『朝日』社説「外国人選挙権―まちづくりを共に担う」の問題
 11月23日付の『朝日新聞』の社説は「外国人選挙権―まちづくりを共に担う」と題して、永住外国人の地方参政権問題を取り上げている。

 この社説は永住外国人に対する地方参政権付与を擁護しつつ、「外国人が大挙して選挙権を使い、日本の安全を脅かすような事態にならないか」という議論については、「人々の不安をあおり、排外的な空気を助長する主張には首をかしげる。外国籍住民を「害を与えうる存在」とみなして孤立させ、疎外する方が危うい。むしろ、地域に迎え入れることで社会の安定を図るべきだ」と批判している。

 ここでの「外国人が大挙して選挙権を使い、日本の安全を脅かすような事態にならないか」という議論は『産経』的な極右的参政権反対論を指しており、その限りでは対立軸は明確なように見える。ネット上でも「『朝日』=売国奴」的な枠組みでこの社説を叩いている記事が多い。だが、この社説はそんなにいいものなのだろうか。社説は朝鮮籍排除の問題に言及しつつ、次のように記している。

  「民主党は選挙権を日本と国交のある国籍の人に限る法案を検討しているという。反北朝鮮感情に配慮し、外国人登録上の「朝鮮」籍者排除のためだ。
 しかし、朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない。良き隣人として共に地域社会に参画する制度を作るときに、別の政治的理由で一部の人を除外していいか。議論が必要だろう。」


 一見、朝鮮籍排除を批判しているように思ってしまうのだが、結局のところこの社説の結論は「議論が必要だろう」というもので、すこぶる歯切れが悪い。『朝日』は朝鮮籍を排除することに賛成なのかはたまた反対なのか、とりあえず「議論が必要だろう」といっているだけなので皆目見当がつかない。

 加えて問題なのは「朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない」という箇所である。社説は、民主党の「反北朝鮮感情に配慮し」た「外国人登録上の「朝鮮」籍者排除」に対し、「朝鮮籍の人が必ずしも北朝鮮を支持しているわけではない」というかたちで留保しているのだが、そもそもこうした留保自体に問題がありはしまいか。単純な話ではあるが、それでは朝鮮籍者が「北朝鮮を支持している」場合、参政権から排除することは肯定されるのか。参政権の有無は、当該外国人の思想・心情によって左右されるものなのか。それは果して参政「権」といえるのか。

 こうした問題を踏まえれば、この社説は結局のところ、民主党が「反北朝鮮感情に配慮し」て外国人の参政権をいじくることを批判しているのではなく、「朝鮮籍者=北朝鮮支持者」ではないから、それを排除することは「反北朝鮮感情に配慮し」たことにはなりませんよ、と言っているに過ぎないことがわかる。もちろん、前述のようにこの社説はそもそも朝鮮籍排除に反対なのかどうかについてさえ態度を留保しているので、そこにすら踏み込んでいるか怪しい。

 そもそも朝鮮籍者が「北朝鮮支持者」かどうかを問題にする必要などあるのだろうか。百歩譲って朝鮮籍者は「北朝鮮国籍者」を当然には意味しない、というのならば話はわかる。もちろんそうであってもじゃあ「北朝鮮国籍者」だけ選択的に参政権を与えないことは肯定されるのか、という問題は残るが、ここで社説が言っているのは国籍の帰属ですらなく、「北朝鮮」に対する「支持」の問題、つまり思想・心情の問題である。繰り返しになるが、この論法ならばは朝鮮籍者の大多数が「北朝鮮を支持している」なら「反北朝鮮感情に配慮し」た民主党の政策は肯定されることになろう。

 屁理屈をこねているように思われるかもしれないが、ここは非常に重要なポイントである。問題は『朝日』がよいか『産経』がよいかなどではなく、こうした議論の枠組みが作られるなかで、当事者たる在日朝鮮人にいかなる負荷が加わっていくのかである。『朝日』がこうした社説を出せば、すぐにでも『産経』『読売』ら反対派は朝鮮籍者が「北朝鮮支持者」であることを論証しようとするだろう。そうすれば、自ずから参政権からの朝鮮籍排除をめぐる論点は「北朝鮮支持者」かどうかへと絞られていくことになる。だが、それこそが、最も戦慄すべき事態なのではないか。あらかじめ「北朝鮮」への「支持」云々を表明しなければ表明しなければ与えられない地方参政権など、権利の名に値するのだろうか。
by kscykscy | 2009-11-24 20:33
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