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【玄界灘を越えて】白仁天物語(6)誰もが認めるパイオニア (3/3ページ)
大韓野球協会の前副会長、金小植は白を「同じく日本へ渡ったプロ棋士、趙治勲と似ている。2人とも命がけで戦う勝負師だ」と評する。さらには「韓国野球に精神力や闘争心を植え付けたのは白さん。発足時に彼がいなかったら『ユニホームはプロで、中身はアマ』という選手の集まりになっていたかもしれない」とまでいう。
東映で同僚だった高橋善正(現中大野球部監督)も、「白さんはいつも野球に全力で真剣に取り組んでいた。だからこそ二つの国の野球を結びつけることができたと思う」と語る。
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今秋、白は日韓文化交流基金賞を受賞した。「日本へ行って野球をして、韓国へ帰ってまた野球をして…。自分の人生、苦労はあったけど認めてもらえたんだなあ」。その原点となったあこがれの長嶋茂雄が04(同16)年に自分と同じ脳梗塞で倒れたとき、白はリハビリ用の保温マットを贈っていた。
3年前、届いたお礼。「カムサハムニダ(ありがとう)」。ハングルで書かれたその手紙が、白にとって最高の宝物となった。
=敬称略
(この連載は三浦馨が担当しました)
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【用語解説】2002年日韓W杯
日本と韓国が開催をめぐって激しい綱引きを続けたサッカーの2002年W杯は1996年、国際サッカー連盟の理事会が全会一致で日韓共同開催を決めた。両国の招致活動の過熱ぶりを憂慮しての“政治的決着”だった。2カ国による共催、アジアでの開催はともに初めて。
注目の決勝は横浜で行われ、ブラジルが2−0でドイツを下し、5度目の優勝。参加32カ国の頂点に立った。韓国はアジア勢過去最高のベスト4、日本もベスト16という成績を残し、大会は幕を閉じた。
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