ホオズキの花が咲いている。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-04-24

[]廻・いかにして私は社会人になり、そして脱落したか。

入社してから3ヶ月、慣れたとはいえ同じ年頃の新入社員で自分ほど辛い思いをしている人はあまりいないのではないかと思っていた。しかし6月最後の金曜日、僕は久しぶりに人生とは楽しいものだと思っていたし、同時に自分が抱えている程度の苦しみなんて他の人に比べれば大したことはなかったのだと実感させられたのだった。

彼が死んだこの日から後の出来事については、曖昧な様な克明な様な、不思議な状態の記憶となっている。

この日、僕はご機嫌だった。OJTで現場に出る機会も増えていたし、夜は学生時代のバイト仲間と飲む予定だった。そして何より、初めて出来た彼女との初めてのデートを翌日に控えていた。オフィスを普段より丁寧に掃除し、同僚と挨拶をし、駅に向かう。そして歩きながらバイト仲間に連絡を取ろうと携帯を開き、大学の友人から着信が何件かあったことに気付いた。

電話をすると挨拶もなく友人が話しだした。「あいつの話、聞いた?」楽しい話ではないと分かった。「死んだんだって」という言葉に淡々と、そうなんだ、とだけ答えた。驚いたのか悲しんだのか、その瞬間に理解して反応するキャパがなかったのかもしれない。バイト仲間との約束をキャンセルさせてもらい、そのまま学生時代の友人達と集まった。翌日は葬式に参列するため彼の田舎に行くことにして、彼女にはデートキャンセルの連絡をした。友人とは「初デートに葬式をぶつけてくるなんて最後の最後までタイミング悪いよな」と話したが、彼女には理由を言えなかった。

週を明けた月曜日からずっと、一人でいる時は考えるつもりも無いのに彼の死−自殺だった、について考えていた。理由は色々と浮かばなくもないが、恐らくそのどれも正しくなく、結局は個々人がそれぞれ勝手に理解したつもりで消化し、あるいは抱えていくしかないのだ、そういう理解が僕なりの結論だ。しかしあの頃、就職してからも月に一度か二度は顔を会わせ酒を飲み雑魚寝していた僕たちは、そして大学の入学式でお互いに初めて出来た友達で親友だと思っていた僕は、彼の死について深く考えざるを得なかった。そして彼の死について考えることはそのまま自分自身の生と死について考えることにもなった。僕は事あるごとに、生きているとこういう事もあるんだよ、と生を肯定する言葉を頭に浮かべる様になっていた。つづく。

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