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【玄界灘を越えて】白仁天物語(4)14年目の首位打者 円熟味増し「勲章」 (1/3ページ)
このニュースのトピックス:ヤクルト
最終打率は「・3192」と「・3187」。昭和50年、太平洋クラブライオンズ(現西武)へ移籍した白仁天は、わずか5毛差で首位打者のタイトルを手に入れた。シーズン終盤、右手甲に投球を受けて骨折。規定打席(チーム試合数×3・1)不足にならないよう強行出場し、左手一本でヒットを打ち続けた。
残り8試合で最終規定打席数をクリア。すると、それまで「出られるんなら、出ろ」と叱咤(しった)していたプレーイングマネジャーの江藤慎一が、逆に「休め」と厳しく命じた。「いい当たりでも打球が正面を突くことがある。4打数ノーヒットなら下にぬかれるんだぞ」。自身も移籍を繰り返し、両リーグで首位打者に輝いた指揮官の言葉には重みがあった。
その後、日本ハムファイターズの小田義人に追い上げられたものの、トップのまま全日程終了。栄冠に輝いた白は「首位打者の勲章は一生ついてまわるもの。監督の言う通りにしてよかった」と感謝した。
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白が長く在籍していた東映フライヤーズは、日韓両国を揺るがせる金大中事件の起きた48年に日拓ホームが買収。翌49年に日本ハムが親会社となり、チーム名もファイターズに変わった。新チームによくあることで、日本ハムも東映色の強い選手を次々と放出。白は50年に東田正義とのトレードで太平洋へ移った。同時期に主軸の大杉勝男はヤクルトへ、張本勲も翌51年に巨人へ出されている。
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