記者の目

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記者の目:81歳の父を初めて取材 命の連なりを痛感=大澤重人(高知支局)

 ◇大澤重人(おおざわ・しげと)

 ◇家庭で「戦争」語り継ごう 身近な一歩を大切に

 今秋、81歳の父を初めて“取材”した。特段何かがあったわけではない。戦時下の個人的な体験を聞いた。戦争体験者から取材はしても、身近な父は盲点だった。わずかの月の差で徴兵を免れた父にも、戦時中に「死」と直面した瞬間があったことを知った。戦争を知る世代が高齢化する今、戦時下を過ごした両親や祖父母から各家庭で聞き書きし、子どもたちに語り継ぐことを呼び掛けたい。

 年に1、2回帰省しても、父親とはそう話さない。取材をするなんて気恥ずかしくて考えられないことだった。どうして話を聞こうと思ったのか。高知県で今夏出版された1冊の本がきっかけだった。

 「戦地から土佐への手紙」。110人が妻や親らに送った手紙など177編を収録している。主に女性で作る市民団体「高知ミモザの会」が発行した。死と隣り合わせの夫や父、息子が、故郷に残る家族の安否を気遣い、自分の近況をつづっている。多くは押し入れで眠ったままだった手紙が、半世紀の時を超えて戦争の無情さを後世に伝える。2500部は完売した。

 私信とはいえ、戦地からの手紙は一市民の視点で戦争の実態をとらえられる貴重な資料だ。こうした手紙を次世代に残すよう大阪本社紙面で訴えたところ、意外なことに父から手紙が届いた。自分の体験が克明に記されていた。そうした話は聞いたことがない。普通の一市民の証言を残しておくことにも意味があるのではないか。そう思って10月、京都府舞鶴市へ帰郷した。

 父は1928(昭和3)年3月生まれで、日中戦争開戦時は9歳、太平洋戦争の終戦時は17歳。兵隊さんごっこに明け暮れる軍国少年だった。終戦の年には、誕生日の早い同級生は徴兵された。

 舞鶴は日本海の大半を管轄する海軍鎮守府が置かれた軍港だが、「最初は戦争を肌で感じなかった」と振り返る。高等小学校卒業後、軍施設を建設する舞鶴海軍施設部に14歳で就職。16歳で同部工員養成所へ。戦況悪化のため1年で卒業。飛行場格納庫などの建設に従事した。

 終戦間近の45年7月30日、晴天。空襲警報が初めて鳴り響く。同僚らは防空壕(ごう)へ逃げたが、父はただ一人事務所前に残って東の山を見た。「黒山の飛行機だった。大きなハチの巣に石を投げつけ、ハチが一斉に飛び立った感じ」。その時、米軍の小型機が低空で近づき、17歳を狙って「バッ! バッ!」。トタン屋根に機銃掃射が2発。父はあわてて約70メートル先の壕まで全速力で走ったという。「なんで最初から逃げんかったん?」と聞くと、「好奇心やなあ」。もし命中していたらと思うと、ぞっとする。

 舞鶴空襲は29、30日の連日。市史によると、父が狙われた30日は延べ約230機が襲来し、83人が死亡したという。舞鶴鎮守府は「被害は極めて軽微なり」と発表した。

 父は自分の経験を数枚の折り込みチラシに手書きして私を待っていた。「自分が死ねば、誰も知らへんことになる。伝えなあかんと思った」。息子に話そうという気持ちになった理由を、そう語った。身内を前に取材ノートを開くのは照れくさかったが、久々に父と心を通わせられた気がした。

 高知県には親から戦時下の体験などを聞いて、本に寄せた人がいる。香美市の依光(よりみつ)浩美さん(68)。母親の亀代(きよ)さん(04年に85歳で死去)から、父が戦死し、3人の子を育てた話を聞いた。出征する父を駅で見送り、その汽笛の音が生涯耳の底に残ったという。「聞き書きをして初めてその苦労がわかった。尊敬に値する母です」と語る。亀代さんは週1回程度、娘が訪ねて聞き書きをするのを心待ちにした。

 体験を聞いておかなかったことを悔やんでいる人もいる。高知市の薬剤師、塩瀬敦子さん(66)。父親が中国に出征したが、聞かずじまいで他界。「復員した父にずっとなじめなかった。いろんな体験をしていたはずなので、聞いておくべきだった」と残念がる。一方で話したくない体験者もいる。大阪府内の会社員の女性(33)は旧満州(現中国東北部)から引き揚げた祖母に生前、「つらく苦しい思いをしたので、絶対に話したくない」と拒まれた。無理強いはできないが、それだけでも伝わるものがあったという。

 戦後64年。戦争を知らない世代が、次の世代に戦争の実情を伝えなくてはならない。身近な一歩として戦時中を過ごした家族から、体験を聞き取り、子どもに伝えよう。

 私は父の話を、受験を控えた高3の娘に話せていない。折を見て伝えなくてはいけない。戦争は昔の出来事でも、ひとごとでもない。64年前に父を狙った掃射弾は、その後に生まれた私や妹、娘、2人のおいの命さえ奪ったかもしれないのだ、と。

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 ご意見は〒100-8051 毎日新聞「記者の目」係 kishanome@mbx.mainichi.co.jp

毎日新聞 2009年11月20日 東京朝刊

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