その日はじめて。 少年は女に、この街で堪えてきた思いの全てをはきだし。 女は少年に、彼女の戸惑う胸の内をあかした。 誰にも邪魔されず。二人きりで。 血の繋がりも、共に過ごした月日さえ満足にもたない二人だけれど。 かわっていけると。 そう思わせる温かな陽が、優しく彼らを照らし出す。 新世紀EVANGELION −once more again− 06話 新しい、今 あたらしい、いま 「そう。 帰ってきたの、シンジ君。 よかったじゃない」 「まあねん♪」 過去の遅刻記録を、さらに一時間以上も塗り替えて。 悪びれもせず意気揚々と出勤してきた親友の話に、技術部主任はため息をこぼした。 昨日までとはうって変わった、今日の快晴を思わす晴れ渡った葛城ミサトの表情。 赤木リツコは軽くこめかみを押さえた。 深々と、身体全体でつくため息。 もっと大きな反応を期待していたミサトの方は、そんなリツコの態度を不満げに睨み。 「何よリツコ、当然って顔よね」 「人とつきあうことを知らなかったシンジ君と、よりによって ミ・サ・ト が一緒に暮らすのよ?」 あえて、ミサトの名前を強調するリツコ。 ひきつる親友の顔には応じず、リツコは話を続けた。 「衝突や反感は、いわば当たり前の通過儀礼だわ」 「はいはい。 赤木博士は何もかも、お見通しってわけね」 疲労感を顕わに、頭を抱え項垂れるミサト。 実験に参加していたオペレータ達も、そんな二人の『いつもの』やりとりに笑う。 親友のテンションを垂直落下させる事に成功したリツコの方は、話しながらも休めることのなかったキーボード操作を一度止め。 小休止をとる合間に、椅子ごとミサトに振り向いた。 「それでも、やれるだけすごいわよ。 あなた」 「渚くんに……お説教されちゃったからね、あたしだけならダメだったかもしんない」 自分の力ではないと。 認められるのが葛城ミサトのミサトたる所以(ゆえん)。 「でも彼、いつの間にかいなくなっちゃっててね……リツコ知ってる?」 首を傾げるミサトの言葉に、視線を落として。 リツコはただ、彼女の知る事実だけを口にした。 「保安部に拘束されて、今頃は司令の所よ。 渚二尉は」 入念な武装解除の上。 三重にかけられた手錠により、拘束された手は背中に固定された。 薄暗い廊下を歩き。 兵士としての訓練を受けた保安部の男たちに囲まれたまま、謁見の間。 総司令公務室に足を踏み入れる。 カバラへの道。 天井に描かれた巨大な「生命の樹」。 それが何を意味するのか。 主である男は机に両肘をついた姿勢。 自分の眼前に引き立てられた少年を、ただ冷たい目で見据える。 ネルフ総司令・碇ゲンドウ。 一切の情を見せぬ冷徹な司令官。 その傍らに立つ長身の老人は、その片腕と呼ぶべき存在。 副司令・冬月コウゾウ。 ネルフを実質動かしているのは、この二人の男に他ならない。 部屋を支配する重苦しい重圧感は、碇ゲンドウという存在そのものを現してさえいて。 少年を取り囲む男たちも皆、緊張を隠せないでいる。 だというのに。 連行された少年は、その重圧さえ受け流してみせる。 さながら、己の存在が空気で在るかのよう。 プレッシャーを軽く流し、在るがまま自然に。その場所に存在する。 渚シンイチ。 それが彼の者の名。 バイザーで覆われた下の表情は見えない。 ただまっすぐに、正面のゲンドウを向いている。 沈黙を破り、先に口を開いたのはゲンドウ。 「渚二尉。 貴様の任務はサードチルドレンの護衛と監視だ。 何故命令に逆らい、サードを連行しなかった」 鉛の如き重さと冷たさを感じさせるゲンドウの言葉。 だが。 対するシンイチの言葉もまた、それに匹敵しうる冷たさを有する。 もしこの場に普段の彼を知るものがいたならば、それこそ己の耳を疑っただろうほどに。 「碇シンジが、それを望まなかったからです」 「サードチルドレンに命令を拒否する権限はない」 「あの時点で碇シンジを連行する必要性はありませんでした」 「それを決める権限も貴様にはない」 己の意思以外の全てを押し潰す言葉。 総司令の座につく男のそれは、ただ口にするだけで力を持つ。 それだけの男だからこそ、総司令の座に就けるのだろう。 とりつくしまもないゲンドウに、渚シンイチは僅かに肩をすくめた。 開口し、ただ静かに。 氷のごとき言葉を口にする。 「碇シンジに対するそのような扱いこそ、初号機にマイナスの要因だとしても。 ですか?」 その発言は。 瞬時に室内から、音と時を忘れさせた。 碇ゲンドウの表情は、サングラスと組まれた手によって見えず。 発言したシンイチの表情もまた、バイザーに隠されて同じように見えない。 ただ、その傍らに立つ冬月だけがわずかに目を細めた。 「…処罰は追って通達する。 連れて行け」 話は終わりだと。 ゲンドウの命令に従い、背中を向ける少年。 男達に従い、部屋を後にする護衛役の背中を。 冬月コウゾウはじっと見送っていた。 ”骨がある”どころの話ではないと、その胸中で思いながら。 泣いたことで赤く充血した目。 少しはれぼった目の下。 疲れているはずなのに、随分と体が軽くなったように思える。 いつの間に眠ってしまったのだろう。 かけてあった毛布をのけ、身を起こした。 ミサトがベッドまで運んでくれたのだろうか。 枕元に置かれたメモに目が止まる。 “ 今日は寝てていいわよん♪ 学校には連絡しといたから ミサト ” そんな、彼女らしい書き置きにも笑みがこぼれて。 「ミサトさん…」 つくづく、彼女らしいと、そう思う。 あの展望台で。 帰る車の中で。 そしてこのコンフォートの家で。 何年ぶりだろうか。 あれだけ涙をながしたのは。 他人と話しをしたのは。 胸の内を他人にさらけだしたのは。 硬く閉ざしていた心のドアを、開けることができたのは。 この心地よい開放感。 それは誰でもない彼女のおかげだった。 「…おなか、すいたな」 とりあえず、空腹をうったえだした自分の胃の音に。 シンジはリビングに向かった。 そんな少年が、不在だった間に荒れ果てた台所を目にして倒れ込むのは、もう間もなくのこと。 ファーストチルドレン・綾波レイ。 午前のテストを消化した少女を伴い、葛城ミサトはネルフの食堂で少し遅めの昼食をとっていた。 シンジと同じ年齢の、物静かな少女。 アルビノの白い肌。 紅い瞳。 蒼い髪。 口数の少ないことも相まって、綾波レイの全ては謎に包まれている。 それはミサトにとっても同じだ。 シンジとあんなふうに話し合う機会がなければ、こうして彼女と、昼食を共にしようなどと考えなかっただろう。 シンジくんやレイが普段、どんなことを考えてるのか。 少しぐらいわかろうとする意思を見せないと、信じてもらえないわよね。 そう考えての行動。 即断即決がモットーのミサトだ。 シンジのことが吹っ切れた今、彼女を抑制するものはない。 親友が聞けばこめかみを押さえ、“貴方って人は……”などと、苦言を洩らしただろう。 そんなミサトの考えをよそに、綾波レイは黙々と食事を続ける。 “ラーメン” などと、味気ない注文をした少女。 ミサトに比べて、圧倒的にネルフにいる年数が違うためなのか。 メニューを開く場面すら見られなかった。 あるいは食に対して、それほど関心がないのかもしれない。 「ねえ、レイ?」 紅い瞳が、ミサトを向く。 「はい」 「ラーメン、好きだったりするの?」 会話の糸口を探り、口にしたミサトの言葉。 レイはただ黙って、ミサトの顔を見つめる。 不味いことを聞いたのかと、レイの態度にミサトも硬直。 『 相席、いいですか? 』 居心地の悪いミサトに助け船を出したのは、トレーを手に近づく少年だった。 チルドレン護衛役。 渚シンイチの介入を、ミサトは渡りに船と歓迎した。 「いいわよん♪ 料理はみんなで食べる方が美味しいもんね」 「レイも、構わないわよね?」 ミサトの問いに、頷くレイ。 その視線は、渚シンイチをじっと見据えている。 「では、お言葉に甘えて」 小さく頭をさげ、ミサトの隣に腰をおろした。 少年の置いた盆に乗るのは、レイが頼んだのと同じラーメン。 それからセットで、チャーハンの二品。 食堂のおすすめメニュー。 箸を手にする前に、自分を見つめる綾波レイに対して。 「綾波さんと護衛以外で会うのは、これで二度目だけど…覚えてないよね」 「チルドレン護衛役の、渚シンイチです。よろしく」 一度目。 それは碇シンジが初めてこの街を訪れ、初めてエヴァに乗った日。 第三使徒による攻撃の衝撃で、ストレッチャーから落ちた重傷のレイ。 彼女を最初に抱き上げたのが渚シンイチだった。 出会った時の少女は、意識もはっきりとしないような状態だったから。 その時のことを覚えていないのも当然だろう。 事実レイは、小さく頭を振って見せた。 それから、ただ淡々と。 「あなたは、サードチルドレンの護衛役」 「シンジ君だけには限られてないよ。 学校では君の護衛役でもある」 「……わたし、を?」 僅かに、目を細める。 ”何故”と。 言葉にしなくともそう問いかけてくる、少女の冷たい眼差し。 二つの紅い瞳。 「必要ないもの」 「レイ、駄目よそんな事言っちゃ」 「必要あるよ」 ミサトの言葉に応じる前に。 シンイチがレイの言葉をはっきりと否定した。 「勿論」 短く。 言葉を切る。 誰にも口を挟ませる時間を与えずに、再度口を開いて。 「護衛が必要ない生活なら、それに越したことはないですけどね」 シンイチの言葉にも、レイはただ無言のままだった。 炊事洗濯家事掃除。 荒れに荒れた葛城家の中を、人の生活できる空間にするのに5時間。 コツと要領を知るシンジだからこそ、これだけの時間ですんだ片づけに、額の汗をタオルで拭う。 「ミサトさん……たったの4日で、どうして人外魔境をつくれるんだろ?」 出て行くんじゃなかったと。 今更ながらに骨身にしみて、そう思わされる碇シンジ14歳。 本当にどうにかするべきなのは、家主の生活習慣であるのだが。 それでも。 この場所には人の温もりが確かに感じられる。 そんなことが嬉しいと思う。 「葛城ミサトさん……悪い人なんかじゃ、ないよな」 口にしたその言葉は、この家に来た晩にシンジが抱いた印象と同じ。 けれどその中身は、あの頃とは随分と違っていて。 シンジは自然と破顔していた。 それから、もう一人。 あらためて考える。 ミサトとは違うやり方で、自分を常に気にかけてくれる少年。 励まし、前に進ませてくれる少年。 「渚シンイチさん……チルドレンの護衛役」 チルドレンを守るために常日頃から側にいる、ネルフの人間。 それなのに。 サードチルドレンではなく、碇シンジ本人を見ているような、そんな人物。 彼自身のことをシンジは何も知らない。 彼もまた、語ってくれたことはない。 そんな彼を何故自分は信じてしまうのか。 かわらない年齢だろう、あの少年のことを。 …思考にふけるシンジの意識を引き戻す、ブザー音が鳴った。 ドアを開けた先。 そこに立つ二人の少年を、シンジは知っていた。 一人は制服を着崩した、背の低いメガネの少年。 そしてもう一人は、背の高い、黒ジャージを着込んだ少年。 シンジはただ。 彼らを見て動きを止めてしまう。 「よう、碇。 元気そうだな」 昨晩、シンジが話した少年。 相田ケンスケが片手をあげて、シンジに言う。 「…あ、うん。 どうにか」 「そっか。 よかったな、家に戻れて」 「ミサトさんには、迷惑かけちゃったけど…」 「それがわかってるなら、いいじゃないか」 相田ケンスケという人間は、精神的に大人なのかもしれない。 今の自分よりも。 そう思って、シンジは素直に頷いた。 それからケンスケは、手にしたビニール袋を差し出して。 「これ、碇が休んでた間のプリント。 結構たまってたからさ」 「提出しなくちゃいけない課題とかも入ってる」 「…ありがとう」 「…ほら、突っ立ってないで、トウジも何か喋れよ」 ため息混じりにケンスケに肘でつつかれて。 長身の少年、鈴原トウジは目線を泳がせた。 「お、おう…わかっとる」 小声でそうケンスケに返事をして、目の前にいるシンジへと向き直る。 キリリとひきしまった眉。 口元を真一文字に結び、勢いよく頭を下げる。 「碇、すまんかった!!わしを殴ってくれ!!」 あまりに唐突すぎるその申し出に。 シンジはただ呆然と、トウジを見つめ。 ケンスケはただ、苦笑するだけ。 「わしがアホなことしたせいで、碇は死ぬかもしれんかった!」 「あないに怖い目におうて戦っとるお前のこと何にも考えんと、殴ってしもうた!」 「せやから、わしを殴れ! 碇!」 頭をあげて、まっすぐに自分を見るトウジに対して。 シンジはつきあいの長いだろうケンスケへと目線で助けを求める。 「まあ、こういう恥ずかしいやつなんだよ」 「碇が許してくれるなら、一発殴ってやってくれないか?」 苦笑混じりの、ケンスケの言葉に。 シンジはもう一度、トウジへと顔を戻す。 逸らさずに、まっすぐ見据えたトウジの目。 「…じゃあ、一発だけ」 「おっしゃ、思いっきりこんかいッ!」 トウジに対して、右拳を振り上げるシンジ。 …しばらくトウジを見据え。 けれどやがて、その手を静かにおろした。 「…どないしたんや? 碇」 「殴るのは、やめにするよ。 そのかわり」 シンジの差し出した手にあるのは、先ほどケンスケの手渡したプリント満載の袋。 トウジの顔色が、一気に青ざめる。 「課題の件、全部よろしくね。 鈴原君」 「な、なんでじゃあああああああっ!!」 「碇の勝ちだな。 頑張れよトウジ」 助けをこえない親友の裏切りに、鈴原トウジはその場に崩れ落ちた。 その晩。 葛城家は珍しく、大人数での夕食会となっていた。 もうじきに迫った零号機の再起動実験に供え、久方ぶりに、定時で仕事を終えた赤木リツコ。 待ちかまえていたミサトがまずそれを捕獲。 次にオペレータの伊吹マヤ。 赤木先輩が行くならご一緒しますと、ミサト宅に連行。 同じくオペレータの、日向マコトと青葉シゲル。 騒ぐのは大人数というミサトの意思で、これもまた連行。 零号機搭乗者のファーストチルドレン。 綾波レイにも声をかけたが、“肉、嫌いだから”の言葉で一刀両断にされた。 それから最後に、隣の部屋の住人。 渚シンイチをサードの護衛だからと強制的に参加させ。 大量に買い込んだ肉と野菜を鉄板の上で焼きまくる。 「さあ、普段人数居なくてできない分死ぬ気で食べまくるわよ!?」 「材料費を折半しながら、元がとれないだなんて……フッ、無様ね」 すでにアルコールの入った、29歳と30歳の女性コンビはスルーパス。 リビングから聞こえる大人たちの声を完全無視し。 シンジは忙しく材料を刻みながら、並んで厨房に立つシンイチに向いた。 「でも、ミサトさん。 どうして急に、焼き肉パーティーなんか?」 「葛城さんの、考えることだからね」 わかるわけないよと。 暗にそう応じるシンイチの方も、シンジと同じく野菜を刻み続ける。 隣の家。 つまりは彼の自宅から、エプロンと包丁を持参したシンイチには驚いたが。 その手際のよさと手法を見れば、誰もが納得して調理を任せていた。 それと同時に。 ミサトの愛する“えびちゅ”の箱まで持ち込んだ彼に、ミサトを含めた大人達のテンションが激しく上昇。 シンイチ本人は未成年ということもあって、飲む気配は見せないのがシンジにとっては救いか。 シンジの料理は、ミサトと暮らし初めてから上達せざるを得ないが。 中級者と上級者の差が今の少年たちにはあった。 リビングで騒いでいる熟女コンビに関してなら、入門者レベルに届かない腕前だと認めて(したためて)おく。 そのシンイチの手際を眺めながら。 シンジは台所に立ってから、ずっと気になっていたことを口にした。 「シンイチさんは、料理が好きなんですか?」 ピタリと、包丁を止め。 シンジへと顔を向けるシンイチ。 しばらく考え込むよう、上を見上げてから。 「……好きと言うほどでは、ないと思うけど」 「それだけ上手なのに?」 軽く、バイザーで覆われたこめかみの辺りを指で打ち。 彼にしては珍しく、言葉を探しながら応じる。 「美味しいって、言わせたい人が、いたからね……練習したんだ」 「どんな自信作でも、評価はいつも “ まあまあね ” だったけど」 言ってから、苦笑する。 そんなシンイチの気持ちが、今のシンジには不思議と判る気がした。 自分の料理を美味しいと食べてくれる同居人が、今のシンジにはいるから。 だからこそ、尚更それならば気になってしまう。 「…言わせたんですか? その人に、美味しいって」 「……“美味しい”って言葉は、最後まで聞けなかったよ」 手を止めたシンイチの言葉に、シンジも視線を落とす。 そんなシンジに微笑んで。 「でも“まあまあね”って言わせたときは、絶対食べ残さなかったけどね」 そういうこともあるんだと、シンイチは笑った。 「シンちゃん? ちゃ〜んと、呑んでる?」 自宅にいるときはお決まりになった、ポニーテールのミサト。 タンクトップにホットパンツと、男性陣には目の毒な格好だが本人は気にする様子もない。 隣に座る、シンジの頭を胸に抱き込み。 もう何本目かわからないビールの缶を手にして、堂々とそうのたまう。 シンジの方は、押しつけられた柔らかな感触に顔を紅くしながら。 ”逃げなくちゃ駄目だ” の言葉を胸中で連呼。 己の理性に呼びかけ続ける。 「ミサトさん、ぼくは未成年ですよ」 「なぁに言ってんのッ! 保護者がいいって言ってるのよ?!」 逃げようとするシンジを、逃がすまいとさらに抱き込むミサト。 その腕力と押しつけられる胸の感触が、少年の逃亡をあっさり封じてしまう。 「シンジ君」 この中で唯一、ミサトを打ちのめせる存在。 赤木リツコに呼ばれて、一抹の希望にすがるシンジ。 だがしかし。 今もって白衣を脱がないその女性は、何故かミサトを見据えたまま。 「現保護者であるミサトがいいと言えば、シンジくんにはアルコールを摂取する義務と権利が生じるの」 「つまり、呑んでオッケーってことよね?」 「ええ、そうなるわね。 ミサト」 「先輩、何言ってるんですか? 滅茶苦茶ですよ」 「ほぉらシンちゃん、お姉さんが口移しで呑ませてあげるわよん♪」 「うわっミサトさんミサトさんミサトさんっ!?」 「葛城さん何してるんですかっ! 不潔です! シンジくんも嫌がってますッ!」 女性陣最後の良心となった、伊吹マヤの説得もあまり効果を見せず。 ミサトとリツコは互いを見つめ合い、口元をひきつらせた。 「つまり、あたしやリツコでなく」 「自分がシンジ君を酔い潰すというのね。 恐れ入ったわマヤ」 「どうしてそんな話になるんですか!」 頭を抱え、悲鳴を上げるマヤ。 そんな彼女には悪いと思いながら、シンジはこれ幸いと逃亡。 男性陣の方へと居場所を移す。 もとより、葛城家の鉄板はこれだけの大人数で囲める大きさはなく。 男性陣と女性陣、二つの鉄板を囲む形で夕食会は開かれていた。 「シンジ君、災難だったなぁ」 笑いながらそう口にするのは、青葉シゲル。 今は長髪を邪魔にならないよう、ゴムを使って後ろにくくっている。 「葛城さんも赤木さんも、このところ徹夜続きだったからな。 今夜は荒れるぞ」 日向マコトも笑いながら、焼けた肉を皿に盛り、シンジに渡してくれる。 礼を言って受け取り、シンジはシンイチの隣に座った。 「ミサトさん、そんなに忙しかったんですか?」 「ミサトさんも悩んでたから。 シンジ君と、どう接すればいいのか」 …シンイチの言葉に、シンジは離れて座るミサトを見る。 リツコと二人でビールの缶を手に、マヤをからかうその姿も。 自分と納得するまで話し合ったミサトも。 どちらもシンジの知る彼女だ。 「その分、今日の葛城さんははりきってたよ」 「シンジ君のことでずっと落ち込んでたからな、ここ何日か」 日向もまた、シンジにそう告げた。 「…みなさんに、迷惑をかけちゃったんですね。 ぼくは…」 「まあ、年がら年中なら困るけど。 たまにならいいと思うけどな? オレは」 これは青葉。 呆気にとられるシンジに、笑う。 「シンジ君は精一杯やってるよ。 でも子供のうちは、もう少し頼ってくれていいんだぜ?」 「でないと大人の立場がないからさ」 これは、苦笑混じりに。 「青葉が頼りなかったら、俺もいるからね。 シンジ君」 「日向、てめー」 「シンジ君にまで女遊びを教えかねないからな、シゲルは」 「青葉君、不潔よ!」 「ちょ、ちょっとなんで伊吹が!?」 話に熱中するうちに、いつの間にか側まで来ていた伊吹マヤ。 彼女だけでなく、リツコやミサトも控えている。 「…ミサトさん」 「まあ、あたしだけじゃ頼りないと思うからさ。ちょっとずつでいいから、みんなを頼ってくれると嬉しいかなって」 照れ隠しに、頬をかきながら。 ミサトがそう言って笑った。 「……はい」 シンジが、どうにか口にしたその言葉に。 大人たちの表情が一斉に和らいだ。 シンジはおそらく気づかないだろう。 ミサトが急にパーティーを開いた理由が、ただこの一言を伝えるためだったことを。 大人にも、免罪符が必要なときがあることを。 夜も遅くに、打ち上げとなった夕食会。 酔っぱらって足腰立たない日向の肩を、マヤとシゲルが両脇から抱え。 酔いなど微塵も感じさせないリツコが率先して帰っていった。 静寂を取り戻した葛城家。 家主のミサトはと言えば、初めてだろうアルコールに眠ってしまったシンジの身体を抱え上げ。 リビングのソファーへと横たわらせた。 顔を真っ赤にした少年の表情は、とても幸せそうで。 彼を起こさないよう、ミサトはその前髪を手ですく。 どこにでもいる、普通の子供なのだと。 あどけない寝顔にあらためてそう思わされた。 「部屋まで運ばなくてもいいですか」 もう一人の少年。 シーツを手にした渚シンイチが、ミサトにそう尋ねた。 飲み散らかした空き缶や、使用した食器を片づけてくれていた彼へと向き直り。 「ここなら風邪をひくようなこともないわ。 寝かせといてあげましょう」 「そうですね」 眠るシンジの胸から下にシーツをかけてやる。 そんな彼の姿に、ミサトは微笑んだ。 「…可笑しいです、か?」 「ごめんなさいね。 そういうのじゃないんだけど」 顔を向けたシンイチに、ミサトは思わず破顔する。 「あなたって、本当に不思議な子だわ。 シンジ君と同じ年齢なのに、こんな危険な世界に生きていて」 「シンジ君だけでなく私にまで、本当に大事なことを教えてくれた」 「……偶然が重なったんですよ」 呟くよう。応じるシンイチ。 首を横にふって、ミサトはそんなシンイチに告げる。 「偶然なんかで、命令に逆らったりできないわ」 「組織に逆らう行為が何を意味するのか、あなたもよく知っているはずよ」 シンイチは、何も言わなかった。 ただ、覚悟の上なのだと微笑んで見せる。 「ありがとう。 本当は、もっと早くに、ちゃんとお礼言いたかったんだけどね」 「…葛城さん」 「シンジ君にも言ったけど。 できれば渚君にも、頼って欲しいと思ってるの」 「あたしの方が頼りっぱなしだから。 ちょっと、言いにくかったりするんだけどね」 そう言って、苦笑いを浮かべるミサト。 そんな彼女から、眠るシンジへと顔を向けて。 シンイチが告げる。 「一つ。 お願いしてもいいですか」 「ええ。 あたしでよければ」 「シンジ君やレイの。 チルドレンの味方になってあげて下さい」 少年の口にする言葉に。 ミサトは何も言わず、ただシンイチの顔をじっと見つめる。 「シンジ君たちの、味方に?」 「その時が来れば。 力になれるのはきっと、ミサトさんだけですから…」 どこか哀しげで。 そして意味深な、少年の言葉の一つ一つを。 ミサトは少年を見つめたまま、一言一句逃さず聞きとっていく。 「僕はきっと。 力になってあげられないですから…」 自嘲気味に、苦笑をこぼす少年。 彼が何の事を言っているのかは、ミサトにはわからない。 だがおそらく。 目の前に立つ護衛役がこうして口にする言葉は、その必要があってのことなのだろう。 彼という少年は短い付き合いの中で、そう思わせるにたる存在だった。 だからミサトは問いかける。 「いつ。 何が。 とは、教えてくれないの?」 「僕にもまだ。 わかりません」 「それでもその時が、必ずくる。そういうことなのね」 「……はい」 重い口調で、そう応じて。 護衛役の少年は静かに背を向けた。 その背中がひどく小さく感じられて、ミサトは言葉を失った。 |