【コラム】韓国料理のグローバル化は修行から(下)

 このうち、「すきやばし次郎」というすし店の高齢の主人は一年中、手袋をはめて外出することで有名だ。手の感覚を失わず、雑菌を板場に入れないための工夫だ。日本では、「一人前のすし職人になるには飯炊き3年、握り8年」という言葉がある。生ものをさばくのに必要な修行は、人間を裁くのに必要な修行と、その難しさにおいては差がないということだろう。

 もちろん、日本では祝祭日に営業するすし店も多い。修行を始めて1年にもならないような駆け出しがすしを握る店も一つや二つではではない。機械が酢飯を握り、従業員がビニールの手袋をはめた手で解凍した魚をパッパッと載せる姿も見られる。どれも職人の世界とは懸け離れている風景だが、千切り大根の1本、大葉の1枚も汚いのではないかと恐ろしくて食べられないケースは見たことも、聞いたこともない。

 日本食は「グローバル化に成功した」と評価されている。中でも最もグローバルになったのが「sashimi(刺し身)」と「sushi(すし)」だとすれば、少し味気ない。刺し身もすしも料理だろうか。火を通していない生ものなのに…。こんな疑問には、次のような答えがある。修行を積んできた腕のいい職人の手により、清潔なまな板の上で丹念にさばかれ、見事な皿の上にシャキッとした白髪大根と共に盛りつけられ、完成するという全過程が評価を受けたのだと。「食文化」という総体的な過程だ。

 大膓菌の千切り大根にリサイクルの刺し身? 韓国で依然として耳にする話を聞くとガッカリする。「先進国に比べると、まだ国民所得が低いから」という言い訳は、日本から見れば大うそだ。

 「韓国料理のグローバル化? 笑わせないで修行でもしろ!」。身をささげながら、傷んだ千切り大根と共に冒瀆(ぼうとく)される魚は、韓国の食卓でいつもそう叫んでいるのかもしれない。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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