国民意識の覚醒こそ
先日亡くなった森繁久弥氏に国民栄誉賞が与えられるという。
結構な話ではあるが、死んでから貰っても仕方がないではないかという気もする。
名誉の戦死の二階級特進ではあるまいし、亡くなる前にあげて欲しかった。
今日の産経新聞「正論」欄で文芸評論家の新保祐司氏が、森繁氏の詩の朗読の中で、戦死した兵士の「おんたま」が故郷に帰る詩の最後の一行を朗読する時、悲しみのあまり泣いているようにも聴こえると書いている。
「ふたつなき祖国のため」に「いでまししかの兵」こそ、「国民」という名に価する日本人であろう。
今日の日本列島には、「住民」や「市民」、あるいは「人民」までもいるが、「国民」はいなくなってきているのではあるまいか。
「祖国」を思う国民意識の覚醒こそ、今後の保守の再生に重要なことである。森繁さんの朗読は、このことを痛切に感じさせる。
筆者のいうとおり、「沖縄住民」や「プロ市民」「中国人民」は居るが「日本国民」は稀有な存在になってしまった。
保守再生は「国民意識」の覚醒を時間を掛けて訴えることだとつくづく思う。
それは決して世界平和や地球人や宇宙人愛ではないのである。
隣人を愛し、家族を愛し、郷土を愛し、国を愛することなのである。
外部サイトまで2クリックでランキングのご支援をお願いします。
↓
by izadoukan
森繁久弥と国民意識