ホオズキの花が咲いている。 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2009-04-17

[]いかにして私は社会人になり、そして脱落したか。

僕が、という一人称を使う時は若い時のしょっぱい思い出について書く時だ。

しかも酒が入ってラリった状態でテキストエディタも使わず一気通貫に書こうとしていて、その結果たるや想像するまでも無い悲惨さが約束されているのだけれど、仕方が無い。そういう時もある。そういう時でなければ昔のことなど書こうとも思わないだろう。

書こうとも思わない内容だけれど毎年の様に思い出す、それは僕が最初に勤めていた会社のことだ。この季節になるといわゆるフレッシュマンたちが街に溢れ出るので我が身と対比していつも落ち込むのだけれど、その落ち込みの一助となるのがその会社の思い出なのだった。

僕が就職活動をしていた年は(当時はよく知らなかったが)なかなかの就職氷河期で、まして三流大学卒で資格もない文系男子など営業職しかないのではないかという状況だった。営業という仕事に悪いイメージがあったわけではなく、自分を省みた時に営業職など出来るわけがないと分かっていての忌避だった。

そんな学力なし能力なし資格なしと「ないない尽くし」の文系男子が群がったのが当時はまだ上り調子だったIT業界だった。IT、ようするにプログラマこそ理系でなくては駄目なのではないか、そう思っていた僕たちに企業の人事担当者は言ったものだ。「プログラムは勉強すればいいです。私たちが今後必要とするのはお客様とコミュニケーションが取れる能力の人たちです。(大きな声では言えませんが)理系に特化している人だけではそういった部分が弱くなってしまうのです」文系だからコミュニケーション能力が優れているという根拠は全くなく、実際に対人能力も劣っていた僕たちだがそんな事も考えずにこぞってIT業界に走り、目に付く企業には手当たり次第に応募したのだった。

下手な鉄砲、数打ちゃ当たる。何十社と試験、面接を受けてようやく数社から採用をもらった僕は「面接の時に見掛ける先輩方がとても礼儀正しく振る舞っていて、また事務の女性(恐らく四十代前半だったろうか)がとても親切だった」という理由で会社を選んだ(ちなみに選ばなかった方の会社は翌年のビジネス誌で「急成長を遂げた企業ランキング」のベスト20に入っていた)。GW前に内定をもらい、何回かの新人研修と自宅での勉強を重ね、卒業論文も順調に書き進めていた僕は自分の将来に夢と希望を抱いて四月一日、入社の日を迎えた。

新人研修で何度か顔を会わしている10人の仲間たちは恥ずかしいような誇らしいような顔をしていて、これから頑張ろうな、と言葉に出さずとも伝え合っていた。その熱い思いを胸に自己紹介をし、社長の話を聞き、先輩方の話を聞いている時にそれは起こった。「お前なめてんのか!」突然響く社長の怒号。突然のことで何が何だか分からない僕たちは社長が睨み付けている方向へ振り向くが、事態を理解する暇もなく共に社会人生活を過ごすはずだった仲間は会議室を追い出され、そして二度と会う事はなかった。つづく、かもしれない。

sanjaposanjapo 2009/04/17 13:37 きになる・・・

trshugutrshugu 2009/04/17 17:42 これは期待大!!!!!!

t_jt_j 2009/04/18 01:32 釣り糸は果てしなく長い・・・

shotashota 2009/04/18 03:51 お前なめてんのか、で吹いた

female1female1 2009/04/18 20:23 続き気になる!!

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