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【玄界灘を越えて】白仁天物語(5)“大逆転”で韓国一の監督へ (1/4ページ)
このニュースのトピックス:離婚&破局
日本でプロ20年目を終えた白は「韓国プロ野球元年」となった翌1982(昭和57)年、MBC青龍の選手兼任監督に就任した。記念すべき開幕戦は3月27日、本拠地ソウルでの三星ライオンズ戦。日本から下田武三コミッショナー、あこがれの長嶋茂雄が駆けつける中、勝利を呼び込むホームランを放った。
その後も「日本でがんばってきた自分が、『プロ野球とはどんなものか』を見せたい」という一心でチームを引っ張り、シーズン終了時の打率は・412。今も破られていない驚異的な数字で首位打者に輝いた。
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前年まで日本で1831安打。通算2000安打まであと169本と迫っていた白は、近鉄バファローズ監督を退く西本幸雄から「あと2、3年はやれ」と励まされていた。ところが、最終戦終了直後に父の慶道が死去。葬儀のためソウルへ駆けつけたことが、その後の人生を変えた。
翌年発足する韓国プロ野球の設立メンバーから「白さんの力を貸してほしい」と懇願されたのだ。返事を保留し、福岡に設立されていた個人後援会へ報告すると、意外にも帰国を勧められた。「あなたが日本に来られたのは、母国のおかげでしょう。あちらが苦しい時期に必要とされているなら、力になってあげなさい」。支援者の言葉が心にしみた。
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