2009年12月02日

説明責任と自殺防止策@


ディズニー・クリスマス・キャロルより

この世はすべて自己責任。

他人の情けや助けに頼るなんて甘ったれは通用しない。

人生は他人を押しのけても前へ上へ進む競争だ。

目標は成功、出世、具体的に言うと金だ。

途中で立ち止まって弱いもの、負け組に情けなんか掛けていたら、絶対に勝ち組になれんぞ





 
サンクチュアリ出版の場合 

「最後のパレード」事件発生後、私たちサンクチュアリ出版は「著者に罪をなすりつける」という行為を選択し、実行に移しました。この意思決定の正当性に関し、読者や書店などの関係者に対し、説明責任を果たしたいと考えます。  

@     私たちは、犯した罪(恥ずかしいこと)悔い改めません。キリスト教徒の神の武具を身に付けた攻撃には、こういう理論武装により徹底抗戦します。キリスト教の教義の中心的考えは「思いやり」「分かち合い」と聞いていますが、私たちはこういう考え方から、キリスト教の教義の中心的考えである「思いやり」「分かち合い」を否定します。私たちはキリスト教の教義を理念とした組織ではありません。私たちの組織の理念は(ディズニー・クリスマス・キャロルのスクルージの思想と同じように)こういう理念です。 


以上の理由から、たとえ、全世界のキリスト教徒が私たちに悔い改めることと、謝罪を求めても、たとえ、三位一体の神がゆるさなくとも、私たちは決して罪を悔い改めることはありません。 


A     稲盛哲学に関しても私たちは、犯した罪(恥ずかしいこと)悔い改めません。稲盛哲学の中心的教えは「利他」「足るを知る」「思いやり」「分かち合い」と聞いていますが、私たちはこういう考え方から、稲盛哲学の中心的教えである「利他」「足るを知る」「思いやり」「分かち合い」を否定します。私たちは稲盛哲学を肯定している組織ではありません。私たちの組織の理念は(ディズニー・クリスマス・キャロルのスクルージの思想と同じように)こういう理念です。 


以上の理由から、たとえ、稲盛哲学がこの国の中心理念になっても、私たちは決してこれまでの罪を悔い改めることはありません。 


読売新聞の場合
私たちは、「最後のパレード」の著者とサンクチュアリ出版の社長の自宅を「真珠湾攻撃取材(キリスト教徒の休息日を狙った奇襲攻撃)」しました。そして、事実に基づかない記事で、世に潜む匿名テロリストたちに、「著者は盗作者」という印象を与えることに成功しました。「最後のパレード」の著者は、当社のコンプライアンスを問題にしていますので、読売新聞読者や、広く世間に「最後のパレード」事件に関する説明責任を果たしていきたいと思います。 


「私たちは」という主語をサンクチュアリ出版から読売新聞に変えて@Aに当てはめてみてください。読売新聞は、読者や関係者に納得していただける説明責任をはたせるのでしょうか。 


さて、自殺防止問題です。昨日のブログにこのように書きました。 


<引用開始>

「相手に分からせる論法」を使います。

■これが起こったことで、あなた方が私たちにしたことはこういうことです。私たちが感じたのはこういうことで、私たちの生活に与えた影響はこういうことです。そして、私たちがあなた方にして欲しいことはこれです。 
<引用終了> 


「自殺に至らせないための告白文」

■起こったことはこういうことです。

■あなた方が私たちにしたことはこういうことです。

■私が感じたのはこういうことです。

■私の生活に与えた影響はこういうことです。

■私はこういう弱い人間です。

■私が感情を「押し殺す」といつかこういうことにつながる恐れがあります。

■そうならないように、私があなた方にして欲しいことはこういうことです。 


 

いきなり、「弱い人」から「強い人」に告白文を突き付けることは危険ですが、両親や学校の先生など自分より「強い人」か「強い人と対等な人」を通じてこの内容を告白することで、感情脳に蓄積された「怒り」「悲しみ」「自己嫌悪」の念は、小さくなります。(私は自殺寸前まで追い詰められた経験があります。)




 

 

他人や自分を「ゆるす」という問題は、キリスト教において核心部分といってよいでしょう。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、(自分も含めた)罪を犯した人が罪を悔い改めれば、ゆるすことは容易です。つまり、以後その人の罪は「水に流す」ことが可能になるのです。

 


しかし、です。この言葉には背後に隠れているものがあると考えます。それは「罪を犯す背景」です。学校裏サイトでのいじめ問題や掲示板での誹謗中傷問題などは、個人の問題では片付かない社会問題です。背景には「個人や集団をコントロールするもの」が必ず存在するのです。

 


それは、自分たちの欲望や金のために、個人の本能の脳や感情の脳をいたずらに刺激する「輩」の存在です。もっと買え、もっと食べろ、もっと競争しろ、相手をやっつけろ・・・と理性脳以外の「私脳」を刺激し、自分たちの意のままに「あなた」を動かそうとする「輩」です。

 


稲盛和夫氏は「満は損を招き、謙は益を受く」という言葉を用い、「現代の社会の混迷は、この謙虚さを忘れ、自分だけがよければいいという利己な思いを、多くの人々が持つようになったからだ」と、本能の脳や感情の脳を刺激された、利己的(エゴ)な人間社会に対し、警鐘を鳴らしています。

 


 

「最後のパレード」事件も、自殺問題も根っこは一緒だと私は考えていきます。自殺や自暴自棄の犯罪が少しでも減るよう、私も稲盛氏同様に警鐘を鳴らしていきたいと思います。