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日本人妻、息子思い送金<脱北9>

「北に残した子供のことを思うと食事ものどを通らない」と話す上田ツタエさん(千葉県で)

 東京中央郵便局に昨年11月、段ボール箱を抱えて現れた上田ツタエ(71)(千葉県在住)の顔は、憂うつと不眠のせいで青白かった。

 北朝鮮の家族に仕送りする箱の中身は食料品と紳士靴。靴の中底の裏には1万円札を20枚しのばせていた。保衛部(秘密警察)に捕らわれた息子の解放に必要な「身代金」だった。

 上田は帰国事業で北朝鮮に渡った日本人妻だ。2003年に脱北したが、北の当局が日本入りを察知。以来、息子が何度も逮捕され、「金を渡さないと労働鍛錬隊(懲罰労働)に送られる」と、救いを求めてきた。

 送金額はすでに計110万円に上る。生活保護で暮らす身では賄いきれず、金は脱北者支援NGOに立て替えてもらっている。

 上田が在日2世の夫と北へ渡ったのは1960年。自宅のあった北海道砂川市の朝鮮総連支部でスライドを見せられ、整然と並ぶ平壌の鉄筋アパートが輝いて見えた。「絶対行くな。親子の縁を切る」と猛反対する母には、「3年後には里帰りできるから」と、支部で聞かされた“約束”を伝え、振り切った。

 配置先は日本海に面した田舎町。が、生活水準の低さに落胆する。翌61年、4歳の長男が病気で急逝。里帰りも空手形に終わった。

 町には22人の日本人妻がいたが日本語の使用は禁じられ、皆、朝鮮名を名乗った。道で会っても人目を恐れ、朝鮮語で慰め合った。

 90年代半ばの食糧危機で、うち6人が餓死した。北に着いて間もなく夫を亡くした青森出身の独居女性、夫が政治犯として逮捕され女手一つで子供を育てた東京出身の母親――。上田の脱北時、生存者は自身のほか2人だけになっていた。

 「死ぬまでに古里の土を踏みたい」。一念で日本に生還したが、北の揺さぶりにおびえる日はいつまで続くのか。「私が戻るのが、家族のためかもしれない」。最近、ふと漏らした独り言に、上田は身震いした。

 帰国事業で海を越えた日本人妻は1831人に上るが、自由な往来は認められていない。脱北を果たし、日本に帰り着いたのは10人に満たない。

(敬称略)
2009年11月28日  読売新聞)
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