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【玄界灘を越えて】白仁天物語(1) 李ラインを越えて (2/3ページ)
だが、あきらめきれない白は、その後社会人野球の「農業銀行」に入り、37年1月に韓国代表として台湾で行われた野球のアジア大会に出場。その帰り道、一か八かの賭けに出た。日本へ立ち寄ったチームを抜け出し、入団を打診していた東京・京橋の東映球団事務所を訪問。「日本で野球ができるなら」と仮契約をしてしまったのだ。
「大変なことをしてくれたな。国が黙っていないぞ」。面目をつぶされた大韓野球協会の幹部は、烈火の如く怒った。それでも、白の意志は揺るがない。帰国後、朴正煕の側近だった李周一に「日本へ行かせてください」と命がけの直訴を敢行した。
あわてて白を止めにかかる野球協会幹部。ところが、意外にも李の意見はこうだった。「彼を止めるようでは韓国は発展しない。有望な若者は、どんどん海外へ行かせたほうが国のためになる」。李は政権の広報担当者に、白の日本プロ野球挑戦の賛否を問う世論調査を命じた。新聞各紙を使った知識人らを対象とした調査の結果は、なんと約8割が「賛成」。国民の後押しもあって、白の東映入りは決まった。
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白が日本のプロ入りにこだわったのには、さらに理由があった。中学で本格的に野球を始めた白は、ある日、野球部の顧問教諭が持参した日本の雑誌『野球界』の表紙にくぎ付けとなる。そこには立教大学のスーパースター、長嶋茂雄がバットを手ににっこりとほほ笑んでいた。教諭から「長嶋は来年契約金1800万円で巨人入りする」とも聞き、白は「日本では野球が職業になるのか」とプロ野球の存在についても驚いた。
「すごいな、この人。かっこいいな。いつか一緒に野球をやりたい…」。思わず独り言をつぶやくと「お前、アホか」と先輩にこづかれ「こいつ、長嶋と野球をするんだってさ」。みんなの前ではやし立てられた白は、「冗談ですよ」とその場をごまかした。