この間から京都の花街のことを書いてきましたが、こんなことは京都人でも知っている人は少ないのです。小生は芸事が好きですので、その観点で花街を見ていますので、その違いが分かるのです。 ただ思うのは、それぞれ花街として大きい小さいは別にして、どこもとてもプライドが高くて、「よその花街の事はどうでもよろしおす」というような態度です。 あるいは「ほっといとくれやす」という聞き耳持たない人が多いのは確かで、その閉鎖性も含めて改革は難しい世界です。特に年を取るとその傾向は一段と強く、小生などはもっと開かれた花街を提案しますが、まったくもって旧態然としています。 現在、京都の花街で使われている言葉は、古い京都弁で、花街だけで使われているような特殊なしゃべり方ではありません。小生の祖母もまったく同じようなしゃべり方をしていたものです。 何となく柔らかくて耳障りが良さそうですが、実は京都の女性は芯が強くて、意固地です。 まあ男もそういうところがあるのは同じで、プライドが高く、利己主義的傾向が強いのです。 京都人はいけず(意地悪)という風に聞こえたり思ったりするのは、そういう気質があるからでしょう。 京都人のことを田舎もののようにいう馬鹿が東京の人間時々いますが、手ひどいしっぺ返しを受けるでしょう。京都人にしてみると、東京ほど田舎の人間の集まったところはいませんし、事実その通りなのです。東京では30年くらいで老舗などという阿保なことを言っていますが、京都では100年続いてやっと老舗の仲間入りです。これには普通4代以上続けないと到達しません。つまり小さくてもいいのですが、信念を持ってどれだけ長く続けてこられたかというのが大切なのです。 長く続けるには智恵が必要ですし、それが脈々と受け継がれてきた野が京都なのです。 ですから自分というものをしっかり持ったある意味意固地な人が多いのは確かです。 多くの戦乱を潜り抜けてきた智恵は見習うべき所も多く、京都人、京都の歴史を良く研究すると、どうすれば長くその仕事、企業が生きながらえるかという智恵を教わるでしょう。 先日銀座の最近有名な盆栽屋がすでに倒産(民事再生法申請)していたことを知り、驚きましたが、まだ若い経営者が京都のことをもっと知っていたらそんなことになっていなかったはずです。盆栽という和文化をビジネスとして大きくしたことは認めても、そもそもがこつこつの世界ですし、大きくしようという思想自体が間違っています。 京都人として銀座に5年以上店を張って周りを見ていると、一旗あげたいとこの地に出てくる気持ちはわかりますが、欲が大きすぎて、あっという間に飛んでしまう輩があまりに多いのに呆れ返ります。 身の程を良く知れば長く続くのになと言うのが京都人としての感想です。 京都は悠久の街とは言うものの、近年他所からの流入も多く、その培ってきた伝統や文化思想も崩れつつあります。まあ小生は欲をかかず京都のきもの文化を守るために頑張ることといたしましょう。 |
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土地柄とか、住む人の気質って、確かにその街の歴史的な発生過程ととても深く関わっていると思います。城下町、門前町、漁村、宿場町、港町、etc.それぞれは風土が微妙に異なり、同じ発生的の街はどことなくそこに暮らす人の気質に共通点があるような。そう、京都は発生的には日本で唯一のお公家さまの街ですものね。最近は大学生の街というふれこみで、訪れるたびに変わっていますが、画一的になってほしくないです。 |
kanakana 2006/07/16 20:33 |
おっしゃるとおりです。公家と神社仏閣、そして茶道が京都の大きな文化の源ですが、京都という街をどのように保存しアピールしていくのかというグランドヴィジョンが行政側にほとんどありません。観光客を呼ぶための小手先のイベントばかりで、実に教養の無い軽い連中ばかりで情けない思いをしています。京都に人が来るのを逆手にとって東京資本のレストランがいかにも京料理だというような店を出して、それを東京からの観光客が食べているという滑稽な現象が進行中です。何でも金しか頭に無い連中に京都の高度な文化は守れません。逆に壊されています。東京にも似非京都人が大きな顔をしていますが、困ったことです。純粋の京都人としてはふざけるなという輩が京都を語る等とんでもない話です。まあとりあえず騙されないようにお気をつけ下さい。 |
銀座泰三 2006/07/17 11:31 |
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