岩見隆夫のコラム

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近聞遠見:田英夫がもらした「秘話」=岩見隆夫

 人の死を知った時に何を思うか。とっさに浮かぶこともあれば、しばし沈思して追想の言葉を選ぶこともある。

 先日、86歳で亡くなった田英夫元社民連代表、ジャーナリストとして、リベラルな政治家として、あるいは元特攻隊員として残したものは、多くの人が語り、報じられた。

 ここでは、とっさに思い浮かんだことを記しておきたい。田は談論風発の人だった。江田五月(現参院議長)らと社民連を結成、代表に就任したころだから、約30年前になる。

 東京・麻布の地下のバーで懇談した某夜のことを鮮やかに記憶している。話が田中角栄論に及び、田は、

 「ここだけの話だよ」

 と断りながら、面白おかしく次のような体験を語った--。

 佐藤政権末期、田中は通産相のポストにいたという。1971年夏ごろと思われる。田はTBSを退社し、社会党から参院選全国区に出馬、192万票の大量得票でトップ当選した直後だ。

 その日、田は陳情ごとがあって大臣室を訪ねた。田中は話題の人物を機嫌良く迎え入れ、

 「よし、よし、わかった」

 とつぶやきながら、かたわらの紙片にメモし、やおら、

 「おーい、次っ」

 と大声をあげた。田が、

 「じゃあ、大臣、よろしく」

 と腰を浮かしかけた、その時だ。田中の右手がさっと伸び、田のスーツの内ポケットに札束らしいものを突っ込んだ。早業である。とっさにこれはまずい、と思ったが、すでに大臣室のドアがあいて、次の陳情客が入りかけていた。返すに返せない。

 「カネはあって邪魔にならんよ」

 と田中の低い声を背中に聞きながら、田は辞去するしかなかった--。

 帰ってみると、札束は100万円だった。

 「あの人、すごいねえ。あれ瞬間芸ですよ。あとに嫌な感じがまったく残らないんだなあ」

 と田は言った。そんな田中に感服したような口ぶりだった。そうかもしれないな、と当方も共感した覚えがある。

 この密室のエピソード、田は文字になるはずがないと信じたからこそ打ち明けたのだろう。だから、当方も長年、暗黙の約束を守ってきた。

 だが、亡くなったいま、<戦後政治のひとコマ>である貴重な証言を書くことを、田は許してくれると思う。

 当時、革新陣営の花形選手だった田に、首相の座が間近の保守実力者が現金を渡す。あのころの100万円は小さい額ではない。

 もしその時点で暴露されていたら、田中は首相のチャンスを失っていただろう。だが、そうならない確信が田中にはあった。何万回か、カネを渡してきた経験から、<カネと人間>の機微を熟知していたからだ。

 田が残していった秘話を書くべきかどうか、同僚に相談した時、

 「角さんは政界のモリシゲ(森繁久弥)じゃないの。モリシゲは女優のお尻を触るのが常習だったが、だれも文句を言わなかった。角さんも相手に抵抗なくカネを渡す術にたけていたということだ」

 と面白いことを言った。そんなところだろう。角栄・モリシゲの時代は遠くなった、という感慨もある。

 だが、戦後60年余の政界は、カネを媒介にした<ぬるま湯>の世界だったことを改めて思わないわけにはいかない。その祭司が田中角栄だった。

 民主党政権に切り替わっても、残滓(ざんし)があるのではないか。(敬称略)=毎週土曜日掲載

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 岩見隆夫ホームページhttp://mainichi.jp/select/seiji/iwami/

毎日新聞 2009年11月28日 東京朝刊

岩見 隆夫(いわみ・たかお)
 毎日新聞東京本社編集局顧問(政治担当)1935年旧満州大連に生まれる。58年京都大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。論説委員、サンデー毎日編集長、編集局次長を歴任。
 

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