鼻毛の長い人生 RSSフィード

2009-11-24

失業者のための「学校の先生」という伝統

武士というのはごく少数の人を除いて、ある意味「家」とか実質性のない「石高」とかに縛られて不自由な存在であったわけで、維新で結構すんなり武家が消滅したのも、「できる」武家からすれば、いろいろ取っ払ってやりたいってところもあったんだろう。もちろん維新政府からすれば刀狩り的な面もあったのかもしれないが。


でも、維新を進めた下級武士の「できる」連中や幕臣系の優秀者以外はいろいろダメダメ君がいたので、廃藩置県武家周辺でいろいろ職業斡旋があったわけである。圓朝落語にはこういう武士の商法的なものをからかう噺があるのは知っているだろう。


で、失業してしかも起業に向いていない武士の行く先に「学校の先生」ていうのがあったのは、ちょっと歴史をかじると知られることなわけだ。私はおそらくここから日本において専門分野で食えない人たちが「学校の先生」になる伝統ができたと思う。。もちろん先進国における学問や芸術系の「食えない人」が「学校の先生」をするっていうのはあるのかもしれないけど、日本は特にこの傾向が多いような気がするんだが、誰か統計で示してくれ!


でも、こういう学校の先生たちは優れた後進たちを育てているんだろうか?まれに本業ではやっていけないプロが教える事には長けているっていうことはあるのかもしれない。選手としてはたいしたことなかったけど、監督として優秀みたいな。。でもそもそも業界に仕事がなくて食っていけないプロが新たなプロを生み出すってのは矛盾してないかね?


この話を国民全体に広げてみるとどうなるんだろう。そもそも小中高の先生になるような人ってどんな人なんだ?


大学教授っていうのも、ごく少数の優れもの以外は黒澤清監督のような本業で食っていくのはむずかしいところがある業界人的な存在ではないの?


だいたい学部によっていらないようなものが結構あるんじゃないかね

薬剤師薬学はいらない 井上晃宏(医師)〜アゴラ

http://agora-web.jp/archives/807191.html

どこかでイタリア人は大学を「失業者のたまり場」みたいにいうらしいけど、日本だと学生以上に先生についていわれそうではないか。。まー食えるんならいいけどね。。

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