邪馬台国論争
地を這いて光を掘る―佐賀女子短期大学学長・高島忠平聞書 価格:¥ 1,600(税込) 発売日:2008-10-07 |
邪馬台国は沼津にあったんだけどね。こないだ発掘された辻畑古墳というのがあるんだが、紀元230年頃には建造された、東日本でひとつだけの遺跡だそうで、まぁ、当時の北九州か近畿の政治勢力の出先機関だったんだろう。といっても、その当時の「領土」というのは連続的なモノではないですね。船で行き来するので、飛び飛びだったりする。そもそも、その当時の国家権力にとっては、「広大な湿地帯」という、稲作適地以外は、眼中にないわけです。なので、仮に「ヤマタイ」という権力があったとしても、北九州と近畿の稲作地帯と、あとはいきなり沼津周辺とか、飛び飛びの領地です。なので、中国の使者が来たとしても、沼津までは来ないし、近畿にも行かなかったかも知れない。九州支局の出先役人から話を聞いただけで書いた記録じゃないか、という気もする。そもそも、その当時は「首都」という概念すら、なかっただろうし、中国の使者だって卑弥呼と直接会ってないと思われますね。
【邪馬台国九州説】「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 佐賀女子短大・高島学長が講演
1 :ちゅら猫 [sage] :2009/11/30(月) 00:19:34 ID:???0
★「卑弥呼、九州でしか成立しえない」 高島学長が講演4 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:22:03 ID:IwLsBj4E0
「邪馬台国九州説」の佐賀女子短大、高島忠平学長(69)が29日、佐賀市のアバンセで講演し、勢いづく「近畿説」を時代・習俗に合わないと一蹴(いっしゅう)した上で、「卑弥呼という存在は北部九州でしか成立しえない」と持論を展開した。
「邪馬台国論争最前線」をテーマに講演した高島学長は「(邪馬台国の)所在地を巡る論争は当時の国家の成立過程を検証する意義がある」とし、九州説、近畿説が持つ国家成立史観をそれぞれ紹介。近畿説は邪馬台国を大和朝廷の前身、九州説は数ある有力国の一つが邪馬台国ととらえていると述べた。
九州はいい加減諦めろ5 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:22:03 ID:L1i6+r5/0
九州・近畿のどちらにもあってどっちも行き来していたことにすればおk9 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:23:59 ID:0eWVSvJf0
邪馬台国以外の周辺国はみんな北九州から見つかってるのに11 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:26:30 ID:utqjKGgf0
邪馬台国だけが近畿にあったという京大学派は基地外
邪馬台国は長野に決まってるだろ15 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 00:28:32 ID:L9aEbe8/0
だからリニアBルート通せよ
じゃあもう近畿から九州一帯で良いじゃん16 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:29:48 ID:AO50o88o0
学者レベルじゃあもう九州説は無理19 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 00:30:42 ID:F19vgeqv0
このまえのまきむくで決着
在野の研究者レベルじゃあ、まだ1割くらい九州って言ってるやつがいるらしい
九州説を大大的に取り上げてる学者はこの高島サンしか知らんな。26 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 00:33:37 ID:F19vgeqv0
けどこの高島サンは前にテレビで、「学者がみんな畿内説なら面白くないから」と激白してたなw
九州の観光産業の命運がかかってるからなw29 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:33:53 ID:N1pkct5b0
ぶっちゃけどうでもいいだろ32 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 00:34:24 ID:6mD4JA5O0
邪馬台国があると、なんか得するのか?
そうでなきゃここまで双方必死になる理由が分からない
>>2944 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 00:40:00 ID:5+JP1ETIP
町おこしが出来る
えばれる
>>1の先生って、いつぞやの委員会で畿内説の先生と口論してた人かな?49 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:41:44 ID:6QBnqzdr0
邪馬台国論争の回は面白かったw
キャラも立ってたし、またやってほしい
まぁ、漢に使者を送った奴国や面土国は恐らく九州だろ52 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:42:13 ID:+6Bc4si1O
そのころは多分文化の中心は北部九州。
その後神武東征(畿内勢力への婿入り?)みたいなことがあって中心が畿内に移ったんじゃね
「何が出たら確定」みたいなもんはないのか?57 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 00:44:02 ID:F19vgeqv0
>>5262 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:44:59 ID:AO50o88o0
「親魏倭王」の金印か、それを押した封泥。
ただ小さなものなので移動してる可能性もあるから確定とはいかない。
伊都国には国の出先機関、のちの太宰府みたいな外交面におけるかなり強い権限を持った政府機関がおかれてました68 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:47:08 ID:UvHum2v2O
(これも魏志倭人伝に記述があること)
出先機関を置くくらいだから、政府本体はそれより遠い土地でしょうね
どっちかが別荘だったんだろ70 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 00:49:17 ID:EBL/hyfo0
>>6897 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 01:00:37 ID:dzFgTQ/pO
天才あらわる!
>>6869 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:48:14 ID:AO50o88o0
その説もまんざらではない
神武天皇の東征が真実で邪馬台国の前なら、九州に神武天皇の実家があり、近畿に跡継ぎとして後の大和朝廷にいったから
カギは大和朝廷と邪馬台国がつながりがあるかないか
ただの九州にあった一国かもしれない
まきむくが出る前は、九州説の可能性も5%くらいあったよ72 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 00:50:19 ID:F19vgeqv0
でも、まきむくで決着
うちの祖父は、いまだに出雲が邪馬台国だって言ってるけどw
学術的には畿内で確定なんだけど、本居宣長が言い出しっぺの「日本の皇室が中国に朝貢するなんてない。そんなことするのは九州の熊襲だ」という戦前の国粋史観が九州説を強くした理由なんだよね。73 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:50:42 ID:qDms2BYKO
それに今は自治体が観光で便乗し、利用する観光産業があるから今更「畿内です」と九州では言えない風潮が続いてる。
対馬、壱岐、投馬(出雲)、邪馬台(大和)でとても自然だよね。南を東にしなきゃならんが、逆に言えば不自然なのはそこだけ。後世の誤写でいいんじゃない。83 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 00:54:26 ID:LNKaDBwI0
初め九州にあって、畿内に遷都したんじゃないの89 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 00:59:02 ID:qwj4axG7O
我が国の皇室は万世一系103 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:06:03 ID:+aklUL8F0
氏素性の分からぬ巫女を皇位につけるわけがない
よって卑弥呼はクマソの女酋長である
北九州の小国もさほどまとめられず、南九州の豪族にガクガグブルブルしているクニが、畿内から九州まで支配していたって妄想は、どうやって生まれるのか?108 :ちゅら猫 ◆CHURa3Ewlc [sage] :2009/11/30(月) 01:07:58 ID:Vf8RZBps0
邪馬台国よりも、そこに興味がある。
だれの小説だったか忘れたけど、昔の中国人が邪馬台国への出張旅費を水増しさせるために海路△△日、陸路○○から何里とかややこしくしたっていう物語を読んだ。110 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:08:34 ID:qDms2BYKO
神武東征は個人または一有力勢力の東征でいい。117 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:12:26 ID:nDc+9WJh0
国家が九州から近畿て、んな大規模な移動があったらそれこそ考古学的史跡がめじろ押しだろ。
ヤマトはずっと大和だわ。
九州に邪馬台国、近畿に大和朝廷の前身が同時に存在しててもおかしくない。119 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:13:03 ID:YvnO9Ayy0
邪馬台国は朝貢したから記録に残っただけ。
昨日のボクシングの試合みたい説だな125 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:17:23 ID:PEeTMRKf0
最初から亀田の勝利しかありえないみたいな基地外的な・・・・・
良く分からんが九州がんばれ127 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:17:44 ID:TW8PMRroO
卑弥呼って名前つけるなんてAV見すぎだよな122 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:16:29 ID:qwj4axG7O
畿内説だと行程の中に出雲国と吉備国が出て来ないのが謎なんだけどね138 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:24:06 ID:AO50o88o0
>>122140 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 01:25:38 ID:6QBnqzdr0
邪馬台国の一つ手前の投馬国が出雲国と吉備国のどちらかだと言われてる
投馬を「ツマ」と読めば、最初の「イ」を加えて「イツモ」なので出雲
(中国語では先頭に子音がない単語がないか、ごく小数らしい)
投馬を「トモ」と読めば、柄の浦を要した吉備
人口規模から考えて、投馬国は出雲説が有力
古墳時代の豪族には朝鮮南部の小国の王と畿内の領主を兼ねてるのもいたし、それだけ海の移動が活発だった訳で。150 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:31:09 ID:EBL/hyfo0
だから卑弥呼時代に九州と畿内の領土を掛け持ちしてても、確かに不思議ではない
グーグルマップで「邪馬台国」 検索すると3か所ヒットするよ153 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 01:32:32 ID:vaGY8g3P0
邪馬台国って戦争してたんだよな。もうそれはそれは国中荒れてる状態だったんだよな165 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:36:37 ID:GguLom7xO
でも奈良からは戦争の跡が全くないんだよな。出土するものといえば、物々交換でもしたであろう土器と雨乞いでもしたであろう掘っ立て小屋の柱だけ。こんなのどかで平和な場所が邪馬台国であるわけがない。
じゃあ、めんどくさいからインドネシアが邪馬台国な137 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:23:49 ID:N393sLRN0
この時代の朝鮮半島は中国領土だったな163 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 01:34:55 ID:dzFgTQ/pO
>>137172 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:40:02 ID:g4IqOQZW0
恐らく奴国が支配していたよ
金印が出たり、福岡と韓国の間にある島(宮内庁管理)から遺跡がゴロゴロでているから
もし、韓国に敵対する勢力がいたら、遺跡奪われまくだと思う
>>163175 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:42:13 ID:RB7wdD3r0
というよりは、環対馬海峡海洋民族(中国側の呼称で倭人と呼ばれる民)がいてある種の連合政権を作っていたんじゃないかなと思う。後の磐井や新羅もその系統だし
大和の中央政府でもかなりの影響力を持ち、日本民族の源流になっていったのではないかと。
朝鮮側と日本側とで全く分離した民族になっていったのは、白村江後の政治的分断が数千年に渡った結果に過ぎない。
>>172177 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:44:05 ID:g4IqOQZW0
半島人は「倭人に似てる」と書かれてるから倭人ではないと思うが。
言葉も違ってたし
>>175182 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:48:22 ID:g4IqOQZW0
朝鮮半島でも南岸部分と新羅・百済の一部だけだよ。
古代の朝鮮半島の民族ってやたらと複雑で、倭人的な集団が南部に一定数いたってだけで、そうじゃない連中も大量にいたからな。
例えば、高句麗なんてのは倭人とは全く別の民族だし。
当時の倭人にとって、関東以東の縄文を引きづった連中と朝鮮半島南部の稲作行ってる連中、どっちが意思疎通が容易だったかというと後者だったと思うんだよね。188 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:51:32 ID:HEOcn9Gc0
大和王権が朝鮮半島に介入し続け、白村江敗戦後に矛先を東に転じたのは極自然な成り行きだったと俺は思うんだわ。
>>182195 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 02:00:11 ID:teEq7O2m0
今は済州島にしか残ってない、海女の文化とかね。
楚人に通じる風習が、半島南部の稲作可能地帯と、倭と呼ばれた地域に見られるから、当時は対馬海峡で分けるのは無理だよ。
その後の変遷で、朝鮮半島の人と日本人は月とすっぽん、ピンと錐…
>>188190 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 01:54:10 ID:g4IqOQZW0
渡来人って江南あたりに住んでた越人だったよな
倭国の風習や武器は「海南島(越の領域)と同じ」だと後漢書や隋書に記されてた
当時は日本も朝鮮も色々な部族が住むごっちゃにの状態で205 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 02:10:06 ID:yT+yX+he0
その中に対馬海峡の両岸で活動する比較的影響力の大きな部族もいたって話。
日韓が各々均質性の強い民族となっていくのは、7世紀以後に両国の国境が軍事的に画定されて以後で
その後1300年かけ、各々の領域内で「まつろわぬ民」への征服活動と同化が恒常的に行われる一方
日韓の交流が極めて限定的なものとなったため、結果的に対馬海峡を隔てて全く性質の異なる民族が存在する状況が発生したんだと思うんだよ。
しかしあれだな、日本史板?の邪馬台国論争凄いな。223 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 02:39:53 ID:dNH3trHX0
住民のレベルがしゃれにならん。
なにしろ「論争に参加する奴は最低限これを読め」って指定されるURLがあったから東夷伝倭人の条の漢語原文かと思ったら、現時点で実在してる写本のスキャン画像と来たもんだw
九州はね、ギャーギャー言う前に、遺跡を掘れと。238 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 02:52:07 ID:kV5g7lok0
邪馬台国があるなら、そらしい遺跡を提示せよと。
考古学者がそれもできないで、悪口ばっかり言ってるなよみっともない。
考古学者の9割は畿内説支持なんだってね240 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 03:06:44 ID:anKLteXF0
大和を特別な地名だと思ってるから機内にもってくるけど、三国志の魏志倭人伝は日本向けに書かれたものではないし、東夷とは旧満州、韓国、日本のことで移動の仕方、スピードも同じ。243 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 03:12:01 ID:dNH3trHX0
占いばかりして、一週間に3、4は休んでる、日本に来たとたん、寝食を忘れて移動するわけないよ。実際、九州に上陸してからも、九州中部にすらいけてない、北九州の村々を移動してるだけだよ
アメリカの首都はワシントンだが、日本からアメリカの距離=日本からワシントンまでの距離ではない。245 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 03:15:47 ID:LBA9GtPL0
邪馬台国が畿内であっても、九州が邪馬台国の管轄内なら、距離表記は関係ない。
>>243247 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 03:21:34 ID:mtidgpgV0
その解釈で行くと、明確に管轄化にある伊都国までの距離10500里と、女王国までの距離12000里で矛盾が生じるよ。
また、倭人伝は「女王国」という表現を広域な領土の意味で使ってないよ。
>>245263 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 03:34:51 ID:LNB8esYD0
距離ってのが正確だという前提があるからそうなるんじゃ?
大和国へは海を渡ってこなければならないわけでしょ?そうすると潮流の流れもあってそうした距離は日数で計算してたとしか思えないんだけど。そうすると正確な距離も分からなくなるじゃん
>>245251 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 03:25:24 ID:LBA9GtPL0
その12000だって国家の四方12000里なんて書いてあってキリのいい数字を並べただけなんじゃないのかって話はあるよな。
戸数が3万、5万、7万と奇数になってるとか実測じゃなくてあくまでキリがいいだけ
>>247256 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 03:30:11 ID:ly+79Dix0
帯方郡から韓国南岸への距離、南岸から対馬までの距離、対馬から壱岐までの距離、壱岐から末盧までの里数の割合。
これを現代の地図で比べてみても、おおむね正確だよ。
日数ではなく、里数も明記されているよ。
対馬、壱岐の描写は非常に正確だから、信じていいと思うよ、魏志。266 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 03:37:01 ID:hV0EWmMUO
また、もし瀬戸内海を通って機内に行ったのなら、それらしいことを書いたはず。
ないんだから、都まで行かなかったか、九州に都があったかのどちらか。
まだ女王国を邪馬台国と勘違いしてる人いるんだね。269 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 03:39:53 ID:ly+79Dix0
倭人伝に邪馬台国は女王国なんて一言も書かれてないのに。
邪馬台国は女王の都する所で、女王を共立した国々が女王国の総称だろ。
>>266273 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 03:43:41 ID:cqA7HSqt0
そうはならない。女王の都する所、が文脈上も他の国との関係的にも女王国だよ。
もしかしてどっちも邪馬台国だったりしてw286 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 03:54:32 ID:mtidgpgV0
そら調査した土地の人はその土地から近い距離にある場所は正確に言うことができるけど、あとは伝聞だから288 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 03:55:02 ID:dYUdeCzkP
遠くにある場所ほど距離は怪しくなってくるわな
田舎者の邪馬台国引っ張り合いはマジで笑えるw305 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 04:04:44 ID:ly+79Dix0
もっとやれwww
もういい加減、邪馬台国って言い方は止めるべきだな。306 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 04:05:19 ID:ocwhDszV0
邪馬壱(旧字)国としか書いてないのに。
近畿と九州の中間取って、ここは四国でいいじゃん315 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 04:14:40 ID:KJ6N7vhW0
朝廷は1つだったと考えるからおかしくなる317 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 04:15:29 ID:+C5PIebCO
古文書「ほつまつたへ」によると近畿と九州に2つの朝廷が同時に存在していたと記述があるから近畿と九州のどちらにも朝廷があったが正解じゃね
ttp://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/ht055.html
別にどっちだっていいじゃない299 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 04:02:16 ID:ikXSehhW0
日本だもの
みつを
シナ畜の史料なんかまともに信じれんのか。320 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 04:16:52 ID:uOVHeeLN0
もともとがおかしいんじゃね。
>>299341 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 05:46:18 ID:Pj4NapHN0
3世紀の日本側の史料なんてないだろが
邪馬台国が九州だったとしたら、卑弥呼は朝鮮人。348 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 06:49:25 ID:oc7xtSHs0
イヤ違うと言うなら、邪馬台国九州論なんてものは今すぐに引っ込めろ。
邪馬台国が九州なら、卑弥呼は朝鮮人。
九州も朝鮮民族。
邪馬台国=日本人の国352 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 07:04:07 ID:kZSZJj5A0
卑弥呼=国王就任時60歳代。その後、寝たきりになり屋敷から一歩も出ずに死ぬまで過ごす。
大和政権=中華人の政権(日本人を上から目線で支配する)
聖徳太子の顔見りゃ何処から来たのか分かるだろ。奈良の山に住み、鹿や兎、野鳥を狩って食べる。
肉食中華人。邪馬台国の「ヤマト」を乗っ取る。
>>348361 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 09:05:48 ID:Xj+Qey4FP
さあさあ来ましたね、昨今の卑弥呼騒動の本当の狙いが
踊り狂ってもらいましょうか
よくわからんのだが、何故日本はわずか1800年前のことが判らないの?365 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 09:11:44 ID:rCLHtv/l0
つか、皇暦は2600年とかなのに、その800年後日本の支配権がどこにあったのか判らんてどゆことよ?
奈良は莫大な国費を投じて何十年もかけて、隅から隅まで探しまわってるからな。370 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 09:25:07 ID:t5qmARQ40
なんか見つかるわなw
ま、確かに倭人伝じゃ冬でも生野菜を食ってるし裸足だし、奈良じゃムリポ。
おれは邪馬台国は福岡発で京都のあたりまで移動してって静岡の辺で物部と手を結んでアラハバキをはめたと思う374 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 09:31:00 ID:nP4/00Sx0
オッパイと声の大きい卑弥呼さんには393 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 09:59:51 ID:6QBnqzdr0
さんざんお世話になりました。
まとめるとこんな感じか?395 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 10:22:48 ID:Cgf0n4e/0
・少なくとも、1世紀ごろ栄えていたのは漢に使者を送った奴国などの北部九州
・高地性集落の分布からして、その後卑弥呼以前の時代まで
瀬戸内海周辺は戦乱の時代だったらしい。
高地性集落はその後畿内以東や南九州に。
・巻向が邪馬台国だとすると、魏志の卑弥呼は大和王権の初期かもしれない
この時代はとりあえず中心が畿内に移っているっぽい。
神話には筑紫宮を出発した神武一行が近畿勢力と協力して
畿内入りする話が載っている。
初期の大和政権が連合政権だとすれば、各豪族の出身地は、大君家=九州、大伴氏=越、物部氏=吉備、蘇我氏=出雲399 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 11:59:48 ID:f7i0qfBE0
なんてことにすると、イメージが描きやすい。
2世紀 倭国で大規模な内乱あり。403 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 12:38:23 ID:2J0snPAr0
3世紀 内乱を収めるために、邪馬台国の女王卑弥呼を共立。卑弥呼没後、男王がたつが内乱となり、女王トヨが擁立されておさめる。
4世紀後半 倭国が何度か朝鮮半島に侵攻。百済や新羅を相手に一定の成果を収めたこともあるが、高句麗には敗れた。
5世紀 倭の五王が継続的に中国に朝貢
5世紀後半 ワカタケル大王(=雄略天皇=倭王「武」)が存在。九州熊野から関東埼玉にいたるまで支配下においていた。
このあたりまでは、歴史家でもだいたい共通認識でいいんだよね?
5世紀のワカタケルは大和朝廷。4世紀後半の朝鮮半島侵攻の倭国も、大和朝廷でいいんだろうね。
そこから、どこまで大和朝廷が遡れるかいな。3世紀半ばまで遡れれば、邪馬台国との関係もおのずと明らかになるんだろうな。
倭国大乱っていうのも、過剰評価されすぎの気がするけどな。405 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 12:58:28 ID:aOznaR+rO
ずっと時代が下った飛鳥時代、物部守屋が倒された時だって日本書紀によると「朴の枝間に昇りて臨み射ること雨の如し」っていうようなレベルだぞ。
当時の日本の生産力・人口は、現代人がイメージする戦争をやるには全く力不足だったと思うんだよね。
せいぜい、邪馬台国という名前のムラ周辺で、何回か小競り合いがあったというだけの話ではないかな。
>>403446 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 14:23:53 ID:F5MVYixB0
それでも倭国大乱と言うからには、邪馬台国周辺でそれなりの戦争があったはず
北九州にはそれを思わせる兵士の遺骨が多数発見されている
首の無い人骨、何本もの矢が食い込んだ人骨
近畿説に賛同できない理由の一つは、畿内にそういう倭国大乱を裏付けるものが何も無いこと
九州説は畿内説の批判はよいから早く場所の特定をしてくれよ454 :名無しさん@十周年 :2009/11/30(月) 14:34:40 ID:Pt/mu6D60
九州のどこかじゃ全然前進しないのでw
ここから邪馬台国。とかって書いたものは出ないし。468 :名無しさん@十周年 [sage] :2009/11/30(月) 14:46:42 ID:yx5mV0qk0
私は卑弥呼です。って名札つけた人骨もでないだろうからな。
もう可哀想だから九州説でいいよ。
九州はそれ以外何もないもん。
加治木義博先生が一番説得力があります。おん歳86歳。
投稿 yamanote-1 | 2009/11/30 15:58
加治木義博はワシが育てた
投稿 井上馨@電気 | 2009/11/30 16:06
支邦の史書にしか登場しない邪馬台国や卑弥呼が捏造なのは明白です。
まぁ、もう少し記紀研究も重視して欲しいという話です。
投稿 大宇宙大和神 | 2009/11/30 17:12
どっちでもええがな!偏狭なご当地びいきは止めましょう。
投稿 熱闘右翼 | 2009/11/30 18:20
邪馬台国なんてどーでも良いし、卑弥呼卑弥呼って、なんでそんなにアイドル追っかけるようにしてんだか。竹内文書とかウエツフミとかホツマツタエとかは徹底的にオカルト視されるのに、どうして卑弥呼はオカルト扱いされないんだろう。一緒じゃん、と思うんだが。
投稿 カシール | 2009/11/30 18:33
邪馬台国ってどこかわかっちゃたら、困る人が、たくさん出てきそう!
投稿 うめ | 2009/11/30 18:48
>考古学者の9割は畿内説支持なんだってね
「それでも、邪馬台国は九州に在る!!!!!!!!!!!」
by ガリレオ・ガリレイ
投稿 gristan | 2009/11/30 18:48
ネットゲリラに、毛が生えたらスポーツ新聞。
投稿 kapa | 2009/11/30 19:16
ダッシー杉田に聞いてみなよ。前世は卑弥呼の書記だったらしいから。
投稿 亀 | 2009/11/30 19:27
これって、意外に知らないだろう、国民もジャーナリストも。なぜなら、この時代を扱った明確な歴史小説や漫画、映画やドラマが存在しないからだ。国民の歴史観なんてものは、教科書よりも、こういった娯楽メディアによって形成されるものだ。
そして、この邪馬台国論争、邪馬台国=ヤマト国ならば、2世紀後半の時点で既に、北九州から関東までを束ねる全国政権が、ヤマトに存在していたことになるんだよ。実際に、纏向遺跡には関東から北九州まで全域の遺物が出土し、また魏志倭人伝によると、北九州にあった伊都国には、女王国が一大率が設置されていて、諸国を監視していたことも記されている。
だから、門脇先生という左派系の学者が、自説(日本の国家統一時期はもっと新しい、皇国史観反対)が覆るのを恐れて、邪馬台国九州説に転向したんだ、死ぬ間際に。
今回の纏向遺跡の研究の成果は、こうした戦後の左派系の学者をノックアウトする要素が多いんだよ。
そして、この纏向遺跡が卑弥呼の墓ならば、卑弥呼の正体が、記紀にある皇室の女性ということになり、皇室の系図や記紀の記述が再び復権する可能性が高い。が、まだ、これは、先のこと。ようやく、この時代の研究が始まったばかりといえる。
投稿 まんまん | 2009/11/30 19:59
邪馬台国かどうか知りませんが、辻畑古墳の説明会へ行った時の感想としては、あの位置あの威容は、絶対に駿河湾から沼津に向かってくる人達に対する『国かその地域の権力者の威信を掛けた』ランドマークだったと思います。辻畑古墳の位置は、海から現在数キロ離れていますが、当時海の近くだったと思います。
新婚当時あの辺りに住んでいた時、標高100m位の辺りに発見された、貝塚を調査していた学芸員の話が興味深かったです。そこには、3世代位しか住んでいなかったとの事でした。爺さんの代で山に上がり孫の代で居なくなった様です。爺さんは、津波でも着て山に上がったんですかね。来ると言われている東海地震は、いつ来るのですかね?
投稿 座禅ころがし@函南在住 | 2009/11/30 20:54
ひみこは!!!!!
下品な!!!!!
AV女優!!!!!!
投稿 ひろp | 2009/11/30 21:59
親魏倭王の金印とやらが山形の田んぼから突然出てきたりしても学者は見てみぬフリをしそうだなw
投稿 フリーフォール | 2009/11/30 22:00
>まんまんさん
>この時代を扱った明確な歴史小説や漫画、映画やドラマが存在しないからだ。
マンガではこういう作品があります。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4122030056/yasuhikoyoshi-22
なかなか面白かったです。
投稿 ビリー・ザ・マッド | 2009/11/30 22:31
>この時代を扱った明確な歴史小説や漫画、映画やドラマが存在しない
内容は忘れましたが横光利一の短編「日輪」は卑弥呼の物語でした。
佐賀の吉野ヶ里遺跡はなんだったんでしょうか。
新たに邪馬台国が静岡の沼津との話は驚きです。
投稿 古代ワクワク歴史ロマン | 2009/11/30 23:12
邪馬台国論争はいいこことだけど、そこにロマンや夢が絡むと、これは科学的とは言い難いわけで。どうぞご勝手にというところかな。
たった今、80の爺さんが飲みにくる店に入ったら、爺の奴、べらべらべらべら。ま、先も短いんだし、いっかと思って黙ってたけど。人の話を聞くってのは難しい。邪馬台国論争を思いながら、一人閑かに飲んでました、はい。
投稿 阿井卯栄男 | 2009/11/30 23:45
神武東征はですね。
天皇同士の世継ぎ争いですよ。
ヤマトの天皇を処罰する為に、
九州に派遣されていた天皇がヤマトに戻って来たのかな?
ちゃんと文献にかいてある。
ttp://www.hotsuma.gr.jp/aya/aya29.html
それと「ヤマタイコク」とは言わないらしいね。
ttp://blogs.yahoo.co.jp/umayado17/59714409.html
>「たい」も「こく」も音読みで、ありえないと思います。
なるほど納得してしまった。
投稿 野菜 | 2009/12/01 00:39
邪馬台国は日本じゃない説があるはずだけど、それはどうなってるのかな。
投稿 みつな | 2009/12/01 00:58
どうしてあの幸福な党首の大先生は、この大議論の答えを言わないんだろう?
歴史上の人物とあんなにたくさん、交霊なすりつけていらっしゃるのですから。
当然卑弥呼さんに邪馬台の場所を聞いたり、くれおぱとらさんに死因をたずねたりなさっているはず。
知ってんだったら、ケチケチしないで教えてくれたっていいじゃんねぇ。
みんなもRYUFOせんせいに訊こう!
ryufo!ryufo!りゅほりゅほりゅぅほー、○○かわりゅうほ~♪
投稿 かめ | 2009/12/01 01:45
あの頃は楽しかったなあ。
投稿 大平澤勝栄圏 | 2009/12/01 01:54
山田ひ国はムー大陸にあったって、ばっちゃが言ってた。
http://www.youtube.com/watch?v=enY7rfLcVz0
投稿 あの | 2009/12/01 03:08
九州みたいに台風が一年に何回も来るところに邪馬台国は無いと思います。
天災の多い場所に都は出来ませんねん。
http://www.youtube.com/watch?v=r3_yKM8i6Oc&feature=related
投稿 表在性血栓静脈炎 | 2009/12/01 03:16
>九州みたいに台風が一年に何回も来るところに邪馬台国は無いと思います。
↑無知!!!!!!!!!!!!!
北九州地域は、南部九州のように、頻繁に台風に襲われるわけではナイ
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
投稿 gristan | 2009/12/01 09:07
おれの職場はいつも台風だらけなので邪馬台国はないな
投稿 井上馨@電気 | 2009/12/01 09:30
オレは九州支持説なんやけど、吉野ヶ里の "卑弥呼の住居" のアノ セコさは何とかして貰いタイ!!!!!!!!!!!!!!!!
もっと、シャンデリアを取り付けるとか、鏡の間風にするとか、
『女王様』 らしさ
をモット、演出して貰いたい!!!!!!!!!!!!!!!!
ムチは要らんけどネ!
投稿 gristan | 2009/12/01 09:35
>初め九州にあって、畿内に遷都したんじゃないの
そう考えると、いろんなことの辻褄が合う。
俺も同意する。
投稿 全力で向かう | 2009/12/01 09:51
本州の人間は九州人はみんな武田鉄也だと思ってます
投稿 リング | 2009/12/01 10:15
高木彬光が書いてたな
「邪馬台国の秘密」
神津恭介シリーズなので推理物だが、
他の作品と比べると読みにくいが。
高木彬光は古本屋じゃないとほとんど置いてないね。
面白いのになぁ。
まあ、個人的には沼津説でいいです。
徐福も来てるし。
投稿 鈴木貫太郎ファン | 2009/12/01 11:08
>本州の人間は九州人はみんな武田鉄也だと思ってます。
ひろみ GO も居るんやケド!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
投稿 gristan | 2009/12/01 12:32
宗像教授まだー?
投稿 匿名マンガマニア一歩手前 | 2009/12/01 12:59
発想が田舎臭い
投稿 いのき | 2009/12/01 13:16
>邪馬台国ってどこかわかっちゃたら、困る人が、たくさん出てきそう!
おっと、皇室の悪口はそこまでにしてくれ!!
投稿 ウイルス性胃腸園 | 2009/12/01 14:51
吉野ヶ里遺跡の最寄の東脊振ICと見学通路のマムシに注意の立て札を思い出す。
投稿 numarine | 2009/12/01 14:57
>たった今、80の爺さんが飲みにくる店に入ったら、爺の奴、べらべらべらべら。ま、先も短いんだし、いっかと思って黙ってたけど。
邪馬台国論争を思いながら、一人閑かに飲んでました、はい。
ちょーwww
なんかその時の様子が手に取るようにわかって笑っちゃいましたw
やっぱ幾つになっても(私の推察するところ阿井卯栄男さんて50代だと思ってるんですけど)こ~ゆ~のあるんですねw
投稿 日本が大好きな日本人 | 2009/12/01 17:22