動きが先か「無」が先か

動きが先か「無」が先かは大変重要な問題で、多くの人が神経症を治したい一心に動きを先にして神経症の地獄に沈んでいる。

今から17年前の私が48歳の時、今は閉店した池袋のある大きな書店の4階心理のコーナーで毛色の違った森田療法の本を見つけた。京都の宇佐先生が書いた「とらわれからの解脱」と言う書物で、今まで読んだ森田療法の本とは何か違っていた。”神経症の治りは一瞬であり、森田療法もそれを治す手段に使うと神経症は悪化する”と明快に説明していた。その日の晩は一気にその本を読み進め、”今後一切の神経症を治す行為を停止する”と決意した。私は森田療法の病院に2回入院した経験があるから動きの重要さを知っている。当時は孫請けのトラック運転手をしていて朝早くから夜遅くまで働いて自分の時間は殆ど無かった。ゆえに日曜は雑用処理で手一杯であったし、意図的にもどんどん雑用をこなした。以後、何べんもフラッシュバックを経験しながら次第に私の頭は安定し、10年を経た頃から殆ど神経症を忘れるようになっていた。所がつい2年ほど前と最近の1ヶ月前の2回、かなりきわどいフラッシュバックを経験して、神経症者の実際の苦しみに改めて触れる事になった分けだ。その苦しみとは意識の2重化であり自分が何かをしようとする時に、もう一人の自分が行動を監視していて評価を下す。意識が二つに割れて互いに葛藤を起こし現実感覚がなくなり居場所を失ったような強い不安を覚えた。

今回のフラッシュバックはある事が引き金になって強い不安に襲われたのが始まりであったが、普段の斎藤であれば何の処置もしない「無」で簡単に乗り越える所を、こんな場合は動けば良いと処方を出してしまった。最初のうちは台所の用をどんどんこなして気持ちが良いと得意がったが、どうも心のどこかに不安の鈍痛みたいなものが残る。マグマのように不安は蓄積し、とても雑用が長続きしない。何故だろうと考えるとなんと「無」でなくて「為の雑用」をしているではないか。取引の雑用をしていたのだ。そうと気がつくと間もなく不安の鈍痛は消えて行った。でも不安定な脳はその後もしばらく続き、為の雑用と「無」の雑用を交互に繰り返し地獄のような1週間を過ごした。

今フラッシュバックからようやく真の回復を経験しながらこのページを書いているのであるが、改めて「無」の大切さを噛み締めている。読者の殆ど全員が雑用が出来ていないのを私は知っている。その原因は「無」の前提条件を飛ばしているからに他ならない。私の場合、17年前のある晩に今後神経症を治す努力は一切しないと決意した。だから私の神経症の治りは「無」から始まったのに対して、私のホームページを読む人達は神経症を治すためにページを読む。従って雑用が「無」の前に来て私の悪戦苦闘と同じ経験をするはめになっている。

では雑用はしないで良いのかと言うとそうでもない。フラッシュバックが去った斎藤の体は大変軽く、止まれと命令しても止まることはない。意思ではなくて無意識が私の体を動かしている。雑用は体だけの話ではなく、脳も雑用をしている。脳の雑用とは流れるような思考状態を意味し、あまりに自然に思考が流れているから自分が何を考えているか意識にのぼらない。何時も動いているように感じるし、実際体は活発に動いている。健康な脳とはこれほどに自由であるから、神経症者から回復を装うEメールが送られてきても直ぐその嘘を見破ってしまう。インターネット上には治ってない神経症者がホームページを書いている場合が多いが、私は彼等の嘘を見抜く。内容の殆どが心理分析であり、努力をせよであり、最後は薬の話で終わっている。

所で多くは無いが神経症者の中には熱心に雑用を説く人もいるが、彼等の雑用と斎藤の雑用では方向が逆になっているのが分かるであろうか。斎藤の雑用は「無」が先に来ているのに対して、神経症者では雑用が先にありその後に「無」を期待している。つい先日、洋介さんが掲示板に現れて元気な書き込みをして行った。彼は今から7年位前に掲示板に最初に現れて、妄想中の酷い内容の書き込みをしていた。今回は「無の雑用は気持ちが良く、言葉は考えなくても出てくる」と書いていた。この人は神経症ばかりでなく、統合失調症も併発していて大変難しいケースであるが、見事に「無」を表現していて「無」の普遍性を再認識した。

神経症者の多くは今回の斎藤がした間違いを延々と続けていて治る予定が立たない。ある神経症の女性が電話して来て、どうしても雑用が出来ないとこぼす。無理にやると酷い鬱状態になると言う。最もで、斎藤も今回のフラッシュバックで無理に雑用して神経症をこじらせてしまった。雑用は「無」を体現した時に自然に発生するものであって強迫観念の下で意図的には出来ない。雑用はあくまでも結果であって神経症を治す為の行為にすると失敗する。



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