日教組がかつて行っていた「地元集中」 関西の番組が批判
読売テレビで毎週土曜の朝に生放送されている「あさパラ!」という情報番組があります。
ハイヒールのリンゴさんが総合司会を務め(相方のモモコさんはほぼコメンテーターの1人という位置付け)、1週間の政治・社会・芸能ニュースにツッコミを入れたり、他に企画でたとえば関西のおいしいお店を紹介したり、という内容です。
コメンテーターは河合俊一さんがレギュラーかな?あとは吉本の芸人が毎週、入れ替わり立ち替わり来ているという感じです。
識者としては若一光司さんや勝谷誠彦さんが、こちらも週替わりで来ているようです(毎週見てるわけじゃないのでよく分かりません<(_ _)>)。
スタジオの観客席には関西のおばちゃんたちも集合しています。
とまあ、関西ローカルによくある軽快でくだけた感じの番組なのですが、11月28日放送分でなんと日教組批判が飛び出しました。
関西ローカルは東京に比べて規制が緩いとはいえ、実体験に基づく日教組批判がこのように展開するのは、私の知る限り非常に珍しいことです。
今回、日教組の異常さに言及したのはハイヒールのリンゴさんと、ロザンの宇治原史規さんです。
お二方はともに大阪府枚方(ひらかた)市の公立中学校のご出身です。
枚方と聞いて「あっ」と思った人はかなりの日教組通かも(^_^;
以下、その部分を大ざっぱですがご紹介。
(吉本らしい「笑いをとる」やりとりは全面カットしています)
大ざっぱな内容紹介ここから_________________________
ハイヒールのリンゴさんが総合司会を務め(相方のモモコさんはほぼコメンテーターの1人という位置付け)、1週間の政治・社会・芸能ニュースにツッコミを入れたり、他に企画でたとえば関西のおいしいお店を紹介したり、という内容です。
コメンテーターは河合俊一さんがレギュラーかな?あとは吉本の芸人が毎週、入れ替わり立ち替わり来ているという感じです。
識者としては若一光司さんや勝谷誠彦さんが、こちらも週替わりで来ているようです(毎週見てるわけじゃないのでよく分かりません<(_ _)>)。
スタジオの観客席には関西のおばちゃんたちも集合しています。
とまあ、関西ローカルによくある軽快でくだけた感じの番組なのですが、11月28日放送分でなんと日教組批判が飛び出しました。
関西ローカルは東京に比べて規制が緩いとはいえ、実体験に基づく日教組批判がこのように展開するのは、私の知る限り非常に珍しいことです。
今回、日教組の異常さに言及したのはハイヒールのリンゴさんと、ロザンの宇治原史規さんです。
お二方はともに大阪府枚方(ひらかた)市の公立中学校のご出身です。
枚方と聞いて「あっ」と思った人はかなりの日教組通かも(^_^;
以下、その部分を大ざっぱですがご紹介。
(吉本らしい「笑いをとる」やりとりは全面カットしています)
大ざっぱな内容紹介ここから_________________________
大ざっぱな内容紹介ここから_________________________
…………「事業仕分け」9日間の成果を紹介する特集の中で…………
リンゴ
「皆さんやっぱり一番気になると思うんです、この義務教育の国庫負担金でございますが、さあ見ていただきましょう。こうなっております」
リンゴ
「まずね、どうして、ま、もう削るためのもんなのに、増やすべきという仕分けが出たのかというと、まず民主党はマニフェストに教員増員を掲げていると。だからそこに彼らは、まあちょっとある種、民主党の中で聖域になってる部分がある。次ですね、次世代スパコンを、ま、(蓮舫議員が)『2位ではダメなんですか、1位でないとダメなんですか』みたいなコメントを言ったことに対して、わりと世間からこう、いろいろ風にさらされてる部分があって、教育に関してあんまり言うちゃいかんなというニュアンスが出てきたんではないか?です。これはたまたま仕分けの順番がこうなってるんかもしれないから、これは言えない。そして、何よりも、次の参院選を控え、日教組、ここがまあ支持母体の一つです、日本教職員組合ですね、こちらに配慮したんではないかという、この3つが言われています。ま、教員を減らしたりとかすることに関しては、日教組が絶対反対しますからね。で、改めてこの日教組なんですけれども、1947年、戦後に結成されました日本最大の教員労働組合連合体でございまして、今のところはですね、だいたい29万人。ところが昔はまあ59万人とか60万人ぐらいいてたんですよ」
モモコ
「すごい」
リンゴ
「それがだんだんやっぱり日教組の組合員が減ってまいりまして、かつては社会党の最大支持母体だったんですが、社会党が自民党と大連立をした時に電撃和解をしまして、そこからゆとり教育が生まれるという。それまでも競争があかんて、私らもう枚方で、はっきり言いますけど、枚方出身ですけど、枚方、日教組めちゃくちゃきつかったんですよ。ほんだらもうあれですよ、かけっこでも、徒競走、勉強でけへん子が体育できる時もありますやんか。そやけど、その体育できる子も、もう5人手つないで走らなあかん、5レーン」
一同
「えーーー?!」
菅広文(ロザン)
「多いですね、今ね」
宇治原史規
「僕も中学、枚方。枚方の公立の中学校なんで。枚方市立さだ中学校です(サイトこちら。音出ます)」
リンゴ
「きっつかったやろ、日教組」
宇治原史規
「高校受験の時に、公立の地元の高校に行けと、全員がやっぱり言われるんです」
リンゴ
「そう、私らも磯島高校いう高校に、地元集中言うて、行け言われるんですよ。言うたら、学区内で賢い子が学区外に出るわけじゃないですか、枚方市から。ほんで、あかん言われんねんな」
宇治原史規
「そうです、そうです」
リンゴ
「国立行ったんやね?」
宇治原史規
「僕はだから大教大天王寺(大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎)受けたんですけど、やっぱり僕が受ける時も、いちおう公立の地元の高校、そのレベルとか全く関係なく勧めてこられましたよ」
一同
「へえー」
リンゴ
「そうそう、ほんで、先生とマンツーマンで話すんねん」
宇治原史規
「そうです」
リンゴ
「内申書書かへん言われたもん、私」
一同
「えーーー?!」
リンゴ
「もうそこまで言われましたよ」
宇治原史規
「みんながみんなそうじゃないですけど、そういう先生も中にはいると」
リンゴ
「そう、中にはいる。私の先生はそういう先生だった」
一同
「えーー……」
リンゴ
「ほんで、その地元の磯島高校っていうとこに、いろいろ先生と話して、それで納得して、先生の意見に賛同して、磯島高校行った子もいっぱいおったんですよ。で、その磯島高校が今度(2004年)閉校になったんですよ、要は。子供が少ななってきて。ほんだら、自分の出身校がなくなるという、とても悲しいことになってしまうという。ま、それは別に日教組が悪いわけじゃないですけどね」
河合俊一
「みんなで一緒に手つないでゴールしなきゃいけないってことは、テストでも間違っても全員100点だったりするの?それ」
リンゴ
「いや、そこまではないですけど」
河合俊一
「え?何でスポーツだけ一緒で、勉強は違うの?」
リンゴ
「勉強(の評価)は2段階なんですよ。だから、『達成してる』か『頑張る』か」
一同
「ああー……」
菅広文
「少ないんですね」
リンゴ
「そうそう、だからその当時、五ツ木の模擬試験とかあったんですけど、模擬試験とか受けに行くの絶対あかん言われたやろ?」
宇治原史規
「あ、僕らの時は五ツ木は大丈夫だったんですよ」
(以下、2人の年齢差がいじられて、日教組の話は終了)
_________________________大ざっぱな内容紹介ここまで
ちなみにハイヒールのリンゴさんは1961年8月9日生まれ、ロザンの宇治原さんは1976年4月20日生まれです。
枚方市や、枚方市に隣接する高槻(たかつき)市のあたりは特に日教組が強いって話はよく聞いてきましたが、どうやら私が考えていたよりも数段、酷そうです。
日教組と言えば「国旗・国歌の否定」「自虐的な歴史教育」「過激な性教育」「ジェンダーフリー」など日本の根幹を破壊する活動に目が向きがちですが、まだまだ他にも問題があったんですね。
っていうか、「地元集中」って何??(・_。)?(。_・)?
初めて聞く言葉だったので、ちょっと調べてみたところ、な、なんとWikipediaに載るぐらい有名なことだったんですね。
そのWikiから、ちょこっと抜き出して引用すると……
●地元集中とは、日本の一部の公立中学校において、中学生が公立高校を受験する際に、地元にある特定の高校1校のみを選択するように進路指導する教育運動をいう。地元集中受験運動、あるいは実施されていた地域の名称をとって高槻方式などとも呼ばれる。また地元集中から地元育成と呼称が変更される例もみられる。
●地元集中は、大阪府の高槻市、枚方市、守口市、門真市、寝屋川市、交野市、茨木市、松原市、大阪狭山市、和歌山県などの一部の地域で1970年代前半から1990年代中頃にかけて実施されていた。日本教職員組合のみならず教育委員会も推進していた。地元集中ではないが、それを意識した進路指導は組合員の多かった神奈川県や埼玉県などを中心に複数の地域で行われており、特に第二次ベビーブーム世代が中学校3年生となった1980年代中頃までは顕著であったが、その画一性及び生徒個人の個性を無視した進路指導が保護者を中心として批判され、かかる運動が激しい自治体からの転居、私立中学への進学等、公立中学忌避という動きが顕著となり、1990年代には終息に向かったと見られる。
●地元集中は、「地域の子どもを地域で育て、高校間の学力格差を解消する」ことを目的とした一種の運動であり、正式な制度ではない。大阪府や和歌山県の公立高校の普通科では、中規模な学区制(中学区制)を採用しているため、制度上は誰でも学区内の学力に応じた高校に進学することができる。しかし、地元集中が展開されていた地域では、地元公立高校を目指す進路指導が徹底して行われていたため、学区内にある他の高校への進学、および学区内の他の地域から地元集中高校への進学は困難になっていた。
……って、えーー!?和歌山県でもあったんですか!?
私(1964年生まれ)、小学校から高校までずっと和歌山市内の公立学校だったんですけど(T^T)
……が、よくよく記憶をたどってみますと、幸いにも私は「地元集中」とは無縁でした。学区内で学力に応じた公立高校(田舎なもので普通科は3校しかありませんでしたが)を自由に受験できてました。
和歌山県のどこの市や町で、いつ頃「地元集中」が行われてたんだろう?ちょっと気になります。
さらにネットを調べたところ、枚方市および高槻市における「地元集中」の生々しい体験談をいくつか見つけました。
リンゴさんや宇治原さんの発言を聞いて、「自分の希望しない高校やレベルに合わない高校の受験を強要されるなんて考えられない」「芸人の言うことだし誇張とかあるんじゃないの?」と思った読者様がもしおられたら、ぜひこれらの体験談をお読みになって下さい。
■1977年生まれで当時、枚方市の公立中学校に通われていた男性の体験談
■1970年生まれの高槻市議会議員・北岡隆浩氏の体験談
■1970年代、中3の時に高槻市に移り住まれた男性の体験談
いかがでしたか?
リンゴさんも宇治原さんも実体験をありのままに話されているということが、十分お分かりいただけたと思います。
そうそう、すっかり忘れてたけど、辻元女史も高槻の人でしたね。
日本赤軍最高幹部の重信房子が逮捕時に潜伏していたのも高槻でした。そしてこの時、犯人蔵匿容疑で府立高津高校(伝統ある進学校です)の教師が逮捕されています(当時の報道はこちらを)。
さて、過去にも何度か細切れに書いたことがありますが、最近読者になって下さった方のためにも、ここで私の「日教組」体験談を改めてまとめておきます。
私は1964年(昭和39年)大阪府に生まれ、4才の時に和歌山市に引っ越しました。市立小学校、市立中学校、県立高校(普通科)と進み、21才まで和歌山市で過ごしました。
私は高校卒業までの12年間、学校で国歌を歌ったり習ったりしたことは、ただの一度もありません。学校行事で国歌が流されたこと自体、一度もありませんでした(国旗掲揚についてはよく覚えていません)。
小学校2〜3年の頃だったか、音楽の教科書の最後に載っている『君が代』というタイトルの歌がいったい何なのかが気になって、母に「これ何の歌?」と尋ねたぐらいです。
国歌の歌詞を覚えたのは大人になってから。初めて公共の場で国歌を歌ったのは25才頃、プロ野球の試合前の国歌斉唱時でした(パ・リーグは国歌斉唱があります。セ・リーグにそれがないことを私は最近初めて知りました)。
実は私と同じ和歌山市で育った母も、小・中まで市立だったのですが、やはり学校で国歌を歌った記憶はないと証言しています。母は1940年(昭和15年)生まれです。
私はけっこういい歳になるまで、全国のどこの学校もみんなこんな感じなんだろう、すなわち「国歌というのは学校で教わったりするものではなく、大人になってから覚えたい人だけが覚えるものなのだろう」などと漠然と思っていました。
が、もちろん、そんなのはとんでもない思い違いでした。
それに気づいたのは、大阪市に生まれ育った夫(1968年生まれ)とたまたま国歌の話になった時です。
「俺は学校で国歌習ったし、行事でもみんな普通に歌ってたで。え?そうやない地方もあるの?」と言われたのです。
私はものすごく驚きました。夫も私の体験談を聞き、「そんなん考えられへん」とたいそう驚いていました。
その後、ブログをやるようになり、全国の読者の方々から「私は大阪ですが、小中高と国歌斉唱したし、国旗掲揚もありました。小学校の授業では君が代の歌詞の意味も教わりました」とか、「私は名古屋ですが、国歌はしっかり歌わされました。特に小学校の時は、大きな声で歌わないと叱られ、ちょっとウンザリしたこともありましたが、『君が代』を嫌いになったことはないです」といったコメントをお寄せいただき、自分の方が異常だったんだと気づくに至りました。
今さら言ってもどうにもならないのですが、この日本という国で誰もが平等に与えられているはずの教育を受ける権利、それも日本人として一番基礎的な部分の教育を受ける権利を奪われたように感じ、腹が立つやら悲しいやらです。
また、私が通った中学・高校は、同和教育や反戦教育にかなり熱心でした。特に同和教育は年に1〜2回、特別授業のような形でカリキュラムが組まれており、学年ごとに体育館に集められてスライドや映画を見たり、どこかから呼ばれてきた人(同和問題の専門家?解放同盟の人?)が話をしたり、ということがありました。
あと、高校1年の時の担任かつクラブの顧問だったA先生(理科担当)というのが、きつい反戦平和主義者でした。が、私がそれを知ったのは卒業後だいぶ経ってから。
A先生とは卒業後もずっと年賀状のやりとりが続いていたのですが、定年後、本格的にプロ市民的な活動を始められたらしく、私に届く年賀状の文面は年々政治色の濃いものになっていきました。「憲法9条死守!」「イラク戦争反対!」「米軍基地はいらない!」といった具合にです。
ある時、ふと思い立って先生の名前でネット検索してみたら、な、なんと9条を守る会(具体名は伏せておきます)の幹部までされていることが判明。
私は意を決して、ある年、A先生への年賀状に「今年こそ拉致問題が解決し、被害者が全員帰国できますように」と書き添えて送りました。
次の年からA先生は私に年賀状を送ってこなくなりました(私はそれ以降も毎年送っていますが、返事は一度もいただけていません)。
当時の和歌山の日教組に関する情報(組織率など)を私は全然把握はしていないのですが、よそと比較するとかなり偏った教育がされていたのはおそらく間違いないと思います。
ただ、「地元集中」の被害に遭わなかった分、だいぶマシだったと言えるのかもしれません。私は自分の希望する高校を受験し、入学することができたんですから。
……って、これって普通のことですやん!
その普通のことをさせてもらえなかった方々に対しては同情を禁じ得ません。と、同時に日教組に対して改めて怒りが沸いてくるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※拙ブログ関連エントリー(日教組)
・08/7/22付:再録「報道特集」日教組徹底研究
07年7月1日放送TBS「報道特集」の内容紹介。
生徒を利用した反米舞台劇。日教組組合員に共闘を呼びかける革マル派。
教研集会には朝鮮学校の組合代表、部落解放同盟の代表も参加。朝鮮語を使った人権教育、部落差別、障害者差別など、実際に行われた授業の報告が続くが、拉致問題を主題としたリポートはなし。
靖国神社について考えさせる、徳島の教諭の手作り教材は、中国の新聞に載った小泉首相(当時)の絵の横に「中国の人はどう思っているでしょう?」。最後は、小泉首相と東條英機元首相の写真を並べて掲載し、「あなたの意見をまとめてみましょう」。
教育基本法改正反対を叫び国会前に座り込む教師、「国会見学で来る小中学生に“闘う教員”の姿を見せる」。授業さぼって何やってんねん!(T^T)
「民主党頑張れー!日教組は最後の最後まで闘うぞ!」「国会に日教組の旗を立てましょう!」。民主党の輿石東氏曰く「日教組とわれわれ日政連(日本民主教育政治連盟。民主党を中心とする日教組の組織内議員団)の出番かもしれない」。
・08/10/13付:「たかじん委員会」教育問題と日教組
08年10月12日放送「たかじんのそこまで言って委員会」の内容紹介。
教育評論家の石井昌浩氏(元・国立市教育長)がゲスト。「戦後教育の主役。まず最大の主役はGHQ。それから現地代理人の文部省。それからその学校現場で思想を実践する日教組」。国立市立国立第二小学校土下座事件についても。
・08/10/25付:日教組とズブズブの民主党
民主党の輿石東参院議院会長の支持母体である山梨県教職員組合。2004年の参院選では小中学校の教職員らから組織的に選挙資金を集めていた。と同時に、選挙対策本部が教員を有権者への電話作戦に動員させていた。これは学校での政治的活動を禁じた教育基本法や教育公務員特例法の他、政治資金規正法にも違反している疑いがあるが、問題発覚以後も輿石氏と山教組の関係は依然として続いている。
・09/7/5付:民主政権は“日教組政権”だ 「WiLL」より
中山成彬さん(元文部科学大臣)と伊藤玲子さん(元鎌倉市議、「『建て直そう日本』女性塾」の幹事長)の対談起こし。
「組織率とは関係なく、声の大きい組合員が一人でもいれば、その学校は日教組の方針で動かざるをえない」「歴史教育と同様に重大な問題があるのが、過激な性教育」「小3の娘が同級生の男の子とドッキングしていた。母親がびっくりして『何をしてるの!』と聞いたら、『学校で先生が教えてくれた。親には絶対内緒にしろって言われた』と」「組合の研修内容も見るに耐えない。『法律に従うな』『校長の言うことを聞くな』とやっている」「自民党の議員でもほとんど日教組の実態を知らなかった」「真面目な先生が不登校の生徒を登校させようと努力すると、日教組の教師が妨害する。『学校に来るか来ないかは生徒の自由だ。決定権は生徒にある』」等々、日教組の信じられぬ実態が赤裸々に。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★このブログが面白かったらクリックして下さい→
★ご面倒でなければこちらも→
アニメ「めぐみ」配信中。
英語・中国語・韓国語版もあります。ダウンロードはこちらから。コピーフリーです。世界に広めましょう!
「島根県の竹島英文ページを検索に引っ掛かり易くする作戦」もよろしく。
takeshima dokdo dokto tokdo tokto
________________________________________________
★トラックバックを下さる方へ
お手数ですがこちらに一度目を通されてから宜しくお願いします。
★コメント(投稿)を下さる方へ
初めてコメント下さる方は、お手数ですがこちらに一度目を通されてから宜しくお願いします。
…………「事業仕分け」9日間の成果を紹介する特集の中で…………
リンゴ
「皆さんやっぱり一番気になると思うんです、この義務教育の国庫負担金でございますが、さあ見ていただきましょう。こうなっております」
【義務教育は例外!?異例の判定なぜ】
・民主党はマニフェストに「教員増員」を掲げている
・「次世代スパコン」で受けた批判を懸念?
・夏の参院選を控え日教組に配慮?
リンゴ
「まずね、どうして、ま、もう削るためのもんなのに、増やすべきという仕分けが出たのかというと、まず民主党はマニフェストに教員増員を掲げていると。だからそこに彼らは、まあちょっとある種、民主党の中で聖域になってる部分がある。次ですね、次世代スパコンを、ま、(蓮舫議員が)『2位ではダメなんですか、1位でないとダメなんですか』みたいなコメントを言ったことに対して、わりと世間からこう、いろいろ風にさらされてる部分があって、教育に関してあんまり言うちゃいかんなというニュアンスが出てきたんではないか?です。これはたまたま仕分けの順番がこうなってるんかもしれないから、これは言えない。そして、何よりも、次の参院選を控え、日教組、ここがまあ支持母体の一つです、日本教職員組合ですね、こちらに配慮したんではないかという、この3つが言われています。ま、教員を減らしたりとかすることに関しては、日教組が絶対反対しますからね。で、改めてこの日教組なんですけれども、1947年、戦後に結成されました日本最大の教員労働組合連合体でございまして、今のところはですね、だいたい29万人。ところが昔はまあ59万人とか60万人ぐらいいてたんですよ」
モモコ
「すごい」
リンゴ
「それがだんだんやっぱり日教組の組合員が減ってまいりまして、かつては社会党の最大支持母体だったんですが、社会党が自民党と大連立をした時に電撃和解をしまして、そこからゆとり教育が生まれるという。それまでも競争があかんて、私らもう枚方で、はっきり言いますけど、枚方出身ですけど、枚方、日教組めちゃくちゃきつかったんですよ。ほんだらもうあれですよ、かけっこでも、徒競走、勉強でけへん子が体育できる時もありますやんか。そやけど、その体育できる子も、もう5人手つないで走らなあかん、5レーン」
一同
「えーーー?!」
菅広文(ロザン)
「多いですね、今ね」
宇治原史規
「僕も中学、枚方。枚方の公立の中学校なんで。枚方市立さだ中学校です(サイトこちら。音出ます)」
リンゴ
「きっつかったやろ、日教組」
宇治原史規
「高校受験の時に、公立の地元の高校に行けと、全員がやっぱり言われるんです」
リンゴ
「そう、私らも磯島高校いう高校に、地元集中言うて、行け言われるんですよ。言うたら、学区内で賢い子が学区外に出るわけじゃないですか、枚方市から。ほんで、あかん言われんねんな」
宇治原史規
「そうです、そうです」
リンゴ
「国立行ったんやね?」
宇治原史規
「僕はだから大教大天王寺(大阪教育大学附属高等学校天王寺校舎)受けたんですけど、やっぱり僕が受ける時も、いちおう公立の地元の高校、そのレベルとか全く関係なく勧めてこられましたよ」
一同
「へえー」
リンゴ
「そうそう、ほんで、先生とマンツーマンで話すんねん」
宇治原史規
「そうです」
リンゴ
「内申書書かへん言われたもん、私」
一同
「えーーー?!」
リンゴ
「もうそこまで言われましたよ」
宇治原史規
「みんながみんなそうじゃないですけど、そういう先生も中にはいると」
リンゴ
「そう、中にはいる。私の先生はそういう先生だった」
一同
「えーー……」
リンゴ
「ほんで、その地元の磯島高校っていうとこに、いろいろ先生と話して、それで納得して、先生の意見に賛同して、磯島高校行った子もいっぱいおったんですよ。で、その磯島高校が今度(2004年)閉校になったんですよ、要は。子供が少ななってきて。ほんだら、自分の出身校がなくなるという、とても悲しいことになってしまうという。ま、それは別に日教組が悪いわけじゃないですけどね」
河合俊一
「みんなで一緒に手つないでゴールしなきゃいけないってことは、テストでも間違っても全員100点だったりするの?それ」
リンゴ
「いや、そこまではないですけど」
河合俊一
「え?何でスポーツだけ一緒で、勉強は違うの?」
リンゴ
「勉強(の評価)は2段階なんですよ。だから、『達成してる』か『頑張る』か」
一同
「ああー……」
菅広文
「少ないんですね」
リンゴ
「そうそう、だからその当時、五ツ木の模擬試験とかあったんですけど、模擬試験とか受けに行くの絶対あかん言われたやろ?」
宇治原史規
「あ、僕らの時は五ツ木は大丈夫だったんですよ」
(以下、2人の年齢差がいじられて、日教組の話は終了)
_________________________大ざっぱな内容紹介ここまで
ちなみにハイヒールのリンゴさんは1961年8月9日生まれ、ロザンの宇治原さんは1976年4月20日生まれです。
枚方市や、枚方市に隣接する高槻(たかつき)市のあたりは特に日教組が強いって話はよく聞いてきましたが、どうやら私が考えていたよりも数段、酷そうです。
日教組と言えば「国旗・国歌の否定」「自虐的な歴史教育」「過激な性教育」「ジェンダーフリー」など日本の根幹を破壊する活動に目が向きがちですが、まだまだ他にも問題があったんですね。
っていうか、「地元集中」って何??(・_。)?(。_・)?
初めて聞く言葉だったので、ちょっと調べてみたところ、な、なんとWikipediaに載るぐらい有名なことだったんですね。
そのWikiから、ちょこっと抜き出して引用すると……
●地元集中とは、日本の一部の公立中学校において、中学生が公立高校を受験する際に、地元にある特定の高校1校のみを選択するように進路指導する教育運動をいう。地元集中受験運動、あるいは実施されていた地域の名称をとって高槻方式などとも呼ばれる。また地元集中から地元育成と呼称が変更される例もみられる。
●地元集中は、大阪府の高槻市、枚方市、守口市、門真市、寝屋川市、交野市、茨木市、松原市、大阪狭山市、和歌山県などの一部の地域で1970年代前半から1990年代中頃にかけて実施されていた。日本教職員組合のみならず教育委員会も推進していた。地元集中ではないが、それを意識した進路指導は組合員の多かった神奈川県や埼玉県などを中心に複数の地域で行われており、特に第二次ベビーブーム世代が中学校3年生となった1980年代中頃までは顕著であったが、その画一性及び生徒個人の個性を無視した進路指導が保護者を中心として批判され、かかる運動が激しい自治体からの転居、私立中学への進学等、公立中学忌避という動きが顕著となり、1990年代には終息に向かったと見られる。
●地元集中は、「地域の子どもを地域で育て、高校間の学力格差を解消する」ことを目的とした一種の運動であり、正式な制度ではない。大阪府や和歌山県の公立高校の普通科では、中規模な学区制(中学区制)を採用しているため、制度上は誰でも学区内の学力に応じた高校に進学することができる。しかし、地元集中が展開されていた地域では、地元公立高校を目指す進路指導が徹底して行われていたため、学区内にある他の高校への進学、および学区内の他の地域から地元集中高校への進学は困難になっていた。
……って、えーー!?和歌山県でもあったんですか!?
私(1964年生まれ)、小学校から高校までずっと和歌山市内の公立学校だったんですけど(T^T)
……が、よくよく記憶をたどってみますと、幸いにも私は「地元集中」とは無縁でした。学区内で学力に応じた公立高校(田舎なもので普通科は3校しかありませんでしたが)を自由に受験できてました。
和歌山県のどこの市や町で、いつ頃「地元集中」が行われてたんだろう?ちょっと気になります。
さらにネットを調べたところ、枚方市および高槻市における「地元集中」の生々しい体験談をいくつか見つけました。
リンゴさんや宇治原さんの発言を聞いて、「自分の希望しない高校やレベルに合わない高校の受験を強要されるなんて考えられない」「芸人の言うことだし誇張とかあるんじゃないの?」と思った読者様がもしおられたら、ぜひこれらの体験談をお読みになって下さい。
■1977年生まれで当時、枚方市の公立中学校に通われていた男性の体験談
2000/4/28 地元集中とは何だったか
「地元集中」という単語をはじめて耳にした人もいるかもしれません。これは、「公立中学校の生徒は、全員が同じ公立高校に進学すること」を意味します。私の記憶によれば、たしか高槻市から伝播したものと思います。私の頃には下火になっていたようですし私の中学は市内でもリベラルな学校だったのですが、「進路の時間」には地元集中の意義を聞いた憶えがあります。要は、これまで小・中といっしょだった友達たちと仲良く同じ高校に行くのはすばらしいという趣旨です。
T氏の兄は地元集中経験者で、四条畷高校(いわゆる進学校)を志望しようとすると「お前は友達を裏切るのか」と教師に説得され地元の高校(いわゆる教育困難校)に進学しました。T氏自身は牧野高校を志望していたのですが同校は人気が高かったらしく、T氏の言によれば英語の授業中に志望者全員が立たされて志望先を変えるように説得されたそうです。(私も同じ学級だったのに、ぜんぜん憶えていない。)
地元集中に私が批判的だったのは、「小・中といっしょだった友達と同じ高校に行くこと」がすばらしいとは考えられなかった点にあります。ずっと同じ場所にとどまっているよりも、場所を移していったほうが新鮮で楽しいし、可能性が広がるという確信を持っていましたので、ムラ社会のように1つの場所にとどまることには賛同できませんでした。
■1970年生まれの高槻市議会議員・北岡隆浩氏の体験談
2006年05月10日 夢を教師に潰された彼女のこと
〈前略〉
高槻南高校と聞くと、小学校5・6年生のときに同じクラスだった女の子のことを思い出す。少し変わった子で、いや、素晴らしい個性の持ち主で(笑)、KBSラジオの深夜放送「ハイヤング京都水曜日」(略して「ハイ水」・DJは「つボイノリオ」)が大好きだった。その子の影響で、私もこの「ハイ水」にはまり、つボイノリオの「名古屋はええよ!やっとかめ」が初めて買ったレコードになってしまった(中3のとき、「ハイ水」が終わってしまったのは悲しかった)。
小学校当時、私はチョコレートが苦手だったのだが、そんな私に彼女は、「好きです!明治チョコレート」(当時そんなCMがテレビで流れていた)と言いながら、バレンタインチョコの代わりにアイスクリームの形をしたボールペンをくれたこともあった。(今思えば小学校の頃は楽しかったなあ。担任の先生も大好きだったし)
楽しかった小学校生活を終え、彼女も私も高槻市立阿武野小学校から阿武野中学校へ。中3になって彼女が目指したのが、高槻南高校だった。
ところが当時、私達の中学校の校区内に、大阪府立阿武野高校が新設されたばかりで、特に「地元集中」が積極的に行われた。1年上の先輩は、阿武野高校の1期生として、「地元集中」で大量に入学していった(させられていった)。私が高校1年生になって、ラグビー部の練習試合で阿武野高校を訪れたとき、校庭にいる生徒のほとんどが見たことのある顔だった(笑)。
彼女も、この「高槻方式」と呼ばれる「地元集中」の犠牲になり、「高槻南高校に入りたい」という夢を、教師に潰された。
〈中略。Wiki「地元集中」の引用〉
子ども達の自由と人権を侵害する「地元集中」運動は、どう考えても、憲法違反だ。教師達が、社会主義・共産主義的な思想のエゴを満たすために、何人という子ども達が犠牲になったことか。
高校受験前、「進学校に行きたい」と思っていた生徒達は、地元集中を教師に押し付けられないか、それこそ戦々恐々とした不安な気持ちになっていた。校長室に呼び出され、阿武野高校に行くように説得された生徒が何人もいたと聞いた。幸い、私の担任はそのようなことを押し付ける人でなかったので助った。自分の担任が「地元集中」を勧める教師か否かによって、その後の運命を左右された生徒も多かったかもしれない。
「人権」って言葉を、やたらと聞かされたが、一体誰のための言葉なんだと思う。辞書には「人間が人間として固有する権利」と書いてあるが、学校では、特定の人達の「人権」しか教えられなかったような気がする。そして「地元集中」によって、子どもには人権なんてないんだと言わんばかりの扱いを私達の世代は受けた。私は以前「人権○○」と名乗る人間から人権侵害を受けたこともある。高槻では「人権」というのは、なんだか「特定の人達の権力」のように勘違いされているのではないか。
〈以下略〉
■1970年代、中3の時に高槻市に移り住まれた男性の体験談
日教組の犠牲者たち
日教組がどれだけ多くの日本人を苦しめてきたかは明白だと私は思っていたが、ネットを検索しても個人的体験を語っている人は意外に少ない。しかも多くは国旗・国歌がらみでの批判だ。だが日教組は本当の狂信者集団だと思う。私は自分の体験からこの点に確信を持っている。そこで、相当に古い自分の体験談を書いてみようと思う。何故なら、私の体験談はちゃんと証拠が残っているからだ。
〈中略。高槻市に引っ越した経緯およびWiki「地元集中」の引用〉
wikiは綺麗事しか書いてないが、高槻市の教育現場は凄まじく荒廃していた。私が中学3年2学期から転入した中学は高槻第六中学と言った。名前にピンとくるかたもおられるかも知れない。何故なら高槻第六中学の荒廃は高槻のなかでもずば抜けており、当時(1970年代)にNHKが1時間のドキュメンタリーにして全国放送したからだ。正確に番組の名前を覚えてないが「高槻第六中学の荒廃」といった題だったと思う。
〈中略。高槻第六中学がどれほど荒廃していたかの具体例〉
そして上のwikiが書いているように、私の担任女性教師は私の進路指導を拒んだ。高槻方式に従い、地元の高槻高校に行けと言うのだ。私は、ともかく日教組に支配された高槻市から逃げたかったので隣の高校への内申書を書いてくれと頼んだが、書こうとしなかった。記憶が曖昧なのだが、最終的に内申書は出なかったと思う。私は以前の中学に疑似内申書を依頼した(この部分は間違っているかも知れない)。
私はまだ幸運だった。わずか2学期で日教組に支配された高槻の教育現場から逃げることができたからだ。一方で高槻に生まれ育ち、こうした環境で教育を受けた人の多くが才能を潰され人生を無駄にしたと考える。日教組の「運動」なるものは、ここまで狂っていたのだ。それを確認したければNHKに要請して、70年代制作のドキュメンタリーを見れば良い。何 しろ私が在学した高槻第六中学をメインにした全国放送番組なのだ。
鳩山さんを始め、民主党の皆さん、あなた達は自分のお子さんをナイフが 飛び交うような教室に送りたいですか?送りたくないでしょ?なら何故、民主党は日教組の支援を受けているのですか?票が取れれば「テロリスト」でもいいんですか?国土交通副大臣、辻元清美さん、あなたは高槻で育ったんでしょ?どれだけ日教組が悪行を働いてきたか当然、知ってるはずだ。バイブを使ってる場合ですか?
民主党の皆さん、あなた達の支援団体の1つであるNHK代々木本部に行き、70年代のドキュメンタリーを見てください。そこで映され記録されている高槻第六中学の荒廃した教育は日教組がおこしたんです。
〈以下略〉
いかがでしたか?
リンゴさんも宇治原さんも実体験をありのままに話されているということが、十分お分かりいただけたと思います。
そうそう、すっかり忘れてたけど、辻元女史も高槻の人でしたね。
日本赤軍最高幹部の重信房子が逮捕時に潜伏していたのも高槻でした。そしてこの時、犯人蔵匿容疑で府立高津高校(伝統ある進学校です)の教師が逮捕されています(当時の報道はこちらを)。
さて、過去にも何度か細切れに書いたことがありますが、最近読者になって下さった方のためにも、ここで私の「日教組」体験談を改めてまとめておきます。
私は1964年(昭和39年)大阪府に生まれ、4才の時に和歌山市に引っ越しました。市立小学校、市立中学校、県立高校(普通科)と進み、21才まで和歌山市で過ごしました。
私は高校卒業までの12年間、学校で国歌を歌ったり習ったりしたことは、ただの一度もありません。学校行事で国歌が流されたこと自体、一度もありませんでした(国旗掲揚についてはよく覚えていません)。
小学校2〜3年の頃だったか、音楽の教科書の最後に載っている『君が代』というタイトルの歌がいったい何なのかが気になって、母に「これ何の歌?」と尋ねたぐらいです。
国歌の歌詞を覚えたのは大人になってから。初めて公共の場で国歌を歌ったのは25才頃、プロ野球の試合前の国歌斉唱時でした(パ・リーグは国歌斉唱があります。セ・リーグにそれがないことを私は最近初めて知りました)。
実は私と同じ和歌山市で育った母も、小・中まで市立だったのですが、やはり学校で国歌を歌った記憶はないと証言しています。母は1940年(昭和15年)生まれです。
私はけっこういい歳になるまで、全国のどこの学校もみんなこんな感じなんだろう、すなわち「国歌というのは学校で教わったりするものではなく、大人になってから覚えたい人だけが覚えるものなのだろう」などと漠然と思っていました。
が、もちろん、そんなのはとんでもない思い違いでした。
それに気づいたのは、大阪市に生まれ育った夫(1968年生まれ)とたまたま国歌の話になった時です。
「俺は学校で国歌習ったし、行事でもみんな普通に歌ってたで。え?そうやない地方もあるの?」と言われたのです。
私はものすごく驚きました。夫も私の体験談を聞き、「そんなん考えられへん」とたいそう驚いていました。
その後、ブログをやるようになり、全国の読者の方々から「私は大阪ですが、小中高と国歌斉唱したし、国旗掲揚もありました。小学校の授業では君が代の歌詞の意味も教わりました」とか、「私は名古屋ですが、国歌はしっかり歌わされました。特に小学校の時は、大きな声で歌わないと叱られ、ちょっとウンザリしたこともありましたが、『君が代』を嫌いになったことはないです」といったコメントをお寄せいただき、自分の方が異常だったんだと気づくに至りました。
今さら言ってもどうにもならないのですが、この日本という国で誰もが平等に与えられているはずの教育を受ける権利、それも日本人として一番基礎的な部分の教育を受ける権利を奪われたように感じ、腹が立つやら悲しいやらです。
また、私が通った中学・高校は、同和教育や反戦教育にかなり熱心でした。特に同和教育は年に1〜2回、特別授業のような形でカリキュラムが組まれており、学年ごとに体育館に集められてスライドや映画を見たり、どこかから呼ばれてきた人(同和問題の専門家?解放同盟の人?)が話をしたり、ということがありました。
あと、高校1年の時の担任かつクラブの顧問だったA先生(理科担当)というのが、きつい反戦平和主義者でした。が、私がそれを知ったのは卒業後だいぶ経ってから。
A先生とは卒業後もずっと年賀状のやりとりが続いていたのですが、定年後、本格的にプロ市民的な活動を始められたらしく、私に届く年賀状の文面は年々政治色の濃いものになっていきました。「憲法9条死守!」「イラク戦争反対!」「米軍基地はいらない!」といった具合にです。
ある時、ふと思い立って先生の名前でネット検索してみたら、な、なんと9条を守る会(具体名は伏せておきます)の幹部までされていることが判明。
私は意を決して、ある年、A先生への年賀状に「今年こそ拉致問題が解決し、被害者が全員帰国できますように」と書き添えて送りました。
次の年からA先生は私に年賀状を送ってこなくなりました(私はそれ以降も毎年送っていますが、返事は一度もいただけていません)。
当時の和歌山の日教組に関する情報(組織率など)を私は全然把握はしていないのですが、よそと比較するとかなり偏った教育がされていたのはおそらく間違いないと思います。
ただ、「地元集中」の被害に遭わなかった分、だいぶマシだったと言えるのかもしれません。私は自分の希望する高校を受験し、入学することができたんですから。
……って、これって普通のことですやん!
その普通のことをさせてもらえなかった方々に対しては同情を禁じ得ません。と、同時に日教組に対して改めて怒りが沸いてくるのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※拙ブログ関連エントリー(日教組)
・08/7/22付:再録「報道特集」日教組徹底研究
07年7月1日放送TBS「報道特集」の内容紹介。
生徒を利用した反米舞台劇。日教組組合員に共闘を呼びかける革マル派。
教研集会には朝鮮学校の組合代表、部落解放同盟の代表も参加。朝鮮語を使った人権教育、部落差別、障害者差別など、実際に行われた授業の報告が続くが、拉致問題を主題としたリポートはなし。
靖国神社について考えさせる、徳島の教諭の手作り教材は、中国の新聞に載った小泉首相(当時)の絵の横に「中国の人はどう思っているでしょう?」。最後は、小泉首相と東條英機元首相の写真を並べて掲載し、「あなたの意見をまとめてみましょう」。
教育基本法改正反対を叫び国会前に座り込む教師、「国会見学で来る小中学生に“闘う教員”の姿を見せる」。授業さぼって何やってんねん!(T^T)
「民主党頑張れー!日教組は最後の最後まで闘うぞ!」「国会に日教組の旗を立てましょう!」。民主党の輿石東氏曰く「日教組とわれわれ日政連(日本民主教育政治連盟。民主党を中心とする日教組の組織内議員団)の出番かもしれない」。
・08/10/13付:「たかじん委員会」教育問題と日教組
08年10月12日放送「たかじんのそこまで言って委員会」の内容紹介。
教育評論家の石井昌浩氏(元・国立市教育長)がゲスト。「戦後教育の主役。まず最大の主役はGHQ。それから現地代理人の文部省。それからその学校現場で思想を実践する日教組」。国立市立国立第二小学校土下座事件についても。
・08/10/25付:日教組とズブズブの民主党
民主党の輿石東参院議院会長の支持母体である山梨県教職員組合。2004年の参院選では小中学校の教職員らから組織的に選挙資金を集めていた。と同時に、選挙対策本部が教員を有権者への電話作戦に動員させていた。これは学校での政治的活動を禁じた教育基本法や教育公務員特例法の他、政治資金規正法にも違反している疑いがあるが、問題発覚以後も輿石氏と山教組の関係は依然として続いている。
・09/7/5付:民主政権は“日教組政権”だ 「WiLL」より
中山成彬さん(元文部科学大臣)と伊藤玲子さん(元鎌倉市議、「『建て直そう日本』女性塾」の幹事長)の対談起こし。
「組織率とは関係なく、声の大きい組合員が一人でもいれば、その学校は日教組の方針で動かざるをえない」「歴史教育と同様に重大な問題があるのが、過激な性教育」「小3の娘が同級生の男の子とドッキングしていた。母親がびっくりして『何をしてるの!』と聞いたら、『学校で先生が教えてくれた。親には絶対内緒にしろって言われた』と」「組合の研修内容も見るに耐えない。『法律に従うな』『校長の言うことを聞くな』とやっている」「自民党の議員でもほとんど日教組の実態を知らなかった」「真面目な先生が不登校の生徒を登校させようと努力すると、日教組の教師が妨害する。『学校に来るか来ないかは生徒の自由だ。決定権は生徒にある』」等々、日教組の信じられぬ実態が赤裸々に。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
★このブログが面白かったらクリックして下さい→
★ご面倒でなければこちらも→
英語・中国語・韓国語版もあります。ダウンロードはこちらから。コピーフリーです。世界に広めましょう!
「島根県の竹島英文ページを検索に引っ掛かり易くする作戦」もよろしく。
takeshima dokdo dokto tokdo tokto
________________________________________________
★トラックバックを下さる方へ
お手数ですがこちらに一度目を通されてから宜しくお願いします。
★コメント(投稿)を下さる方へ
初めてコメント下さる方は、お手数ですがこちらに一度目を通されてから宜しくお願いします。
Comments
読みながら目眩がしました…。
くっくりさんのおっしゃる通り、日本人としての根幹に関わる事柄を正しく子供たちに教えない日教組は、教育を受ける権利をなんだと思っているのでしょうか。
入学式や卒業式の国旗国歌騒動で、何かというと子供の「権利」だの「思想信条の自由」だのを持ち出して「強制するな!」なんて騒いでいますが、子供の権利を踏みにじっているのはあんたら日教組じゃないか!と改めて怒りが湧いてきました。
僕は小中高ともに東京の公立でしたが、幸いなことに日教組の被害(!)を受けた記憶がありません。
ちゃんと「君が代」も教わったし、昭和天皇が崩御された時は三学期の始業式で校長以下全教職員と生徒が黙祷を捧げました。
今にして思えば「あれが日教組だったんだな…」というエピソードは3つしか思い当たりません(以前もこちらで書かせていただいたかもしれません)。
(1)小学校の卒業式のリハーサルで、音楽の女性教師が「本当は君が代のピアノ伴奏なんかしたくない…」と言って泣いた。
理由は「子供たちを戦争に巻き込む歌だから」。
本番では渋々ながら(?)伴奏してましたけれども。
(2)高校の入学式と卒業式では一度も国歌斉唱が行なわれなかった(国旗も掲揚されていなかった)。
(3)高校の教師がたびたび(月に一回くらいだったかな)都庁にデモに行っていた。
そのため午前中の授業が自習になることが多かった。
当時は「自習だぁ〜♪」なんつって無邪気に喜んでいましたけれども ^^;
いわゆる「同和教育」というものも受けたことがありません。
何かの授業で部落解放同盟という言葉を習った記憶はありますが、感覚としては「明治維新」や「太平洋戦争」と同じく歴史の1コマという印象しか受けませんでした。
この問題はやはり関西のほうが根強いのでしょうか。
「在日朝鮮人」がどうのこうの、という話も出ませんでした。
学年に何人か「金」「朴」「鄭」などの名字の生徒がいましたが、特に意識することなく普通に接していました。
そういえば当時は「女子高生のチマチョゴリが切り裂かれた!」というニュースがわりとよく報じられていましたっけ(犯人が捕まったという続報は一度として聞いたことがありませんが)。
したがって、僕が「在日」というものを意識するようになったのはネットを始めてからです。
少なくとも日韓ワールドカップの時は無邪気に「日韓友好」を信じていたくらいです ^^;
以上、御参考まで。
長々と申し訳ありません<(_ _)>
子供が高校受験の三年前、中学の進路指導で、強く勧められるって言うほどではなかったですけど、地元のレベルの低い公立高校への進学をよしとするような、へーんな空気があって、「コレってなんなんだろう??」ってすごく不思議だったんです。
そういうことか・・・なるほど。
ウチは、京都市内です。