民主党の鳩山由紀夫代表は、今回の衆院選の争点を「財源論」と言い切る。09年度、多くの政策経費を借金に当たる国債発行や特別会計に積み立てた「埋蔵金」で賄う与党に対し、「ムダづかいの根絶」で対抗する構えだ。衆院選マニフェスト(政権公約)で16兆8000億円分の独自政策実行と、無駄の削減による9兆1000億円もの財源捻出(ねんしゅつ)を約束した民主党だが、実現性はどの程度なのか。同党が柱に掲げる「子育て」「年金・医療」「農業」など五つの政策分野とともに、その裏付けとなる財源論を検証した。
省庁の縦割り予算には重複、無駄が多く、縦割りをなくすだけで多額の財源を生み出せる--。民主党は衆院選での政権交代を念頭に昨年から、国家予算を握る財務省に「縦割り打破」を迫っていた。
「今の予算区分は省庁縦割りだ。横断的に分けられないか」。民主党は子ども手当、ガソリン税などの暫定税率廃止など巨額を要する政策を掲げる。「財源論により説得力を」と考えた長妻昭政調会長代理は、昨年夏前から財務省主計局に掛け合っていた。担当者は「複数省庁にまたがるものをまとめるのは難しい」と渋ったが、9月には折れた。
「予算の無駄遣い削減には限界がある」と説明する政府・与党が根拠としてきたのが、予算を省庁ごとの所管事業に分類し、積み上げた資料だ。
09年度の場合、一般会計と特別会計を合わせた総予算は206兆5000億円。この資料では、80%を占める165兆円が国債費、社会保障関係費など削減不可能な「聖域」とされ、新規財源を生む余地がある「削減可能部分」は20%、41兆5000億円だ。
これに対し、民主党の要求に沿って財務省が出し直してきた資料は、「聖域」が66%、135兆6000億円に減る一方、削減可能部分は34%、70兆9000億円に増えていた。
なぜ同じ財務省の作る資料が、これだけ変わったのか。公認会計士として企業の財務情報公開に携わってきた民主党の尾立源幸政調副会長は「従来の『聖域』だった社会保障関係費には、削減可能な人件費や庁費が含まれていた」と説明する。社会保障予算を省庁横断型に整理し直す際に、人件費などの削減可能部分を切り出させたわけだ。
福山哲郎政調会長代理は「一般会計、特別会計を合わせたこと、従来の『聖域』に『横ぐし』を入れて分析するという二つのパラダイム・チェンジが実現した」と成果を誇る。
ただ、新たに「削減可能」と分類された70兆9000億円に対し、政府・与党内では懐疑的な見方が大勢を占める。
大半は補助金(49兆円)で、地方交付税や生活保護、医療費などの地方交付金が含まれているからだ。「削減可能なのは5兆円程度」との指摘すらある。民主党内でも、予算づくりの経験を持つ官僚出身議員からは「削減が容易でないのは認めざるを得ない」との声が漏れる。それでも、依然省庁の「縦割りの闇」は深い。長妻氏は約1年前、予算委員会で「全省庁の年間の電気代」を質問しようとしたが、財務省幹部が事務所を訪ねてきて、「各省庁が徹夜で何日もかけないと分からない。やめてほしい」と断ったという。
長妻氏は、全省庁の電気代の資料をまだ入手できないといい、「民間会社なら地方支店を含めてもすぐ計算できる。政権を取って財布を握ってみないと、実態は分からないことが多い」と指摘する。
民主党は政権獲得後、2013年度までの4年間で、「削減可能」とされた70兆9000億円から無駄を見つけ、新財源を生み出すつもりだ。独自政策に要するカネは16兆8000億円。5兆円を特別会計の埋蔵金や政府資産売却で、2兆7000億円を配偶者控除廃止などでまかなう。
残りの5割強、9兆1000億円は、国の3000事業すべてを必要か否か点検する「事業仕分け」で生み出す考えだ。首相直属の「行政刷新会議」で3000事業を「廃止」「民間移譲」「地方移譲」「継続」に分類し、▽公共事業見直しで1兆3000億円▽天下り法人への支出見直しで6兆1000億円▽公務員人件費圧縮で1兆1000億円▽議員定数削減で6000億円--の財源を出すとしている。
9兆1000億円は、「削減可能」とした70兆9000億円の13%。事業仕分けを編み出し、自治体などと共同実施してきた非営利シンクタンク「構想日本」によると、「経験則から10%強のカットが可能」と言う。
ただ、莫大(ばくだい)な時間がかかると予想され、公共事業削減には、その地方選出の議員が抵抗する可能性もある。民主党内でも「揺れ」がうかがえる。
「優先的な独自政策から実施すべきだ。ガソリン価格は高くなく、優先順位は低い」
岡田克也幹事長はマニフェスト取りまとめの局面で、ガソリン税などの暫定税率廃止時期を13年度からとするよう求めた。税率廃止には2・5兆円を要する。財源捻出を、全面的に事業仕分けに委ねるのは危険と考えたのだ。
結局、鳩山代表は10年度からの廃止を決断した。しかし、無駄の削減が進まなければ、09年度補正予算の未執行分や埋蔵金などに多くを頼らざるを得なくなる。直嶋正行政調会長は赤字国債発行の可能性にも言及しており、事業仕分けに失敗すれば「自民党とどこが違うのか」との批判を浴びかねない。
民主党は政権獲得後に実施する政策の財源を捻出する一つの手法として、国の事業の無駄を洗い出す「事業仕分け」に取り組む姿勢を示している。97年から、自民、民主両党や各地の自治体と仕分けを共同で実施してきた経験で言うと、一般会計、特別会計、公益法人まで含めた仕分けを徹底すれば、民主党が見込んでいる10兆円近くの財源は確保できると考える。
事業仕分けで何を不要と判断するかは、仕分けする人により異なる。自民党の「無駄遣い撲滅プロジェクトチーム」(座長・園田博之政調会長代理)が昨年実施した仕分けでは、対象事業の14%が「不要」となった。既得権益をあまりかかえない民主党は一層の「無駄の排除」に取り組めるはずだ。
重要なのは仕分けチームを国会議員だけで組織せず、仕分け経験のある人や個々の事業現場を熟知している人を加えることだ。仕分け作業を公開し、チームと行政の双方に緊張感を持たせることは大前提だ。内閣に独立した「事業仕分け実行委員会」を発足させることも考えられてよい。
ただ、政権は事業仕分け後に、「不要」と判断した事業を本当に廃止できるかという課題に直面する。不要とされた事業から雇用を得ている人は多数いる。「無駄の排除」で切り捨てられる人もいる現実に政治家が責任を負う形で、廃止を断行できるかどうかだ。
同時にメディアの役割も問われている。国の事業を独自に精査せず、不十分な知識に基づいて「民主党の政策には財源の裏付けがない」と報道するのは無責任だ。ジャーナリズムと国民に、政権の取り組みを忍耐強く見守るだけの成熟した態度がなければ、政権交代が実現し、社会に定着するのは難しいだろう。(談)
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◆子育て支援
子どもが0歳から中学を卒業するまで、1人当たり月額2万6000円(10年度は半額)を世帯に支給する「子ども手当」を創設する。目玉政策と位置付けており、所要額5兆3000億円は所得税の配偶者控除廃止などで賄うとしている。高所得層に有利な所得控除を現金給付に切り替えることで、中・低所得層に配慮を示した。
出産一時金(今年10月から42万円)を上限55万円とし、ほぼ自己負担なしで出産できるようにする。ひとり親世帯への支援として、4月に全廃された生活保護の母子加算復活や、父子家庭への児童扶養手当支給を盛り込んだ。
保育所の待機児童解消策として、保育所を受け持つ厚生労働省と、幼稚園を担当する文部科学省の所管を一本化し、「子ども家庭省(仮称)」に統合する案を検討する。ただ、「幼保一元化」は現政権でも繰り返し議論されながら目立った成果を上げていない難問で、民主党も具体的な道筋は示していない。
教育関連では、公立高校生のいる世帯に授業料相当額を助成し、実質無料化する。私立高に通う子を持つ世帯にも年額12万円(低所得世帯は24万円)を援助する。大学生にも希望者全員が受けられる奨学金制度を設ける。
◆年金医療
年金に関しては、11年度までの2年間を記録問題への「集中対応期間」と位置づけ、年金制度への信頼回復に努める。ただ、政府が「約10年かかる」としている8億5000万件の手書き記録とコンピューター内の記録の照合を、2年でどう進めるのかは明確にしていない。
その後は▽12年度に制度設計▽13年度に法案の具体化--とのスケジュールを描く。年金改革案は、職業に関係なく全員が同じ年金に加入する制度を想定している。所得に応じて納めた保険料で給付額が決まる「所得比例年金」を基本とする。
所得の低い人には消費税を財源とする「最低保障年金」を給付し、未納がなければ月額7万円以上の年金を受け取れるようにするとしている。それでも最低保障年金を受給できる「低所得」の水準などは示していない。
医療面では、75歳以上を対象にした後期高齢者医療制度を廃止する。将来的には、職業などで分かれている制度の一元化を目指す。だが、後期医療の廃止から一元化までの移行スケジュールは明示していない。また、医師や看護師などを増やすよう診療報酬を増額するほか、医学部の定員を1・5倍にするという。
◆農業
柱の政策に、農家への戸別所得補償制度導入を掲げた。農畜産物の販売価格が、生産にかかった費用を下回った場合に差額を穴埋めする制度で、対象は「生産数量目標に即した生産を行った販売農業者」。参加農家だけが補償される事実上の「減反選択制」だ。
大規模農家に手厚く支給してきた複雑な補助金を廃止し、小規模農家も広く補償する。ただし、生産数量目標は国、都道府県、市町村で設定するため、行政事務が煩雑になる。小規模農家の保護は構造改革を遅らせる、との指摘もある。
戸別所得補償制度は小沢一郎前代表時代から「農産物の輸入自由化」とセットで考えられてきた。07年の参院選マニフェストには「農産物の国内生産の維持・拡大と自由貿易協定(FTA)締結促進を両立するため、戸別所得補償制度を創設する」と明記した。
一方、09年版ではFTAを「外交」、戸別所得補償を「地域主権」と別分野に整理したために「輸入自由化」が際立ち、自民党農水族を刺激した。それでも双方セットという大方針に変わりはない。
輸入自由化や減反廃止で農作物価格が下がれば、消費者は恩恵を受ける。ただし、農家への所得補償に投入される税金は膨らむ。
◆高速道無料化
国民負担の軽減による内需拡大、地場産業の活性化や観光振興を目指し、「高速道路の原則無料化」を打ち出した。03年の衆院選で小泉純一郎首相(当時)が掲げた道路公団民営化に対抗し、菅直人代表(同)がマニフェストに盛り込んだのが始まりで、政府に「高速道路一律1000円」を実現させる契機ともなった。
無料化は10年度から始め、まずは交通量の少ない地方を対象とする。都市部には、料金割引などの「社会実験」をしながら広げていく計画だ。ただし、首都高速と阪神高速は有料のままとみられている。
問題は過去の高速道路建設による借金だ。現在、独立行政法人「日本高速道路保有・債務返済機構」は約30兆円(08年度末)の有利子負債を抱える。返済には高速道路の通行料を充てている。
しかし、3月にまとめた党高速道路政策大綱は、同機構を廃止し、負債を「国が承継する」とした。利子分を含め毎年1兆2600億円ずつ60年かけて返済していく考えだが、通行料収入がなくなるため、税金を投入することになる。高速道路を利用しない人が不公平感を抱くことも予想される。
◆温暖化対策
地球温暖化対策では、2013年以降の温室効果ガス排出量削減目標に関し、2020年までの中期目標として「90年比25%減」、50年までの長期目標には「同60%超減」を掲げた。政府の「20年までに05年比15%減(90年比8%減)」「50年までに現状比60~80%減」との目標より踏み込んでいる。
与党や経済界は「欧米や新興国より省エネ技術が進んでいた日本に不利。国際競争力が低下する」と批判するが、国際交渉をリードするだけでなく、温暖化対策面の技術革新を促し、国際競争力を強化する狙いから、あえて厳しい目標を掲げている。具体策として▽太陽光発電などの再生可能エネルギーを固定価格で電力会社に買い取らせる制度の創設▽国内企業間で排出枠を売買する排出量取引市場創設▽地球温暖化対策税導入--などを挙げる。
だが、民主党が最重視するガソリン税などの暫定税率廃止や高速道路無料化は、自動車通行量の増大を招き、ガソリン消費や温室効果ガスの排出量を増やす可能性が高く、環境団体などから批判を受けている。温暖化対策で厳しい数値目標を掲げることとの整合性が問われる。
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この特集は、政治部の小山由宇、白戸圭一、鈴木直、田中成之、西田進一郎、野口武則が担当しました。
毎日新聞 2009年8月4日 東京朝刊