矢追 純一さん
「空を見てほしいと考えたからUFO番組を作った」
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■空を見てほしい! だから、UFO番組を作った
矢追純一さんは、日本テレビのディレクターとして活躍した。「11PM」「木曜スペシャル」などを担当。UFO番組や、超能力番組を制作した。スプーン曲げで大きな話題を集めた、ユリゲラー氏の番組を制作したのも矢追さんだ。
日本テレビを退職後、矢追氏はフリーのディレクター、プロデューサーとなる。地球環境問題やUFO問題を中心に、テレビ、ビデオ、ラジオの番組制作、出演と活躍してきた。さらに著述、講演、取材などで世界中を飛び回っている。
そんな矢追氏が、そもそも「11PM」でUFOの番組を作ろうと考えた理由は、一体何だったのだろうか?
「視聴者に、空を見てほしいと考えたからです」(矢追さん)
番組が作られたのは1973年(昭和48年)。ちょうど高度経済成長が終わり、その後の安定成長期に移行する頃だった。
「今でも日本人はそうかもしれないけど、その頃、急いで街を歩いている人が多いことが気になっていたんです。用があってもなくても、とにかく急ぐ。それに、前方一点を見すえて、まるでゾンビのように歩いている人がほとんどでした。
そのままだと、将来日本人は行き詰まってしまうかもしれないし、日本全体が煮詰まってしまうかもしれない。そんなことにならないよう、もう少し余裕をもってほしい。急いでいても、時々立ち止まって空を見る余裕をもってほしいと考えたんです
」
しかし、単に空を見せるだけでは、番組として成り立たない。どうしたらいいか考えた矢追さんは、思わぬところでヒントを手にした。それは、書店で手にした本だった。
「空飛ぶ円盤の本でした。読んでみると、円盤に乗って宇宙人が地球に来ているらしい、と書いてある。『これは面白い。UFOの番組を作ろう』とその場で決めました。そして、宇宙人が乗ったUFOが来ているかもしれないから、みんなで空を探してみましょう、という感じの番組が完成しました」
■予測はストレスの元。「僕は、とっくに捨てました」
矢追さんが作ったUFO番組は高い視聴率を記録。すぐさま第2弾が制作されることに決まった。
「僕は自分から売り込んでいくことが苦手でね。『これをやりたい』『これができます』と、あまり言わないんですよ。その後も、プロデューサーが『矢追、またやれよ』と声をかけてくれたから、番組を作ってきました。誰も何も言わなかったら、何もしないタイプですね」
とはいえ番組を制作するうちに、矢追さんの所にさまざまなUFOの情報が集まるようになった。中には、地球に宇宙人が来ていると考えざるを得ない情報もあったという。
「でも、世の中いろいろなことが起こるじゃないですか。UFOがいても当たり前、いなくても当たり前。どっちだっていいんですよ。そんなことはね。
『もしも宇宙人が攻めてきたらどうしようか?』などと心配していても、しょうがないでしょう。万が一攻めてきたら、そのときに考えればいいんですよ
」
いくら将来のことを考え、予測をしても無意味ではないか。それが矢追さんの考え方だ。
「たとえば、気象庁は世界最高クラスのコンピュータに、ありとあらゆるデータを入れて天気予報を出しているそうです。それでも当たらないことが多いでしょう。僕らが生きている世界は、一瞬一瞬変化している。だから、予測が当たらないんです。
僕だって、ほんとうに当たるものなら、予測をしますよ。でも、これまでの人生で当たった試しがないからね(笑)。僕は、とっくに捨てました
」
矢追さんは「予測がストレスの原因になっていると思う」とも話してくれた。一生懸命考え、未来を予測してみても、そのこと自体が不安の種になることがある。また、せっかくの予測も外れることが多いため、そのことがイライラの元になるからだ。
■満州での過酷な経験。そのおかげで気づいたこととは?
「とっくに予測はやめた」と語る矢追さん。では、どんな生き方をしているのだろう?
矢追 純一さん
「予測はストレスの元。僕は、とっくに捨てました」 |
「自分が、今でもこうして生き残っていることだけでもすごいことだと。僕と同じ時代を生きてきた方が、数え切れないほど亡くなっています。せめて、今こうして生きていることを楽しまなければ申し訳ないと思っています」
矢追さんは、旧満州国で生まれた。父はエリート官僚。当時珍しかった冷暖房つきの鉄筋コンクリートで、父が自ら設計した白亜の超高級ハウスに住み、使用人もいる生活を送っていた。
しかし、矢追さんが10歳のとき、日本は第二次世界大戦に敗戦。手のひらを返したように、中国人の使用人から「家から出ていけ」と脅され、零下20度の極寒の大地に放り出された。
満州で豊かな生活を送っていた頃、矢追さんは神経過敏で対人恐怖症ぎみで、今で言う不登校の状態だった。その上身体も弱く、年の半分以上は病院に入院していた。
そんなひ弱な少年を、満州で生きのびるための過酷な生活が別人に変えた。ほとんど毎日、人が亡くなる光景を目にした。自らも、鉄砲の玉がびゅんびゅん飛び交う中、必死に逃げ回った経験が何度もある。
「恐いものがだんだんなくなっていきました。そして、常に死と隣り合わせの生活が2年ほど過ぎた頃、最後の引き揚げ船になんとかもぐり込むことができ、日本に戻れました。
今、振り返ってみると、こんな経験ができて、ありがたかったと思っているんです。それは、物質欲、名誉欲、金銭欲などが、全部消えてなくなってしまったからです
」
昨日までの恵まれた生活が、敗戦を境に、着の身着のままで逃げまどう状態に追い込まれた。以前の父親の名誉も全く役に立たない。日本の軍隊も警察もいない状態だから、たとえ身内が殺されても文句を言う先もない。
「もっていたお金だって、単なる紙くずです。お札は固いから鼻もかめないし、燃やしてもすぐ消えてなくなる。ほんとうに何の役にも立ちませんでした」
物やお金は一夜にして消え去ることがある。この真実を体感した矢追さんは、現在でも、購入したマンションに釘1つ打たないのだという。「いつ自分の物でなくなるか、わからない」が理由だ。
「僕の物の見方は、常識的な見方とは180度違っていると思います。大部分の人が物、名誉、金を追求するじゃないですか。たとえば、会社での地位を必死に守ったりしてね。そんな姿を見ていると、悲しくなってしまうことがあります」
それは、地位を守るために、冒険を避け、責任を部下に押しつけるような生き方をせざるを得ないからだ。
「生きていることは、それだけですごいことなんです。それは僕だけじゃなくて、誰にとっても同じです。でも、みんな、今、生きていることを忘れている。そして物、名誉、金などの架空の世界や、『あれをしなきゃ。これをやるのを忘れてた』といった頭の中だけで考えている空想の世界。いわゆる『バーチャルな世界』に心を奪われて、今、自分が身を置いている現実が見えなくなっている。だから、僕にはゾンビのよう見えてしまうのだと思います」
■“楽に生きるコツ”を伝えておかないと、後味が悪いかなと思って…
7年前、矢追さんは「宇宙塾」を始めた。
「満州の2年間の体験で、いろいろな欲が消え去ってしまった。そのおかげで、若い頃から、普通の人よりも100倍楽をしながら、楽しい人生を送ることができました。でも、僕もいつまで生きていられるか、わからないからね(笑)。今のうちに一人でも多くの人に、楽に生きるコツを伝えておかないと、後味が悪いかなと思って『宇宙塾』を始めたんです」
宇宙塾のモットーは「考えるな」だ。頭を使って未来を予測せずに今を楽しむ。物質欲、金銭欲、名誉欲を追求することが「バーチャルの世界」に過ぎないことを理解して、それにこだわらない。しかし、これで人生がうまくいくとは、にわかには信じがたい。
「こんなことをしたら楽しいかもしれない。そう思っていると、楽しいことが向こうから寄ってくるんです。
それとは反対に、たとえばある人が会社をリストラされたとします。『このままではマズイ』と焦ったり、ハローワークに行ったりしますよね。だからうまくいかないんです」
それは、心の余裕がないからだろうか?
「いや、良いチャンスだと思わないからダメなんですよ」
リストラが、良いチャンス??
「そういう機会でもなければ、その会社に骨を埋めるわけじゃないですか。でも、リストラのおかげで、ほかの選択肢が現れた。可能性は無限にあるわけじゃないですか。たとえば、今まで『やりたい』と思っていたことにもチャレンジできます。
大切なのは、『ほんとうに私がやりたいのは何だろう?』と考える時間をとることです。幸いなことにたいがいの人は失業保険があるはずですから、僕は、『その期間中、思い切りぶらぶらしたら』とアドバイスすることが多いですね」
ぼーっとした時間をもつことで、忙しい時には見えていなかったことが見えてくる。すると、その人ができる仕事が、実はたくさんあることに気づくはずだという。
「金がない、コネがない。だからダメとおっしゃる方は多いんですが、常識に囚われているからそんな考え方になってしまうんです。
たとえば近所の高齢者の方の話を聞いているうちに、新たな仕事のヒントを得られるかもしれない。いや、そうした淋しいお年寄りの方の話を聴くこと自体が仕事になるかもしれません。どちらにしても、その人が普通に働ける状態だったら、世の中が放っておかないはずです。思わぬ形で訪れるチャンスを素直に受け入れ、自然に生きていけば、うまくいくようになるはずです」
このような考え方の変化が参加者の中で起こることが、宇宙塾のねらいだという。そのためには、その人が身につけてきた常識の鎧を外す必要がある。宇宙塾でUFOの話をするのも、常識では計り知れない出来事が起きている事実を知ってもらって、鎧を外すきっかけにしてほしいからだ。
「ただ、宇宙塾で僕が話すことは、エンターテインメントに過ぎません。ほんとうに伝えるべきメッセージは、目に見えない形で伝わっていきます。だから、参加者には『話を聴いていて、眠くなったら寝て下さい』と言っています。エンターテインメントの部分は聞き逃しても、本質的なメッセージは必ず伝わっていますから」
宇宙塾の参加者の一人は「ちょうどお風呂に入っているような感じ」と説明してくれた。その場にいるだけで、身体が温まってゆったりした気分になるのだという。そして鎧が外れていくに従って、いろいろな事実が見えてくる。すると、目に見えないエネルギーを使って人の身体を元気にする「ヒーリング」が身につく。「宇宙塾の卒業生は一人残らず、手を触れずに癒すことができるヒーラーになる」というのだ。
こうした体験が、知らず知らずのうちに鎧を外すことにつながり、矢追流の生き方を試してみるきっかけになっているのではないか。
矢追流の生き方とは、「来るかどうかわからない未来をあれこれ推理し、そのことで頭が一杯になって、今、現在この場で感じられることがどこかに消えてしまっている状態…。つまり『バーチャルな世界に生きる』のをやめて、もっと、『生きている』というかけがえのない事実を新鮮に感じとり、生きていることを楽しむこと」だ。
これが、ほんとうに幸せにつながるのか? 試してみる価値はありそうだ。
(第14回 矢追 純一さん インタビュー 終わり)
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