B&G全国市長会議(その2) [2008年03月18日(火)]
(B&G全国市長会議 その1から続きます)
しかし戦後60年間、警察予備隊の時代から含め、現代のPKO(国際連合平和維持活動)はイラクにも行っていますが、弾を一発も撃ったことのない軍隊は日本だけです。撃ちたいときもあるのでしょうが、日本の法律では撃ってはいけないことになっているので、撃てないのです。国際社会の中で非常に高い評価を受けているにもかかわらず、私たちは今、もどかしさを感じています。あれも悪い、これも悪いという状況ではないかと思います。 歴史的にみても、江戸時代の頃、英国に世界を探検したバーバラ・ウォードというすばらしい女性がいました。世界をまわり、こんな穏やかで美しい田園風景があるのは世界中で日本だけだ。規律があり、遠慮深く、それでいて毅然とした誇りを持つ国民は日本というところにいると旅行記に書いているのです。もっと古くは、キリスト教が伝来したときに、イエズス会はこの国だけはキリスト教にできないと記しています。イエズス会は蛮人が住むアフリカ、あるいは東南アジアに行き蛮人どもをキリスト教に帰依させようとしていました。 日本には隠れキリシタンという悲しい歴史もありますが、日本ではキリスト教を布教できないと書いています。つい20〜30年前、バチカンは公式にキリスト教の日本での布教は失敗に終わった。世界で唯一失敗に終わった国は日本だといっています。近年でいえば、相対性理論を発見したアインシュタインも日本に来て、貧しくも衛生的で規律があり、恥を知っている民族であると、日本に来たときの感動を残しています。 これだけの評価を受けているにもかかわらず、何故私たちは現在のような状況に立ち入っているのでしょうか。 今年は紫式部が『源氏物語』を書いて、ちょうど千年です。千年も前に長編小説があったのは世界でも日本だけです。しかも万葉集、古今和歌集、新古今和歌集という素晴らしい和歌の世界もあります。昨年の女の子の名前で一番多かったのは葵です。葵というのは光源氏の最初の妻の名前です。若い人も日本の良さを理解しているのではないかという気がします。 私たちは子ども達に駄目だ、駄目だという教育をしてきました。それと同じように私たちは子ども達だけでなく、全てに駄目だ、駄目だといっているのではないでしょうか。 先ほど外国の評価について話しましたが、日本のような優れたシステムを持つ国が存在してきたというのは世界の不思議なのです。どのようなことかというと、日本は世界最古の天皇制を維持している国です。明治期の一時期を別にして、何故日本でそのようなシステムができたのかというと、日本の天皇制というのは権力を持たなかったからです。財産もありませんでした。皇室の方の姿を見ればわかるように、予算がないからときどき痛んだ靴をお見受けすることがあります。 経済的に困窮を極めているのです。本来なら子どもを産みたいのに皇室典範費が増えないので子どもが産めないという話を伺ったこともあります。経済的に大変困っています。権威はお持ちになってきたが、権力はお持ちにならなかったのです。大概ならば、権力を持てば権威も欲しくなるものです。 その例はナポレオンも権力を持ち皇帝になりました。アレキサンダー大王も、ジュリアス・シーザーも、近代における毛沢東も権力を持てば権威も欲しくなった。しかし日本の鎌倉幕府を開いた源頼朝はどうだったでしょうか。征夷大将軍です。征夷大将軍という権力は持ったけれども、京都の朝廷に対しては一歩も二歩も下がって権威を認めてきた。 整理していうと、イギリスの政治学者でウォルター・バジョットという人がいました。憲政論という本が世界的に有名ですが、理想の政治は権威と権力が分立することにあると説いています。権威と権力が分かれているのです。鎌倉時代、室町時代、江戸時代、そして今もそうですが、天皇家には権威がありますが、権力はありません。徳川時代までは幕府が権力を持っていました。 今は国民主権で国民が権力を持っています。世界の憲政学者のトップが理想とする国が世界の中で日本に存在するのです。何故このようなシステムを持っていながら、私たちが評価しないのでしょうか。これには原因があります。私流の解釈ですから正しいとはいえませんが、一意見として、第二次世界大戦で日本は負けました。そして多くの知識人は戦前までの信条を実に見事に転換し、自分たちは戦争に反対してきた平和愛好者だと変心したのです。 そのような人たちにとって戦前は全て悪で、古いものは悪いのです。最高裁判所長官になった横田喜三郎氏は憲法学者として、東大法学部を優秀な成績で卒業された方です。この方は第二次世界大戦の極東国際軍事裁判において天皇有罪論を唱えました。そして70歳を越えて叙勲をもらえる歳になったときに、天皇有罪論を書いていることは障害になるということで自分の部下を全国の古本屋に派遣し、それを焼却したのです。 天皇有罪といった人が天皇陛下から勲章をもらったのです。普通なら私の信条、信念、思想とは異なりますといって遠慮すべき話です。ご承知のように勲章というのは功績調書を役所に提出しなければもらえません。すなわち最高裁長官の横田喜三郎氏は自分でよい行いをしましたとは書いても、天皇有罪論を書きましたということは書いていないのです。そのような人が戦後の思想を歪めてきました。 もう一人いいますと、ある部分では尊敬していたのですが、陸軍参謀の瀬島龍三氏です。60数万人のシベリア捕虜を置き、自分だけはナホトカの一軒家に住んで、ソビエト側の検事証人として極東軍事裁判に臨んで天皇有罪論を唱えました。瀬島氏も同じように私はこんな良いことをしましたということで勲一等をもらった人です。私は本人に「先生は何故、叙勲を申請されたのですか」と聞いたことがあります。すると長い間苦労をかけた妻のためにもらったというのです。 数十万人の兵士が厳寒の地で苦しみ、多くが亡くなっていく中で、一人一軒家に住んで天皇有罪論を書き上げ、ソ連の検事証人として出廷した人が、その有罪論を唱えた天皇から勲章をもらっているのです。2つの例だけをあげましたが、いわゆる戦後の知識人が欧米に行き勉強し、日本は古い国だ、封建的な国だった、軍国主義が誤っていた。そして欧米の哲学、思想、政治、経済の仕組み、これこそが新しい潮流だといい戦後をはじめたのです。 |
そこに私たちは何を感じるのでしょうか。千年も前の源氏物語の世界、あるいはもっと古い時代から私たちがDNAとして持ってきた日本人としての誇りというものが第二次世界大戦によって完全に中断されてしまいました。世界で歴史の連続性を持たない国民は日本人だけです。私たちは連続性を繋いでいかなければならないのではないかと思います。
日本の海外への情報発信が遅れているということは先ほど話しましたが、日本財団ではもっと日本のことを知ってもらわなければ困るということで、日本人や外国人の書いた日本研究の本を海外に配布する仕事をはじめます。その中には百年前に書かれた本もあり、日本人、日本人の心を理解する上で役立つ本です。 ここで三冊紹介します。一つは36歳で東京美術学校、今の東京芸術大学の校長になった岡倉天心の「茶の本」です。私は三年間で20回もインドに行っています。岡倉天心はインドに一年と三ヶ月しかいなかったのに私よりもはるかにインドを旅行しています。その上、恋愛までなさっています。 私はハンセン病活動ばかりで、20回も行っているのに恋愛もできませんでした。アジアは一つというと国粋主義ではないかというように日本人は議論してしまいますが、岡倉天心はアジアは一つということを提唱した人です。新渡戸稲造の「武士道」は皆様ご承知のとおりです。これも英語で書かれた本です。また鈴木大拙の書いた禅の研究。この3冊はいまだに日本を代表する名著です。 ルース・ベネディクトは日本に来たことはないのですが、「菊と刀」という本で日本人の恥の文化を紹介しています。本来これが連続していれば、冒頭話しましたように、深々と頭を下げて「すみませんでした」と謝るのではなく、身の処し方が当然変わってこなければならないのです。 田中角栄氏に直接聞いたことがありますが、日本国の総理大臣になるということは、自らの命を絶つということで、国家、国民のために命を絶つという信念がなければ引き受けてはならないということを話していました。昨今の例を見ると如何でしょうか。ストレスが溜まり、腹具合が悪くなってきたと放り投げてしまう。それは国会議員を辞するべき話です。国民の大きな夢と希望を奪ったということはバッチを外すべき責任があるのです。私は親しい間柄ではありますが、本来の日本人であればそうあらねばなりません。そのような意味で戦後の日本は多くを断絶してきました。 素晴らしい日本を築いてきた人物として新井白石がいます。著書の「折りたく柴の記」は涙なくして読めません。役人になる以上は、山梨県から徳川家に仕えるための彼の自叙伝を必ず読むことです。若い人たちには先輩がどのような心構えで日本国に奉仕し、国民のために働いたかということがお分かりいただけるでしょう。 今、農村が荒廃しているといわれていますが、私は最近、二宮金次郎の本を読み通しました。彼のものの考え方、開発者魂は今でこそ私たちが読まなければならない大変重要な本です。また勝海舟もそうです。何故勝海舟が江戸城を無血開城できたのか。彼はそのために一生懸命お金を集め、騒乱を起こしそうなヤクザの世界、火消しの世界、あるいは産業地のボスに懸命にお金を配り、江戸城を明け渡したのです。 ところが今は小さな正義を大切にする時代になってしまい、このようなスケールの大きなことができなくなってきたことは事実です。皆様の心の中に、今話したような日本人のDNAが全部受け継がれています。これをもう一度呼び起こさなければなりません。 日本人はみな中国から教えてもらったと思っています。文字も教えてもらったわけです。事実そうですが、明治時代、社会科学系の本にある言葉の多くは慶應義塾大学の創設者である福沢諭吉と貴族院議員の西周の2人によりつくられた造語です。中国の近代社会学の勉強は日本語を使わずして成り立たないのです。共産党、共産主義、資本、資本家、経営者、労働者、美術、哲学、芸術という言葉は、全て日本語です。中国語ではないのです。中国人が日本に来て、日本に私たちは言葉を輸出したといいます。しかし中国では日本語を使い勉強しているのです。この言葉を使わずして、社会科学の勉強はできません。ほとんど福沢諭吉と西周がつくった言葉です。 時間があれば、古事記をお読みいただきたいし、万葉集もちょっと開いていただければ、かつてバーバラ・ウオードが賞賛した日本の原風景や人情がわかります。古今和歌集にも、新古今和歌集でも描写されています。 日本人の素晴らしい国体からの知識というのは、今の新聞を見るとわかります。世界に新聞に読者が和歌、川柳、俳句を投稿する文化度の高い民族はいません。日本の新聞だけです。ところが私たちは戦争に負けたことにより、万葉集の時代、源氏物語から続いてきた歴史の連続性を切られてしまいました。イギリスの憲政学者がいうような権威と権力を分散した機構をつくってきた素晴らしい国体のあり方を忘れ去ってしまったのです。 私たちは何ゆえにここに生きているのでしょうか。私たちができることは、たいしたことはありません。ただ日本人として、あるいは日本人の歴史を、そして国を次代の人たちに伝えていくことです。箱根駅伝でいうと、私たちはタスキのようなものです。私たちは必ず死ぬのです。残っていくのはDNAだけです。私たちには素晴らしいDNAを戦後切れたところをちょっと繋ぎ合わせて、次の世代に伝えていくのです。世界が評価する平和度、好感度では世界一なのです。世界がそのようにみているのですから、否定する必要はないのです。私たちには隠れた素晴らしい歴史と人間性があるのに、それを上手に使えていないということは大変残念なことです。私たちは素晴らしい国に生を受けたことに、大いに胸を張るべきです。 私は世界107カ国を旅してきましたが、このような四季折々があり、素晴らしい風景があり、世界一美味しい水がたっぷりある国は日本をおいてありませんでした。威張ることと誇りを持つことは違うのです。日本人はあくまでも謙虚でありながらも、胸の中には素晴らしい誇りを、自信を持って生きていくことです。 ともすれば今日の、明日の、今年一年の株が上がったとか、下がったとかも経済には大事なことですが、現代社会において餓死者がでることは想像できない話です。ブータンの国王が言っていることですが、グロス・ナショナル・ハッピネス。経済的な豊かさと精神的な豊かさのバランスがとれたところが一番幸せなことではないでしょうか。 私たちは働き過ぎるくらい一生懸命働いてきました。所得水準を上げ、家庭生活を豊かにしてきました。ところが核家族化により何のために働いてきたのかという反省期にあります。長く素晴らしい歴史と世界が認める美しい国土の中で私たちが生きているという誇りにもって生活することを考えてはどうかというところで、私の話は終わりにします。 ご清聴有難うございました。 |