February 28, 2006

金メダリストを肩車した果報者は誰?

 トリノオリンピック閉会式で、日本人唯一の金メダリストとなった荒川静香を男子選手が肩車して行進したのは実に粋な計らいだと思ったが、その肩車をする恩恵に与ったのはいったい誰なのか興味がある。
 誰が肩車をするかを抽選やジャンケンで決めたのでないとすれば、自ら買って出たのか、それともそうしたくなる衝動にかられたのか、機を見るに敏であわよくば恋人や婿の座を射止めようという作戦に出たのか、いろいろな選択肢が考えられるが、現象だけ見れば実に微笑ましい。
 今だから言うわけではないが、荒川静香の演技はまるで最初から金メダルが決まっていたかのように見事だった。に留まった二人がメダルを取ろうとしゃかりきになっていたのとは違って、メダルなど眼中にない、まるでプロのような優美な舞を演じたのだから、観客のスタンディング・オヴェイションも当然なら、金メダルも当然。の二人が得点に加算される技術だけに走る点取り虫の醜さを露呈させたのに対して、荒川静香は得点に無関係なイナバウアーを取り入れてひたすら美しく舞うことだけを追求したのが効を奏したのだ。
 ところで、金メダリストを肩車するという、金メダル以上の好運を得た男子選手はどこの誰なのか、知っている人がいたらぜひ教えてほしい。

  
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書くための英文法→ロイヤル英文法・講読のすすめ

 英文法そのものに種類があるわけではないが、学ぶ姿勢として「読むための英文法」、「書くための英文法」、「文法問題を解くための英文法」などに分類することならできる。そして、その中で何よりも価値が高くて不可欠なのが「書くための英文法」であることは間違いない。
 英文法の正確な知識がなくても、日本語の知識に助けられて英文を読んだり和訳したりすることはできるし、また数々のヒントに助けられて文法問題を解くこともできるが、英文法の知識が正確でないと英文を書いたり日本語を英訳したりすることはできない。英文を書くために要求される文法知識の水準は読むためや文法問題を解くために要求されるものと比べてはるかに高くて厳しいので、それを満たすことが英語の学力を大きく引き上げることは間違いない。
 このたびロイヤル英文法・講読のための説明会を2月25日に津田沼、27日に千葉で行ったところ、合わせて3桁の参加者があったのは嬉しい誤算であると言ったら「そんな失礼な」と言われかねないが、声をかけた甲斐があったのは喜ばしい。受験屋としてこうしたボランティア活動を行うのも、受験生諸君が確実に力を伸ばして確実に第一志望大学合格することを願ってのことだから、呼びかけに積極的に応じる者が多ければ多いほど嬉しいのは当然といえば当然だろう。
 実際3月から4月の新学期が始まるまでは受験生が学力を上げるには絶好の条件を備えていて、この期間を逃したら二度とチャンスはないといっても言いすぎではない。よく「夏を制する者は受験を制する」と言うが、本当は「春を制する者は受験を制する」と言うのがむしろ正しい。学校が休みの今こそが他の受験生に差をつけるチャンスであって、新学期が始まってしまったらなかなかまとまった時間は取れない。来年の入試における合否は、今勉強のスタートを切るかどうかによって決まってしまう。ロイヤル英文法・講読のための説明会にせっかく参加したのであれば、必ず最後まで読んで4月の新学期を確実な優位で迎えてほしい。

 以下は説明会で配布したプリントに多少の加筆修正をしたもの。

 別に不勉強というわけではないのに英語の学力が上がらないのは、肝心の文法を学ばないで単語や熟語の断片的な知識を詰め込んでいるだけだから。
 例えば、People differ greatly (   ) their view of life.という空所補充問題の正解はinであるにもかかわらず、うかつにもfromと答えてしまうのは、本質的な理解を怠ってdiffer fromという熟語を断片的に丸暗記しているのが原因。
 ちなみに、この問題は、People differ greatly (from each other) in their view of life.「人は人生観において(相互に)大きく異なる」からfrom each otherを省いたものであると考えられる。
 この1題だけでも正しい勉強をしているかどうかがわかってしまうが、大事なのは英文を完全な形で再現できる力であって、いくら単語や熟語を覚えても、それを使って英文を書くことができるのでなければまったく意味がない。
 正しい英文を書くことができることこそが本当の英語の学力であって、そのためには常に「書くための英文法」という姿勢を徹底させなければならないが、そうした姿勢でロイヤル英文法を読んで得た知識を土台に辞書をマメに引きながら英語を学ぶことを習慣づければ、勉強量に比例して学力が上がり、またそれに比例して学ぶ速度も上がって勉強量も増えるので、その結果として知識の増え方も加速度的になる。「書くための英文法」という厳しい条件をクリアしたことによって、英文を読んだり文法問題を解いたりする力などは、その後の勉強量によって自然に身についてしまう。特に読むことに関しては、知らない単語を気にすることなくスラスラと読めるレベルになる。センター試験程度なら余裕の満点。

ロイヤル英文法を読むに際しての注意点>

(1) 繰り返しを前提とせず、一期一会(いちごいちえ)の覚悟で1回だけのつもりで読む。初めから何度も読むつもりでいると、各回の読み方がいい加減なものになる。どうせ5回読むのだからという気の緩みと甘えから、苦手な箇所や嫌いな箇所を素通りして、得意なところは5回読んだが、苦手なところは1回も読まなかったという結果になりかねない。
(2) 読むことによる絶大な効果を信じ、読むことによって自分が賢くなることを楽しみにしながら読む。
(3) いちいち覚えようとせず、納得理解して楽しみながら読む。忘れることを恐れない。むしろ、忘れてもよいと開き直るくらいでよい。わからない箇所は辞書で確認し、それでもわからないときは、質問事項として「何ページのどこ」とわかるようにメモしておいて、途中経過報告最終報告の日に道場主に質問する。
(4) 各英文の和訳文を参考にして英文の構造通りの直訳を頭の中でしてみると同時に、掲載されている和訳文を自分が考えた構造通りの直訳に置き換える過程を経て英文を再現することを習慣づける(書くための英文法の徹底)。
(5) 1日20ページは平均であって、あくまでも目安にすぎない。各日キリのよいところまでは必ず読み、章の途中でやめない。50ページ読む日があったり、まったく読まない日があったりしても構わないが、4月の新学期開始前に全部読むということは必ず貫徹する。
(6) 必ずしも最初のページから順番に読まなくてもよい。最も興味のあるところから読んでもよいし、また苦手なところから読むというのも一法。食事のときに、一番好きなおかずから食べるか、それとも一番嫌いなおかずから食べるか、どちらでも食べ残すことなく全部食べればよい、というのと同じこと。
(7) 一度読んでしまえば、その後は辞書代わりに使うもよし、要所要所をピックアップしながら再読するもよし。

 なお、道場主も並行して読むことにするが、その結果、皮肉にもコーチである道場主の学力だけが上がって選手である受験生諸君の学力が上がらないなどということがないように願いたい


途中経過報告と質問道場主が講師室待機)

千葉:3月20日 13時〜18時(必要なら延長もあり)。
津田沼:3月21日 13時〜18時(必要なら延長もあり)。

最終報告と質問道場主が講師室待機)

津田沼:4月8日 13時〜20時(必要なら延長もあり)。
千葉:4月15日 13時〜20時(必要なら延長もあり)。
 最初は4月10日を予定したが、都合で15日に変更。あしからず。

  
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February 27, 2006

比較の対象は必ず肯定形

(a) 忘れないうちに彼の電話番号を書き留めなさい。

 ×Write down his phone number before you don't forget it.
 ○Write down his phone number before you forget it.

 you don't forget it「忘れない」という否定ではその行為がないわけだから比較しようがない。beforeの後はyou forget itという肯定形にして「忘れるより前に彼の電話番号を書き留めなさい」(直訳)としなくてはいけない。


(b) 彼には使い切れないほど多くのお金がある。

 ×He has as much money as he cannot spend.
 ○He has more money than he can spend.

 「使うことができない」額は「いくら」であるか特定できないので比較しようがない。そこで比較の対象を肯定形で表わして「彼は使うことができるより多くのお金を持っている」とする。


(c) 馬が魚でないのと同様に、クジラも魚ではない。

 ×A whale isn't a fish any more than a horse isn't.
 ○A whale isn't a fish any more than a horse is.

 a horse isn't (a fish)「馬は魚でない」という否定形では比較の対象が存在しないので比較が成り立たない。「馬が魚である」ということがたとえ事実ではなくても、比較するためには取りあえず肯定形になっていなくてはいけない。この文は、「クジラは魚である」という記述は「馬は魚である」という誰もが否定する記述と比べて優るところがまったくなくて同じく否定である、という成り立ち方をしているにすぎない。

<追記>

 第26課の次の例についても同様。

 ×More people than couldn't be accommodated came.
 ○More people than could be accommodated came.
  「収容しきれないほどの人が来てしまった」←「収容され得るより多くの人が来た」(直訳)

(高2英作文法Sα・S:第24課と26課のオマケ話)

  
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February 26, 2006

忘年会ならぬ忘年度会

 昨日の津田沼における定例飲み会は忘週会忘月会、そして同時に忘年会ならぬ忘年度会でもあった。
 高3、浪人の通常授業は昨年中に終わっていて、年明け後の正規の授業は高1、高2だけに限定されるが、それも2月いっぱいで終わるので今が実質的な年度末ということになる。そこで、2月最後の1週間に行う飲み会は忘年度会と呼んでも罰は当たるまい。とか何とか言いながら、それにかこつけて飲んでいるだけではあるが、同じ飲むなら飲み会に名前をつけるのも一興だろう。
 それにしても先週はよく飲んだ。月曜日は千葉での授業後に津田沼で新週会水曜日松旭斉すみえ師匠のお稽古の後に大森で忘月会木曜日は千葉の「山海里(さんかいり)」で中週会金曜日は四谷の「」で今週末に出かける旅行の打ち合わせのための忘週会イブ、そして昨日の土曜日は津田沼で上記の忘週会忘月会忘年度会。何と月曜日から土曜日までで飲まなかったのは火曜日だけというのだから、やや飲みすぎのきらいがある。明日の月曜日に千葉で予定している新週会忘月会忘年度会が終わったら4日間はアルコールを抜くことにしようと思うが、なぜ4日間かというと、その後の3日間は旅行先で飲むことが確実だからにすぎない。

  
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norの用法を確認

(a) Still in shock, the poor girl couldn't move, nor could she speak.
   「依然ショックが癒えず、可愛そうにその少女は動くことができず、また話すこともできなかった」

 norは否定文の後にもう一つの否定文をつなぐための接続詞であると同時に否定の副詞でもある。そして、否定の副詞の後は疑問文と同様に倒置の語順になる。


(b) Still in shock, the poor girl could neither move nor speak.
   「依然ショックが癒えず、可愛そうにその少女は動くことも話すこともできなかった」

 neither A nor Bはnot ... (either) A or Bに代わる相関接続詞

 cf. Still in shock, the poor girl couldn't (either) move or speak.

(高2英作文法Sα・S:第25課のオマケ話)

  
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February 25, 2006

小話の揚げ足取り

 ある時、エリザベス女王が夫君のエジンバラ公とともに家畜の品評会に臨席した。
 女王はひときわ立派な牡牛を見て「この牡牛はどこが優れているのか」と尋ねた。
 品評会の理事長は「はい、おそれながら、この牡牛は毎日欠かさず10回も種付けをいたします」と答えた。すると女王は、少し後から歩いてくる夫君の方に目をやって「その旨をあの人にもよく伝えておくように」と言った。
 理事長が言われた通りエジンバラ公に「この牡牛は毎日欠かさず10回も種付けをいたします」と伝えるとは目を丸くして「相手は同じ牝牛か」と尋ねた。理事長が「いいえ、みんな違います」と答えるとは「その旨を女王にもよく伝えておくように」と言った。

 この話は注意深く読むとおかしなところがあることがわかる。種付けが生殖のためである以上、同じ日に同一の牝牛を相手に2回以上、ましてや10回も行うことなどあり得ないから、エジンバラ公が「相手は同じ牝牛か」と尋ねるはずがないではないか。

 別の小話集では確か次のようになっていた。

 ある夫婦が農場を見学した時に牛の種付けの場面に遭遇した。
 夫人が案内役の牧夫に「あの牛は一日に何頭の牝牛を相手にするのですか」と尋ねると「そうだなあ。6〜7頭はつけるだべな」と答えた。
 夫人が「ねえあなた、牛だってそれだけ頑張れるのよ」とのふがいなさを咎めかねない発言をしたので、牧夫は気をきかせて「だども、この牛は相手が毎回違うだがよ」とつけ加えた。

 この話なら無理がない。

 ところで、少しでも多く自分の遺伝子のコピーを残したい男はできるだけ多くの女に目を向けるために、「一人の女だけでは飽きる」という性質を進化させた。その結果として浮気や不倫が存在するとも言える。
 他の動物についても、オスが「一匹(一頭)のメスだけでは飽きる」という性質は人間の場合と変わらないらしく、同じ相手ではもはや交尾をしなくなったオスに別のメスをあてがうとまた励むようになるとのこと。
 その点、種付けの場合は初めから毎度相手が違うので、極めて合理的であると言える。まさに合法的な浮気、あるいはハーレム状態であるとも考えられるが、一方で一度も交尾のチャンスのない多数のオスが犠牲になっていることも否定できない。
 
  
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February 24, 2006

荒川静香、無欲の勝利!

 ショートプログラムは3位とはいえ1位から3位までは競馬で言えばハナ差アタマ差のほぼ横並びだったので、本番では転倒した二人を抑えてそつなくこなした荒川静香が見事優勝を飾った。
 本命のスルツカヤは演技順が最後だったのが思わぬプレッシャーになったのか、転倒するなどのミスが出て銅メダルに終わった。
 日本の他の二人については、村主章枝の演技はメダルが期待できるほどすばらしかったが、笑顔を見せる余裕がないほど体力を消耗していた。それが採点に響いたとは思わないが、思ったほど点が伸びず、転倒した二人にも及ばずメダルは叶わなかった。
 残るミキティはまったく精彩を欠き、体力不足からかミスを連発し、よいところなく終わった。ショートプログラムの時のあの衣装を見た途端、不吉な予感がしたが、それが的中してしまった。ショートプログラムでの出遅れを取り戻すためか、4回転を決めなくてはという思いからか、日本代表3人の中ではプレッシャーが最も大きかったのも事実。
 その点、金メダリストになったから言うのではないが、荒川静香はメダルなど眼中になく、持てる最高の技を観客に披露しているプロのアイスショーのスケーターのように見えた。まるでプレッシャーとは無縁であるかのような無欲と余裕の勝利と言えるだろう。

 昨夜は朝まで起きている自信がなかったので1時には寝てしまったが、目覚めてテレビをつけたのが、ちょうどミキティの演技の途中だった。4回転の失敗の後だったが、その後も何度か転倒を繰り返したのでこりゃダメだと思ったものの、その後は荒川静香の名演技を含めてスルツカヤまで全選手の演技を見ることができたのは幸いだった。

  
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女子フギュアスケートに思う

 この度のトリノ五輪における花は何といっても女子フィギュアスケートであって、他の競技にはほとんど興味が沸かないが、女子フィギュアは絶対的な数値ではなく見た目が勝負だから、選手が美形であることに加えて衣装がその選手に似合うセンスのよいものでなくては話にならない。
 その意味では何年も前に日本のエースである伊藤みどりが技術では世界一でありながら芸術点という壁の前に涙を飲んで銀メダルに甘んじなくてはならなかったのは、さぞ無念だったことだろう。競馬に喩えれば、ハンデ戦で他の馬の斤量が54キロ以下なのに対して1頭だけ60キロも背負わされたようなものであって、イトウミドリ号は極限の斤量にもめげず2着を確保したのだから、負けてなお強しと言えるものだった。
 さて、今回のオリンピックにおける日本代表の3人であるが、ショートプログラムの3、4、8位という順位は極めて順当であるように思う。技術もさることながら、この順位は見事に選手の美人度プラス衣装の見た目順になっているのではないだろうか。4位の村主は額のしわで損をしているし、8位のミキティはあの衣装が最悪。名のあるデザイナーの作らしいが、あれが大きなハンデになっている。たとえフリー4回転が成功したとしてもとてもメダルまでは届きそうにない。3位の荒川が美人度では3人の中で一応トップで衣装も似合いセンスもよいので、3人の中で最上位にいるのは納得できることであるし、技術のレベルからもただ1人のメダル候補と言えるだろう。

 ところで日本で留守を守る金メダリスト浅田真央ちゃんは、その姉でモデルも兼ねる浅田舞ちゃんがテレビドラマで深キョンと共演することを羨ましがって深キョンの写真を撮ってくるようにとお姉ちゃんに頼んだとのこと。
 しかし、考えてみると、どちらがスターかと言えば深キョンよりは真央ちゃんの方であって、世界に深キョン程度の女優なら掃いて捨てるほどいるが、真央ちゃんの方は女子フィギュアでは世界で1、2を争うレベルだから、女優なら二コール・キッドマンペネロペ・クルスのクラス。プロ野球に喩えれば真央ちゃんがイチローなら、深キョンはせいぜい楽天イーグルスの7番バッター程度、相撲で言えば真央ちゃんが朝青龍なら深キョンはせいぜい前頭下位か十両くらいか。
 本来なら深キョンからサインを頼まれる側である世界レベルの真央ちゃんが、深キョンと共演する姉を羨ましがるというところがまた面白いところではあるが。

 話をトリノに戻して、果たして日本代表の3人からメダリストが出るかどうか。ミキティ4回転を成功させるかどうか。起きていられたら是非この目で見たいが、横になってテレビを見ているうちに眠ってしまうかもしれない。

  
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February 23, 2006

小話の間違い探し

 森喜朗首相クリントン米大統領との対話をネタにして作られたと思われる有名なジョークがある本に掲載されていたが、見過ごしにできない重大な誤りを発見したのでここに紹介する。
 その本では概ね次のようになっていた。

 森首相クリントン大統領"How do you do?"と言うべきところを"Who are you?"と尋ねてしまった。アメリカ大統領は大いに驚いたが、ユーモア精神を発揮して"I'm a husband of Mrs. Hillary."と答えた。すると我らが首相は"Me, too."と答えた。

 さて、どこが誤りかわかっただろうか。

 
 一つ目の誤りは「"How do you do?"と言うべきところを"Who are you?"と尋ねてしまった」の部分。"How do you do?"は初対面の相手に向かって言う「どうぞよろしく」であって、二度目以後ならこうは言わない。
 それに"How do you do?"のつもりで"How are you?"と言ったり、また逆に"How are you?"と言うべきところを"How do you do?"と言ったりすることはあり得るが、"How do you do?"のつもりで"Who are you?"と言うとは考えられない。ここは「"How are you?"と言うべきところを"Who are you?"と尋ねてしまった」と直すべきだろう。

 二つ目の誤りは「"I'm a husband of Mrs. Hillary."と答えた」の部分。
 まずHillaryはファースト・ネームだからMrs. Hillaryとは言わないが、では、a husband of Hillaryならよいかというと、これもダメ。
 a husband of Hillary'sなら文法上は正しいが、それでは「ヒラリーの二人以上いる夫のうちの一人」ということになって、一夫多妻ならぬ一妻多夫になってしまう。アメリカ一妻多夫だなんて考えられない。
 では、aをtheに換えてthe husband of Hillaryならよいかというと、それを言うならHillary's husbandとするのが正しい。

 現状のままではせっかくの小話が台無しなので、次のように直さなくてはいけない。

 森首相クリントン大統領"How are you?"(お元気ですか)と言うべきところを"Who are you?"(あなたはどなたですか)と尋ねてしまった。アメリカ大統領は大いに驚いたが、ユーモア精神を発揮して"I'm Hillary's husband".(私はヒラリーの夫です)と答えた。すると我らが首相は"Me too."(私もです)と答えた。

  
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February 22, 2006

極め付き:クジラ構文の理屈

クジラ構文その1)>

×A whale is no more a fish than a horse isn't.
○A whale is no more a fish than a horse is.
○A whale is not a fish any more than a horse is.
 「馬が魚でないのと同様に、クジラも魚ではない
 「クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じである」

 「クジラは魚である」という記述は「馬は魚である」という誰もが否定する記述と比べて優る程度がゼロで同じく否定される、ということから「馬が魚でないのと同様に、クジラも魚ではない」、または「クジラが魚でないのは、馬が魚でないのと同じである」となる。<誰もが否定する話ダシにして否定を権威づける文>

 「馬が魚である」という事実はもちろんないが、だからといって「馬が魚でない」ことと比べるわけにはいかないので、... than a horse isn't.は誤り。


クジラ構文その2)>

○A whale is no less a mammal than a horse is.
 「馬が哺乳類であるのと同様に、クジラも哺乳類である」
 
 「クジラは哺乳類である」という記述は「馬は哺乳類である」という誰もが肯定する記述と比べて劣る程度がゼロで同じく肯定される、ということから「馬が哺乳類であるのと同様に、クジラも哺乳類である」、または「クジラが哺乳類であるのは、馬が哺乳類であるのと同じである」となる。<誰もが肯定する話ダシにして肯定を権威づける文>

(高2英作文法Sα・S:第24課のオマケ話)

  
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