池田信夫 blog

Part 2

bpo
きのう取材に来た、あるプロダクションのディレクター(兼カメラマン)が、「BPOのレポートが業界で話題になっている」というので、17日にBPO(放送倫理検証委員会)が出した「最近のテレビ・バラエティー番組に関する意見」を見てみた。確かにおもしろい。マンガ入りで文体も型破りで、こんな調子だ。
これだけガンバってきたバラエティだが、最近の話になるにつれ、関係者の口調はだんだん愚痴っぽくなる。

曰く、バラエティはあらゆることをやりつくし、いまや何をやっても既視感がつきまとう。曰く、タレントとその予備軍は相変わらず少なくないが、突出したカリスマ的才能、ビッグな芸人が少なくなった。曰く、放送界にコンプライアンスを矮小化した事なかれ主義、サラリーマン的保身がはびこって、ムチャなこともできなくなった。曰く、バラエティの制作者も、旬の芸人やタレントのキャスティングができるというだけの要領のいい連中ばかり跋扈しているんじゃないか。
民放のバラエティをつくっているプロデューサーは、意外に楽しそうな顔をしていない。彼らだって偏差値の高い大学を出てテレビ局に就職したのだから、本当はドキュメンタリーのような社会的に評価される番組や、ドラマのように芸術的な完成度の高い番組をつくりたいのだが、このごろは上から「制作費*割減」という号令ばかりかかるので、ローコストのバラエティが増えた。それもギャラの高いタレントが使えないので、局アナと新人お笑い芸人の内輪ネタで埋める。レポートは、こういう状況をまじめに分析する。
ここに漂っている閉塞感は、おそらくバラエティだけの問題ではない。経済の先詰まり感、政治の停滞感、行政の不透明感・・・私たち一人ひとりはこうしたさまざまに気を滅入らせる現実に囲まれて暮らしている。せいぜい内輪の話題で盛り上がり、憂さを晴らすことぐらいしかやることがない。面白くない出来事、不愉快なノイズ、癪に障る連中のことなんか知ったことか。無視を決め込むか、イジメてやってせせら笑ってりゃいい・・・とばかりに、あっちでもこっちでもサディスティックな冷笑的な気分がわき上がり、広がっていく。
つまりバラエティのつまらなさは、今の世の中の閉塞感の鏡なのだ。だから世の中がちっとも前向きにならないのに、バラエティだけにうるさく「倫理」を求めてもしかたがない・・・という開き直りとも読めるが、恐いのは「視聴者がそんなにバカじゃない」ことだ。「同じパターンの繰り返しで、ついまんねえよ」という声が、彼らには一番つらい。限られた予算の中では、それしかできないのに・・・

BPOは、1997年にできたころは苦情処理機関という位置づけで、なるべく仕事をやりたくない感じだったが、最近テレビへの逆風が強まり、「自分たちで何とかしないと視聴者に見捨てられる」という危機感が出てきた。取材に来たディレクターもいっていたが、「数字」を求める上の要求と番組の質の板ばさみで悩んでいるのは、現場の彼らなのだ。

これは行政が介入して改善するような問題ではない。むしろBPOは、日本で機能している数少ないADR(裁判外紛争処理機関)として育てたほうがいい。日本版FCCを国家公安委員会のような組織にするとか意味不明なことをいっている原口総務相には、このレポートを読んで業界の実情を少しはわかってほしい。

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コメント一覧

  1. 1.
    • ysrobins
    • 2009年11月19日 12:31

    3
    むかし落語家は口へんに新しいと書いて「噺家」と呼ばれてました。寄席は笑いや芸の場であると同時に一種のジャーナリズムであり、権力者や「健全な人」が眉をひそめる物だった。お笑いとは元来そういうものです。

    亡くなった「夢路いとし・喜味こいし」のいとしさんが生前にダウンタウンと対談した時に「昔の寄席の笑いは今よりもっとエゲつなかった。エンタツ先生なんかアチャコ先生の頭を一斗缶や本物のビール瓶でガンガンどついとった。舞台で血吹くなんて当たり前やったで。」と語っていました。
    ダイマル・ラケットやエンタツ・アチャコなどの話芸の達人たちも、最初からそうであった訳ではなく、色々やって最終的に到達した形が話芸なのであり、それだけを見て「昔の芸人は話芸で勝負していた。それに比べて今は。。。」等としたり顔で論評するのは、いかに笑いの歴史に無知であるかの証明です。

    若手芸人達も含めて日本のお笑いは世界有数のレベルです。それを正しく認識出来ていないだけの話。要するに見る目が無いんです。(つづく)

  2. 2.
    • ysrobins
    • 2009年11月19日 12:31


    日本発の大衆文化に日本人は冷たすぎます。お笑いだけでなくアニメ・ゲームなども含めて。そういう「見る目の無い人達」に限って、自分たちこそは頭の良い倫理観に富んだ優れた人間だと思い込んでる。そういう人達が、亀井大臣の「小泉改革で日本型経営が崩れた」なんてヨタ話に平気で引っ掛る。まさにカモです。

    バラエティ番組よりも報道・情報番組の方が問題山積だと思いますし、メディアリテラシーという観点からすれば、バラエティ番組を観ていた方が余程良いですよ。亀井大臣に引っ掛るレベルでしか報道を見ていないのなら、初めから見ないほうがマシです。

  3. 3.
    • ddd03
    • 2009年11月19日 14:03

    予算の少ない深夜番組や素人の作った動画など
    お金をかけないで面白い物もあるので、テレビ局のシステムが悪いか、アイディア不足だと思う

    ただ、ネットを使って良い物を探す場合の時間の節約と簡単さも視聴率低下の要因でしょう

  4. 4.

    >ysrobinsさん
    亀井さんの発言にひっかかっているのは、「見る目の無い人達」も含まれていると思いますよ?
    別の所にひっかかる原因がある気がします。

  5. 5.
    • firefry_8255
    • 2009年11月20日 00:58

    >時代の閉塞感
    これは別に今の時代に限ったことでもないのではないでしょうか。

    最近1970~80年代の新聞の記事や投書などをまとめて読む機会が
    あったのですが、笹沢佐保のベストセラーだった「木枯らし紋次郎」
    の評価や80年代のシラケ世代に対する論評を今読むと
    「閉塞感のある時代が生んだ~」とか「政治に興味を持てなくなった
    若者が~」という定型的な文の組み立てがよく出てきます。
    背景はデフレでなくインフレで、受験競争やオイルショック、
    今のような規制のない公害やサラ金の話との絡みで出てくることが
    多かったですけれど。

    少し前のヲタク論でも政治の季節の終わりと閉塞感が内向性への由来…
    という論評が少なくなかったように思います。
    「漠然とした不安」にしても、戦後のデカダンにしても
    前述の高度経済成長期にしても、現在の評価は昔は良かった的に
    美化されたフィルターとの比較があるのではないでしょうか。
    別に映画版の「三丁目の夕日」みたいな貧しくても希望がある時代や
    空気でもなかったというか。

  6. 6.
    • firefry_8255
    • 2009年11月20日 01:24

    >娯楽番組について
    質よりも、過剰供給の問題も大きいかもしれませんね。

    多チャンネルに加えて、ネットでも動画が溢れている所に
    お笑いや生活番組が投下されて、飽和と陳腐化が進むこと
    で更にジリ貧となりループしてしまう。
    でも娯楽や刺激は過剰摂取するほど麻痺してくるので
    視聴者の要求は下がらない。
    「消費の加速と供給過多による飽和ループ」の傾向は
    他のジャンルでも同じなので、案外これと逆の手法の
    飢餓商法が力を発揮する事もあるのでしょうか。

    >製作のしにくさ
    森達也氏も放送禁止歌などで書いたような、クレームを
    恐れて製作が萎縮してしまう空気はありそうですね。
    blog炎上に代表されるように、攻撃欲求の捌け口として
    気兼ねなく叩ける対象が欲しい人にとってTVは格好の
    材料になりやすい事もあるように感じます。
    でも表現活動には毒が必要なので、もしTVが万人向けを
    指向しているのならば、その姿勢自体が縛りになるの
    でしょうね。

  7. 7.
    • ysrobins
    • 2009年11月20日 09:58

    >4. vancouvered
    >亀井さんの発言にひっかかっているのは、「見る目の無い人達」も含まれていると思いますよ?

    ???
    意味がわからないんですが、元投稿を良くお読み頂けますか?

  8. 8.

    報告書をみましたがバラエティ制作者へのエールという感じでしたね。

    表現の自由というのは国民の総意で成立するものなのだとおもいます。制作者は表現にたいする視聴者の注文に耳をかたむける必要があるし、視聴者のほとんどが表現規制をのぞみだしたら表現の自由をうったえていく必要があるとおもいます。

    映画倫理委員会(映倫)も事前審査機関からBPOのような事後審査機関に再編するべきではないでしょうか。

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