婦日の寝不足日記

僕の身の回りでは毎日のようにテレビドラマさながらの出来事が起きます。
その全てを記す事はもちろん出来ませんが、どうしても漏れ出してしまう僕の心の声を聞いて下さい。
僕には語りたいことがあまりにもたくさんあるのです。

                                                           
2009年12月01日
離れる事は難しい
 ただ運が良いのか、自分の心がけが良いのか、様々な理由で周りが気を使ってくれているのか、とにかくどういう訳か最近夜中に呼び出される事が少ない。
 昨日も気持ちよく朝まで眠る事が出来た。その分昼間の仕事は忙しいが、夜中に突然起こされて寒空出動するよりはずっとマシだ。特にここのところ不整脈が頻発しているので、尚更夜はしっかり休みたい。

 昼間はとにかく忙しくて、今日も一日秒単位外来から検査、飛び込み処置、分娩、急患と様々な事に追いまくられていた。もうクタクタだが、この師走に仕事が無くて困っている人よりは随分マシだと思って、最後まで頑張ろうと思う。

 さてさて僕は来年9月から新しい職場に移るつもりだ。それまでマルッと残り9ヶ月となった。
 日本では良く妊娠在胎期間の事をトツキトオカ(10ヶ月と10日)と言うが、それは旧暦のためで大きな誤りである。
 欧米では妊娠在胎期間の事をナインマンツ(9ヶ月)と言い、これは実際の約270日間にかなり近い。まあ要するに僕の移動までの期間もいよいよ現実の妊娠在胎期間に近づいたと言う事だろう。

 ついては多くの患者さんから、「これから先どうなるの?」と、かなり心配そうな質問を受ける事が増えてきた。高山市内で開業する予定だからとりあえず多分大丈夫と答えているが、それ以上の事は様々な諸々が絡んできて言えないのが、僕も辛かったりする。

 何事も組織を離れると言う事は難しい。
 若い頃、大学山岳部で退部部員が出ると、とても悲しい思いをしたがその時の事を思い出したりする。三男の少年団サッカーチームも退団者が出ると大騒ぎだ。家族的で仲間意識が強い集団であるほど、仁義や人情が絡んで来る。
 僕の場合は更に一人産婦人科部長と言う特別な立場だからなおさら難しい。仁義、人情に流されずビジネスライクに考えなければならない部分もあるのだろうが、それだけで下手に動くと狭い社会で禍根?を残す可能性も有る。

 もうあまり難しく考えると、自分が心臓発作で倒れてしまう。見た目はともかく、僕はいつも色々な事で切羽詰っている。
 もうエベレストに登りに行くと決めた時と同様だ。なるようにしかならないや精神で、現実的に一歩一歩進んでいくしか、僕には他に方法は無いのだろう。
2009年11月30日
上げ底ですから
 代務の先生のお陰で呼び出しや電話問い合わせも無く、この週末は穏やかに過ごせた。もちろん昨夜もぐっすり眠れる。
 その分貯まった仕事をこなせたらもっと良かったのだが、ボクシングをはじめ様々なテレビ番組を見てしまったりで、思ったほどは諸々の用事がこなせない週末でもあった。子供も親もギリギリにならないとやらないのは、悪い癖だと思う。
 今日は何時もの予約診と月曜ならではの急患診察、午後からは手術が一件。各種説明業務も多くそれなりに忙しいが、どちらかと言うと落ち着いた月曜日だ。

 さて今日仕事をしていると、山好き?の助産師さんから先生の写真が本屋の雑誌に載っていたよと話しかけられた。
 日本を代表する登山情報誌岳人の12月号は毎年山スキー特集である。その山スキー特集乗鞍岳のページで、岐阜の懲りないM先生と僕の書いた記事が載っているのだ。この事をできれば大人しく黙っておこうと思っていたが、気づく人は当然いつか気づくのだろう。

 僕は何だか2重に複雑な気分となった。
 まず僕は大した山スキーヤーで無い。地元乗鞍岳の山スキーは多少噛んでいるが、僕よりもっとすごい人は山ほどいる。まして乗鞍岳のガイド記事を書くには、もっと好適な方が地元にたくさんみえる。身の程知らずで随分と無責任なガイド記事を書いたものだと思う。

 更に12月号の山スキー特集はパウダー編である。僕はコアなパウダーフリークと異なり、単なる週末サラリーマン山スキーヤーである。エベレストで長期休暇を取ったものの、それは12年ぶりの職場変えを契機にした取って置きの極上贅沢品だ。
 雪不足のこの時代に、日帰りで行けるお手ごろパウダーコースなんてそうは無い。つまり似たような場所の似たようなルートを、手を変え品を変え紹介するしか僕には脳が無い。

 要するに僕は単なる上げ底山スキーヤーなのだ。
 できれば今年はエベレストで鍛えてシェイプアップした身体で、今までに無い山スキーを楽しもうという思惑もあった。しかしその後の不摂生で、既に元の中年小太りおじさんに戻ってしまっている。思惑は脆くも崩れそうだ。
 僕の場合上げ底が本当になるには、まだもう一頑張りも二頑張りもしなければならない。しかし目の前の問題すら片付けられないのが実は現実だったりする。 

今の日本のパウダースキールートを紹介するのは、現実的にはかなり難しいと思います・・
2009年11月29日
意識に身体がついていきません
 代務の先生のお陰で安楽な休日だ。ここは山スキー始めに最適な休日といいたいところだが、積雪量や天気との兼ね合いで腰は重たい。それに今日は次男のいるサッカー部の3年生を送る会というのもあった。
 そちらの親子サッカーイベントで頑張って、次男の尊敬?を少しでも勝ち得た方が実り多いかもしれない。と言うわけで今週も山スキーは封印とする。

 さて今日の場合サッカーは、恒例仕事駆け足終了後の寝不足サッカーとは異なる。
 中学生との戦いはレベルそれなりに高いが、それも望むところだ。朝からコンタクトレンズを嵌めてヘディングゴールも決める気満々?だったりする。
 とはいえ現実は厳しい。矯正視力の衰えもあり、身体は思ったように動かない。
 意識下では出来るはずのプレーも、現実には足が動いてなかったりする。試合内容は親さんチーム善戦だったが、僕は思うような活躍は全くできなかった。

 更にその後は子供達を引率して、グリーンホテルのバイキングレストランに出かける。育ち盛りの中学生たちはもう大喜びで山ほどの食べ物をどんどん食べていく。一方親さんらはパワー不足の胃腸がしっかりバイキング負けしていたりする。
 これまた意識下では食指が動いても、実際に胃腸が膨らまないのだ。それではとケーキやソフトクリームをたくさん食べると、今度は皮下脂肪が心配だ。親も子もなかなか難しい年頃だと思う。

 そんなこんなでこの日曜日は、寄る年波をイヤでも感じる複雑?な日曜日に今の所なっている。

中学生の足にはついていけません


もちろん食欲も遥かついていけません
2009年11月28日
変化も良かれ悪しかれですから
 昨日の手術は午後からの一件だけにしておいた。お陰で比較的早い時刻に仕事を引ける事は出来る。やや要注意経過中の方も見えるが、代務の先生にさくっと後を託し、夜は以前から約束していた友人等とのお食事会に間に合わせた。
 色々な意味で僕の周りには今もこれからも問題が山積だ。その分昨夜は飛騨地域の周産期医療の未来に関してとても有意義な話し合いができた。問題があるからこそ、答えを導き出す楽しみがたくさんあるのだろう。

 というわけで昨夜は遅くまで飲んで、起こされる心配なく朝まで眠る。幸せな夜となった。とはいえ今朝起きたらやや頭が痛い。何故だろうこれは風邪でも引いたかと思ったが、良く考えると二日酔いだと思い当たる。
 昨夜は最後の〆にギムレットとマティーニなどというカクテルを飲んだものだから、どうもその分アセトアルデヒドが脳に残ってしまったらしい。

 さて僕以外の友人等は皆今日土曜日も仕事だった。僕はといえば代務の先生のお陰で今日は休日だ。
 これで天気が良かったら今年初スキーに出撃したい所だが、天気図は冬型でまだ山の雪は少ない。やる事も多いし今年初スキーはまだ先になりそうだ。と言うわけで今日はゆっくり起きて、昼前頃からやっと各種雑用に動き回った。

 さてさて結果的に今日一番の仕事といえば、昔の写真を引っ張り出してスキャンする事だった。昔の写真を探し出すのに1時間、スキャンをPCに繋げるのが上手く行かずに1時間。山程に詰まれた各種取り扱い説明書とセットアップCDを探し出すのに1時間、それでも上手く行かずにPCと格闘するのに1時間。結局随分昔のPCを引っ張り出してスキャンを繋げ、写真を取り込むのに1時間かかる。しかもPCをいじっているうちに、変なソフトが山ほどPCに入ってきて気持ちが悪い。

 これも僕のスキャンが古くて、今のビスタPCが機械を認識できない事に問題ありそうだ。古いスキャンが問題だというより新しいビスタのスタボーンさが僕には納得行かなかったりする。 
 時代と共にソフトやハードはどんどん新しいモノに変わる。PCの基本ソフトなんて、何もそんなに変わる必要が無いのにと思っていても変わってしまう。マイクロソフトが悪いのか、資本主義が悪いのか、とにかく何だか急速な進歩と言うものの良かれ悪しかれだと思う。

 変化と言うのは重要だ。しかし独占的に新しいものは、古いものにも上手く適合する責任があるんじゃなかろうか。何だか意味深な事を書いているが、PCをいじくりながらそんな事も思っていたりする。
2009年11月27日
やれる事とやれない事の差は
 いろいろ周りの方々が気を使ってくれているお陰で、昨夜もきちんと朝まで眠れた。これは僕にも患者さんにも有難い事だ。今日の午後にはやや要注意でタフな手術が入っている。できるだけ良い体調で臨みたいのは当然だ。
 急患さんこそあれ分娩は無く、午前中の秒単位外来も、予定通りの時刻に終わらせる事が出来た。
 手術はとある理由で予想以上に苦戦したが、不整脈が出る事も無く、もちろんきちんとこなす。その後も続く各種雑用と、約20人の入院患者さんの回診処置を済ませると、何時もの様にクタクタだ。

 さて僕は典型的な地方の産婦人科一人部長だ。産科業務もすれば婦人科業務もしている。ガン検診もすれば手術もする。更に抗がん剤治療もすればターミナルも診る。それを別々にでなく同時に行う事が出来るから、自分でも偉いと思う(更に山にも登ったり・・)。今週ももちろんこの手の業務が全てあったし、今日一日だけでも色々あった。

 特に今週は随分と抗がん剤治療に気を使った気がする。地方の医療過疎地域でどうしてもお年寄りが多い傾向があるとはいえ、都市部に遜色ない医療をしないといけないのは当然だ。
 というわけで僕はできるだけ抗がん剤も新しい薬とか、新しい治療レジメとかを積極的に取り入れる様にしている。その分細心の注意が必要になったり、新規抗がん剤ならではの副作用登録業務に参加したりしないといけなかったりもするが、それもまた修行の一つだと思って頑張っている。

 僕が高山に来てからかれこれ10年以上が経つが、その間抗癌剤の種類も随分と変わった。学会に参加したり、専門の知人から直接話を聞いたりして勉強もしているが、中には各種縛りの多い中手探り状態で使用する様な薬もある。
 それでも致命的なトラブル無く、今まで抗がん剤治療をしてこられたのは全くもって幸運だと思う。

 とにかく僕は産婦人科分野では色々な事をする。ガン治療もするし、分娩も数をこなす。その間色々な事があり、何かイヤな事があると、できないのなら止めろと言う人もいた。しかしそれなら逆に、できる事はやらやらないといけないのは当然だろう。
 そしてこの出来るのか出来ないのかを決める境界で、自分の境涯が決まる。
 それに周りがついて来てくれるか否かの問題はあるが、「やれないなら止めろ」という言葉は僕は嫌いだ。逆に「やれるならやれ」と言う言葉を、僕は自分にも周りにも言い続ける事になるのだろう。
2009年11月26日
あくまでも年の割にはです
 昨夜は大急ぎで仕事を片付けると、いつもの様にいそいそと朝日町近辺に出かけ、病院フットサルチームの納会兼成績表彰式(オクサニョーラアワーズ)に出席してきた。
 病院には進行停止気味の妊婦さんも残っていたが、多分大丈夫の方に賭ける。この時期緊急呼び出しを気にしていたら、僕は何処にも飲みにいけない。

 読みは当たって表彰式と言う名の宴会の最中に、仕事で呼び出される事は無かった。
 お陰でしっかり飲んで食べて歌う事も出来る。病棟の看護師さんらと大人しく?飲みに行くのと異なり、昨日の場合は飲み方も体育会系だ。若いフットサル仲間の調子に合わせて一緒にどんどん飲んでいると、いつの間にか僕もかなり出来上がっていた。
 何時に無く〆に深夜ラーメンを食べ、日付が変わってから自転車で家路についた時には、しっかり千鳥足ならず千鳥サイクルとなっている。

 その後更に別の要注意分娩が未明に入ってきたが、運良い事に呼び出される事は無かった。
 昨夜は久しぶりに起こされる事無しの泥酔爆睡となる。それでも調子に乗って飲みすぎたため、今日は何となく二日酔い気味外来だ。
 とはいえ医師が元気なくても、最強助産師さんらは元気だ。要注意状態で残っていた2件の分娩は、全て助産師さんの活躍で無事に昼間に産まれてくれた。お陰で多少の昼寝タイムも出来て僕は嬉しい。

 さてさて今年のフットサルでは僕はそれなりの数のゴールを決める事が出来た。僕は今や最年長フットサル参加者だ。皆から年の割には良く頑張ったねと、何となく複雑な誉め言葉をいただく。
 心臓や目に心配を抱え、これから先僕も何年身体が動くか分からない。しかも飲んだらただの酔っ払いだ。
 皆からどう思われたり、どう言われ様が、これから先もできるだけ長く年甲斐も無く動きつつける元気な実年でいたいと思う。

何故か路上で記念写真。赤いフリースが還暦チャンチャンコみたいとも言われました
 
2009年11月25日
本当に必要な授業をするのだ
 水曜未明にも分娩が一件。出血多く心配そうな助産師さんからの深夜電話があり、また眠りは浅くなる。とはいえ緊急出動には至らなかったから、睡眠時間が削られる事は無くて済んだ。何時もの翌朝縫合で問題なく対応する。
 続いてその後はドック、書類、集団検診、看護学校講義、分娩その他連絡事項、雑用が目白押しに続いた。楽にしている水曜日でも、気の抜ける時間は殆ど無い。

 その間とある場所でとある新病院の地域住民説明会があったという事だが、僕はいつもの様に仕事に追われてそれどころでは無かった。それよりも?夜にはフットサルの納会があるからそれに間に合わせるために必死?に仕事を進める。

 さてそんなこんなで慌しい水曜日だが、中で最もホットする時間は看護学校講義の間かもしれない。若い看護師さんの卵たちに産婦人科の講義をする事はある意味役得?とも言える。
 例によってほとんど教科書に沿った講義はせずに、実地に役立つ面白い?話をする様に僕はしている。

 それにしても看護学校の教科書の出来は良くない。特に産婦人科分野に関するページは酷いものだ。長年に亘る蓄積を元に、その道のプロが教科書を作るのだろうが、僕の様な臨床医には無駄なページだらけに思える。
 特に発生に関する事を記載したページは、僕も知らない無駄な記述が山ほど出てきて、これはどんなものかなあとマジに思ったりする。

 僕は無駄な事は嫌いだ。仕事もできるだけ能率よく行い、無駄な仕事はしたくない。
 今日の仕事の一つには、沢山のカルテをチェックするというものもあった。カルテのページにも訳分からない無駄なページが多い。お国の指導で添付する事が決められた変なページも少なくない。

 そういえば人間のDNAの配列にも、意味の無いナンセンスコードの部分がたくさんあると聞いた事がある。世の中何が本当に無駄で、何が本当に必要なのかは分からない訳だが、少なくとも僕はできるだけ無駄な人生は送りたくないと思う。
2009年11月24日
何処までだって走って行きます
 土日の淡路島、琵琶湖一周MTBロードは、やっぱりM系??の僕にとって、これまでに無い長距離を走る爽快感があった。
 今までの僕の自転車は高山近郊の坂道を登ったり降りたりの繰り返しばかりだ。坂道のアップダウンはこれでかなりしんどいのだが、距離を走る感覚には今ひとつ乏しい。

 確か5年程前の夏に自宅から平湯峠経由で乗鞍岳を往復したり、富山県側から幾つモノ峠を越えて自宅まで戻ってきた事もあったが、それ以来の長距離?ロードツーリングだったと思う。
 自宅から乗鞍岳を往復しても距離は100キロに遥か満たないので、この土日合わせて330キロ走行というのは今までに無いロングツーリングだ。お陰で膝は痛いし、お尻にサドルたこが出来たが、今は適度な筋肉痛が気持ちよかったりする。

 ただあえて言えば、一人で黙々走るというのは、湖や海の景色はあるものの、やや寂しい感じは歪めない。
 寂しさを紛らわすものとして新型GPSとアイポッドナノを利用したが、これはかなり正解だったと思う。しかしあまりこの手のマシンに夢中になると、自然の音を聞き逃したり、更には横を走る車にも気づかなかったりするから、何事も一長一短で難しい。

 さてさてとはいうものの、高山に戻ってきてからも例によって、僕にはもろもろの仕事が満載で待っていた。
 昨日勤労感謝の日の夜には、就寝前時刻に分娩出動が一件。その後深夜には深刻そうな切迫急患さんが入り、寝てる間中2時間ごとに電話で起こされていた。寝ぼけ頭でキツイ判断も要求される。僕にはぐっすり眠って疲れを取るというささやかな贅沢も許されない。

 今日も朝から夜までの秒単位外来で、更に貴重な昼休みにも分娩が入る。しかしこれも覚悟の生き様だから仕方ない。これがイヤなら何処にも行かず、休日は家でゴロゴロ寝て過ごせば良いのだ。
 というわけで僕は今までもそしてこれからも、心臓がまともに動き続ける限り、趣味や仕事で走り続けるしかない。今回の長距離ロードで、大きな海や湖からこれからも頑張る元気を貰えたら有難いと思う。

美しい景色に癒される


海からも元気を貰いました


今度は何処を走ろうか・・
2009年11月23日
職員旅行は体育会系
 この週末は職員旅行で淡路島に行く予定があった。僕以外の旅行のメンバーは金曜朝早くに高山を発ち、京橋花月や六甲山経由で淡路島に向かうが、僕は金曜午後まで仕事びっしりだ。

 代務の先生も金曜午後にならないと高山には到着しない。というわけで今年も後からマイカーで職員旅行を追っかけるという形にした。代務の先生は勤労感謝の日の昼過ぎまで高山にいてくれるから、車にMTBを積み込み、職員旅行の帰りに寄り道サイクリングも楽しむ事にする。

 さて無事に職員旅行に参加するには、まず金曜午前の内にできるだけ各種仕事を片付けなければならない。
 秒単位外来と分娩に押されて、高山を発ったのはもう大分遅い時刻になった。ひたすら夜の高速をオールドイプサムで走り、何とか宴会真っ最中のホテルに到着する。夜は素晴らしい温泉を楽しめた。

 続いて土曜の朝早くには職員旅行の方々と別れ、まずは淡路島一周サイクリングに挑戦した。
 更に日曜には琵琶湖一周のサイクリングも行う。なかなかの耐久レース?的な2日間で、もう膝もガタガタだ。2日あわせて300キロ以上は軽く走っただろう。

 先ほど名古屋経由で高山に帰ってきたが、早くも仕事が色々と待っていた。何とも慌しいアドレナリン出まくりの数日間だった。お陰で不整脈もすっきり治らない。というわけで僕の職員旅行は、年の割には十分ハード過ぎる体育会系職員旅行となった。

土曜日には淡路島一周


日曜日には琵琶湖一周。自分でも良くやるよと思ったり
2009年11月19日
職員旅行に行くのにも
 夜中の分娩が少なく助かっている。昨日も朝日町の宴会からほろ酔い加減で帰宅して、そのままきちん朝まで眠れた。お陰でもちろん二日酔いなんて贅沢なものも無い。
 今日は何時もの秒単位外来、更にやや要注意の処置と手術が一件ずつあり。なんだかんだと動き回って仕事している。

 明日午後からは貴重な代務先生が月曜昼まで来てくれる。しかも暦では3連休だ。というわけで遠くにお出かけできるチャンスである。ちょうど都合の合った職員旅行がらみで、春のエベレスト以来の泊りがけ旅行に出かけようと目論んでいる。
 そのために僕はこの数日間、公私共々都合を右に左に動かしまくった。

 手術や処置もこの2〜3日に集中的に組み、他科の先生や看護師さん等にも多くの迷惑かけたが、何とか月曜までの空き時間を作れそうだ。
 ちょうどこの数日間の分娩が少なかったのも、とてもラッキーだった。これで夜中の仕事も入ってきてたら、例によって職員旅行に行く前に疲れ果ててしまう。

 僕の場合職員旅行に参加するだけでも大騒ぎなのだ。しかしこれで、特別な事無く運が良ければ明日から数日間のお出かけだ。
 というわけでもし僕が何処で何をしているか、興味を持ってくださる有難い方が見えたら、婦日の山と仕事の臨時報告までどうぞ。何処に行くかは実は僕にもまだ良く分からなかったりして・・
2009年11月18日
産婦人科は良い仕事かな
 たまたまだろうが月曜朝から分娩少なく、昨夜も深夜に呼ばれる事は無かった。ここのところ寝不足無いし規則正しい生活が続いていて嬉しい。
 今日は外来を助産師さんに任せている水曜日で、本来なら比較的マシに仕事を設定してある。しかし今週末に職員旅行に行くためのしわ寄せ手術を組んでしまっていた。というわけでただでさえいっぱいいっぱいのドック、集団検診、書類業務、及び看護学校講義、各種病棟業務の合間に手術も入る。
 夜には病棟の歓迎送別会の予定もあるし、何とかそれにも間に合わせたい。というわけで今日もドタバタしながら彼方此方で仕事をしまくっていた。
 
 さてさて昼の看護学校講義はもちろん看護学生相手の産婦人科関係講義だ。
 看護師さんの卵相手になかなかリアルなお話をして興味を引きつつ授業を進める。ここには書けない類の面白い話を織り交ぜる事で、看護学生さんらの食い付きも良くなる。若い学生さんらに真剣に話しに食い入ってもらうと、講義する僕も気分が良い。

 その後は何とか病棟歓送迎会にも間に合わせる事が出来た。
 こちらも看護婦さんばかりの飲み会で男は僕だけだった。こうなると男芸者みたいなモノだが、世の中の平均的男性と比べると随分と恵まれた境遇かもしれない。
 というわけでそれが現実に良いか悪いかは別にして、右を向いても左を向いても女性ばかりの職場で働きたければ、産婦人科医になるのが一番だと、ここには書いてしまおう。

男芸者の気分も少し・・・
 
2009年11月17日
いろいろなサッカー
 月曜は早朝未明に分娩が2件。助産師さんの気配りで僕の睡眠時間が削られる事はなかった。とはいえ何時もより少しだけ早く出勤して、朝イチの外科業務に励む。その後は特別な事も無く深夜分娩も無かった。
 今日は一日外来の火曜日だが、外が雨で寒いせいか、それほど外来は混まなかった。たまたま分娩業務も無いので、比較的余裕で業務は進んでくれている。

 さてこの週末は自分は何の運動も出来なかった。しかし土曜日は高校サッカー観戦、日曜日は三男の少年団サッカー応援で過ごす。その上昨日月曜の深夜はテレビでU17のワールドカップサッカー決勝がやっており、遠い世界の遠い出来事であるにも関わらず、夜中までテレビ見てしまった。

 自分でもなんでこんなにサッカーを見るのが好きになったのか不思議な感じだ。サッカーは見てもやっても楽しい。特に次男三男が低レベルでもそれなりにサッカーで頑張っているので、ついつい気になって見てしまう。
 とはいえ長男は高校のサッカー部を退部したし、次男三男のレベルを見る限り、彼等がサッカーの世界で食べていく事はありえない。
 
 それにしても少年サッカーの世界は複雑だ。何が複雑かと言うと育成の分野で、学校単位のサッカーチームとクラブチームが入り乱れている。子供の数が多い都市部ではそれで上手く住み分けできるのだろうが、小学校毎の子供の数が少ない田舎ではどうも上手く行かない事も多いようだ。

 なお飛騨地区の高校サッカーのレベルは低い。全ての高校が県大会一回戦負けだ。
 また高校サッカー岐阜県決勝に進出した各務原高校と岐阜工業のレギュラーの半数は、中学時代にバモスかジュベンというクラブチームの選手だった。
 岐阜県の場合、中学時代にクラブチームでしのぎを削りあったチームメート同士が、今度は高校サッカーでしのぎ削る様にできているらしい。とはいえもちろん彼等サッカーエリートの中でも、プロで食べていけるのはごく僅かだろう。

 とにかく高山の様な地方から、優秀なサッカー選手を出すのは至難の業だと思う。
 いずれにせよ運動神経抜群でサッカー好きな子供を持った親は、羨ましい反面また大変だ。早く高山を出て何処か都市部のクラブチームに入れないと、高校でそれ以上にはなれない。
 その点僕の子供ではそういう事で悩む必要は無い。自分の子供の運動神経を見る限り、お遊びレベルサッカー以上の活躍は望むべくも無いだろう。

我が子のレベルでは、楽しむサッカーで十分です
2009年11月16日
眼鏡はサプリメント
 天気は良いが代務の先生はいない日曜日。大人しくお出かけ無しで過ごす。とはいえやる事はたくさんあるから、少しの間でも無駄にならない様に時間を過ごした。まずは朝には大塚製薬主催の少年サッカー大会の手伝い観戦送り迎えがある。

 次いで掃除、ゴミだし、山スキー板のチューンアップ、病棟回診、各種買出し、眼鏡や背広の新調も検討する。僕もそろそろ良い年で、オーダースーツの一つでも作ろうかと今検討しているが、エベレスト頂上アタック時に使ったつなぎ羽毛よりも、オーダーメイドの背広の値段は高い。洋服の青山の格安背広と比べると贅沢だろうかと思ったりもする。

 さて話は変わり、僕は最近特に、遠くのものを見る時の視力が落ちてきている。
 近いものはまだ見えるから、手術やPC打ち、書類記入には問題無いのだが、手術時の生体情報モニター画面が見えずらくなってきた。
 僕は普段自分で麻酔かけながら手術もしている。周りに看護師さんもいるし、機器にはアラームもセットされているのだが、それでもモニター画面が自分で見えないのは危険だ。
 また最近は白内障があるのか、時に周囲が妙に眩しい。仕事していない時の昼間はサングラスをかけてないと辛い位になってきた。

 背広はあっても無くても基本大丈夫な訳だが、眼鏡はそうはいかない。目が見えなくなれば仕事も山もできなくなる。常にクリアな視力は確保しておきたい。
 というわけでまた何時もの眼鏡屋で視力を徹底的?にチェックして頂き、新しい眼鏡とレンズを購入する事にした。この手の出費は必要経費だからケチる訳には行かない。

 眼鏡屋さんの話では、乱視が進んだから遠くが見えなくなったらしい。
 また眩しいのは目の使いすぎから瞳孔の調節能力が落ちているんじゃないかと言われた。確かに年齢的に白内障にはちと早すぎる。
 僕は普段散々暗い穴の中を覗き込む仕事をしている。瞳孔が疲れるのは確かに当然だろう。とはいえ基本は加齢変化だろうからそれは悲しいと思う。

 さてさてそんなこんなで新しいレンズは、遠近両用とはならずサプリメントレンズと言うちと玉虫色のレンズとなった。眼鏡屋さんの話では、これで遠いものも近いものもしばらくはOKだろうと言われる。だったらそれで良いのだが、たまには1週間くらい暗い穴の中を覗かない生活をして瞳孔を休ませたいものだと思ったりもする。

サングラスは伊達ではありません
2009年11月14日
サッカーと映画と学会の裏で
 金曜夜は帰宅こそ遅めだったが、深夜は無しで済んだ。病院は落ち着いてくれている。朝イチで病棟に顔を出したら、分娩経過中の方もみえない。これはチャンスだ。また開業医先生に昼からのお留守番をお願いして、お出かけ夜の学会にも出席しよう。
 学会はちょうど僕が勉強しなければならないネタの、子宮頸がんHPVワクチンの事に関するものだった。

 またそういえばちょうど14日昼には、正月の国立で有名な全国高校サッカーの岐阜県大会決勝が長良川メドウで開かれる事になっている。 岐阜にプロチームが出来るまではこの高校サッカー決勝が岐阜で開かれるサッカー試合で最もレベル高いものだったという話もある。できれば生のハイレベル高校サッカーの試合も観戦したい。というわけで付き合ってくれる家族を誘い、さくさくと高山を離れる。

 なかなか見応えある高校サッカー観戦の後には、各務原イオンで3D映画鑑賞。
 続いて家族をショッピングセンターに残して学会で勉強となる。サッカーも映画も学会もそれなりに面白くかつ有意義なものとなった。臨機応変の行動で充実した一日となり良かった。

 しかし僕の場合それだけで話は終わらない。
 その陰で病院救急に自転車事故の外傷が入ってきてしまっていた。分娩無しで病棟落ち着いてくれいても、この手の外傷関係が入ってくることまではさすがに予想出来ない。どうも話を聞くと、救急当直の先生には全て任せる事は出来ないレベルの外陰裂傷らしい。

 というわけで予定をあきらめて、家族と高山に戻るか、そのまま試合見て学会に行くか、僕は決断を試合会場の前で迫られる事になった。
 こういう時の強い味方が地元の開業医先生だ。まだクリニックでは外来診療中だったが、そこは気持ちよく診察をお願いしてしまう。気持ちよく診察に応じていただき助かった。

 そんなこんなで多くの方にご心配をかけ、またまたいろいろ綱渡りの有意義過ぎる?土曜日だったのでした。

テレビで見るより、面白かったですか
2009年11月13日
迷惑な話です
 昨夜は夜に縁ある地域の集まりに呼ばれ、15分ほどエベレストの話をする。それ以外は特別な事無く平和な夜だった。今日は昼過ぎまでいつもの外来業務。その後は悲しくかつ要注意な処置が一件。続いて帝王切開が一件。
 様々な事がぶつかって問題起こさない様注意を要したが、心配な事も無くスムーズに業務は進んでくれた。

 さて僕の仕事は分娩やら流産やら救急やらで、その業務時刻が思惑通りコントロールできないモノが多い。この時刻を決めれないというのは、能率重視でクロックワイズな現代社会においてかなりストレスフルな事だ。

 ガン手術や外来、検査と言うのはその時刻や時間をコントロールし計算できるから、自分の思惑通りに事を進める。自分の好きな時間に集中的に業務を進める事で、能率良く動く事も出来るだろう。
 しかし分娩というのは、その起きる時刻が全く未定だ。時間ばかりかかって全く仕事が進まない事もある。

 やる事も無くだらだら時間ばかり過ぎていくと、まるで流行ってないコンビ二店長みたいな気分になる事もある(現実にコンビニ店長をした事はありませんが・・)。当然この手の業務は本来なら一日3交替とか少なくとも2交替でならやらなければならないのかもしれないが、そうもいかない。分娩業務は非能率的な仕事なのだ。

 だからと言う訳ではないが、僕は隙間時間を大事にしている。
 非能率的な業務だからこそ能率的に時間は使いたいのだ。ちょっとした隙間時間に外部電話やMRさんの訪問が立て続けにあったりすると、申し訳ないが門前払いにする事も多い。
 今日は特になんだかその手の電話や訪問が多かった。仕事がらみの訪問ならともかく、一番怒れるのは訳の分からんセールスや明らかな迷惑メールだ。

 昨日は松井さんと称する方から迷惑電話が2回(これは多分大阪のマンション購入を勧める話です)。高山日赤からの紹介ですとか、患者さんの話を聞きたいのですとか、嘘でたらめを並べるので、事務さんも取り次がざる終えないらしい。
 また今日は(株)エージェントの武田さんと称する方から携帯有料サイトの未納支払い督促脅迫?のメールが2回届いた。もちろん迷惑メールでこうなるともちろん詐欺犯罪(未遂ですが・・)だろう。

 僕は医療業界に身をおいてるから、基本世の中の人間はほとんど良心的な人だろうと信じて仕事している。人を疑い出すとセキュリティ確保のため、同じ事するのに時間も手間も余分にかかる。
 この手の犯罪まがいのメールや嘘つき電話が来ると、仕事への意欲まで随分と削がれる気がしたりする。
2009年11月12日
報われないリンパ節
 2日がかりで残った方も、昨日帰宅前の時刻には上手い事分娩に至ってくれた。お陰でギリギリであったが仕事終了後に病院フットサル練習にも出れる。
 最近また運動不足が激しい。運動できる時にしておかないと身体は鈍る一方だ。
 また気になるのは不整脈である。あまり心拍を上げ下げすると良くないかもしれないので、一度それなりに運動始めたらできるだけ動き続ける様に心がける。
 こうなれば僕の愛車の高速道路運転みたいなものだ。高速回転している間は調子良いが、普段は大事に使わないといけない。
 その後は夜中に呼ばれる事は無く、風呂に入ると朝まで眠れたから良かった。

 さて今朝のニュースによると、民主党政治の本丸事業仕分けというのが今盛んに行われているらしい。何でも昨日一日で良く分からない10の事業が、ばっさり廃止されたそうだ。
 子供手当てとか高速道路無料化とか農家の個別補償とか、諸々の政策で気持ちよくお金をばら撒く以上、削れる支出は削らないと話にならないのだろう。気持ちよくお金をバラまかれる方は嬉しいが、仕事削られる方は気の毒な事だと思う。 

 もちろん無駄な事業はできるだけ辞めた方が良いに決まっている。しかしその一方でお金をばら撒く訳だから、これが本当に良い変化なのかは分からない。

 さてさて無駄な事業といえば、先日の卵巣腫瘍研究会で、卵巣ガン手術におけるリンパ節郭清が無駄な手技なのかもしれないという類の発表が成されていた。
 婦人科腫瘍の分野でもし事業仕分けの大鉈が振るわれたなら、リンパ節郭清手術がまず削られるかもしれない。リンパ節郭清というのは、僕の様なレベルの婦人科医にはストレス多い要注意手技でもある。

 しかも患者さんの受けも良くない手術だ。訳分からないプヨプヨしたリンパ節見せられるよりも、デキモノがボコッと取れる方が説得力あるのだろう。どうしても必要なリンパ節を何とかして取っても、その副障害の方が気にされたりする事も少なくない。

 今まで行っていた膨大な仕事が無駄として切り捨てられるのは、かなり堪らないものだ。
 しかも無駄か無駄じゃないかを第3者が決めるのは難しい。多くの物事は見方次第で必要になったり不要になったりするし、不要なものの中に必要な事が混ざっている事もある。
 不要で無駄な事を敢えてする必要は無い。変化は変化で受け止めないといけない。要は上手く物事を変えていくプロセスが、とにかく大事なのじゃなかろうか。
2009年11月11日
現実は何もかも同時進行
 昨夜は外来業務に疲れて帰宅も遅くなった。しかも分娩が深夜までまた残ってしまう。ここで夜中に起こされる事を気にして眠ると、どうしても眠りが浅くなる。そうなると疲れも取れないし、寝不足感が残り翌日の業務に響く。と言う訳でマイスリーを半錠飲んで少しでもきちんと眠る事にした。

 分娩室からの電話で起こされたのは明け方だった。夜中の間に別の要注意分娩が入ってきたと言う。昨日から残った方も幸か不幸か進行停止となっている。更に深夜に別の経産婦さん分娩もあった。
 と言うわけでそそくさと早朝出動する。大雨なのでケッタ通勤は辞め車で病院に向かった。

 幸いな事に今日の外来は助産師さんに任せてある。
 朝イチでまずは分娩室に向かい、促進等の的確な指示を幾つも出し(様子を見るだけと言うのも的確な指示のうちに入ります)、深夜にお産した方の会陰裂傷縫合も素早く済ませる。
 指示は正しく要注意の方の緊急帝王切開は免れ、クリステレルで分娩に至った。促進の方はまだ現在進行経過中である。

 その後はトータル60人の方のガン検診や、その他雑務で追われた。自称他称の急患さんも多く、中には深刻で気の毒な方もいる。入院患者さんもまた増えて、不整脈もたくさん出るが、それでも楽に設定している水曜日でまだマシだと思おう。

 さてさて当たり前だが、どんな人にも様々な希望や思惑がある。何の因果か、僕は毎日多くの人の希望や思惑や訴えを聞かなければならない立場だ。
 入院したいとかしたくないとか、仕事したいとかしたくないとか、病院変わりたいとか、セカンドオピニオン聞きたいとか、この日に産みたいとか産みたくないとか、手術したいとかしたくないとか、色々だ。もう次から次なので全てを聞いていたら仕事が回らない。時と場合で上手く無視する事が必要な時もある。

 僕はどちらかと言うとリベラル?な人間で、それぞれの方の思惑はとっても尊重する。自己責任で好きにしてというのに近い。
 僕はいつも同時に幾つモノ問い合わせや仕事を抱えている。全てに正しく関わるのは不可能だ。皆それぞれ自由にして構わないのだが、僕の言質や許可が得れたからと言って、僕が責任を持つとは思わないで欲しい。
2009年11月10日
運が良いとか悪いとか
 昨夜はまあまあボチボチの時刻には帰宅できて、深夜に呼び出される事も無かった。確か問い合わせ電話で一回起こされたが、それでも幸せな方の夜だ。
 今日は一日中外来で間に分娩やその他業務が入り込む。秒単位外来を朝から晩まで続けなければならないのでそれなりに辛く、また不整脈頻発の自覚症状がする。まさか突然死は無いだろうと信じて、今日もひたすら数をこなした。

 さて、運が良いとか悪いとか人は時々口にするけど、そういうことって確かにあると産婦人科の仕事をしててそう思う(さだまさしの歌のパクリです)。
 ただ運が良いとか悪いとかは、かなり主観的なものだ。全く同じ事でも、運が良いと考える人と悪いと考える人が、これまた確かにみえる。

 胎児切迫仮死で緊急帝王切開となり、児が助かって運が良かったねと、多くの産科医や妊婦さんは考える。しかしその一方で手術になって運が悪いと不平間を抱く方もみえる。
 ガン患者さんでも、念のため行ったガン検診や手術でガンが発見され、運が良いと感じる方もいれば運が悪いと感じる方もいる。

 確かに圧倒的で文句付けようも無い、幸運や不運も世の中にはある。
 しかし現実にはそんな事少なくて、ほとんどは運が良いのか悪いのか、物の見方捉え方次第で変わると言うのがほとんどじゃなかろうか。

 物事万事塞翁が馬という言葉がある。15年前僕も自分が精巣悪性腫瘍に罹った時に、その手術をきっかけに環太平洋登山というのを行い、随分と楽しみかつ良い経験をする事が出来た。
 この春にはエベレストに登り、来秋には総合病院を離れ雇われの開業医生活に入るつもりだ。しかしその前に不整脈で倒れたり、その他病気や事故に遭うかもしれない。

 いずれにせよ誰もが自分の人生しか生きられない。それは運が良いに越した事は無いが、あまり運が良いとか悪いとか、そういう言葉で総括できる人生にはしたくない気はする。またそう感じれること自体が既に前提としてすごい幸運な事だと僕は思う。
2009年11月09日
最優先と優先の差
 昨夜子供のサッカー大会から帰宅してから、切迫入院が一件、深夜分娩が一件入った。とはいえ救急当直医師と助産師さんの有難い配慮のお陰で深夜出動は免れる。
 その分朝から色々仕事が入るし、早めの出勤は要する訳だが、睡眠時間は奪われなかったので問題は無い。
 今日は予約診察が主の月曜日。午後からは分娩とか往診とかその他諸々も入る。忙しいが何時もと同じ休み明けと言えばそういう事だ。仕事の合間にはちゃっかり?と、新型同時接種を避けた季節性インフルエンザワクチン接種も今日の午後に済ませた。

 さて今日本国中の医療界では、新型インフルエンザや季節性インフルエンザのワクチン注射が大変?な事になっている。どうやらどれもこれも品薄らしい。
 なおお国の方針で新型ワクチン接種には、全国民をワクチン接種区分で、最優先、優先、対象外の3つに分ける事になっている。
 僕は多くの妊婦さんを扱うと共に、多くの抗がん剤使用中のガン患者さんも受け持っている。
 というわけで毎日、ワクチンの最優先、優先の振り分け質問を、医療者、患者さん、妊婦さん、諸々多方面から受けている。

 なお新型ワクチンに関して言えば、今のところ最優先の方しか注射は受けれない状況だ。
 優先に回されたらもうずっと後回しで、ワクチン接種は多分間に合わない。ましてワクチン接種対象外にされた普通?の方々は、もうはなからワクチン接種をあきらめて、他の対策を考えた方が良いだろう。

 詳しい内情はポンと飛ばして、簡潔に言えば新型の場合、最優先になるか優先になるかが接種可否の運命の分かれ目と言える。そして僕は立場上その振り分けを、妊婦さんガン患者さんの両方で、毎日行わなければならない。
 一応専門家から明示されたクライテリアと言うのはあるにはある。しかしもう直ぐ産まれそうな妊婦さんをどうするかとか、抗がん剤使用を迷っている方をどうするかとか、白血球の値が低い方はどうするかとか、グレーゾーンは至るところにあるのだ。

 そのうえあろう事か、婦人科の分野ではこの秋に子宮頸がんワクチン(HPVウィルスワクチン)の発売認可が重なった。
 少し前までは季節性とかガンワクチンなんて言葉も無かったのに、いきなり僕の身の回りはワクチンワクチンワクチンで、ワクチンの質問だらけの世界になっている。

 はっきり言って僕は感染症の病理に関して詳しい方ではない。素人より多少賢い程度だ。とはいえ誰かが決めなければならないから、立場上僕が決めるしかない。
 抗がん剤やガン検診は時に生死を分けるが、インフルエンザワクチン接種が生死を分ける事は少ないらしい。そんな事で最優先でなく優先に回された方は、悪く思わないで欲しい。
2009年11月08日
勝敗は糾える縄の如しで・・・
 心配な患者さんらの経過も順調で嬉しい。
 今日は三男のいる高山東小サッカー少年団の県選手権大会1次リーグがある。例によってギリギリで飛騨地区予選を勝ち抜いた東小チームだが、今回は兄弟最後の大会でもあり、何とか少しでも県上位に進んでもらいたい。サッカーと言うのは蓋を開けて見ないと結果が分からない競技だ。どんな強い相手でも多少の勝ち目はあるし、実際に番狂わせの勝利も幾つも過去に見てきた。

 僕が応援に行っても行かなくても結果に差がある訳は無い事は分かっているが、それでも出来たら応援はしたい。
 というわけで、またまた病院お留守番を開業医先生にお願いしてしまった。朝から高山を離れて岐阜北西部グラウンドまで観戦出動とする。
 
 さて今日は予定の2試合のうち1試合でも勝てば2次リーグまで勝ちあがれる予定だった。長男、次男の時も東小チームで1次リーグは勝ち抜いて、2次リーグまでは何とか勝ちあがっている。当然三男の学年にも期待は高い。

 しかし結果は1点が遠かった。さんざん攻めたにもかかわらず、結局ゴールの扉は開かず、一敗地にまみれる事になる。勝利を信じた親さん子どもらは、がっかり落胆だがそれもまたサッカーの一部だろう。
 まだ彼等のサッカーが終わった訳でもないし、様々な人生の戦いは続く。めげる事無くこれからもどんどん成長していってもらいたいと思う。

一瞬の油断が勝敗を分ける


1点が遠い試合でした
2009年11月07日
PANとかPENとか
 色々な事に疲れて、昨夜の帰宅はほとんど深夜に近くなった。残り物の夕食を食べれるだけ胃に詰め込むと、そのまま爆睡してしまう。とっても幸運な事に分娩で起こされる事もなかった。患者さんの経過も良さそうだ。今日はしっかり寝坊できる。
 天気は予報通り気持ちよい晴れだった。とはいえ代わりの医師がいるわけも無く、しかも手術による疲れと術後管理もある。どんなに山が呼んでくれていようとも、今日は一日休養その他業務に当てるしかない。

 さて僕は普段、分娩のみならず、ガン検診、手術、抗がん剤治療から終末期医療まで、なんでもありの産婦人科診療を一人で行っている。
 深夜に分娩で呼び出され、更に禄に寝ないでガン手術を行い、そのまま回診でターミナルの方を診るなんて事も少なくない。それが自分に与えられた試練でもあり使命でもあると思って頑張ってるが、時々自分でも良くやるよと思う事はある。

 延々と終末期医療と分娩が重なり、禄に寝れないでいるとさすがに身体は持たない。モルヒネや抗がん剤の点滴詰めなどの業務を、全て看護師さんに任せたり、多くの他科医師の協力があるからこそなんとか成り立っている状態だと言えるだろう。

 さてさてそうやって仕事を一人でしていると、時々僕の診療方針が独りよがりのモノになっているんじゃないかと気にある事はある。だからできるだけ学会等には顔を出して、自分の診療が他とかけ離れる事がなきよう気をつける様にしている。
 先週もその手の卵巣ガン治療に関する研究会があり、様々な最新知見を収集して来た。同時に自分のガン治療方針が、それほど他とかけ離れてはいない事も確認できてホッとする。

 そういえば先日の研究会では、卵巣がん手術におけるリンパ節かく清が予後にほとんど寄与しないという意味の発表が行われていた。以前から言われていた事だが、その大規模調査の結果が明らかになると、それなりに衝撃的だったりする。
 PANと言われるリンパ節かく清手術は、中々に危険で大変な手術だ。
 術者のストレスも大きく、こんな手術を長くしていると寿命が縮むよとマジに思う。その手術の意義がそれ程無いとでると、何だか堪らない感じだ。

 ガン治療は難しい。それは患者さんも命懸けであるからでもあるだろう。治療方針はN多くバイアス少ない研究から、客観的に決められる訳だが、それぞれの患者さんから言えば命は一つしか無い。
 ガン治療に対する患者さんの思いや、術者医師の思い。その膨大なエネルギー量を思うと、何だか呆然とした気分になってくる。
2009年11月06日
寝不足、空腹、体力勝負です
 昨日は午後から手術一件、割とスムーズに進み帰宅は比較的早くできた。
 その後深夜に起こされる事は無かったが、早朝未明から明け方にかけて分娩が2件あり。早起き出動は要する。
 睡眠時間はやや削られた。とはいえ助産師さんの優しさ?で朝食を食べる時間は確保できる。これは後から考えてみてとても大きかった。もし朝食抜きでそのまま仕事に入っていたら、今日は空腹低血糖で大変な事になる所だったと思う。

 今日の手術は殊の外大きい手術だった。いろいろな意味で僕の所の婦人科で行う手術としては最大レベルの手術と言える。もちろん僕一人では、技術的にも物理的にも不可能な手術で、外科の先生方の完璧なサポートの元で何とか成り立つ手術だ。

 まずはできるだけ午前中に外来を済ませる必要がある。何とか受診してきた患者さんを診察無しで帰す事は避けたい。大急ぎの秒単位外来を続け、昼の時間はオーバーしたが、きとんと最後まで外来済ます事は出きた。昼休みの時間は無いので昼食弁当のおかずだけ食べてそのまま手術室に急ぐ。

 手術は婦人科で年に一度も無い類の、僕にとってキツイ長時間手術となった。帝王切開4件連続よりも確実にキツイと思う。後半は背中が筋肉痛で悲鳴を上げ、また不整脈が随分と出てきた。ほんのちょっとでも失敗したら命に関わる手技が続く。僕はただひたすらに緊張して深部結サツを続け、少しでも執刀する外科先生に迷惑かけない様心がけた。

 先ほどなんとか手術が終わったが、まだ回診が待っている。もうとっくに夕食の時間は過ぎている。もう腹ペコでフラフラだがここはチョコを食べコーヒーがぶ飲みして頑張ろう。明日は休日だから、分娩さえなければ寝坊できる。

 しかしまだ僕はマシな方だと思う。コアな部分の執刀をお願いしている外科の先生はもっと大変だ。外科医と言うのは集中力、技術、体力、色々なものが秀でてないと出来ない仕事だと改めて思った。
 こういう高難度手術に外科先生と入るたびに、まだ産婦人科の手術なんて、外科と比べ全くお遊びみたいなものだと思う。
2009年11月05日
再発するかしないか、しかありませんから
 昨夜も夜中に呼ばれる事は無かった。もちろんきちんと眠れる。
 ここのところ比較的分娩は少ない。一方どういう訳かガン患者さんは新規、再発、疑いどの方も多い。しかもどういう訳か、比較的珍しいガンの方が多い感じだ。分娩で夜中に呼ばれる事は少ないが、それでも多くの様々なガン患者さんを一人で抱えているというのは、相当のストレスだ。

 1年後に僕は総合病院を離れる予定でいる。できることなら仕事を婦人科ガン治療系から産科分娩系にシフトして行きたいと言う思いはある。しかし地方の産婦人科で、患者さん側の選択肢は少ない。
 僕の所での治療を求めて受診してくる以上、冷たくあしらうなんて事は出来ない。どんな方でも患者さんである以上、来るものは拒まず、自分のやれる事をやる。それが医師の使命でもあるし、ヒポクラテスもそう言っていた。

 さて患者さんには診療を選ぶ自由がある。しかし現実として日本で保険の通るガン治療というのは手術、抗がん剤、放射線の3通りしかいない。大事なのはどの治療を選び、どの治療をするかしないか上手に決める事だろう。
 大雑把に言ってしまえば、3通りの治療法をするかしないでかけ合わせると、2×2×2=8通りの治療法が世の中に存在する事になる(中味は違いますけどね)。
 ここでそれぞれどれだけの治癒率(これの定義が難しいですが)があるかはっきりしていれば良いのだけれど、山ほど種類のあるガンでそれぞれどれだけの治癒率があるか、正確にはなかなか分からないものだ。もちろん施設や医師による違いもある。

 さてさて一方患者さんからしたら、結果が何より重要だ。その結果は端的に言えば、再発するかしないかその2つに尽きる。結果は2通りしかないのだ。
 さらに突き詰めれば、世の中の森羅万象は、生きているか死んでいるか2つしかないと言えるのかもしれないが、そこまで言えば見も蓋も無くなる。

 これから先日本人の大部分は一度はガンになるという時代が来る。
 何も治療しないで大丈夫という幸運な方もいれば、ありとあらゆる治療をしても助からない不幸な方もいる。
 結果は生きるか死ぬかしか無くて、どんな方でもいつかは死ぬとは言え、それぞれの段階で上手に生きて、切羽詰れば上手に死ぬ。それにひたすら拘るのが、きっと正しい生き様なのだろう。
2009年11月04日
登山のテーマは
 昨夜は珍しく本当の休日となった。
 各種問い合わせ報告電話が何件かあったのみで、夜中の出動は無しで済む。もしもに備えて早めに寝ていたので、その分睡眠時間も十分に取れる。寝不足感無しで朝を迎えれて何だか得した気分だ。

 今日は書類業務と雑用の水曜日で、今のところはサクサク業務が進んでくれている。外来控え室で書類を書きながら、今年の夏の思い出となった長男との山行記録もUPしたりする。見た人にとって嬉しくもなんとも無いプライベートページだが、ネット上の事だから許してもらおう。

 さて登山と言うのは、サッカーや野球と違い、勝負を競う競技とはちと異なるとされている。
 それなりの価値観はあるにはあるが、まともなルールや勝敗は存在しない。だからどういうテーマで山を登るかが愛好家にとって重要なファクターとなると言える。
 僕の場合今年の春は七大陸最高峰登頂セブンサミットを目指すというのが大きなテーマとなった。陳腐なテーマと言えなくも無いが、簡単な事ではないし、かなり強烈な登山の連続なのでそれなりの価値はあると思う。

 さてさて先日たまたまテレビを見ていたら、若干27歳の日本人登山家が単独無酸素エベレスト登頂を目指しているというドキュメンタリーが放送されていた。
 僕はエベレスト無酸素登頂の困難さもこの春初めて自分の身体で実感した。単独登山の困難さも並の登山好きよりは知っている。これは中々大変な事だと思う。大事なのはとにかく命懸けの挑戦に対する強烈なモチベーション維持だろう。

 単独無酸素エベレストといえばラインホルトメスナーが1980年に成した素晴らしい初記録がある。この登山を史上最高の登山と評価している登山家はきっと世間に多い。
 かく言う僕もその一人で、様々な価値観が存在する登山の中であえて一つ最高の登山を選べといわれたら、やはり僕はこの約30年前のメスナーの記録を選ぶ。その後同様の事を行った登山家は数名いるが、メスナーの記録は時代から遥かに傑出している。

 その大記録に、当時まだ生まれてさえなかった若い日本人が挑戦している。せひ登山とそのプロモーション?に頑張ってもらいたいと思う。そう言えばメスナーも登山のプロモーションがとても上手だった。
 ここは登山の価値を高めるためにも、ぜひ彼にはどんどんメディアに自分を売り込んでもらいたいと思う。
 
 長男との夏山も、セブンサミットへの旅もどれもそれなりの価値ある登山ではある。
 しかしそれらよりも単独無酸素エベレストの方が遥かに意義ある挑戦だ。そしてそういう価値観を持ちつづける事が、実は登山という趣味の発展にも繋がるのだと僕は思う。
2009年11月03日
飛騨は秋から冬へ
 昨夜は就寝前時刻に分娩出動が一件。既にビール飲んでしまっていたので徒歩出動する。来るべき山スキーシーズンに備えて出来るだけ薄着での出動を心がけているから、なかなかに沁みる寒さだ。
 平湯温泉付近では既に積雪が見られたらしい。天気予報では寒波が来ているという。案の定今朝起きたら外は雪だ。舗装されてない部分はうっすらと雪化粧されている。

 今日は旗日で仕事は休みだ。とはいえ代務の先生はいないので、大人しく病院お留守番である。その他は子供のサッカー試合の朝一送迎を命ぜられていた。
 仕事が落ち着いている事を確認してから、中学生5人をオンボロイプサムに乗せて国府のサッカー場に向かう。
 路上の電光掲示板では気温は0度を指していた。そういえばまだタイヤはノーマルのままだ。将来有望な子供達を乗せて事故する訳にはいかない。霰交じりの雪が降る中、当然慎重に安全運転を心がける。

 次男のサッカー大会の後は、三男のサッカー大会へのハシゴ。続いて安売りスタッドレスタイヤを探したり、家の暖房器具を取り揃えたり、何だかんだと動き回る。当然その合間には仕事もこなした。今日は飛騨人には貴重な冬準備の一日だろう。

 冷夏の年は暖冬になると言われている。しかし今年の高山の初雪は例年よりやや早めの感じだ。立山や白山、富士山ではきっとそれなりに雪が積もっただろう。
 いよいよ少年サッカーの季節も終盤だ。そうなると次に僕には山スキーのシーズンが始まる。山も身体も車も装備も皆早く冬使用に変えないといけないと思う。

芝の緑と、紅葉、山の白が美しい。今が飛騨で一番カラフルな季節だ
2009年11月02日
GPSに遊ばれてます
 日曜日午後までは代務の先生が高山にいてくれる。無理すれば日曜日にも何処か近場に遊びにいけるかもしれない。
 しかし天気予報は曇りから雨だ。色々やりたい事はあるし、日曜日のお出かけは封印し、次男のサッカー観戦、その他買い物、雑用で日曜日は過ごした。ゆっくり休養できた感じで嬉しい。

 しかし代務の先生が帰ってしまった夜からは、各種不穏な連絡があちこちから入りだす。日曜夜には何時何処から呼び出されるか分からない状況になった。結局夜中に起こされる事は無かったが、晩酌の時刻は大分調整しなければならない。飲酒運転厳罰化が全く持って恨めしいと思う。
 今日は週明けならではの各種業務はあったが、それでも急患さんや分娩は少なくて済んだ。飛び石連休中日の割には予想より楽な一日だ。

 さてさて昨日今日の僕の最大の楽しみは、新しく買ったGPSオレゴン300と、PC内地図ソフトとの連携具合の確認であった。せっかく大枚叩いて購入した最新型?GPSだ。地図を読むというのは僕の趣味の一つでもあるし、素敵に気持ちよく使いこなしたい。
 しかし僕はどうもパソコンが苦手だ。案の定オレゴンのデータをPCに読み込む所で、早くも随分と苦しむ。

 その解決策をネットで探すのだが、ネットの世界もまた恐ろしい。GPSと地図に関する情報記事が次から次へと山ほど出てくる。
 どうやら世の中には僕の予想を遥かに超えた人数のGPSマニア?の方がみえるらしい。
 最近脳細胞の数が急速に減ってきた事を感じている僕としては、この手の新しい世界のレベルの高さ?に上手く適応できなかったりする。

 それでも今日の夕方には何とかオレゴンのデータをカシミールとグーグルアースで読み込める様になった。途中でPCやGPSの調子が悪くなったり、自分の根気が尽きないで良かったと思う。

 しかしこの手の機械はすごいけど、やはりどこか好きになれそうにない。
 一番良いのは自分に虎の様なルートファインディング能力が元々備わっていれば良いのだが、せいぜい僕のルーファイ能力は猪?クラスだろう。
 こんな機械ばかり当てにしていると、いずれGPSが無いと山に入れなくなりそうだ。自分の脳味噌の中味まで、機械にとって代わられる気がしたりする。

GPSに従って藪山登頂


カシミールで軌跡データを読むとこれ


グーグルアースで読むとこれ、これ以上の事は何処まで出来るか?PC前での根気が続きません
 
  これ以前の日記は削除しました。