学問のすすめ五編は文明には二種類あって、それは有形のものと無形のものであるということが書かれている。有形のもの―学校、工業、軍隊など―は銭を出せば買えるが、無形の「文明の精神」、すなわち「人民独立の気力」が大事なのだとする。政府が雲上にあって国民がこれに依頼するような日本のあり方ではだめだと批判している。
ここまではよく聞かれる議論であるが、そのあとが興味深い。福沢は西洋の資本主義発達史に鑑みて、中等社会の到来を歓迎したのである。その意味で福沢には資本主義的性格が強い。陸など資本主義社会の到来に批判的であった人物とは違う。
六編は法律は国民が政府に依頼して作らせたものなのだから、破ってはならないという趣旨である。このとき福沢は政府との「約束」という表現を使っている。明らかに社会契約論的立場に立つ者としての発言なのである。
したがって法律は官吏や警察が見ていないから破ってもよいという問題ではないことを説いた。
以上の福沢の発言に共感する部分ももちろんあるが、その発想の根幹が資本主義、社会契約論的なものから発想していることは注意しておくことだろう。
ここまではよく聞かれる議論であるが、そのあとが興味深い。福沢は西洋の資本主義発達史に鑑みて、中等社会の到来を歓迎したのである。その意味で福沢には資本主義的性格が強い。陸など資本主義社会の到来に批判的であった人物とは違う。
六編は法律は国民が政府に依頼して作らせたものなのだから、破ってはならないという趣旨である。このとき福沢は政府との「約束」という表現を使っている。明らかに社会契約論的立場に立つ者としての発言なのである。
したがって法律は官吏や警察が見ていないから破ってもよいという問題ではないことを説いた。
以上の福沢の発言に共感する部分ももちろんあるが、その発想の根幹が資本主義、社会契約論的なものから発想していることは注意しておくことだろう。
ブログ再開されて何よりです。パソコンの具合はいかがですか。
学問のすすめに取り組まれてから一年になりますね。老眼が進んで長文を読むのが少し苦痛になってきましたので、耕さんの簡潔な解説はとてもありがたい(笑)。
諭吉は生涯を政・官からは距離を置いて生きた人のようですが、それはこの六編の中にある「野に遺賢なし」という学者たちへの猛烈な反発心もその理由のひとつかも知れませんね。
話は変わりますが、前に耕さんは大学四年間で千冊の本を読んだと仰ってましたね。
私は今年の元旦に千人の人に会うという目標を立てまして、先日、それを達成できました。いえ、千枚の名刺交換をしたといった方が正確ですかね。
そのうち長くお付き合いいただけそうな方、あるいは何度もお会いしたいと思った方は十数名でしょうか。
ただ、まだ見知らぬ人に会うというのはとても新鮮な刺激があって、時にはいい気分転換にもなっていいものだと感じました。
おっと、エントリとは全く関係のない独り言でした。大変失礼しました。
続編を楽しみにしています。