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特集ワイド:’09シリーズ危機 貧困/上 ノンフィクション作家・佐野眞一さん

 <この国はどこへ行こうとしているのか>

 7人に1人が貧困にさらされている--。国が10月に初めて公表した相対的貧困率は、21世紀のこの国を覆う寒々しい現実を、改めて私たちに突きつけた。「努力しても報われない」と嘆く人もいれば、「あすは我が身」と不安がる人もいる。貧困ニッポンはどうなる?【遠藤拓】

 ◇縦並び、恥と思え

 その穏やかなまなざしは、こちらをじいっと観察しているかのようだった。

 目の前に座るのは佐野眞一さん(62)だ。千葉県流山市の一戸建て、自宅兼仕事場を訪ねていた。段ボール箱で雑然とした床に座椅子を置き、どっかと構える。たばこに火をつけ、両足を伸ばし、くつろいだ様子だが、まだ緊張は解いていないようだ。

 月刊誌に掲載した「ルポ下層社会」(文芸春秋06年4月号)を皮切りに、この国の貧困の実相に迫ろうとする佐野さん。記者はインタビュー前、せめて同じ空気を吸っておこうと、最初のルポ現場となった東京都足立区を歩き回った。その話をすると、「どこに行きました?」と“逆質問”だ。やはり取材はされるよりも、自分でする方が好きなのだろう。

 …●…

 佐野さんが足立区に注目したのは、「04年度の就学援助率が42・5%」との新聞報道(06年1月)を見かけたからだ。就学援助とは、小中学生の就学に経済的な支障がある場合、保護者が市町村から受ける支援のことだ。

 佐野さんは数字の奥に隠れた、就学援助を受ける家庭の生の声にこだわった。その暮らしぶりは、例えばこうだ。中高生の2人の子を育てる40代女性は、一家の月収が20万円を切り、昼は家業の町工場、夜はコンビニでパートをしていた。別の30代女性は、夫の前年の年収が190万円、小学生の子ども2人の就学援助で「助かった」と述懐する--。厳しい現実ばかりだ。

 また、小中学生を対象とした東京都の学力テストで、足立区の平均点が23区中最低水準にとどまったことに触れ、親の経済状態が子どもの学力に及ぼす影響にも言及した。

 佐野さんは言う。「衝撃的だったのは、流動性のなさです。足立にいるとよそ着がいらない、だから足立のメーンタウンである北千住にも、銀座のデパートにも行かないという話を聞いた。貧しくても自足できるから、そこからはい上がろうとしない」

 かといって、当事者を責めているのではない。「『恒産なきものは恒心なし』ではないけれど、そこそこ寝に帰る家があって、あったかい布団があって、一応三食を食えるということでないと、外に打って出る気にはなれない。最低限の基本的人権を脅かされ、努力や意欲がそがれている」

 <比喩(ひゆ)的にいえば、日本はごく少数の“勝ち組”、すなわちひと握りの“六本木ヒルズ族”が、生活に困窮する“足立区民”の上に君臨する、弱肉強食型社会に大きく階層分化しようとしている>

 ルポでの指摘は、3年たった今、さらに現実味を帯びてきたように感じられる。

 …●…

 昭和史を駆け抜けたさまざまな人物の光と影を追いかけて多くの作品を生み出した佐野さん。過去と現在を行き来しながら痛感するのは平成と昭和、二つの時代の違いだ。

 「昭和とは、みんなが中流だという意識を持てた時代のこと。その横並び社会が、今は縦並び社会に変ぼうした。昨秋のリーマン・ショック以降は、縦並びの天井がどんどん低くなる一方で、自分がよって立つ地べたも崩落した感が強いんじゃないか」

 では、もっと前にさかのぼるとどうか。佐野さんは「最暗黒の東京」(松原岩五郎著)や「日本の下層社会」(横山源之助著)といった明治時代の記録文学を基に言う。

 「日本に資本主義が根付いていった明治時代の貧困も、確かに生々しいものがある。でも、当時は貧しい人たちを取り囲む環境はまだ、優しかった。共同体が崩壊せず、お互いに支え合っていた。今とは全然違います」

 自身は足立区の隣、葛飾区の出身だ。生家は乾物店。「経済的に塗炭の苦しみを味わったことはなかった」が、貧困から立ち上がった人々の物語は、数多く見聞きした。

 「かつては生まれが貧乏でも、苦学力行した(松本)清張や(松下)幸之助、(美空)ひばりのように底光りする日本人たちがいた。社会に流動性があった。でも今は、中卒の若者にチャンスを与えられる社会じゃなくなった」

 そして、言い捨てるようにつぶやいた。

 「(ゴルフの)石川遼が何億稼いだとか、そんな話題がテレビで繰り返され、みんなが騒ぐ。おれが子どものころは、カネの稼ぎで人間を判断するようなことはなかった。日本はすごくグロテスクな社会になってしまった」

 ため息交じりに吐いたたばこの煙。目で追うと、天井がヤニで黄色くなっていた。

 …●…

 貧困問題の責任、その所在はいったいどこに? 佐野さんに尋ねると、その穏やかな声色が一変した。

 「そりゃもちろん、行政や政治による放置ですよ。人間の利害得失を調整し、分配を正当なものにするのは政治家や官僚の責任。彼らは口が裂けても言わないけれども、弱肉強食社会だから仕方がないと思うんでしょう。でも、例えば足立では、消しゴムやノートを満足に買ってもらえない子どもだっている。そこに生まれたことに、自己責任なんか取れないよ」

 2時間の取材でただ一度、声を荒らげた佐野さん。気を取り直したように言う。

 「東京・山谷では炊き出しは日常茶飯事。自殺者は年間3万人以上で、東京マラソンの参加者とほぼ変わらない。日本丸はあてどもなく航海し、たそがれた極東の小国になりつつある。でも、少なくともおれたちの世代にとって、この国は格好だけでも米国に次ぐ経済大国になった歴史がある。沈没は面白くないと思っているはずだ。この国にいて恥ずかしい、そう思うことから始めるしか、どうにもならないんじゃないか」

 佐野さんを突き動かすのは、「平成の貧しさや暗さ、その正体を突き止めたい」との思いだ。「ペンが社会を動かすとは、気恥ずかしくてあまり言いたかないんだ。書くことは何かが動くきっかけにもなるし、ならないこともある。壁は厚い。でも、目の前の事実を見聞きし、正確に伝えたいから書くんだ」

 暗たんたる現実とどう向き合うか。それは、私たちに突きつけられた問いでもある。

 ◇相対的貧困率

 全国民の中に低所得者が占める割合。国民一人一人の使えるお金(可処分所得)を高額順に並べ、真ん中の人の所得(中央値)を算出。その半分に満たない人々の割合をいう。国際比較の指標に利用される。

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t.yukan@mbx.mainichi.co.jp

ファクス03・3212・0279

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 ■人物略歴

 ◇さの・しんいち

 1947年、東京都生まれ。早稲田大卒。出版社、業界紙記者を経てフリー。97年「旅する巨人」で大宅壮一ノンフィクション賞。09年「甘粕正彦 乱心の曠野(こうや)」で講談社ノンフィクション賞。「小泉純一郎-血脈の王朝」「凡宰伝」など著書多数。近著に「鳩山一族 その金脈と血脈」。

毎日新聞 2009年11月30日 東京夕刊

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