2009-04-26
■[回想]惨・いかにして私は社会人になり、そして脱落したか。
一週間が過ぎようとしていた。
月初の金曜日は社員が集まって工数の調整などを行い、その後に飲み会となる。工数が発生する作業をしていないので工数調整は無関係な新人であるが、飲み会は強制でないとはいえ無関係ではない。僕は飲み会が苦手であったが、新人はできるだけ色々な先輩とコミュニケーションを取っておいた方が良いという気持ちと、何より落ち込んでいる今だからこそ積極的に振舞うべきだという考えから参加することに決めた。
この日は台風が近付いていて天気も悪く、そのせいか新人以外の参加者は少なかった。盛り上がりに掛けると言って社長が「知り合いの女の子」を三名呼び、初対面であった僕たちも年が近いゆえの気楽さで会話を楽しんだ。恐らく水商売をやっているであろう彼女たちはそれぞれ役割がある様で、僕たちは特に「いじられキャラ」の女の子とよく絡んだ。ほら生きていればこういう女の子とも話せるんだよ、と僕はまた生を肯定してみせた。
女の子たちのおかげもあり一次会はそこそこ盛り上がり、楽しい気持ちで飲み屋を出た僕たちはそのまま二次会でカラオケに行くことにした。天気はますます酷くなり、二次会に参加した新人は僕を入れて三人だった。しかもカラオケについてすぐ新人一名が具合を悪くしてしまい、家が近いもう一名が送っていく事になった。残ったのは社長、140人喰いの先輩、事務の先輩、いじられキャラの女の子、そして僕だ。新人一名となったことで若干の気後れはあったものの、こういう場でしか話せないこともあるだろうし、人格はともかく小さな会社で大手企業と渡り合っている社長の腕っ節については素直に賞賛の気持ちを抱いていた僕は可能な限り学べることは学びたいと思っていた。何しろ借金を早く返すためには自らを高めなければならないし、転職するのであれば尚のことだ。だから理屈はともかく実践だ、と勇気を出して「新人一人になってしまいましたがよろしくお願いします。あと駅までの道が分からなくなってしまったので、帰りにレクチャーお願いします」とお酒を注いだのだが、社長は凄みのある笑顔で「その余裕が最後まで持てばいいんだけどな」と平手を二発、僕はたまらずソファに倒れこんだ。
わざわざ来てくれた女をよってたかって馬鹿にしやがって、と倒れこんだままにもいかず立ち上がった僕に更に平手を二発、今度はふんばった。どうも先ほどの飲み会で僕たちと女の子の会話内容が気に入らなかったのだろう、などと冷静に考えたのは後になってからで、この時はただ新人の教育がなっていないと殴られている事務の先輩が鼻血を流しながらひたすらに頭を下げる姿を見て、コンタクトは目の中で割れたりしないのだろうか、と何故か他人事の様に思っていた。女を抱いたこともないチンカス野郎のくせに調子に乗ってるんじゃねえぞ、と言われ更に数回、痛みは感じなかったが、殴られたことなど中学でのクラスメートとの喧嘩以来で精神的な衝撃が大きかったのだろう。突然涙が出てきて事務の先輩と同じ様にひたすらに謝った。そして混乱した頭で何で自分は謝っているんだろう、と情けなくなり更に涙が出た。
涙を流しながら謝り続ける僕たちを見て落ち着いたのだろう、社長はふんと鼻を鳴らしてソファに座った。女の子は私が来たせいでごめんなさい、と泣きながらおしぼりで顔を拭いてくれようとしたが、僕は涙と鼻血でべとべとの顔のまま、私が悪いのです、すみません、と頭を下げて断った。他の連中には後できっちり落とし前をつけさせるがとりあえずお前は頭を冷やして来い、と社長が言い、傍観していた140人喰いの先輩が僕をカラオケの外へ連れ出した。店の外へ出る直前、カウンターに座っていたバイトの男の子が僕の姿を見てぎょっとした。ガラスに映った自分の姿を見てみると、ネクタイとワイシャツが赤く染まっていた。大雨の中、140人喰いの先輩はなんで社長に怒られたか分かりますか、と聞いてきたが、僕は分かりません、分かりませんと繰り返した。先輩はそれ以上何も言わずしばらくそのままでいたが、社長からの電話を受けた先輩が「どうも駄目みたいです」と言って僕をまた部屋に連れ帰った。事務の先輩と女の子はもう帰ったのか姿が見えなかった。アゴにクリーンヒットして救急車呼んだことがあったから手加減したんだぞと社長は笑い、財布から出した万札を先輩に握らせて、シャツとネクタイを取り替えてからお前の家に泊めてやれと言った。僕と先輩は社長にありがとうございますと頭を下げてカラオケを出た。
ジーンズメイトでネクタイとワイシャツを買い、トイレで着替え、血で汚れたネクタイとシャツを捨てた。それから先輩の家に行き、洗濯物の湿った匂いが充満した下宿屋の四畳半で体育座りのままうとうとし、始発の時間になって部屋を後にした。雨は止んでいたが大雨の影響で電車が止まっていたので、途中で降りて歩き始めた。着替えたおかげでたまにすれ違う誰にも見咎められることはなかったが、代わりに殴られた部分が痛くなっていた。しかし確かに手加減はされていて、顔が腫れている以外の問題はないようだった。毎日百キロのバーベルを持ち上げる社長に手加減なしで殴られていたらこんなものでは済まなかっただろう。
人も車もいない静かな朝、痛みだけが暴力的な音を頭の中に響かせていた。僕は我慢して歩き続けたが、二駅目を過ぎた辺りで耐えられなくなり、橋の欄干に上半身を預けた。増水した川は真っ黒で、轟々と力強い音を立てて流れていた。僕は更に身体を倒し橋の外側に半ば身体をはみ出しながら、寝不足とショックと痛みでぼうっとする頭で友人に話しかけた。これが君がさっさと諦めた人生ってやつかね、君が死んでまだ一週間なのに色々あったし、だいたい葬式じゃあ別の奴に「お前が一番最初に死ぬと思っていた」って言われたし、なんか間違ってるんだろうな。僕はしばらく何も考えず水面を見ていた。じっと見ていると水面が目の前まで迎えに来ている様な気がした。しかし僕はふと葬式の時のことを思い出し、でもさあ、と続けた。お前が好きだったという女の子、葬式で初めて見たけど可愛かったし、泣きつかれたんだか帰りの新幹線で眠っててさ、あーいうの見ると死ねないなって思うもんなんだよな……。返事もこない相手に頭の中で話しかけるのも疲れたので、僕はその女の子が帰りの新幹線で眠っている時にはだけた服から見えていた背中を思い出すことにした。そして自分はもう駄目なのだろうけれど、とりあえず顔の腫れがひいてから家に帰って、それから考えようと決めた。昼を過ぎると人も増えてきて、街は土曜日らしい活気を取り戻した。僕は缶ビールを片手に色々な人が色々なことをしている様子を眺め、たまに友人に話しかけ、人の目が気になったら場所を変え、また缶ビールを飲んだ。夜になってから家に帰り、ネクタイとワイシャツをゴミ箱に突っ込んだ。そして机に向かって辞表を書き始めた。つづく。
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