
  |
|
 |
 |
霞ヶ関リスクマネジメント本社
〒100-0011
東京都千代田区内幸町1-1-1
帝国ホテルタワー15F |
|
|
|
■プロフィール
沓沢 広道(くつざわ こうどう)
1957年 東京生まれ
株式会社霞ヶ関リスクマネジメント CEO
国務大臣・経済企画庁長官(経済財政政策担当大臣)等のブレーンとして永年に亘り中央政界、財界で活躍。
特に1991年のバブル崩壊と経済再建のプロセスから貴重な体験と教訓を得たことにより、政策がもたらす経営リスクについて訴えている。
政策の改正により大きな負担を強いられる経営者に対して、新時代の事業戦略をプロデュースし、自信とプライドを取り戻す為の活動を行っている。近年は活動のベースを英国、ヨーロッパにも広げ、現在の不況と今後の景気動向を分析している。元総理の親書を携えた英国アン王女との会見は
英国のマスコミでも大きく取り上げられた。
【趣味】ヨット、グライダー、アルゼンチンタンゴ
|
 |
|
|
私は過去において国務大臣・経済企画庁長官(経済財政政策担当大臣)等のブレーンとして
永年に亘り中央政界、財界で微力ながら活動してまいりました。
一万田尚登日銀総裁が設立された公益法人で仕事をしているころ、バブル経済崩壊(1991年)
という戦後日本最大の経済恐慌が起こりました。今では遠い過去の出来事の様ですが、私には
決して忘れられない体験です。つい先日まで優良企業と思われていた会社が、瞬く間に倒産に
追い込まれ、身近で懇意にしていただいた立派な社長さん達が、顔色も青ざめ、生気を失い、
失意の金策に走り回る姿。勿論、私の知人や友人、家族にも不況の影響は大きく圧し掛かって
きました。行方不明になり失踪してしまった経営者、過度のストレスにより精神障害に陥って
しまった経営者、中には無念にも自殺をしてしまった経営者の方もいました。
恐らく、誰も自分がその様な姿に至るとは、一年前には全く予想すら出来なかったでしょう。
並外れた才能と、人知れぬ努力により、築き上げた我が城が、瞬く間に崩れ落ちる時、プライドを失った事業家はかくも惨めな姿なってしまうと言う事が、当時の若い私には衝撃でした。当たり前の事ですが、経営者と従業員とのリスクは全く違うと言う事を思い知らされたのです。
生々しい悲惨な出来事を体験し、又貴重な教訓を得たことにより、今日でも私は、「潰さない経営が最も重要である!」という強い信念を持っています。経営者は、あらゆる手を使って何が何でも会社を守り、クラッシュさせる事無く、更なる繁栄を築かねばなりません。
しかし、時として抗い難い力によって、混乱の渦中に引きずり込まれてしまう事も事実であります。
時代のベクトルは大きなファクターですが、特に政策がもたらす経営リスクは直接的に企業に
大きな影響を及ぼします。私達は、政策がもたらすリスクは経営に大きな負担を強い、会社存亡
の危機に直面する、という過去の事実を決して忘れてはなりません。
現在の政権構想を見ますと、危ぐの念を抱くのは私だけではないようです。物事には光と影の
部分が必ずあり、与党・三党合意のマニフェスト実行は、業界にとって非情とも言える内容の
政策が断行されてしまうという事です。
私達経営者は、生き抜く為の聡明な事業戦略を構築し、今こそ、勇気を持って大胆に行動
すべき時であると思います。
政策が施行される前に、更には法案が国会を通過する前にしておかなければならない重要な事があるのです。 大津波が来ると分かっているとき、明確な経営ビジョンの基に一刻も早く行動に
移せるかどうか、経営判断の試されるときであると思います。
私どもは、クライアントの皆様の経営リスクを軽減する事を誇りとしています。
危機を乗り越えられる、時代に合った新しい事業戦略をプロデュースし、苦難の時を
チャンスに変えて、大きな繁栄をして頂く事を、私どもの社会的使命と考え、
日々全力で取り組んでまいります。
皆様の更なるご指導、ご鞭撻の程、宜しくお願い申し上げます。
|
株式会社霞ヶ関リスクマネジメント
CEO 沓沢 広道 |
|
|