M女の隠れ家                                            <小説 淫虫−3>


第3話  見えない変化

翌朝、奈津美は昭の部屋のベッドで目覚めた。
ベッドの上に置いてある銀色のメカニカルなデザインの目覚まし時計が、7時50分を示している。
「あちゃあ・・」
服を着たままで、化粧も落とさずに眠ってしまった自分に、奈津美は後悔した。
どうしてこんなことになっているのかと、昨夜のことを思い出してみた。
「ワインを飲みすぎたか・・・」
たしかにおいしいワインだった。
自分の手料理を褒めてくれた昭と、勧められるままに飲んだワインが昨夜の記憶だ。
ワインを飲んで居間のソファに座っていたところまでは憶えている。
奈津美は、そこから先が思い出せなかった。

多分、昭が先にワインで眠ってしまった自分にあきれて、この部屋まで連れてきてくれたのだろう。
このベッドに寝かせてくれたのだ。
眠ってしまっては、昭も何もできなかったに違いない。
奈津美は少しホッとしたような、それでいて物足りないような思いに駆られていた。

「さあ、起きなきゃ」
自分自身に声をかけて、ベッドから起き上がった。
スカートのシワをちょっと気にしながら、手で髪を直して1階の居間に下りていった。
階段の途中まで来ると、居間からはテレビの音が聞こえてくる。
昭がもう起きているようだ。

「おはよう・・・」
奈津美が声を出すと、その声は少しかすれていた。

「うん、おはよう」
「ぐっすりと寝ていたね」
昭はもう着替えていて、居間のソファに座りテレビのニュースを見ながらも、同時に新聞にも目を通していた。
近づいてくる奈津美を見上げるようにして、悪戯っぽい目でいった。

「えへっ、ちょっとワインを飲みすぎたみたい」
奈津美はテレ隠しのように首をかしげた。

「朝メシは?」
昭が少し心配そうに聞いた。

「ううん、いい」
「食べてる時間がないの。もう帰らなきゃ。授業に間に合わないわ」
昭の家から奈津美のマンションまでは、車で20分くらいの距離だが、このままの格好で大学に行くわけにはいかない。
一度、マンションに戻って、授業の準備もしなければならなかった。
「昨夜はごめん」
「あのワイン、すごくおいしかったから」

「うん、ちょっと残念だった」
昭はシレっと、いつものような言い方で奈津美にいった。
「今度、またね」
「その時は、サービスするわ」

「あはっ。サービスしてくれるのぉ」
軽く昭はウケてみせた。
「じゃ、今日はこれで帰るわね」

「うん、気をつけて」
玄関まで見送り、そこで奈津美の体を昭はグッと引き寄せて抱きしめた。
「あ・・・」
今まで、昭から別れ際にこんな風にされたことはほとんど記憶にない。
昭から抱きしめられ、奈津美は心臓がドキドキしていた。
「このまま抱かれたい」そんな思いが湧き出てくる。
だが、そんなことをできるはずもなかった。
昭もそれは十分に理解しており、抱きしめていた腕の力を抜いた。

その瞬間、奈津美は昭の腕からスルリと抜け出た。
「じゃあ、また来るわ」

「ああ、待ってるよ」
昭はバッグを肩にかけて玄関から出て行く奈津美の後姿を見送った。

奈津美は少し焦りながら、昭の家の庭に止めた自分の車に乗り込んだ。
薄い水色をしたトヨタの小型車にエンジンがかかり、軽い回転音が始まった。
ルームミラーに写る自分の髪を軽く整えて、奈津美はギアを入れた。
車は、キュンとタイヤ音を残して走り出して行った。

   

昭の家での一夜から、2週間が過ぎようとしていた。
奈津美は大学での授業が忙しい時期に入っており、この2週間の間はほとんどレポートの作成に忙殺されていた。
時に小さな後悔とともに、あの一夜を思い出すことがあっても、忙しさがそれを打ち消してしまっていた。
それでも、あの夜に何もされなかった奈津美の体は、別れ際の昭の腕の力を覚えている。
奈津美はある夜、マンションの自分の部屋で、それを思い出して一人ベッドの中で自分のショーツに手を入れていた。
いつものようにクリトリスを右手の中指で触れていると、ジーンと痺れるような快感を味わえる。
奈津美の左足がビクンと動く。
「あっ・・・」
自然と声が漏れて、その声と動きを合わせるかのようにして奈津美の左足はビクンビクンと反応した。
奈津美はショーツをもどかしいように脱ぎ捨て、両足を大きく広げた。
「あぁ・・・」
声が高くなる。
中指を小刻みに動かすたびに、快感が高まっていく。
そんな動作をしばらく続けている内に、中からヌルヌルとした液が漏れ出てくる。
クチュクチュと小さくいやらしい音がする。
腰を上下に振りだすと、快感がグンと高まる。
「はっ、はっ、はっ・・・」
呼吸も荒くなり、体は絶頂を求めていた。
もう少しでイケる。
奈津美はその絶頂を望んでいた。
その時、膣の奥のほうからゾゾゾゾとするような鳥肌の立つ快感が湧き出してきた。
これまで一度も経験したことのない激しい快感だ。
「きやぁぁ・・」
悲鳴のような声をあげ、奈津美は体全体をのけ反らせるようにして絶頂を迎えた。
全身に力が入り、ビンと張り詰めている。
数秒の間、呼吸が止まり、そして体から不意に力が抜けていった。

ベッドの上でぐったりと横になったままぼんやりとした頭の中で、奈津美は今の膣の奥の快感を思い返していた。
もう今はあの快感は消えている。
「どうしたんだろう?」
ほんの一瞬だったが、体の奥から湧き上がるようなおぞましさを伴ったような激しい快感があった。
奈津美はその疑問を解くすべもなく、そのまま眠りについた。
この夜、奈津美の体の奥で、何かが目覚めたかのようだった。

それからまた何日かが過ぎ、奈津美は不思議な思いで大学の午後の授業を聞いていた。
もうとっくに来ていいはずの生理が、まだ来ていないのだ。
今まで、こんなに遅れたことはなかった。
かといって、前回の生理からこれまでの間、セックスは一度もしていない。
妊娠するはずもないのだが、念のため薬局で買ってきたチェッカーで調べてみても、妊娠の兆候もなかった。
「おっかしいなあ」
体調に変化もなく、奈津美はいたって元気そのものだ。
これまでにないくらい絶好調と言ってもいいほどだった。
体が軽く感じられ、疲れもほとんどない。

隣の席に座っている友人の恵里が「どしたん?」と、小さな声で聞いてきた。
恵里は奈津美の友人とはいっても、それほど親しいという関係でもない。
美人系の奈津美とは異なり、丸いおでこにクリクリとした瞳で体型も小柄な恵里は、今でも街中で高校生に間違われるほどに幼く見えた。
自分よりもずっと年下の高校生の男の子から街中で声をかけられることにうんざりしている恵里は、最近、濃い目の化粧をし髪の色も茶髪にそめることで、大人っぽくみせようとしていた。
「何か、おかしいことがあったの?」
恵里が首をかしげて、奈津美の顔をのぞきこんだ。
「ううん、何でもない、ナンでもナイ」
奈津美はそう答えて、またノートに鉛筆を走らせた。

それからもマンションで夜、一人で奈津美は何度かオナニーをすることがあった。
だが、あの夜のような体の奥から湧きあがる激しい快感は現れなかった。
それ以前と同じように、自分の右手の中指の動きによる快感だけで、それ以外には何もない。
指の刺激だけでも絶頂を得ることはできたが、何か物足りないような少しつまらなさを感じるオナニーだった。
奈津美はもう一度、あの快感を味わいたいという思いを持っていた。
少しの恐怖感とともに、おぞましいほどの快感は奈津美の理性を狂わせるほどだった。
「もうあれっきりなのだろうか?」
そんなことを思いながら、何度かオナニーをしたが、結果は変わらなかった。

そんなある日、奈津美は大学からの帰りの電車に乗っていた。
夕暮れの太陽の光が電車の窓から差し込み、奈津美の顔を赤く照らし出している。
この時間帯の電車はラッシュで混みあう少し前だが、それでも座席は全て埋まっていて、高校生の男の子が何人かドアの近くで立っていた。
奈津美はドアから少し離れた座席に座り、今日の授業のノートに赤ペンで書き込みを入れていた。
帰りの電車の中のわずかな時間でも毎日のこととなければ、こういう小さな工夫が大きな効果につながることを奈津美は知っていた。
自分独自の工夫を取り入れ、その日の授業を素早く思い出しながらノートにポイントを書き加えていく。
そんな作業を電車の中で、奈津美は毎日決められたように繰り返していた。

ノートに赤ペンを走らせてする途中、奈津美は急にゾワッとする感覚に襲われた。
ふいに体の奥から、あの夜の感覚が湧き上がってきた。
はっと息を呑み、持っていたペンをあやうく落としそうになった。
突然、こんな時にあの快感が少しずつ体の奥から湧き上がってきている。
まだ少しだが、明らかにあの夜のゾゾゾゾっとするような快感だ。
「何で?」
「なぜ、今、これが・・・」
奈津美はそう疑問に思いながらも、体の奥に段々と大きくなって来るあの快感に怯えた。
こんな電車の中で、どうなるというのだ。
「うっ・・・」
声が漏れそうになった。
足がガクガクと動きそうになるのを、膝の上に置いたノートで奈津美は必死に押さえている。
快感がますます大きくなってくる。
「あっ、あっ・・・」
小さく声が出てしまった。
奈津美の座っている座席の右側には年配の女性がいて、その隣の女性と何かを話していた。
左側の座席には、若いサラリーマン風の男性が目を閉じて座っている。
声を聞かれた・・。
その男性は不思議そうな目で、チラリと奈津美を見た。
見られている。
そう感じながらも、この快感に体が反応するのを止めることができない。
こんなところで、自分の変化に気づかれたくない。
奈津美は体の奥から湧き上がる快感を押し殺そうと、全身に力をこめてうつむいていた。
次の駅で降りて、トイレに駆け込もうか。
そんなこともチラリと脳裏をよぎる。
だが、この電車が次の駅に到着するまでは、まだかなり時間がある。
その間このまま快感が大きくなっていくと自分は一体どうなってしまうのだろうと、奈津美は恐怖心を覚えた。
大勢の知らない人が乗っている電車の中で、自分は理性を失い、ショーツの中に手を入れてみんなの見ている前でオナニーをするようになってしまうのだろうか。
衆人の前で快感をむさぼるようにスカートをめくり上げて足を大きく広げ、股間に入れた手をいやらしく動かしながら喘ぎ声をあげている自分の姿を想像した。
そんなことは考えただけでも、耐えられない。
「ああぁ、どうしたらいいの」
そう思いながらも、段々と大きくなっていく快感に、奈津美は自分の理性が溶けていくように感じていた。