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2009年11月29日

格ゲーの神 ウメハラさんが海外メディアのインタビューを受けました

515 : 名無しさん必死だな : 2009/11/28(土) 10:50:44 ID:ENLe2cSDP
Daigo Umehara: The King of Fighters

umehara


Eurogamerにインタビューを受けるって梅原すげーな


http://www.eurogamer.net/articles/daigo-umehara-the-king-of-fighters-interview



「俺より年下で今すぐに脅威を感じる奴はいない。
将来こいつ俺を超えるなぁって人は会ったことない。
いや、自惚れじゃなく。俺は相手の弱点とか見えちゃうんだ」



ダイゴ・ウメハラはあなたよりストリートファイターが上手い。
彼も心得ている。

格闘技ゲームは自惚れ屋を生み出しがちだが、彼のそれは虚しい自慢ではない。
今年、28歳の日本人は世界タイトルを獲得するために
Evolution 2009 Championshipでジャスティン・ウォンを破った。

ダイゴ・ウメハラはストリートファイターが上手い、誰よりも。



2005年にウメハラが格闘技ゲームの世界から二年間の休息をとったとき、
ファンの何人かはパチンコにはまったのだろうと考えたそうだ。
彼の類まれな反応速度を活かして、最後には運がモノをいうゲームでも
食い扶持が稼げるだろうと。

実際は青森の病院で働いている両親の志を継いで、
普段は公共の健康福祉センターで働いている。

「プロとしてゲームをすること、それは日本では現実的な選択じゃない」


彼は教えてくれる。

「もし自分のゲームスキルを生業として実際何かしたかったら、もう既にやってたと思う。
海外の賞金付のトーナメントから招待を受け始めたのは最近のことだし。
日本ではゲームは楽しむためのもの。見返りを期待しちゃダメだ」




幼い頃より共にドラゴンクエストやファイナルファンタジーを遊んできたウメハラの姉は
彼をテレビゲームに導いた。
しかしテレビゲームへの関心が情熱へと変わったのは
初めてゲームセンターを訪れたときだった。

「ゲーセンの初体験は俺の人生を変えた。素晴らしい体験でした。
当時はみんながストリートファイターIIを遊んでて。
ゲームの見た目も印象的だったけど、
見ず知らずの人たちとゲームを通じて繋がることに魅了されたんだ」


「今でこそゲーセンに行ったらゲーセンのコミュニティでもわりかし歳の
グループだと思うんだけど、当時そこでは自分がいちばん若かったんだ。
みんな年上で、喋って、いろんな価値観が学べて楽しかった。
日本のゲームセンターは俺にとってそんな特別な場所なんだ」



無論、日本のゲームセンターはアメリカや欧州のようなならず者のたまり場ではない。
しかし例えそうだとしても、中流家庭の立派な若者の両親が、
彼の新たなる情熱にどのような反応をしたのかが私は気になってしまうのだ。
特にその類まれな才能が花開いたときの。

「両親はとても寛大でゆったりしてます。
姉ができた子供で手がかからなかったから」


「自分もそんな放任主義だったけど両親の望むものと逆のことをするハメになりました。
増える一方のゲーム時間に両親の充分なサポートがあったかって?
無関心だったと思います。
トーナメントで勝ち始めても特に感銘を与えられなかった。
日本チャンピオンになって周りが尊敬し始めてくれるようになって、
両親に勝利を伝えたけどたいして気にかけなかった。
そんな無関心、というか何を成し遂げるにしても両親が同じ態度で接したことが、
地に足つけて立つことや己を冷静に見つめることを確実にしてくれたんです。
両親なしでは今いる場所はないですね」




競技性の高い格闘技ゲームを学び、マスターしようと傾倒した者なら誰しもが知ることだが、
真の熟練へ導くための習熟曲線は「週」ではなく「年」で測られる。
私はウメハラにアーケードに注いだ無数の時間が人生にどれだけの影響を与えたか訊ねた。

「いちばんゲームをやったのは十代後半の時。
人生でいちばん重要な時期じゃないかって?(笑)
俺は一日も欠かさずにプレイしていて、今より少なくとも10倍は遊んでた。
他の活動を最小限に抑えただけです。
俺の人生は学校、睡眠、そしてゲーム。
全てはゲームすることを中心に周ってた」

「ゲームなしでは生きられなかったみたいな。
ゲーム人生の内と外で別々の友人がいてゲーム仲間はゲーセンで出会った。
ゲーセンの熟した世界を一度知ってしまうと同級生と遊ぶのがつまらなくなったんだ。
格ゲー好きとは多くの共通した感覚があって
だから、情熱を分かち合う仲間と遊ぶのはとても楽しい。
そうしてゲーセン文化にのめり込んでいったんだ」




ウメハラのハードワークにもかかわらず、1995年、最初にエントリーしたゲーメスト杯で
彼は日本の全国選手権への資格を得られなかった。
二年後、彼は戻り資格を得、国内チャンピオンになるべくシンヤ・オオヌキを打ち破った。

翌年、日本でカプコン公式ストリートファイターZERO3チャンピオンシップで勝利し、
彼に海外でプレイする最初の招待をもたらし、サンフランシスコで全米チャンピオン
シップの勝者であるアレックス・ヴァイエイと対決することとなった。
ウメハラは2ゲームマッチで勝利し16歳で世界チャンピオンになった。

「アレックス・ヴァイエイとの対戦は初めての海外戦でした」


彼は思い出す。

「米国のプレイヤーのスキルレベルを知らなくても、
日本のプレイヤーの方が強いとは感じました。
仮定の域を出ないけれども、いくつかの理由から勝利を確信したんだ。
これまで強い外国人と会ったことがないし、
自分が見たアメリカのジョイスティックは
トップがすごく厚くて底が次第に細くなってて技巧というか正確さが欠けていたんだ。
こんな具合の悪いスティックを使う相手が俺よりいい動きのわけないって直感した」


「トーナメントで日本人プレイヤーが米国プレイヤーより
いかに高いレベルで操作してるかを直接見たし、あながち間違ってないと思う。
日本人は最初にゲーセン文化が豊かになった
日本の格闘ゲームの環境を楽しんでるんじゃないかな。
そんな感じで、日本人は一般的に格闘ゲームのアドバンテージを持ってると思う」




にもかかわらず、ウメハラは西洋のトーナメントを日本のそれより好んでいる。

「西洋のトーナメントの手法が日本で開催されるもののより面白いことが分ったんだ。
プレイヤーは、参加したトーナメントは自分たちのイベントであり、
出来る限りベストなものにしなければならないという当事者意識を持っている。
少なくとも自分にはそのように見える」


「対照的に日本のトーナメントは普通は会社があるんだ。
プレイヤーに責務は無く、そこで起こることは主催やスポンサー次第。
トーナメントの西洋ゲーマーはとても熱狂的で当事者意識があるので
いいイベント作ろうと熱心です。
イベントの規模に関わらずこれまで参加した西洋のトーナメントで
がっかりしたり退屈したことはないですね。
アメリカのトーナメントがとりわけ好きだと言わないといけない。
彼らのプライドとファイティングスピリッツは半端ないですから」




そのことを念頭に、私はウメハラに西洋のトーナメントでの彼の最も有名な瞬間のことを尋ねた。
the Evolution 2004 ―全段ブロッキング―

「正直、あの時3rd STRIKEは充分プレイしていませんでした。
でもセミファイナルには何とか間に合いました。
勝者ラウンドのとき日本人プレイヤーに負けて、
敗者ラウンドから復活できるとはまったく思ってなかったけど」


「ゲームを充分にプレイしていなかったので勝利に対し飢えてなかった。
ジャスティンと対峙した時は負けて失うものは何もなくリラックスしていたので、
そこは助かったかな。
決勝の終わりに自分が追い詰められた時も心がくじけることはなかった。
冷静に、判断を積み上げていく。
もしここで負けたら、それはそれでいいや。
会場がどれだけすごい熱狂、大騒ぎ、喝采、金切り声であふれてるか、
知らないのは俺だけだった。
だって集中してたから、何も聞こえなかったし。
あの時自分の周りで何が起こったのか全然分らなかった。
勝った後に、自分のそばにいた数人の日本人プレイヤーが立ち上がり、
興奮して喜んでいるのに気づいたんです。
これが俺が覚えているあの瞬間の全て。
後であの試合のビデオクリップを見た時だけ、
何が起こっていたのかを実感する」




あの瞬間から五年、ウメハラの名前は名声と評価を高めていった。
しかしここは常に若者の場であるがゆえに
28歳のウメハラが高齢の競争者であることは否定できない。

歳を重ね、専門的に格闘ゲームをプレイすることについて何を思うか、私は尋ねた。

「いやー、どうだろう。俺はいつだって好きなようにやるよ」


彼は言う。

「念入りなプランやどうしたいかって考えは持ってないんだ。
やりたくないことならあるけど。
もし30や40になってもこのスキルを維持できたら
そんな質問は気にしないだろうね。
でも50になって身体能力が目に見えて衰え始めたからって
他人に嫉妬したくはないんだ」



「子供の頃を振り返ると、自分の全てをゲームに捧げていた。
俺はひとつのことで自身をちょっと見失っちゃうタイプの人間なんだ。
バランスよくっていうのがすごく苦手で。深く没頭してしまう。
子供の頃から一つのことに興味を惹かれると自分自身を忘れちゃう。
そんな性格は格闘ゲームには完全に向いてました。
歳を重ねて、私たちは今の自分たちの礎となったもの全てを知ることができます。
そしてより良い分析と状況判断ができるようになる」


「そうして今、年下のプレイヤーを見ると彼のかくかくしかじかは
格闘ゲームでは不利でっていう風に弱点が見抜けるんだ。
今までプレイしてきた誰もが何らかの重大な欠点を持ってる。
でも、あー、個人的にはタイトルホルダーより挑戦者でいる方が楽しいんだ。
最高なキャラクターの出現は歓迎だよ。その時は再び勝負が面白くなるよ」




ウメハラの口調は変わり、静かに去りつつある最愛の文化に対して悲しみをのぞかせた。
ストリートファイターIVの西洋における巨大な流行にもかかわらず、それが生まれた
アーケードシーンの再活性化は僅かにしか行われていない。

明日のスタープレイヤーを育てる活気にみちたアーケードコミュニティの繁栄なしに
梅原がウメハラたり得る世界を支えることは可能ですか?

「ストリートファイターIVは確かに格闘ゲームのシーンに
新しい風をもたらし、人々をコミュニティに連れ戻しました。
でも、全体的には多くが変化したとは思いません。
格闘技ゲームに将来起こるであろうことは、
格ゲー好きがホームコンソールに移行するかアーケードに留まるか
どうかによって決まるんじゃないでしょうか」


「個人的には日本で何が起ころうとも西洋のシーンの
動きは少しも変わらないと思います。
イベント参加のために外国へ行って直接そう感じてます。
でも西洋のプレイヤーが彼らのコミュニティを広げ
トーナメントのためにお互いの交流を続けたら、
本来日本起源のこの文化は何らかの道をたどって本場に戻ると思います」




nanarevi at 00:46│Comments(11)TrackBack(0)この記事をクリップ!人物  │ このエントリーを含むはてなブックマーク

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この記事へのコメント

1. Posted by ウメ信者   2009年11月29日 01:56
翻訳してくれてありがとうございました。
2. Posted by 元ゲーセン野郎   2009年11月29日 03:26
翻訳に感謝です。

彼の思考にはとても到達できないだろうけど
知っている人誰もが非常に感銘を受けたり、
同じ物でも違う入り口を見つける事になり
驚かされますね。
先細りのジャンルである格闘ゲームですが
彼のようなヒーローをもっと生かせない
フィールドであったり仕組みは
とても残念ですね。
3. Posted by ああん   2009年11月29日 07:06
ウメハラの影響で今ストIIIやってるよ!
4. Posted by QOT   2009年11月30日 15:15
ちょっとアケコン押入れから引っ張ってくる(´・ω・`)
5. Posted by     2009年12月01日 04:00
介護施設でおじいちゃんのウンチの世話とかをしてるのかな。
カワイソウ。一生ワーキングプア。
ゲームばっかりで、積み重ねが何もない人生だね。

ゲームが上手いってことが唯一心の支えなのかもしれないけど
30超えたら衰えていくだけだし
そもそも2D格闘自体プレイ人口が激減中だし。
最後には宗教に走るか、自殺しそう。
6. Posted by 5は馬鹿   2009年12月01日 04:38
>>5
かわいそうなお人だ^^;
7. Posted by    2009年12月01日 19:22
>>5
周囲からの評価に価値観を持たない人もいるということを知ったほうがいい
8. Posted by     2009年12月01日 21:21
5は女
久米田が言う所の値踏み小僧
9. Posted by ?   2009年12月02日 00:33
>>5
>ゲームが上手いってことが唯一心の支え
そうとしか読めないのならそれこそ発想が貧困だね
インタビューではそんなことは一言も言ってない
文章も読めないのなら幼稚園児からやり直せば?
10. Posted by 運河   2009年12月02日 00:42
5をそう責めるなよ
憶測で優越感浸って自己満足したいだけなんだから良いじゃない
11. Posted by     2009年12月02日 01:21
30にもなって必死にゲームするのもどうだろう
仕事の方頑張ってほしい

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