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【玄界灘を越えて】白仁天物語(5)“大逆転”で韓国一の監督へ (2/4ページ)
このニュースのトピックス:離婚&破局
MBC青龍からは監督専任を要請されたが、「自分を生きた見本にして」と選んだプレーイングマネジャーで成功。ところが、三美スーパースターズに選手兼任コーチで移籍した翌83(同58)年、私生活でつまずく。ラングーン事件のあったこの年、別の女性との不倫関係を妻から「姦通罪」で告訴され、身柄拘束されてしまった。
まもなく離婚によって告訴取り下げとなり、選手として復帰したが、力は戻らなかった。翌84(同59)年に現役引退。球界から離れ、ゴルフウエアの輸入販売事業に力を注いだ。ただし野球への情熱は失わず、日本で学んだ財産を今度は監督専任で生かしたいと思うようになった。
多くの野球人がそうであるように、白も最初に入団した東映フライヤーズの指導者から受けた影響が大きかった。監督の水原茂は、がまんの采配(さいはい)が特徴。ゲーム中盤まではチャンスが訪れても三沢今朝治、島田雄二ら代打の切り札を使わず、ベンチをやきもきさせた。だが「勝負師」と呼ばれた水原は、終盤にズバッと代打を起用。手駒も期待に応え、「さすがは水原さん。試合の流れを読んでいる」と白の目を見張らせた。
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