・彼女らがもし本気でイスラエルの行為に怒りを感じていれば、言うまでもありませんが、佐藤と手を組んだりはしないでしょう。 「金曜日」編集部は、私(ら)の批判に対し、直接は答えないながら、アリバイ的な行為をこのところ行ってきています。例えば、私が、「金曜日」が集会のポスターで日の丸を使用したことを取り上げ、ウェブ上でちょっとした話題になった際も、北村肇編集長は、編集後記で釈明しています。 http://watashinim.exblog.jp/8744661/ 率直に言って、岡さんの文章も、「金曜日」としてみれば、イスラエルを擁護する佐藤を使うことへのアリバイ作りとして活用された面が否定できないと思います。岡さんは、「インパクション」編集委員でもあるわけですし。 もし、「金曜日」に執筆されるならば(「金曜日」に何らかの積極的な可能性を見いだされているならば)、少なくとも、「資料庫」に文章を下さった、梶村太一郎氏や中西新太郎氏のように、<佐藤優現象>が問題であることを公的に表明していただきたい、と強く思います。 なお、「金曜日」の佐藤との結託については、「金曜日」の主催するイベントで最近ではほぼ必ず佐藤を登場させる、佐藤に連載を持たせ、佐藤による長文記事も頻繁に掲載する、佐藤の単行本を「金曜日」が出版している、佐藤が実質的に主催する「フォーラム神保町」の「世話人」を、「金曜日」の複数の関係者がつとめていることなど、枚挙に暇がありません。http://www.forum-j.com/agreement.html 「情況」や「世界」や「創」もそうですが、今、左派メディアで最も佐藤と深い関係にあり、影響力も大きいのが、「金曜日」であるといえます。なお、なぜ、彼ら・彼女らが佐藤にはまっているかは、下で考察しました。 「佐藤優の議員団買春接待報道と<佐藤優現象>のからくり」 http://gskim.blog102.fc2.com/blog-entry-8.html とにかく、本当に、短い文章で結構です。岡さんの名前が出て、佐藤または<佐藤優現象>を憂慮されているということが示されれば、それだけでも大変効果があります。もしいただけるならば、ことの性質上、早ければ早いほどよいです。 岡さんは、一人でもできるパレスチナ支援のやり方を提案されていますが、私としては、日本の世論がイスラエル擁護の方向へ向かうこと(いかに「金曜日」がイスラエル批判をしていようとも、<佐藤優現象>が進行するということは、そうしたことを意味します)を食い止める上で、僭越ながら、非常に大きな意義があると考えます。 ご多忙の中、本当に、本当に恐縮ですが、なにとぞご検討のほど、宜しくお願いいたします。」 なお、岡氏の提言する「一人でもできるパレスチナ支援のやり方」は、下のリンク先を参照のこと。 http://asyura2.com/09/senkyo57/msg/587.html 4. そして、2月14日に、岡氏から返信をいただいた。そこには、時間がないので結論だけ述べるが、佐藤の書いたものは読んだことがない、「わたくしがいま、しなければならない仕事をこなすだけでも、おかまりのコピーロボットが5体くらい必要」状態で、読む時間もない、金の要望に「いま、すぐに」応えることができないのは申し訳ないがご理解いただきたい、とのみ記されていた。 私は、岡氏のメールに対し、2月17日に「ご多忙の折に、お返事、ありがとうございます。」と題した返事を送った。以下、全文を掲載する。 「岡真理様 金光翔です。 ご多忙の折に、お返事、ありがとうございます。 > (引用者注:佐藤の書いたものは読んだことがない、読む時間もない、という岡氏のメールの内容) 前のメールで書いたように、佐藤優のこれまでのイスラエル擁護の発言については、「<佐藤優現象>批判」でも触れましたが、以前書いたブログ記事の「佐藤優のイスラエル擁護に嫌悪感を抱かないリベラル・左派の気持ち悪さ」http://watashinim.exblog.jp/9193135/ で主なものをまとめています。これを読まれれば十分だと思うのですが。 また、彼がメディア上で行っているイスラエル擁護の発言については、たとえば、「クーリエジャポン」(講談社)の最新号に出ています。 別に佐藤の著作を読まずとも、こうした文章を書いている佐藤を、『金曜日』他の左派メディアが擁護し、<佐藤優現象>を推進していることは、明らかだと思うのですが。 私は、論文等でも書いているように、佐藤自身よりも、佐藤優を持ち上げている左派メディアを批判しています。佐藤ではなく、佐藤を持ち上げる左派メディア(引用者注・「を批判」という一節が脱落)されるならば、上の私の記事での佐藤の諸発言を読まれるだけでも十分だと思うのですが。 > (引用者注・金の要望に「いま、すぐに」応えることができないのは申し訳ないが、ご理解いただきたい、という岡氏のメールの結びの一文) 岡さんは、イスラエルの擁護をする佐藤を重用することを、「金曜日」が私たちに批判されている中で、ご自身が「金曜日」に登場することが、「金曜日」にとってのアリバイになっていると思われませんか。私は、私や天木氏が佐藤や佐藤を「金曜日」が重用していることを批判している最中に、「金曜日」誌面で岡さんのお名前を拝見して、驚き、かつ途方にくれました。 ましてや、岡さんは「インパクション」編集委員でいらっしゃるわけですから、アリバイとして一層有効に機能しているでしょう。 前にも書きましたが、アリバイにさせないためには、梶村太一郎さんや中西新太郎さんのように、<佐藤優現象>が問題であることを公的に表明されることでしょう。お2人とも、「金曜日」の常連執筆者ですが、私が管理している下のサイトで、そうした立場を表明されています。前田朗氏もさまざまなところでそのようにされています。 http://gskim.blog102.fc2.com/ 残念ながら、この点に関しての、岡さんのお考えは伺えませんでしたので、改めてお伺いさせていただきます。 もちろん、岡さんが大変ご多忙でいらっしゃることは、重々承知しておりますので、もしメッセージをいただけるならば、どれくらいのご日程でいただけそうかをお伺いできれば幸いです。前にも書きましたように、短いもので十分効果がありますので。 それでは、宜しくお願いいたします。」 だが、このメールには、残念ながら返信をもらえなかった。結局、私が岡氏からもらったメールは、上で引用した2月14日付のもの一通だけだ。 5. それ以降、講演会などで岡氏の名前を見ても、私は、シラケる思いを禁じえなかった。 岡氏についてほとんど関心を失っていたし、このままであれば、上記のやりとりについて書く気にも、あえて批判する気にもならなかっただろう。そこに現れたのが、今号のインタビュー記事だったのである。 岡氏は、『金曜日』の佐藤優との結託ぶり、そのことへの批判を十分に知っており、『金曜日』に岡氏が登場することが「アリバイ」になるのではないか、という疑問も十分に承知した上で、今回、『金曜日』に登場しているのである(万一、私の送った二通目が届いていないか、岡氏が見落としていたかしても、一通目で趣旨は伝わっているはずである)。だとすれば、私がメールで送った疑問にもどこかで公的に答えて欲しいものだが、こういう人だ、と認識するほかないのだろう。 岡氏の振る舞いが、生活に困っているとか、社会的立場が不安定であるとかならば、私は肯定はしないし軽蔑はするけれども、まあ仕方がないな、と思うことだろう。だが、京都大学教授の岡氏が、これに該当しないことは言うまでもない。この人は一体、何がやりたいのだろうか。 岡氏は、日本の国政や世論醸成において、最も積極的にイスラエルの侵略行為・抑圧行為を擁護している鈴木や佐藤を支援する雑誌のアリバイ役を、客観的に見れば務めており、そのことを指摘されても黙殺を決め込んでいるのである。私は、岡氏のその他の「パレスチナ支援」の諸活動についてとやかく言うつもりはないが、岡氏がこうした振る舞いを行なっていることは、知られておくべきだと思う。 岡氏は、自分のやっていることは絶対的な善で、自分は絶対的に「良心的」であるから、自分が登場するメディアも「良心的」なのだ、という認識を持っているのではないか(岡氏は岩波書店から単行本を刊行しているから、岩波書店も自動的に「良心的」な出版社となるだろう)。こういうタイプの人は、岡氏に限らず、「戦後補償」関係などの市民運動家やインテリにも多いように思う。その裏には、まともな考えの伝達は、「良心的」で高邁な考えを持つ知識人→メディア→大衆、という形でのみなされるという恐ろしく古臭い図式(昔の「進歩的知識人」のような)があるように思われる。そこには、自分の言動や活動が社会的にどう機能するか、という視点が欠落している。 これは、佐藤優を重用するリベラル・左派メディアの編集者たちのメンタリティとも合致していると思う。私は、「首都圏労働組合 特設ブログ」に書いた「差別発言への注意は「非常識」――岡本厚『世界』編集長の私への怒り 」で、佐藤を重用する『世界』には、「自分たちのような「進歩的」で「良心的」な、「日本唯一のクオリティマガジン」の担い手が、佐藤と組んでいるからといって、社会に悪影響を与えるような雑誌であるはずがない。こんなに「良心的」な誌面を作っている(作ってきた)のだから、自分たちにそのような悪意があるはずがない」という認識があるのではないかと書いたが、そう考えると、佐藤優を重用するリベラル・左派メディアは、自分たちの雑誌が「良心的」でないはずがないと考える編集者が、自分たちの発言を掲載する雑誌が「良心的」でないはずがないと考える書き手を取り込むことによって成立している、と規定できよう。したがって、この人々には、私が一貫して問題にしているような、リベラル・左派が「佐藤優を使うことの社会的悪影響という観点」など、はじめから問題になりようがないのだと思われる。 もう少し言うと、<佐藤優現象>というリベラル・左派メディアの右傾化は、右傾化のアリバイ役として、自分たちの発言を掲載する雑誌が「良心的」でないはずがないと考える書き手、例えばポストコロニアル系の知識人――岡氏やら本橋やらテッサ・モーリス=スズキやらその他の面々を積極的な構成要素として必要としているのだと思う。 また、編集者たちは、こうした「良心的」な書き手を使うことで、自分たちや自分たちの雑誌が「良心的」だと再確認できるだろう。岡氏らは、編集者に対して、「癒し」の機能も果たしていると思われる。 岡氏や、戦後補償その他に携わる「良心的」な人々は、愚かな右派や保守派からの批判はさておき、「左」から批判されることはほとんどなかっただろう。もちろん、私も彼ら・彼女らの活動の意義を否定しているわけではない。だが、<佐藤優現象>という形で、従来のリベラル・左派が「国益」論的なものに変質した現在においては、いいことを言っているだけでは駄目なのである。「日本は右傾化しているのか、しているとすれば誰が進めているのか」で論じたように、遅くとも2007年以降の日本の情勢においては、「戦後日本国家」および「戦後社会」を擁護するという「国益」論的立場に、批判勢力としての従来の「左」が回収されていっているのであって、そこでは、「右」に対抗するという政治的立場や、「良心的」な立場は、このプロセスに容易に組み込まれ得るのである。だから、言説内容よりも、むしろ、発話者の社会的な位置こそが重要なのである。「良心的」な人々は、主観的にはどれだけ批判的であろうとも、むしろ批判的であれば却って右傾化への「アリバイ役」として、容易に民主党的なものに組み込まれるのであり、実際に組み込まれている。 そして、(無意識的に)選択された各人の社会的な位置は、何らかの形で言説内容にも影響を及ぼすものである。戦後補償運動の主張でも、微妙に変質しているものが多いし、今回の岡氏のインタビューの記事でも、それを感じる箇所がいくつかあった。こうした点はいずれより大きくなっていくと思う。 それにしても、私へのメールでは、「わたくしがいま、しなければならない仕事をこなすだけでも、おかまりのコピーロボットが5体くらい必要」なほど多忙だと言っていた岡氏が、その後も講演会などいろいろ活動しており、今回の『金曜日』でもロングインタビューを受けているのは謎である。秘密裏に「おかまりのコピーロボット」が大量生産されているに違いない。「<佐藤優現象>に対抗する共同声明」の署名が大量に集まっている現在、情勢を見て、そのうちの一台が協力を申し出てくるかもしれない。一種の「運動」だから一概に拒否はしないが、私はもう個人的には関わりたくないな。
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